えっちな後輩とぼっちな先輩がイチャイチャする話〜小学生の時の初恋の人同士が高校で再会する〜
その日は、夏の暑い日だった。
肌が焼けるような熱い陽射しが降り注ぐ土埃舞うグラウンドで、僕は今にも泣きそうな女の子と出会った。
僕は地域のサッカークラブに所属していて、夏休みの間もクラブの練習のために隣町のグランドに通っていた。
小学四年生の中では一番上手かったので、キャプテンを任されており、コーチから頼み事をされることがあった。
その日、午後から始まる小学三年生の練習に人数が少ないので混じってもらえないかとコーチから頼まれた僕は、同じ学年のチームメイトが午前で帰る中、その頼みを受け入れた。
三時間の練習の合間にある休憩時間。
頭から水を被ってぐしゃぐしゃに濡れた僕は、小さな女の子と木陰に座っていた。
「何でこのサッカークラブに入ったの?」
「……お兄ちゃんが入るって言ったから」
練習が始まってからしばらく内容を見ていると、チームメイトの和に馴染めていない子がいることに気が付いた。
サッカーの練習に二人組になるものがあって、そこでもやっぱり一人だけあぶれてしまったその子は泣きそうになっていて、何か事情があるのか、この休憩の時に聞こうとしていた。
「お兄ちゃんがいるんだ。何年生?」
「双子」
その女の子は他の場所で集まって休憩している少年たちの方に指を指した。
「えっと、青い服を着た子?」
「うん」
双子のお兄ちゃんらしい少年は、他の子供と楽しそうに話している。
「お兄ちゃんがサッカークラブに入ったから一緒に入ったんだね」
「うん」
「じゃあ、サッカーは好き?」
「……あんまり」
このクラブには女の子はほとんど居ない。小学三年生の中でも女の子はこの子しか居ないので、周りに溶け込めにくいんだろうと僕は思った。
「サッカーは楽しいよ! 見てて」
僕は転がっているボールを一つ取って、ボール捌きを見せる。
足裏を通して回転したり、脚を開いてボールを右から左に移すダブルタッチ、脚のアウトサイドからボールを瞬間的にインサイドに持ってくるエラシコ、ドリブルしながらボールを両足で挟んで蹴り上げ頭上まで上げるヒールリフト。
落ちてくるボールをそのまま続けてリフティング。ボールの周りに脚を回転させたりして、最後は背中にボールをピタッと止めて、見ていた女の子に聞いた。
「はぁはぁ……どうだった?」
「すごい。すごかった!」
泣きそうな顔が笑顔になっていて、そしてその顔がとても可愛かったから僕は照れてしまい、その女の子から顔を背けた。
それから僕は毎回のようにひとつ下の学年の練習にも参加するようなった。人数は少ないままだったし、その女の子と話したかったからだ。
その子はサッカーはあまり上手くなかったけど、楽しそうにプレーするようになって次第にチームの和に馴染めるようになった。
「くじょう君は将来サッカー選手になりたい?」
「うーん、サッカーは好きだけど、サッカー選手になれるのはもっと上手くないとダメだと思う」
「くじょう君はサッカーすっごく上手いよ」
「ありがとう」
その女の子とはいろんな話をした。
「くじょう君と同じ学校だったら良かった。中学校も違うし……」
「高校は一緒になるかもしれないよ」
「ほんと? 一緒のとこがいい!」
「どこの高校行く? この辺で一番賢いのは五毛塚高校で――」
「くじょう君は?」
「五毛塚高校かな。行けたらだけど」
「じゃあそこ。約束!」
「くじょう君は漫画読む?」
「読むよ」
「どんなの?」
「キャプテン翼とかブラックジャック」
「知らない」
「サッカーの漫画とお医者さんの話だよ」
「そうなんだ」
「ことはちゃんは?」
「ドラえもん」
「おお、ドラえもんか。どの秘密道具が好き?」
「えっと、わたしは――」
そして半年が経ち、春になった。
このクラブでは小学五年生から違うグランドで練習するようなる。もう少し大きなグランドになるのだ。
違うグランドは今までの場所からかなり離れているので、当然一つの下の学年の練習には参加できない。
