12話 領主館
昨日のゴミ収集は、僕にとって大きな学びとなった。
どんなに地味な仕事でも、街を支える大切な役目がある。そして、それをやり遂げた対価として受け取る金貨一枚は、モンスターを倒して得た報酬と同じくらい、キラキラと輝いて見えた。
「―――というわけで、僕はどんな仕事でも全力でやります! ポーターとしての経験値を積むためなら、たとえドブさらいだって!」
「お、おう。その意気や良し……」
冒険者ギルドの依頼掲示板の前で、僕は師匠であるゼルガさんに向かって高らかに宣言した。僕のあまりの熱意に、歴戦のベテランであるゼルガさんも若干引き気味だ。
「だがなシェルパ、そう毎日毎日、常時依頼ばかりってわけにもいかねえ。今日はまともなダンジョンアタックの仕事を探すぞ。ほら、ちょうど契約ポーター向けの『巨大ネズミの巣穴掃討』ってのがある」
「巨大ネズミ! いいですね! ネズミの肉って美味しいんでしょうか?」
「食うな。絶対に食うな」
そんな師弟漫才を繰り広げていると、不意にギルドの空気が変わった。
朝のギルドは、酒臭い戦士たちの怒号や、情報交換に勤しむ斥候たちのざわめきで、いつも市場のように騒がしい。だが今、その喧騒がまるで水を打ったように静まり返り、全ての冒険者の視線が一点に注がれていた。
入り口だ。
そこに立っていたのは、この場所にあまりにも不似合いな一人の男性だった。
泥と汗と血の匂いが染みついたこのギルドで、その男性だけが、まるで別世界から迷い込んできたかのように浮いていた。寸分のシワもない、最高級の生地で仕立てられた燕尾服。真っ白な手袋。背筋はピンと伸び、その立ち姿には一分の隙もない。絵本に出てくる執事そのものだ。
場違いな訪問者に、誰もが息を呑んで様子を窺っている。何かヤバい筋の人間か? 貴族絡みの面倒ごとか? 冒険者たちの間に、緊張が走った。
やがて、その執事は深く息を吸い込むと、バリトンのよく通る声で、ギルド中に響き渡るように言った。
「―――皆様、朝のお忙しいところ、大変失礼いたします! わたくし、この迷宮都市アマーリアの領主、アルフォンス・アマーリア様に仕える者でございます! ただいま、シェルパ様という方をお探ししておりますが、どなたかご存じではございませんでしょうかーっ!」
しーーーーーん。
ギルド内が、先ほどとは比べ物にならない静寂に包まれた。
そして次の瞬間、全ての視線が、一斉に僕とゼルガさんに突き刺さった。
「「「「「シェルパ……?」」」」」
ざわっ、と地鳴りのような囁き声がギルドを満たす。
「おい、シェルパって、ゼルガんとこの新しい坊主の名前じゃねえか?」
「領主様が、あんなガキに何の用だよ?」
「まさか、どこぞの貴族様のご落胤とか……?」
「道理で妙なマジックバッグを持ってると思ったぜ……」
あらぬ憶測が飛び交い、僕に向けられる視線が好奇と嫉妬の色を帯びていく。
「お、おい、シェルパ……お前、なんかやったのか?」
隣でゼルガさんが、青い顔で僕に尋ねる。
「な、何もしてませんよ! 貴族なんて会ったこともないですし……あ、でも、昨日ゴミ収集で西地区を回った時に、ちょっと豪華な家のゴミを回収したような……もしかして、何か大事なものを間違って捨てちゃったとか!?」
「ゴミの件で執事が来るか、アホ!」
僕たちがパニックに陥っていると、執事さんはまっすぐにこちらへ歩み寄ってきた。そして僕の目の前で、まるで王族にでも会ったかのように、九十度の完璧なお辞儀をした。
「おお、あなた様がシェルパ様でいらっしゃいますね? お噂はかねがね伺っておりました。お会いできて光栄の至りにございます」
「は、はひっ!?」
あまりの丁寧な物腰に、僕の口からカエルが潰れたような声が出た。
「わたくし、当主アルフォンス様の執事頭を務めております、セバスと申します」
セバスと名乗った執事さんは、優雅な仕草で自己紹介をした。
「この度は、先日、我が主の御令嬢、ロゼ・アマーリア様の危機をお救いくださった件につきまして、主より篤く御礼を申し上げたいとのことで、お迎えに上がりました」
「ロゼ様……あ!」
そこでようやく、僕は全てを思い出した。そうだ、数日前、僕はエレインさんたちと一緒に、盗賊に襲われていた貴族の馬車を助けたんだった! あの時の可憐な少女が、たしかこの街の領主様のお嬢さんだと言っていたっけ。
