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選択の末路は。  作者: 相葉 綴
第1章
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第1話

 曇天だった。

 灰色の分厚い雲に覆われた空からは、今にも雨粒が零れ落ちてきそうだ。普段よりも、雲が近くにあるように見える。なんだか頭を押さえつけられているようで、窮屈だ。


 小さな部屋だった。

 細い路地に面したワンルームアパートの一室に、秒針が鳴らす規則正しい音だけが響く。室内はがらんとしていて、円形で小ぶりのダイニングテーブルと椅子が二脚があるだけだ。テーブルの上には、黒いアタッシュケースが乗っていて、もうすぐ訪れる「客」を待っている。

 ライアンは椅子に腰かけて、僕は窓際にもたれかかって、「客」を待っていた。

 こちこちこちと秒針が時を刻む。その音に耳を澄ましていると。


「来たな」


 呟いて、ライアンが立ち上がった。同時にノックの音がする。

 不意に窓ガラスを叩く雨音がした。横目で振り返ると、再びぽつりと音が鳴る。どうやら降り始めたみたいだ。


「こんにちは」


 視線を戻すと、ライアンが男性と握手を交わしているところだった。どうぞ、と左手で着座を勧めている。


「あいにくの雨ですね。濡れませんでしたか」


 お互いに腰かけたところで、ライアンが話を振った。


「えぇ……まぁ……」


 しかし、相手が会話に乗ってくることはなく、ひどく怯えていた。あちこちへ視線が飛んでいて、落ち着きがない。額には、じっとりと脂汗が浮いている。


「これだ」


 男性はさっさと終わらせてしまいたいとばかりに、投げ出すようにしてアタッシュケースを差し出した。所々に擦り傷やへこみのある、使い古された黒いジェラルミンのケースだ。持ち手のところに鍵穴が見える。ライアンはポケットから小さな鍵を取り出して、男性から受け取ったアタッシュケースを解錠する。


「……確かに」


 一通り中身を検めて、ライアンが呟いた。どうやら、中身はきちんと収まっていたようだ。


「では、代わりにこれを」


 ライアンが持ち込んでいたアタッシュケースを差し出す。見た目はほとんど同じ、使い古された黒いアタッシュケースだ。じっくり見比べないと、両者の違いはわからない。

 男性はケースを受け取ると、中身を確かめることもせずに席を立った。まるで持ち逃げするかのようにケースを抱き抱えている。


「で、では、私はこれで」

「ボスによろしく」


 ライアンはそんな男性の様子にはなんの反応もせず、玄関まで見送った。


「あ、あぁ、伝えておくよ」


 男性はやっとそれだけ言うと、そそくさと部屋を出て行った。


 ライアンは玄関から戻ると、男性から受け取ったアタッシュケースを開けて、札束をひとつ抜き取った。報酬だ。

 どうやら、今回のクライアントは気前がいいみたいだ。密輸品の受け渡しで一束。僕らみたいなスラムの便利屋にはなかなか手に入らない額の報酬だ。

 それから、改めてケースの中身を確かめる。まれに、札束の一部を価値のない紙束でこさえるような、意地汚いやつもいる。そういう義理のないやつらは、最終的に土の中か海の底に沈むことになるわけだけど。


「よし、問題ないな」


『こっちも大丈夫だよ』


 左耳に装着したイヤホンからトレバーの声が聞こえた。


『周りに人影はなし。不自然に残っている輩もいないし、危険はなさそうだ。受け渡しは成功だね』

「じゃ、予定通り、この大金をお届けするか」

『了解』


 トレバーは僕らの商売に欠かせない、窓口兼情報担当だ。僕らへの依頼の大半はトレバーを通して受けているし、こうして前線に出向いても安全に帰ってこられるのは、トレバーが張り巡らせた監視網のおかげだ。それらがあることで、小さな危険も見落とさずに対処できる。

 僕は壁にもたれかかったまま、ライアンとトレバーのやりとりを聞く。僕がいちいち発言しなくても、こうして物事は進んでいく。僕はライアンが荒事に巻き込まれたときに対応できれば、それでいい。


「行くぞ」

「うん」


 ライアンが玄関を出るのに続いて、僕も部屋を出る。

 いつの間にか雨は止んでいた。通り雨だったみたいだ。あれほど分厚かった雲はところどころ途切れていて、雲間からはカーテンのような陽光が差し込んでいる。濡れた地面は、その光を受けてきらきらと輝いていた。




 これが、僕らの仕事であり、日常だった。依頼されればなんでもやった。表沙汰にできない取引の片棒を担いだり、密輸品の受け渡しをしたり。たまに殺しだったり盗みだったり、傭兵の真似事だったり、危ないことや汚いこともたくさんしてきた。それが依頼だったからだ。人は生きるために牛や豚を殺す。鶏の首だって、簡単に切り落とす。森を焼いて、山を削って、先住していた動物たちを追い出して畑を作り、家を建てる。すべて生きるためだ。それと同じように。これは僕らにとって生き残るために必要な仕事だった。

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