それを女の子、ことはちゃんに伝えると、嫌だと泣かれてしまったが、僕もことはちゃんと会えなくなるのは嫌だった。
ことはちゃんと会う最後の日。
ことはちゃんはお母さんと一緒に僕の所まで来た。ことはちゃんは泣いていた。
「ほら、ことは、くじょう君にこれまで良くしてもらったんだから、最後に挨拶しなさい」
「……くじょう君、これまでありがとう」
「どういたしまして。サッカーもすごい上達したね」
「それはくじょう君が教えてくれたから」
「本当にくじょう君、娘の面倒を見てもらってありがとうね。夏までは行きたくないって言ってて辞めようかって話をしてたんだけど、くじょう君のおかげで楽しくなったみたい」
「いえ、僕の方こそ、ことはちゃんといるのは楽しかったです。ことはちゃん、ありがとう」
そうして、手を振ってことはちゃんはお母さんと帰って行った。
僕も悲しかったけど、恥ずかしいので泣くのは我慢した。
一年経ち、下の学年とまた同じグランドで練習するようになった。
ことはちゃんがいることを期待してたけど、もう双子の兄と一緒に辞めたそうだった。
あの時は気付いてなかったが、あれが僕の初恋だったと思う。
ことはちゃんと一緒に居るのは楽しくて、彼女の笑顔を見るのが好きだった。
連絡先を聞いておけば良かったと後悔するがもう遅い。
同じ地域に住んでるので、また偶然会うことがあればいいなと思った。
――――――――
誰一人生徒の声が聴こえない、静寂の保たれた山の中。そこにぽつんと建てられた寂れた別館の一室に二人は居た。
退廃的に廃れた屋舎は、そこが学校施設の一部とは到底思えないような有様だ。錆びた手摺りに蜘蛛の巣が張られた廊下、老朽化のため二階への侵入を妨げる金属チェーン、独特の湿った木造建築物の匂い。いつ取り壊されてもおかしくはないように見える。
山の麓に位置する五毛塚高校には敷地の七割を占める庭園があった。庭園とはいっても小さな噴水と小道が存在するだけで、人工的に整備された花壇とかがあるわけでは無く、その他の場所は天然の森だ。山の一部を五毛塚高校が庭園と呼んでいるのだった。
その庭園のちょうど真ん中に存在する、今はもう使われない別館の一室に、周りの雰囲気とは合わない優雅な音楽が流れている。
「……ねえ先輩、何聴いているんですか?」
大きな木製の机を挟んで向かい合う生徒の一人が、我慢しきれなくなったと言わんばかりに口を開く。
彼女、葉月琴葉は歴代の生徒が使ってきたであろう古びているがまだ壊れそうにない重い木製の椅子に、ちょこんと腰掛けていた。
「シューベルトのピアノ・ソナタ第16番」
もう一人の外部から持ち込んできたと思われる、座り心地の良さそうな椅子に脱力して腰掛けている男、九条成亮が返答した。
淹れたての紅茶をふーふーと息を掛けながら一口飲み、同じ調子で続ける。
「やはり、ピアノの音色が素晴らしいな。心の奥底まで響き渡ってくれる。紅茶との相性も抜群だ」
いつもとは違う気取った台詞を口にする九条に、葉月は呆れたような目線を向けつつ言った。
「……先輩。どうせにわかの癖に、クラシック通のような雰囲気を出してイキるのは止めてください」
「なっ!?」
九条が狼狽えたように姿勢を崩す。葉月の罵倒は止まらない。
「クラシック音楽聴いてる俺かっこいい! とか思ってるじゃないんですか。可愛い後輩の前で格好を付けようとするのは分かりますが、ぼっちの先輩が普段はボカロしか聴いてないのに、急にシューベルトを話題に出すのはキモいです」
「……ちょっ、おい! 開口一口目でそんな罵倒することないだろう!?」
九条は明らかにショックを受けた様子で反論する。
「それにボカロだって最高の音楽なんだから! 人間では歌えない高音のメロディの曲が作れるようになったんだよ!」
「でも実際、既にボカロは全盛期に比べて、ニコニコ動画と共に廃れかけつつあるじゃないですか。それに今までボカロを作っていた人たちがボーカロイドではなく、他の人に歌ってもらうことでヒットしていますよね」
