1話 スクロール
まず最初に言っておくと、僕には生まれた瞬間の記憶がある。
生まれ変わり? 転生? そのあたりの仕組みはさっぱりだけど、前世の記憶というものは、くっきりと胸の引き出しにしまわれている。地球、日本、コンビニのおでんと冬の湯気、放課後の夕焼け。そんな断片が、いまの僕の中でしれっと共存している。
なんでそんな記憶があるのかって?
もしかしたら、種族特性とかそういうロマン溢れるやつなのかもしれない。なにせ僕は、ハーフエルフなのだ。
父はヒューマン、母はエルフ。耳はちょいと長め、寿命は少し長め、好奇心はだいぶ長め。そんな感じ。
家族のことを話すなら、少しだけ真面目にならなきゃいけない。父は一年前、戦に赴いて、そのまま帰らなかった。知らせは冷たく短い文で届き、家の空気がふっと重くなった。
エルフは、つがいの片方を失うと心が枯れて死んでしまう、と母自身が笑って言っていた。長い時を生きる種だからこそ、神様が用意した優しい抜け道なのだ、と。理屈はわかる。けれど、置いていかれた側としては、ちょっと待ってよ、である。
「僕の事を残して逝かないでよ… でも、父さんとそっちでも仲良くね…」
誰もいない葬式でぶつぶつ愚痴って、最後の火が落ち着くのを見届ける。
土葬だとノーライフキングの呪いがどうこうでゾンビになるとか、わりとシャレにならないので、ここら辺の土地では火葬一択だ。骨壺にさらさらと灰が収まる音は、砂時計の最後の一粒みたいに胸に落ちた。
さて、と僕は鼻をすすって、現実に向き直る。ここは辺境、村まで三日もかかる。ほぼ自給自足でやってきた。
十歳の僕が今後もこの家で悠々自適? ないない。
モンスターがうろつく森でソロ狩り? 無理ゲー。
子供ひとりで重労働の農作業? それはもう職業体験を通り越して修行。
というわけで、移住、決定!
新天地でわくわくサバイバルだ。
旅支度をしながら母の遺品を整理していると、ふいに指が一枚の羊皮紙に止まった。古びているのに、どこか凛とした存在感。
魔法陣が繊細な線で描かれている。スクロールだ。
母が冒険者だった頃、ダンジョンで手に入れたという、貴重品中の貴重品。夜、暖炉の前で聞いた冒険譚が蘇る。獣を退ける炎の矢、風に乗る歌、回復の祈り、そしてちょっと笑える失敗談。魔法の話は特に多く、そして熱かった。生きていく術だ、と母はよく言っていた。
この世界では、体内の魔力が安定する十歳ごろから、スクロールに込められたスペルを身体に取り込んで、実際に使えるようになる。
人それぞれに適性があって、メイジ系、ウォリアー系、プリースト系、サポーター系、クリエイター系……ざっくりそんな分類に分かれるらしい
適性を見て職に就くのが普通で、その適性を測ってくれて、さらにスクロールを販売している神殿は大きな街にしかない。
つまり僕の当面の目標は、神殿があるダンジョン都市アマーリアに到達すること。地図を前にして、僕の短い足だと……うん、1ヶ月コース。
母の遺品の中にあったこのスクロールは、神殿で売っている量産されている物とは違う、オリジナルスペルと言われる相当貴重な物と聞いており、市場に出れば、たぶん一生遊んで暮らせるくらいの値段がつくやつ。
売る? 売らない? 天使と悪魔が両肩に現れてディベートを始めそうになるけれど、これは母の遺品。
両親が残してくれたお金も当面の生活には十分。ならば、これは大切に持っていくのが正解。そう結論づけて、バックパックに――入れようとした、その時。
指先が、魔法陣に触れた。
ほんの軽いタッチ。けれど、次の瞬間、紺色の夜に火花が散るみたいに、魔法陣がふわりと光った。
「ひゃっ……!」
情けない声が出たのはビビりだからではない。慎重派、そう、僕は慎重派なのだ。
落ち着け、深呼吸。スペルは、適性がある者が触れると反応して光る――そんな話、母から何度も聞いた。ということは、だ。これは、もしかして、僕用?
「こ、これは… もしかして僕に適性があるスペルなのかな…?」
スペルとはスクロールに込めらている魔法の事で、適性のあるスペルは手に触れると光を放つらしい。
胸がざわざわする。期待と不安が綱引き中。どの系統のスペルかはわからない。なにせオリジナルスペルだ。
使うまで中身は謎。母の遺品をここで使うのは、正直ちょっと躊躇う。でも、好奇心というやつは、いつだって理性の袖を引っ張る名人だ。
母の遺品なので少し躊躇したが、好奇心に負け、離していた手をもう1度スクロールの上に置いてみた…
淡い光が静かに脈打つ。呼応するように、僕の胸の奥の魔力が、ゆるやかに波打った。
やがて光が点滅になり、ふっと消えかける。
あ、それ、待って、消えないで。
直感が囁く。ここに魔力を流し込めば、灯は保てる――
確信にも似た思いに背中を押され、僕は魔力を押し出した。
ここで余談。僕は生まれた時から自我持ちの赤ちゃんだった。
乳児期、意思疎通はできないが意識はある。暇。とても暇。なので、魔力を練るのがマイブームになった。
くるくる、もにょもにょ、ねりねり。魔力は練れば増えるということに途中で気づいて、三歳になる頃には、すでに母の魔力量を越えていた。父より母のほうが魔力量は多かったから、つまり家の中で僕が一番の大魔力持ち。外の世界の平均は知らないけど、僕が少ないという事はないだろう。
たぶん。きっと。そうであって。
だから、スクロールに魔力を注ぐくらい、余裕――の、つもりだった。
ところがどっこい、羊皮紙はごくりと喉を鳴らす獣のように、僕の魔力を「どっさり」飲み込んだ。
え? ちょ、待っ――吸う、吸う吸う、まだ吸うの!?
僕の中の魔力が滝のように流れ出す感覚。慌てて手を離そうとするが、指先は魔法陣に縫い止められたみたいに離れない。ひんやりした光がぴたりと貼りついて…
離脱ボタン、どこ~!?
「ヤバヤバヤバ……!」
額に汗が滲む。視界の端がかすみ、音が遠のく。
どれくらいの時間が経っただろう。砂時計の砂が全部落ちても、まだ吸ってるんじゃないかという長さ。やがて、胸の奥がすうっと軽くなって、逆に空洞が広がるような心許なさに変わって――
魔力枯渇。頭がくらくら。膝がへなへな。意識が、遠い。
ふらつかないように、と踏ん張ったのも束の間、床がふわっと近づいてきた。木の匂い。天井の梁が揺れて見える。視界の中心で、スクロールの光が、最後に一度だけぱちりと瞬いた。
そこから先は、もう、夢とうつつの境目のようなものだ。
半分の意識で、僕は自分の中の魔力の海を覗き込んでいた。
いつもは穏やかな湖面が、さざ波ひとつ立たない鏡みたいになっている。そこへ、細い糸のような光が一筋、するすると沈んでいった。
スクロールの魔法陣の紋様に似たその糸は、やがて湖底に届き、ぴたりと定着する。刻印。そんな言葉が頭に浮かぶ。刻まれたなにかは、僕の魔力と結びつき、静かに呼吸を始めた。




