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そのときはもう、  作者: 芳田文之介
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第二話



「どう考えたって、腑に落ちないよなあ……」


ひとしきり、天に向かって弁明していたぼくはふと、そうつぶやくと、その次の瞬間憮然として、思わず冷然として、それからわりと憤然とした。


ドス黒い雲が、頭上で、おどろおどろしくうごめいているのは紛れもない事実。


かといって、それがぼくのせいだというのは、やっぱり、合点がゆかない。


ぼくは、平凡で何のとりえもないしがないサラリーマン。こんなオンボロアパートの、六畳一間で暮らす……。たかがそんなぼくの舌打ちぐらいで、天が機嫌を損ねたりする?


それはありえないだろう、どう考えたって。


いや、それよりなにより、こんな非現実的な出来事が起きていること自体、どう考えたって、ありえない話なのだ。


そのくせ、ぼくはこのシュールな出来事を、てっきり自分のせいだと信じて、ひとしきり、天に向かって弁明していた。


漫画の読みすぎなんだよ。実はそれで、幻想を見てたりしてな……。


ぼくは自分にそう私語くと、そんな自分にがっかりして、そういう自分をつまらなさそうに笑って、それから、何に対してかわからないけれど、とにかく、むしょうに腹が立ったのだった。


でも、結局それは、天をみくびっていたことにほかならなかったということを、ぼくはすぐに思い知らさられる……。





ところで、ぼくが小学生のころ、理科の授業で、蛙を解剖するという実習があった。


妙に白くて、ヌメッとしたおなか。解剖の手始めとしてまず、先生が、そのおなかに一筋のメスを入れる。


それから、そこをいやおうなく開いて、「いいですか、ここが、心臓ですよ」というようなことを学ぶのだけれど、今にして思えば、あれは、なんともエグい授業だった。


もっとも、最近では、廃止になったようだ。生物多様性の観点から、「殺生なぞ、もってのほかだ」という、非難の声がもっぱら。


こうした真っ当な非難もさることながら、どうして、こんなのっぴきならない状況のさなか、そんなエグい話題を持ち出すの……といった、これまた真っ当な非難もどこかから聞こえてきそうだ。


もちろん、こっちにも真っ当な理由がある。


なんといっても、それを想起させるような出来事がぼくの頭上でも、今まさに起きているからだ。


いや、むしろ、こういうほうが正しいかも。頭上の出来事を目の当たりにしているからこそ、蛙の解剖実習が思い出された、というほうが。


では、頭上で、いったい、どんな出来事が起きているというのだろうか……。


相変わらず、天上で、うごめくドス黒い雲。なんと、そこにも一筋の切れ目が出来たのだ。


担任の先生が、ひっくり返った蛙を前にして「あたしだって、やりたくないのよ。でもこれはね、理科の実習だからね…」とかなんとか弁明らしきことを言いながらも、どこか翳りのある表情で、えい! とメスを入れて出来たような、そんな切れ目が。


そればかりではない。追いかけて、その切れ目から、実に鮮やかな血が滴り落ちた、いや、そうじゃない、実に鮮やかなコバルトブルーの空が、わずかながら顔を覗かせたではないか……。




墨汁を流したような、ドス黒い雲の切れ目からわずかに覗く、実に鮮やかなコバルトブルーの空――まさに現実を超越した、なんともややこしいけしき。


目にしたぼくは思わず、絶句。


流れからすると、きっと、これだけでは終わらないのだろう。それを思えば、ぼくは心中穏やかでいられない。


いつも、こういう感じで心が烈しく揺さぶられると、気がめいって、ぼくはつい、こんな衝動に駆られてしまう。


そうだ、こういうときは、もう一度、ベッドに入って、ふて寝すればいいんだ、と。


そうすれば、やがて、深い眠りから眼覚めたとき、ややこしい事態はもはやどこかへと消え去ってくれているんじゃなかろうか、とも。オプティミストかもしれないけれど。


そういうわけで、さっそく、ふて寝しよう――うなずいたぼくはもう、ベッドに歩み寄ろうとする。


けれどもすぐに、ちょっと待て、とぼくは思い直す。もう少し様子を見ていようか、そんな怖いもの見たさというややこしい情緒にそそられたからだ。


ぼくにしてはめずらしく、恐怖心より好奇心のほうが優ったらしい。


もっとも、めったにしないことをすると、往々にして、それが仇となる。


「あら、晴天だというのに、雨よ」


「キミが、めずらしいことするからだろうよ」


ややもすれば、この夫婦の会話のような紋切り型の天変地異が……。


もちろん、ぼくも、その例外ではない。


妙に白いおなか、じゃなくて、不気味に蠢動するドス黒い雲。そこに、にわかに入った一筋の切れ目。


え、今度は、なに?


けげんそうな眼差しを投げていると、そこが、驚くことに、少しずつ、少しずつ、だんだん、広がりはじめたではないか! 


ほらね、だから、さっさとベッドに入って、ふて寝すればよかったんだ。


浮かない眉をひそめて、ぼくはホゾをかむ。



つづく



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