「ぐっ……! 確かに……!」
超人気アーティストの米津玄師は元々ハチという名義でボカロを盛り上げてきた一人であるし、今話題のヨルシカやYOASOBIも元はボカロPだった人が楽曲を作っている。
「本当は人間でも歌えるのでは?」
「いや! しかし、ボカロの魅力はそれだけでは無くてだな――」
負けじと応戦しようと、九条は矢継ぎ早に言葉を繰り出す。段々と早口になってきたところで葉月が指摘した。
「――というわけであって」
「先輩」
葉月がニコッと笑って九条を見る。
「せっかくの紅茶が冷めちゃいますよ?」
「……ああ、そうだな」
葉月の笑みに毒気を抜かれた九条は、もう熱くないのにも関わらず、ふーふーと息を吹き掛けて慎重に飲む。喋って喉が乾いたのか、そのままの勢いですべてを飲み干した。
「それでそのCDプレーヤーはどうしたんですか?」
葉月が昨日までは置かれていなかった、高そうなCDプレーヤーを指で指しながら問う。
「祖父が新しい物に買い換えるということで貰ったんだ」
「ふーん、そうなんですか」
「ああ、この部屋を快適に過ごせるようにしないとな」
「ふふっ、まあそれも有ると思いますが。……本当のところは私に見せたかったんですよね」
「はっ!? 何訳のわからんことを……」
九条がまたしても動揺する。
「可愛い女の子に見せびらかして自慢したいんでしょ」
「なわけあるか! クラシック音楽をここで聴きたかっただけだ!」
「あっ……」
「なに?」
「先輩がクラシック音楽を聴いている理由がやっと分かりました」
「いや、それは元からの趣味で聴いていたからで」
「そういえば最近また再放送でやっていますよね? のだめカンタービレ」
「ぐっ……!」
「昼に再放送しているのだめカンタービレを録画して見たらハマって、クラシック音楽を聴いているんでしょ。先輩」
「い、いや! それもあるはあるけど……」
「のだめでも掛かりますよね、シューベルトのピアノ・ソナタ第16番」
「……ど、どうして、そんなに分かるん……?」
「ふふふ、先輩のことなら全てお見通しです!」
葉月が悪魔的な魅力を放つ笑みを浮かべる。九条は思わず、彼女から目を逸らした。
至る所で埃の舞う別館で、唯一綺麗なこの部屋のドアに腐りかけの木の看板が打ち付けられている。赤と黒の文字でお洒落に装飾された看板には遊戯部と書かれていた。
「で、先輩。遊戯部のことなんですが」
「あ、うん」
九条が姿勢を正して、椅子に座り直す。
「私が入部してからもう二ヶ月が経つんですけど、私と先輩しかこの部室に来ませんよね。先輩の話では先輩の同級生と上級生が遊戯部に所属していて、アットホームな雰囲気で楽しいよ、という話でしたが」
「そ、そうだっけな……」
「それに、女の子もいるから安心だよって言っていましたよね」
「言ったような気も……」
「私はこの二ヶ月、放課後はずっとここに居て、まだ誰も見たことがないんですが。一度も無いんですよ」
「……それは、みんな幽霊部員で、なかなか来てくれなくて……く、来るようには言ってるんだけどね?」
「……先輩」
葉月は鋭い目付きで九条を見る。疑わしいという様子を見せる葉月に九条の身体が少し震えた。
「もしかして、他に部員は存在してないんじゃないですか?」
「ギクッ」
固まる九条に対面しながら、葉月は唇を湿らせる。
「まあ存在してないということは無いですよね。最低でも部員は四名は必要だし」
「そうそう!」
「でも存在してないのと殆ど同じじゃないですか。名義を貸してもらってたなんて」
「な、何のことだか……」
「ふふふ、誤魔化したところで意味ないんですよ。私、顧問の先生にちゃんと確認したんです。部員の名前を教えてもらって、その人のところに聞きに行きました。何故部活に来ないのかと」
「……ごめん! 入部前に言ってたことは嘘でした。 本当にごめん! ……廃部を避けるためには部員を確保しなくてはならなくて!」
「それは先輩の事情であって、私とは関係無いですよね」