「そういうことか……」
隣でゼルガさんが、合点がいったという顔で頷いている。
「既にエレイン様、カール様、カーラ様にはお話が通じておりまして、現在、領主館にてシェルパ様のお越しをお待ちでございます。ささ、どうぞこちらへ」
セバスさんに促され、僕たちはギルドの外へと導かれた。その道中、モーセの奇跡みたいに冒険者たちが道を開け、僕たちは好奇と羨望の視線の集中砲火を浴びることになった。なんだか、ものすごく居心地が悪い。
「あの、師匠も一緒に来てください!」
あまりの心細さに、僕がゼルガさんの服の袖を掴むと、彼は
「俺は関係ねえだろうが」
と眉をひそめた。
「シェルパ様の師君でいらっしゃいますね? 左様でございますか。ならば、ぜひご同席を。主も喜ばれましょう」
セバスさんの完璧なエスコートに、ゼルガさんも断りきれず、観念したように大きなため息をついた。
ギルドの外には、僕が人生で一度も見たことがないような、ピカピカの豪華な馬車が停まっていた。純白の馬が二頭立てで、車体にはアマーリア家の紋章が金色に輝いている。
セバスさんにドアを開かれ、恐る恐る中に入ると、座席は血のように赤いビロード張りで、お尻がどこまでも沈んでいきそうなほどフカフカだった。
「……おい、シェルパ。俺、今すごく帰りてえ……」
「僕もです……」
向かいの席に座ったゼルガさんと、僕たちは顔を見合わせて、再び深いため息をついたのだった。
馬車を降りた僕たちを出迎えたのは、映画に出てくるような壮麗な洋館だった。庭師によって完璧に手入れされた美しい庭園、磨き上げられた大理石の床。僕のような庶民には一生縁がないと思っていた場所に、今、僕は立っている。ゼルガさんに至っては、汚れたブーツで床を踏んでいいものか本気で悩んでいるようだった。
客間に通されると、そこには見覚えのある顔ぶれが揃っていた。
「おー、シェルパ! 遅かったじゃねえか!」
お調子者の剣士、カールさん。
「全く、領主様を待たせるなんて、いい度胸ね」
クールな商人、エレインさん。
「まあまあ。シェルパ君もビックリしたでしょ?」
頼れるシーフ、カーラさん。
そして―――
「シェルパ様!」
柔らかな金髪を揺らし、満面の笑みで駆け寄ってきたのは、領主の娘、ロゼ・アマーリア様だった。
「ロゼ様! ご無事で何よりです」
「はい! 皆さんのおかげです! 本当にありがとうございました!」
深々と頭を下げるロゼ様に、僕たちは恐縮してしまう。
「こら、ロゼ。お客様を困らせるでない」
穏やかな声と共に、部屋の奥から一組の夫婦が現れた。優しそうな顔立ちの男性と、気品のある美しい女性。この二人が、このアマーリアの地を治める領主夫妻なのだろう。
「娘が大変お世話になった。私がこの地の領主、アルフォンス・アマーリアだ。そしてこちらが妻のイザベラだ」
「この度は、娘の命を救っていただき、本当にありがとうございました」
領主夫妻からも丁重にお礼を言われ、僕たちはますます縮こまってしまう。隅っこで直立不動になっているゼルガさんは、もはや石像と化していた。
その後は、豪華なテーブルに並べられた、見たこともないような美味しいお菓子や紅茶をいただきながら、和やかな歓談の時間が続いた。
ロゼさんがいかに僕たちに助けられたかを興奮気味に語り、カールさんが
「いやー、俺の剣技が火を噴きましてな!」
と手柄を五倍くらいに盛って自慢し、エレインさんがそれを冷ややかに訂正するという、いつもの光景が繰り広げられた。
そんな和やかな雰囲気の中、ふと、領主のアルフォンスさんが僕の顔をじっと見つめて言った。
「……しかし、シェルパ君、だったかな。その名には、どこか聞き覚えがある」
「え?」
「うむ……。私の古い友人に、ゲイルという男がいてな。彼はよく、自慢の息子の話をしてくれた。確か、その息子の名前が……」
―――シェルパ、だった。
アルフォンスさんの言葉に、僕の心臓がドクンと大きく跳ねた。
「父……さんの、友達……ですか?」
僕が掠れた声で尋ねると、アルフォンスさんは驚いたように目を見開いた。
「なっ……君は、あの"閃光のゲイル"の……!」
場の空気が一変した。エレインさんたちが、何事かと僕と領主様の顔を交互に見ている。アルフォンスさんは、懐かしむように、そして少し悲しそうに目を細めた。
