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マガツヒの神 ~三つのお守り~  作者: 印西たかゆき
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いつもとは違う世界

可能な限り、『マガツヒの神』シリーズを読んでいなくても話が分かるように書いたつもりです。

「――以上が、擦過傷(さっかしょう)によって起きる症状と、時間単位によって起きるその後の変化です。これらの状態を把握しておけば、遺体が生前に自身の過失によって生じたケガなのか、それとも死後に第三者によって動かされた際に出来たものなのかを判別することができます」


 少し日の落ちた教室で、プロジェクタースクリーンに映る実際の傷をレーザーポインターで指し示しながら話している女性……彼女こそは、この神明大学附属病院が誇る法医学医である、アシュリン・クロフォード先生である。彼女は落ち着いた調子のアルトボイスで話を続ける。


「……では、続いて死後硬直について説明します。まず最初に、死亡時刻からさかのぼって1時間以内に起こった変化を説明していきましょう。

 先ほども言ったように、死後硬直には2種類あります。まず、筋肉の収縮による『筋硬直』と呼ばれるタイプですが、これは文字通り、全身の筋肉がこわばることです。具体的には、手足や背中など体の前面におこりやすく、また頭部の場合は頬や顎などにみられやすい特徴があり……」


 アシュリン先生は手元の資料を見ながら、時折ホワイトボードに図を書きつつ、淡々と講義を進めていった。そして、約30分ほどの講義を終えたところで、一息つくために手を止め、生徒の方を見た。


「――さて、ここまでが死後硬直についての簡単な説明になります。何か質問のある人は?」


 すると、一人の生徒が恐る恐るという様子で手を上げた。


「はい、どうぞ」

「あの……死後硬直が起こるまでの時間は、どれくらいですか?」


 その質問に対し、アシュリンはニコリと微笑んで答えた。


「だいたい4~5時間程度だね。でも、人によってはもう少し早く起こることもあるよ。たとえば、交通事故にあった直後に死亡した場合は、事故発生から約10時間で発生する場合もあるんだ」


 そう言いながら、アシュリンは資料の中から一枚の写真を取り出し、それをプロジェクターに投影した。そこには、シートベルトをした状態でハンドルにもたれかかるようにして死んでいる男性の姿があった。


「例えば、交通事故などで即死した場合なんかは、すぐに硬直が始まるけど、事故後しばらくしてから亡くなった場合でも、死後硬直は遅くても6時間以内から始まる場合が多いんだよ。それに……」


 そう言って、アシュリン先生はまたもう一枚の写真を取り出してプロジェクターに投影する。


「死後硬直は死因以外にも気温や湿度などで大きく変わってくる。この二つの死体はほぼ同じ時間帯だけど、見ての通り、右側の方が左側よりも死後硬直が遅れているよね?この違いは、まさに死後硬直において気温や湿度がどれだけ重要な役割を果たしているのかを示唆している」


 アシュリンの説明を聞きながら、生徒たちは感心したような声を上げる。


「……というわけで、これで私の講義を終わります。今日教えたことをしっかりと覚えておくように」


 こうして、アシュリン先生による講義が終了した。

 そして広げたノートや教科書をカバンにしまう私、山本エレノアはこの神明大学附属法医学教育研究センターの法医学科に所属する生徒だ。

 法医学医になるためには、まず大学の医学部を卒業して医師の国家試験に合格して医師の資格を取る必要がある。なので、こう見えても私は医者……のはずだ。

 私が法医学医になりたいと思った理由は割愛するけど、アシュリン先生と出会えたことはよかったと思う。まぁ、その理由もメタい理由で割愛しちゃう。ということで……。


(そろそろ帰らないと)