「うん……ごめん。……知らなかったら入って無かったよね。……遊戯部を辞めるなら俺から先生に――」
「いいえ、先輩。別に怒ってもいないし、辞める気もありません。ただ――」
葉月はそこで一旦言葉を切って、椅子から立ち上がる。制服のスカートが一瞬ひらひらと舞って落ちた。
「――最初からそういうことは言ってくれたら良かったのに、とは思いましたけど」
「え?」
「先輩、他に誰もここに人が来ないのなら」
葉月が恥ずかしげに言う。
「この部室で、えっちなことができますね」
九条は童貞なので、自分の聞き間違えかと疑った。
「え、えっちなことって……!?」
「ふふ」
葉月は笑って答えない。
九条はその仕草に到底普通の高校生では醸し出すことの出来ないはずの大人の女のエロスを感じた。
「怒っていないと言っても、嘘を付くのは悪いことです」
「……反省します」
「ですので、そんな悪い先輩には罰を与えます。私の肩を揉んでください」
「肩? 別にいい、けど……」
立っていた葉月が九条の方に向かって歩く。
「先輩の椅子に座ります」
「ん? ああ、いいよ」
葉月の言葉を聞いて椅子から立ち上がろうとした九条は、彼女に制止される。
「その必要はありません」
「え、だってこの椅子に座るんじゃないのか」
「はい。それはそうですが、私は先輩の上から座りたいです」
「上から!?」
「なのでもっと脚を開いてください。この椅子は大きいから二人でも座れますよね?」
「座れるとは思うけど……」
「先輩の上から座ってはダメですか?」
「だ、ダメではないけど……」
「じゃあ座ります」
葉月が九条の脚を広げた部分に腰を下ろす。小柄な体格の葉月はすっぽりと脚の間に挟まった。葉月と九条の距離は20cmも離れていない。
「では、肩を揉んで下さい」
「う、うん! いや、ちょっと近すぎない!?」
九条は葉月の甘くて良い匂いを嗅いでしまい、彼女の存在を猛烈に意識し始める。
「そうですかー?」
焦る九条とは対照的に、九条から見て葉月の方は落ち着いているように感じた。葉月が頬を朱色に染めているのには気付かない。
九条は少しの間で覚悟を決め、そっと葉月の肩に触れる。
「こ、こんな感じ?」
「はい……良い感じです。……んっ……」
「痛かった!?」
「いえ……気持ちいいので続けてください」
「わ、分かった」
九条は葉月のことをあまり意識し過ぎないように、肩を揉むことだけに集中する。集中するとは言っても、特別人の肩を揉んだりするような経験は無いので、手探り状態で揉む力の強弱をコントロールしようとした。
「……どう? 痛い?」
「少し……」
「……こんくらい?」
「…………はい……んっ……」
部屋には音楽と二人の息遣いだけが響く。至近距離で肩を揉んでいる九条は、どうしても無駄な力が掛けてしまう。
「……あの、揉みにくいから、もう少し離れた方がいいと思うけど」
「……じゃあ、もう肩を揉むのは終わりでいいですよ」
九条は力を抜いて、肩から手を放す。肩を揉むのは終わりなはずだが、葉月はそこから動こうとはしなかった。
「ぼっちの先輩がこんなに可愛い女の子の肩を揉むような機会は、今後はそうそうありません」
「そ、そうかな」
「ええ、そうです。なので逆に感謝して欲しいぐらいです」
「なんで揉んだ方が!?」
「ふふ、これは先輩の罰だからです」
葉月が笑って振り返る。とても近い距離で二人の目が合った。
葉月琴葉。入学してからまだ二ヶ月の新入生で、九条の勧誘により遊戯部に入った。大きな目に整った顔立ち、長くて艶のある黒髪と魅力的な笑みで、学年の中でもトップクラスの人気を誇る美少女だ。
それ比べて九条成彰の容姿は平凡だ。遊戯部の部長であり、クラスメイトとは距離を取っているので、一人ぼっちでいることが多い。それを葉月はぼっちとからかう時がある。
九条が間近で葉月の顔を見る。綺麗な白い肌が少し火照っていることに気付いた。
「もしかして、熱い?」
「ええ、少し熱いです。多分、血行が良くなったからだと思いますが」