「そうか……君が……。ゲイルはいつも言っていた。『俺の息子は、賢くて、優しくて、世界一の自慢の息子だ』と。君に会えて、本当に嬉しいよ」
「……父が、そんなことを……」
知らなかった。父さんが、遠い場所で僕のことをそんな風に話してくれていたなんて。胸の奥から、温かいものがこみ上げてくる。だが、それと同時に、あの拭いきれない疑問が再び頭をもたげてきた。
「アルフォンス様……。父は……どうして、死んだのですか? 王都から届いた報せには、詳しいことは何も書かれていませんでした。ただ……」
僕が言い淀むと、アルフォンスさんの表情が曇り、重々しい沈黙が客間に落ちた。
「……シェルパ君。君には、知る権利があるだろう。そして、我々はこの国の貴族として、真実を伝える義務がある」
アルフォンスさんは意を決したように、ゆっくりと語り始めた。
一年前、隣国グレンデル帝国との間に始まった戦争。その元凶が、己の力を過信した第一王子、ゼノンであること。
「血気盛んで、己の力を過信していたゼノン王子は、父である国王の制止も聞かず、独断で隣国へと侵攻した。戦略も準備も杜撰な軍がどうなるか……結果は言うまでもない。完全な惨敗だ」
話を聞いているだけで、その第一王子というのがどうしようもない馬鹿だということが分かる。RPGなら、人の話を聞かずにダンジョンに突っ込んで全滅するタイプのリーダーだ。
「当初、君の父ゲイルは召集を固辞していた。家族との平和な暮らしを壊したくなかったのだろう。だが、戦況は悪化の一途をたどり、ついに国王陛下自らの手紙で復帰を懇願したそうだ。国と民を守るため……そして、愛する家族が住むこの国を守るため、彼は再び剣を取ることを決意した」
父さんの、苦渋の決断が目に浮かぶようだった。僕と母さんを置いて戦場に行くのは、どれだけ辛かっただろう。
「復帰したゲイルの強さは、まさに伝説通りだった。彼の指揮で、敗走続きだった王国軍は息を吹き返し、帝国軍を押し戻し始めた。だが、それを快く思わない者がいた。……ゼノン王子だ。手柄をゲイルに奪われることに嫉妬した王子は、あろうことかゲイルの命令を無視し、またもや独断で突出したのだ」
「またやったのか、その馬鹿王子……」
思わず口から本音が漏れた。アルフォンスさんも「全くだ」と深く頷く。
「当然、ゼノン王子の部隊は敵の罠に嵌り、完全に包囲された。総崩れとなり、逃げ惑う自軍。ゼノン王子自身も命の危険に晒された。その絶望的な状況で、全軍の撤退を可能にするため、単身で敵軍の前に立ちはだかったのが……君の父、ゲイル大将軍だ」
「父さんが……殿を……?」
「そうだ。彼は文字通り、鬼神の如き強さだったそうだ。たった一人で帝国軍の猛攻を食い止め、数千の兵を屠った。だが、衆寡敵せず。最後は力尽き、帝国の総大将との一騎打ちの末、討ち死にした……と聞く」
そこまで聞いて、僕は拳を強く握りしめていた。やっぱりそうだ。父さんは、国を、仲間を、そしてあの馬鹿王子さえも守るために命を懸けた、本物の英雄だったんだ。
「だが……話はまだ終わらん」
アルフォンスさんの声が、さらに低くなる。
「問題は、命からがら逃げ帰ってきた第一王子、ゼノンだ。彼は自らの大失態を隠蔽するため、全ての責任を死んだゲイルに押し付けたのだ。『ゲイルが裏切り、軍を混乱させたせいで負けた』と。そして、英雄として帰ってくるはずだったゲイルの遺体を、『戦犯』として王都の民衆の前に晒したのだ」
「な……んだと……?」
僕の頭の中で、何かがブツリと切れる音がした。
「それだけではない。ゼノン王子は、ゲイルへの憎しみと、自らの罪が暴かれる恐怖から、常軌を逸した行いに出た。王宮お抱えの闇魔術師に命じ、ゲイルの亡骸に、死者に対する最大の侮辱とされる禁断の呪いをかけたのだ」
アルフォンスさんの声が、氷のように冷たく響く。
「死してなお、安らかな眠りを得ることなく、魂を肉体に縛り付けられ、永遠に苦しみ続ける呪い……『ノーライフキングの呪い』をな。呪いを受けたアンデッドは、自我を失い、ただ生前の無念と苦痛を繰り返し味わい続ける。君の父ゲイルは……英雄ゲイルは、アンデッドと化し、今も王都の中央広場で、見せしめとして鎖に繋がれ、晒され続けている」
―――ガシャン!!!