 時計を見ると、もう午後7時を過ぎていた。

 急いで帰り支度をして教室を後にしようとすると、廊下ですれ違った誰かに声をかけられた。


「あ、エレノアちゃん!これからご飯食べに行くんだけど、一緒に行かない?」

「ごめんなさい、ちょっと用事があるから遠慮しておくわ。また今度にしましょ」

「えー、つれないなぁ」


 同じ講義を受けていたモブ子Aとそんなやりとりをしながら、私はその場を離れた。そのまま帰るつもりだったのだが、ふと思い立って、私はある場所へと足を向けた。

 それは教育研究センターがある棟を出て別の建物にある神明大学附属病院。名前が示す通り、この二つの機関は建物もすぐ隣にある。

 私は病院の正面玄関から中に入って受付を通り、目的の場所へ向かう。

 部屋の前に着いてノックをすると、聞きなれた声が聞こえてきた。


「はい」

「失礼します」


 ドアを開けると、中には白衣を着た西洋人の女性が椅子に座っているのが見えた。彼女は私の顔を見るなり、笑みを浮かべる。


「なんだ、君か。どうかしたの?」

「いえ、別に大したことじゃないんですけど、最近忙しくてあまりお話できてなかったので、少しおしゃべりできたらなって思って……」

「そうだったかな……うん、確かに最近はなかなか時間が作れなくて悪かったね。それで、何の話をしに来たの?」アシュリン先生は微笑んでそう言った。

「あの、実はさっきの講義を受けていて分からないところがあったので、そのご相談に……」

「いいわよ。どこ?」そう言って先生は私に席を勧める。


 そして、私はアシュリン先生の対面に座り、机の上に先ほどの講義の内容をまとめたノートを広げてアシュリン先生に逐一ちくいち教えてもらった。

……本当は、授業の内容はほとんど理解できている。にも関わらずこうしているのは、アシュリン先生と少しでも長くいたいという、私の不純な動機が原因だ。


「――なるほど。ありがとうございます」

「どういたしまして。エレノアも、よく勉強していて偉いわ」

「そんなことないですよ。いつも復習しないと忘れてしまうくらいです」

「それでも、ちゃんと努力していることには変わりはないでしょう?」

「はい!」


 アシュリン先生が褒めてくれるだけで、嬉しさがこみ上げてくる。

 その後もしばらく雑談を続けた後、私は病院を出た。

 外はすっかり暗くなっていたが、この時期の季節柄、蒸し暑さが残っている。そんな中、私は一人、夜道を歩く。

 そのまま駅に向かって電車に乗り、山手線沿いに少し揺られて目的の駅で降り、また歩く。


「――え?」


……自宅へと帰る私の眼前に、信じられない光景が現れた。


『この先、工事中です。ご迷惑をおかけします』


 全国各地の道路工事などでよく目にする、謎の男が微笑を浮かべてお辞儀する、例の看板……それだけならばよかったのだが、その両隣を鉄製の車止めがガッチリとガードしていた。


(最悪……)


 自宅はあともう少しだというのに……だが、見ると看板の向こうに見える道路には大穴が……仮に車止めを乗り越えても、先に進めそうにはない。仕方ないので、私は回り道をすることにした。

 その道はアーケード街の端っこにあり、左側には居酒屋が立ち並び、右側には電車の線路と踏切、その奥にはちょっとした雑木林が見える。

 普段からあまり人が通るのを見かけたことはなく、街灯も少なくて薄暗い上に、この道は狭い路地が続いている。その路地をアーケード街から続く道を横切って先に進むと、私の自宅であるアパートへと続く道に出る。

 だが、私も今住んでいる自宅に引っ越してからこの辺りにはあまり来たことがない。もしこの辺りがにぎわうとしたら、居酒屋などが人でごった返す時くらいだろう。


(早く帰ろう)


 そう思いながら、小走りに駆けていく。しかし、その瞬間、背後から何か物音が聞こえた気がした。


「……っ!?」


 慌てて振り返ると、そこには誰もいない。気のせいかと思って再び歩き出すと、今度は前方からガシャンッ!!――と、大きな音。思わずビクッとして立ち止まると、今度は後方からも同じような音が響いた。


「……」


 恐る恐る後ろを振り返ると、そこには暗闇の中で怪しげに輝く一つの赤い光。


「ひっ……」


 恐怖を感じた私だったが、すぐにそれが個人商店に吊るされた提灯の明かりであることに気付く……ホッとした私は、改めて前を向いて歩みを進める。


「……ん?」


 違和感を覚えたのは、その時だった。

 最初は勘違いかと思っていたが、間違いない。誰かに見られているような気配を感じるのだ。しかも、それは少しずつ近づいてきているような……。

 私は周囲を見回したが、それらしい姿は見当たらない。しかし、間違いなく何者かがこちらの様子を伺っている。


「誰……?」


 呟くように問いかけるが、当然返事はない。

 すると、次の瞬間、目の前で突然閃光が走った。


(え……?)


 眩い光が視界を埋め尽くし、それと同時に強い衝撃を受ける。そして、全身を包み込むような浮遊感と共に、私の意識はそこで途切れてしまった。


「う……」


――と思ったら、踏切の方から来たタクシーのハイビームライトに立ち眩みを起こしただけだった。


「危なかったぁ……」


 危うく交通事故に巻き込まれるところだった。タクシーはそのまま道を右折してしばらく進み、突き当り左折して姿を消した。

 その後姿を見送って安堵した私だったが、しかし――とうとうその時は起こった。


「っ!?」


 先ほど感じた、誰かに見られているような感触……それが先ほどよりも強く感じる。いや、これは視線というよりも、もっと別のもののような気がする……具体的に何とは言えないが……。


「……」


 私は意を決して、ゆっくりと顔を上げた。そして、正面を向いたまま、ゆっくりと顔を左右に動かしてみる。


「……」


 やはり、いる……姿は見えないが、確かに私を見ている何者かが、この空間に存在する。


「……」


 しばらくの間、沈黙の時間が続いたが、その時は一瞬だった。


「ひっ!」


 突如、私の肌を撫でるように生暖かく、ひどく気味の悪い風が吹いた。

 私はたまらずその場から走り出し、急いで自宅であるアパートまで向かう。そして、ようやく我が家へとたどり着いた私は、震える手で玄関の鍵を開けて中に入り、急いで施錠する。


「はぁ…はぁ…」


 暗い室内で、私の荒い呼吸がやけにハッキリと聞こえる。近くにあるスイッチを押して電気を点けると、そこはいつも通りの私の自宅だった。


「……」


 私はそのままベッドへ向かい、倒れこむようにして横になる。

 あれは、いったいなんだったのか……? 考えるだけで怖くなるので、深く考えないようにしよう。

……そのおかげか、私の意識は見る見るうちに暗闇に溶けるようにして消えていった。

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