今日は六月中旬の晴れの日。この別館が森の中にあるということもあり、気温的にはそんなに高くはない。
そういえば、と九条は何か思い出したらしく、横にあった鞄を手に取る。
「――あったあった、これこれ」
「何ですかこれ?」
九条は鞄から袋を取り出し、袋の中に手を入れる。肌色のボールらしきものが出てきた。
「これは、おっぱいボールだ!」
九条はボールを掴んで、首を捻って後ろを向いている葉月に見せつける。
「ゴールデンウィークに東京に行ったんだが、なんかお土産を渡そうと思ってな。雑貨屋さんで見つけたから買ってきたんだ」
「なるほど。先輩はぼっちだから、お土産を渡せる接点のある人は私しか居ないんですね」
「別にそれはいいだろう!?」
おっぱいボールを受け取る葉月だったが、貰って嬉しいという表情はそこには無い。冷ややかな目線を九条に向ける。
「で、お土産がこれですか」
「ああ! 乳首までも精巧に再現されており、中にシリコンが入っているので揉み応えは抜群! 本物のおっぱいを揉める気になれるし、それに手の平の握力も鍛えることができるという素晴らしいジョークグッズなんだ!!」
しばらくは黙って説明を聞いていた葉月だったが、九条がおっぱいボールについて熱く語っている途中に、無言でそれを投げた。
おっぱいボールは開けていた窓から外に消える。
「――あっ!」
九条は綺麗な放物線を描いて窓から外に飛び出すおっぱいボールを目で追いかけた。
「マイ・オッパっーーーイイイ!!」
九条は涙を流して鳴いた。
「先輩はあんまりおっぱいが大きくない私に喧嘩を売っているんですか」
「そんなつもりは無かったんです……。ただおっぱいボール愛好会会員として普及活動をしようと思っただけなんです……」
九条はおっぱいボール愛好会の会員だった。
「はぁ……」
「すいません」
葉月は溜め息を吐いた。
「でも先輩、そんな偽物の乳なんか買わなくても本物がここにあるじゃないですか」
「んんッ!?」
葉月は九条の手を掴み、上目遣いで九条を挑発するように言う。
「ほら、すぐ手を伸ばせば届く位置にありますよ?」
「まじか!?」
葉月は小ぶりな胸を張りながら、九条の手を自分の方へ引っ張っていく。顔には妖艶な微笑みを浮かんでいる。
もうあと数cm伸ばせば、その膨らみに触れてしまいそうだ。九条は思わず唾を飲み込む。おっぱいボールをこよなく愛する九条にとって、本物のおっぱいは格が違った。
あ、当たる――と九条が思ったとこで、葉月はもう片方の手も合わせ、両手で九条の手を包み込んだ。そして、その手を遠退ける。
「ふふ、冗談ですよ。もしかして、本当に触れると思いました?」
「だ、だよねっ! やっぱりそうだと思いました! ……ちくしょう!」
九条はまんまと葉月の手に踊らされている。そこには先輩の威厳はなかった。
「あ、でも」
葉月が何かを言おうとするが、ドアが開く音がそれを阻む。
古い木のドアから現れたのは茶髪の軽薄そうな男だった。
「ちわーすっ! おお、ここが部室っすか。廊下とかボロボロだったんで心配したけど、この部屋は綺麗っすね」
「おい、部外者は出ていけ」
九条はその男に命令口調で言った。
「それは無いっすよ部長さん。俺も遊戯部の部員なんすから」
「お前は名義上の部員っていうだけで、今まで来なかっただろうが」
「急にやる気が出たんすよ」
軽い口調で男、茶利鶏鳴が言う。茶利は部活の存続のために名義を遊戯部に登録していただけで、一度も遊戯部の活動はしたことがない幽霊部員だ。
「何が目的だ?」
九条は茶利に警戒しながら問う。茶利は所謂イケメンで、常に女子生徒を侍らして行動しているが、性格が最悪だという噂がある。
「それはもちろん、新たなレディがこの部活に入ると聞いたからっすよ」
「葉月のことか」
「イエス!! 今日の昼休みぶりすね、琴葉ちゃん」
「そうですね茶利先輩」
「ノウ、ノウ! 俺のことは鶏鳴と呼んでくれ!」
「それはもっと仲良くなってからお願いします」
「オゥ! そのガードの固さも素晴らしい! 流石プリティレディ!」