僕の目の前で、ロゼ様が持っていた紅茶のカップが床に落ちて砕け散った。彼女は口元を手で覆い、信じられないという表情で震えている。
だが、そんな音は僕の耳には届かなかった。
頭が真っ白だった。
―――ふざけるな。
ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなッ!!!!
僕の身体から、自分でも抑えきれないほどの膨大な魔力が、奔流となって溢れ出した。それは純粋な魔力の塊ではなかった。ドス黒い怒りに染まり、あまりにも密度が高く、異質な魔力。
空気が歪み、空間そのものが軋むような音を立てる。豪華な客間のシャンデリアが激しく揺れ、テーブルの上のティーカップがカタカタと震え、次々とひび割れていく。
「なっ、なんだこの魔力は!?」
「きゃっ!」
カールさんとカーラさんが驚愕の声を上げる。
「シェルパ! 落ち着きなさい!」
エレインさんの制止の声も、もう僕の耳には届かない。
「うっ……!」
「あなた……!」
「ロゼ、しっかり!」
領主夫妻とロゼさんが、顔を青くして胸を押さえている。僕の練り上げられた魔力は、常人が浴びるにはあまりに濃すぎた。まるで猛毒の瘴気のように、彼らの生命力を蝕んでいく。
母さんが言っていた。『あなたの魔力は、少し気持ち悪くなるから、外に出しちゃダメよ』。その言葉の意味を、僕は今、最悪の形で理解した。
「しぇ……るぱ、さま……?」
ロゼ様の苦しそうな声で、僕はかろうじて我に返った。
目の前の光景に、僕はハッとする。なんてことをしてしまったんだ。こんな優しい人たちを、僕の怒りで苦しめてしまうなんて。
僕は慌てて魔力を体内に引き戻した。途端に、客間を覆っていた異常な圧迫感が消え失せる。だが、一度凍り付いた空気は元には戻らなかった。
「……申し訳、ありません……。少し、取り乱しました……」
僕が絞り出すように言うと、アルフォンスさんは青い顔のまま、力なく首を振った。
「いや……我々も、君にあまりに酷な話をしてしまった……。すまないが、今日のところは、これでお開きにさせてはくれないだろうか……」
その言葉に、僕たちは何も言えず、ただ頷くことしかできなかった。
領主の館からの帰り道、馬車の中は葬式のように重い沈黙に包まれていた。
フカフカのはずのビロードの座席が、今はまるで針の筵のようだ。
僕がとんでもない出自と事情を抱えていることを知った仲間たちは、何と声をかけていいか分からずにいるようだった。
お調子者のカールさんは唇を固く結び、エレインさんは窓の外をじっと見つめている。カーラさんは心配そうに僕の顔を窺っているが、言葉は出てこない。
そして、僕の隣に座る師匠のゼルガさんは、ただ黙って、僕の肩にそっと手を置いてくれていた。
僕は、自分の怒りを制御できず、周りを危険に晒してしまった自己嫌悪と、父のあまりにも過酷な運命に対する無力感で、俯くことしかできなかった。
楽しいお茶会になるはずだった。
なのに、僕は全てを台無しにしてしまった。
砕けたティーカップのように、僕たちの間に生まれた絆にも、修復できないヒビが入ってしまったのかもしれない。
そんな不安だけが、重く、重く、僕の心にのしかかっていた。