葉月は昼休みに何時まで経っても姿を見せない遊戯部の部員を訪ねた。その時に茶利と会ったのだろうと九条は推測する。
九条は携帯電話を取り出し、何処かへ電話を繋げた。
『……もしもし』
『あ、川田先輩。不審者が現れたので直ぐに来てください』
『不審者?』
『茶利です。茶利鶏鳴』
『すぐ行く』
「あの先輩、誰に電話したんですか?」
「茶利の天敵さ」
茶利は急に汗をかいて、そわそわと動き始める。
「じゃ、じゃあ俺、今日はもう帰るので、また明日っす、プリティレディ」
「今から帰っても、もう遅いと思うぞ」
上からダッダッダッと、階段を二段飛ばしで降りてくる音が聞こえてくる。
「川田先輩は二階の部屋に居るんだ」
「えっ、二階って立ち入り禁止じゃ……」
「最強の格闘技は何かッ!?」
「ひぃぃいい!」
空手の道着を着た厳つい男が部室のドアを乱暴に開ける。その男を視界に捉えた茶利は小さく悲鳴を上げた。
「多種ある格闘技がルール無しで戦った時……」
一歩、その男はこの部室に踏み入る。
「スポーツではなく、目突き・金的ありの『喧嘩』で戦った時……」
もう一歩進んで、茶利を逃さないと言わんばかりに強くドアを閉める。
「最強の格闘技は何かッッ!?」
葉月が俺に小声で話しかけてくる。
「あれは何を言ってるんですか?」
「あの人は喧嘩稼●っていう格闘漫画の大ファンで、それに影響を受けて空手を始めた人なんだ。さっきのはその漫画に度々出てくる言葉だよ」
男、川田は一歩ずつ茶利と距離を詰めていく。茶利が川田の間合いに入った瞬間、川田は茶利のボディを殴りに掛かった。
それは、その漫画に出てくる空手の連続技で、受けた相手は逃れる術はなく倒れることも許されない。その名は――
「『煉獄』」
川田は茶利に少しも躊躇せずに技を放っていく。
「……あれは?」
「煉獄っていう、その漫画に出てくる必殺技みたいなものでね、川田先輩は再現できるまで練習したらしい」
一発一発を受けるたびに茶利は声を上げる。
「あ、あん時はグッウッッ! ……ほ、本当にすいまガハッ! ……せんでしたっ! ぐふッ」
「止めなくていいんですか先輩?」
「あれは自業自得だよ。茶利は川田先輩の最愛の彼女を奪ったんだ」
「……そうなんですか」
一分経たずにボロボロになった茶利を見て、川田は攻撃を辞める。茶利の脚を掴んでズルズルと廊下に引っ張り出した。
「迷惑かけたな九条」
「いえいえ。川田先輩もほどほどにしてくださいね」
「フッ。ではまた」
川田はドアを閉めて去っていった。
「最後なんか鼻で笑ったんですけど! え、怖っ! ……茶利死んだな」
「茶利先輩、南無です」
葉月は両手を合わせて南無阿弥陀仏を唱えた。
「ところで先輩」
「ん、何だ?」
「音楽が止まってますよ」
「ほんとだ。何か聴きたい曲ある?」
「私はクラシック音楽のことはあまり知らないんですが、じゃあラフマニノフのピアノ協奏曲で」
「有名なやつだね。第二番?」
「はい」
ピアノの演奏が響き始める。やがて、うっとりするような美しくて切ないメロディが部屋の雰囲気を変えた。
九条は電気ポットに余っていた沸騰した水をもう一回沸かして、葉月に紅茶を作る。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます、先輩」
「どういたしまして」
「……ん。美味しい」
「良かった」
九条はにっこりと笑った。葉月はその笑みに惹きつけられる。
「……先輩」
「ん?」
葉月は唐突に言った。静かに部屋に響いた。
「サッカー辞めたんですね」
あまりにも前触れなかったので、九条の思考が一瞬固まった。
「……誰かから聞いた?」
「いえ、聞いてません」
「じゃあ、どうして……?」
「私と先輩が再会してもう二ヶ月も経つのに、まだ気付かないんですか」
「え」
葉月は泣きそうな顔をする。
「それとも、もう覚えてはいませんか?」
九条はその泣きそうな顔に、ある女の子を思い浮かべた。
夏の日に出会った、今にも泣き出しそうな小さな女の子を――。
「……葉月……もしかして……。ことはちゃん……?」
「そうですよ九条君」
葉月は立ち上がって、九条に駆け寄り抱き着いた。
「お、おい葉月」
葉月は言葉を返さない。
九条は首を捻って葉月を見ると、涙が頬を流れるのが見えた。
「……葉月、少し苦しいかな」
「葉月じゃありません」
「えっと、琴葉、ちゃん?」
「琴葉でいいですよ」
「琴葉、少し腕の力を緩めてくれる?」
「分かりました」
九条も立ち上がって、葉月の背中に手を回した。
くらくらしそうなほど甘い匂いに、心臓が痛いくらい鼓動する音。
「もう忘れられたのかと思いました」
「全然、忘れてないよ」
「じゃあどうして、気付かなかったんですか」
「……もう会えないと思ってたから」
「約束、したじゃないですか。同じ高校に入るって」
「そ、そうだった」
「忘れてたんですか?」
「……ごめん」
「私は忘れずに入りましたよ五毛塚高校」
「ご、ごめんって。首の皮を捻るのはやめて」
「ふん。九条君が悪いんです」
「……その言い方」
「……先輩の方がいいですか」
「いや、昔の呼び方の方がなんかいい」
「私のことも琴葉って、これからは呼んでください」
「ああ、分かったよ琴葉」
抱きしめ合った手は解けない。
お互いの熱が制服を突き破って伝わる。
「それにさ、琴葉がこんなにも可愛くなってるとは思わなかったんだ」
「えっ!」
葉月はビクッと震えて手を解こうとするが、九条は逃さなかった。
「ちょ、ちょっと熱くなってきたんで、離してください」
「ほんとだ。顔が紅くなってる」
「ッ! 先輩のせいです!」
葉月は顔を背けた。
「どうせ、先輩は私の身体の感触を味わってるんでしょ! 先輩のえっち! スケベ!」
「いや、そりゃ少しはそうだけど! って、最初に抱きついてきたのは琴葉じゃん!」
「私じゃありません! 先輩です!」
「ええ! 俺に変わってんの!? というか先輩って……」
「えっちな先輩は先輩で良いんです。もう! 熱いから離してください!」
「分かったから」
ようやく解放した九条は改めて葉月を見た。
ことはちゃんは小さな女の子と思っていた九条だったが、葉月は女子の平均身長くらいはあった。小さいと思っていたのは一つ歳が離れていたからだろう。
大きな目に整った顔立ちの美少女だ。昔はショートだった髪の毛も長くなっている。こんなにも可愛かったんだ、と九条は思った。
お互い紅くなった顔を見て沈黙の続く室内に、チャイムの音が鳴った。
「……もう下校時間だね。そろそろ帰ろっか」
「分かりました」
「一緒に帰らない?」
「良いですよ」
葉月は九条の側に近づく。
そして、笑みを浮かべて言った。
「一緒に帰ると言っても、私の家はまだ入っちゃダメですからね! 今日はそんな準備はしてないので。あ、九条くんの家に行くのは別に良いですけど、えっちなことはまだ早いですよ!」
「いや、何の話だよ――」
葉月が九条に向き合って、背を伸ばす。
葉月の顔が九条に急接近して、お互いの唇が一瞬触れた。
「ッ! 今のってキス」
「先輩。早く来ないと置いてっちゃいますよー!!」
葉月は顔を隠しながら言った。そして、外へ駆けていく。
九条はぼそりと呟いた。
「……初恋の女の子がえっちな後輩になった」
そうして、二人の青春が始まった。
――――――――
勉強が苦手な私は一生懸命勉強して、念願の五毛塚高校に入った。
――居るかな、九条君。
私は行き交う生徒を目で追って探す。
約束はしたけれど、もう何年も前のことだし口約束だから、九条君が五毛塚高校に居るかは分からない。
けど、居ると信じて探す。
会いたい。ずっと会いたかった。
この日のために化粧も頑張って覚えた。
可愛いって言って貰えるかな。可愛くなったねって言って貰えるかな。
勉強も頑張った。
そんなに賢くない私にとって、五毛塚高校はなかなか難しいところだった。
九条君は小学生の頃からこの高校を意識してたので、勉強は出来るんだろう。
やっと、やっと会える。
私の好きな人。初恋の人。
居た! 九条君だ!
見た目で私はすぐに判った。
伸びた背丈に凛々しい顔つき。華のある容姿ではないけれど、全体的に整っている。
かっこいい。
九条君は格好良くなっていた。髪の毛を整えたらもっと格好良くなるだろう。
居た。
良かった、九条君は約束を守ってくれたんだ。
九条君はどうやら人を探しているみたいだった。
え! もしかして私のことを探してる!?
私は意を決して話しかけようとしたが、先に九条君に声を掛けられた。
「あの、新入生? 良かったら遊戯部に入らない?」
私は困惑した。
そして理解した。私は覚えられてなかった。忘れられていた。
そりゃそうだ。もう何年も前のことだもん。
私にとっては九条君と一緒にサッカーしたことはとても大事な思い出だけど、九条君からしたら妹と居るような感覚だったのかもしれない。
その日話したことはほとんど記憶にない。
流れで遊戯部に入ったのは覚えているけど、九条君に覚えられてなかったというショックで夜に泣いた。大泣きした。
これが失恋か、と思った。
ただ一つ疑問に思ったのは、なぜ九条君が遊戯部にいるのかということだった。
てっきりサッカー部に入っていると思ったからだ。
サッカーを辞めた? それとも学校では無くて、違うクラブチームでサッカーをしている?
次の日から遊戯部の部室で九条君と過ごすことになった。
九条君、と呼びたいけれど恥ずかしいし、覚えられてないのに言うのはおかしい。
でも、昔のように九条君と呼んだら、私のことを思い出してくれるかもしれない。
んー! 呼びたいけど……。
その勇気は出なかった。そもそも私の名前を聞いたはずなのに九条君は思い出してくれなかったし……。
……葉月としか言わなかったけど、葉月琴葉ってフルネームで言った方が良いかな!?
あなたに琴葉ちゃんって呼ばれてたんだよって。
遊戯部の部室はもう今は使われていない山の中の別館にあった。
部員は他に居るけれど来ていないようだった。
なので部室には私と九条君の二人きりだ。そう、二人きり!
久しぶりに話すのはとても楽しかった。
九条君が優しいのについつい調子に乗って、九条君に忘れられた怒りをきつい言葉でぶつけちゃったのは反省。
でも忘れた方が悪いんだもん。九条君のばか!
九条君は二人で話す分にはあまり変わってないように見えるけど、どうやら普段の生活では一人で過ごしているようだ。
他の先輩に聞いたが、もうサッカーは辞めていて、あんまり人と関わらないようにしているらしい。
どうしたんだろうと思うけど、気軽には聞けなかった。
二ヶ月が経って、私は九条君に小学生のときのことを言うことに決めた。
いつまでもうじうじしてったってしょうがない。
本当に忘れられていたなら、思い出させてやる。
しかし、九条君は意外と変態だった。
おっぱいボールなんて喜ぶわけないでしょう! もう! 浮気はダメ!
それに彼女を奪った金髪の先輩と空手の先輩も、なんかいろいろおかしかった。変な人が多い!
深呼吸。よし、落ち着いた。
まずはサッカーのことを聞こう。
サッカーの言葉を聞いた九条君は、一瞬苦そうな顔をした。
とても、つらそうだった。
でも、その事よりも、私のことを覚えていたことが分かって嬉しかった。
本当に、本当にすごく嬉しかった!
私のことをちゃんと覚えてくたんだ。嬉しい! 好き! 大好き!
思わず涙が出てきちゃって、抱きついて誤魔化した。
これが、好きな人の香り。
もう離さない! と私は思った。頭が真っ白になるくらい何も考えられなくなった。
我慢出来なくてキスをした。
ヤバい! これってセクハラ? 大丈夫?
恥ずかしくて九条君から逃げる。
私から追いかけてこの高校まで来たんだから、今度は九条君から追いかける番だ。
顔が熱くて、手で仰ぐ。
……サッカーの事とか、まだ気になることはあるけど、とりあえず。
――もう離さないんだからね、九条先輩!
私はやっと初恋の人と再会した。
えっちな後輩好き! 琴葉ちゃん可愛い!
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