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クラスメイトから由仁と喧嘩したのか、なんて質問攻めにあったけど、とりあえず恋愛事情のもつれとだけ答えてなんとか事なきを得た。
周りが勝手に王子関連だと思ってくれたのが幸いだ。まあ、そうなるように仕組んだわけだけど。
にしても由仁も冷たいもんだ。テスト終わってすぐ帰るし。いつも一緒にテスト勉強してたのに……。
さて、テストと言うこともあって授業は昼くらいに終わる。どこか外でオシャレなものでも食べようかしら、と一人ひょうげているところで。
「あ、馬希いたいた」
クラスの外からやってきたのは別のクラスの女の子。
誰にでも人当たりよく、笑顔が愛らしく、長い髪のキューティクルは美しく、と男女から羨望の眼差しを浴びる井藤光さんではあーりませんか。
「どしたの井藤さん。テスト期間だし部活の相談でもなし」
井藤さんは私と同じバスケ部マネージャー……というか、私がジャーマネになったのは彼女が原因だったりする。
基本的にマネージャーはいろんな雑務をしなければならない。記録係からユニフォームの洗濯まで、親にも迷惑かけちゃうようなこともある。それなのに選手じゃないからあんまり輝けない、正直楽しくない仕事だ。
そんな部になぜ私が入っているか。
彼女に頼まれてしまって、なんか断り辛かったからである。
九割以上作業は彼女がしているけれど、彼女に別の予定が入った時だけ私が代わりにやる、ということになっている。まあ滅多にないからユーレイ部員だけど、今は暇な時に覗きに行くくらいバスケのことも好きになったよ。いやぁ感慨深い。
「今日は、その、バスケ部のことじゃなくて個人的な相談がしたいんだけど……」
「へぇなに、珍しい。テスト期間じゃなきゃダメ?」
「だって部活ない時じゃないと落ち着いて話せないじゃない?」
じゃあなんでテスト一週間前の時に言わないんだ、テスト真っ最中……。
と考えて、ようやく考えが及んだ。
「じゃ、どこかでお昼でも食べながら話す?」
「うーん、できれば二人になれるところで」
予想と違った。おしゃまなお昼ご飯のお誘いだと思ったのに。
ともかく、私は誘われてマドンナな(これ言ったら他の子に古いって言われた)彼女と一緒に二人きりになるところへ行ったのである。
由仁もいないし。
で、やってきたのは校舎裏だった。流石に、部活もないしテストは明日に控えている状況、周りを見渡しても生徒はいないってくらいの状況だった。
愛の告白、されたらどうしようなんて思ってしまう。昨日の今日だし。
「馬希って好きな人いる?」
おおう、まさか? なんて思う前に、正直に言ったものか、濁すべきか少し考えて、とりあえず答える。
「いるよ」
「王子?」
即座に当てられると、流石に言葉に詰まる。けど、彼女が当てるのはやっぱりそれなりの根拠があるだろうから、素直に頷いた。
「わかりやすかった?」
「んー……もしかしたらそんな気がした、くらいかなぁ」
「……恋敵宣言みたいな?」
「ちがくて。……告白されたの、千歳くんから」
む!
近江千歳くんこそ、我らが王子である。
「告白。愛の?」
「……うん。それで、一応言っておこうかなって……」
「自慢?」
「いやっ、そういうわけじゃなくて」
「へへ、わかってる。意地悪言っただけ」
「そう……そう、なんだ」
自分でも、まだ感情が分かってない。
ショックはショックだ。悲しいとか辛いとか、そういう気持ちがぼんやり雲みたいに浮かんでいるように確かにあった。ただ、それは妙に実体のない、理解も把握もできないような仄かさがあった。
「……あんまり悲しくない?」
「悲しませようとしてたの? いや悲しいは悲しいけど……」
まだ色々追いついていないだけだ。
「たぶん後に引く悲しみだから今じんわりしてる」
「そ、そう」
あんまり通じてなさそうだけど、そんなに通じなくても大した問題じゃない。
これは共感が必要な感情じゃない。まだ、そうじゃないというわけで誰かの助けが必要になる時が来るかもしれないけど。
ただ今は、理解と納得がしたい。言葉を受けただけで自分の中での決着さえついていない。
いや、全部終わったんだけど。
「…………ふーん、ふーんなるほど」
「ま、馬希?」
「これが失恋の辛さってやつですか」
「う……やっぱごめん、本当に、色々。部活手伝わせたのも……」
「それ気になってたけどさ、なんで私だったの? バスケ部マネージャーの欠員補充」
話を変えよう、というのと結構踏み込んだ話をされた分、私からも踏み込んだ話をしようとかねてからの質問をぶつけた。
「それは、たまたまそこにいたから、かなぁ」
「なにそれ、つまらない」
クラスにいる十数人の女子生徒の中の一人、運命的な何かを感じたとしても、選ばれたのはたまたまの偶然であった。
まあ、世の中そんなものだろう。そんな中で勝手に運命とか見出すのが楽しいのかもしれないけど。
「……これからも、部活来てくれる? その……」
「あー、いいよいいよ。一度引き受けたことを投げ出す真似はしないって」
恋愛が原因で、人間関係のもつれとか言って今までしてたことをしなくなるの、なんかダサいなぁって思う。だからそうならないようにしたい。
それに実際、私が王子を見て辛くなるだろうか。王子と井藤さんが仲良くしてて辛いとか、苦しくて見てられないとかその場にいられないとかって……。
私は、きっと、たぶん、由仁が傍にいてくれない方が辛い。
(どうなんだ、この気持ち)
もちろんそんなの比べる感情じゃない。女の友達……特別な仲の良い人と、憧れているだけで告白もできなかった人、そりゃ辛さで比べたら由仁と離れた方が辛いに決まっている。
でも喜びはどうだろう。由仁と仲直りできた時と、王子と付き合えた時、そんな不可能の過程で想像しても、私の考えはまとまらないけど。
「……これ秘密の話なんだけどさ、私、由仁から告白されたんだ。愛の」
「……愛の!?」
そりゃ驚くだろう。自分でもあっさりと由仁の秘密をバラしてしまうくらい浅慮なところに驚いてしまう。
けど井藤さんなら大丈夫だろうって思っていたのと、私がどうしても相談してみたい気持ちがあるせいでぽろっと聞いてしまう。
「……恋人になるって、どんな感じだろ? 今までの関係とちょっと変わって、キスとか、それ以上のこととかするって、……わからなくて。私それが嬉しいとかも思わなくて、……でも由仁が離れたらそれは辛くて」
私は我侭を言っているのだろうか。ただ今まで通りでいたい、仲良くしたいっていうだけなのに。
「……えっと、何を言えばいいかわからないんだけど……、そういうのを一緒に考えていくんじゃないかな」
「……確かに」
由仁と全然話せてない。あの時帰れって言ったの、嫌われたとか思いこんだのかな。それとも、私がもう嫌われたのかもしれない。
私が由仁に言った言葉や行動は正しかったのか、それを踏まえて私がこれからしようと思ったことは正しいのか……、ええい、知ったことか。
私は私のしたいようにする。
「……井藤さん、ありがと。私、決めた」
「待って」
まさかの決断を止める声。袖を掴む指。
それが井藤さんから出てきたことにまず驚く。
「もしかしてその人と、明浦さんと付き合うの? 近江くんがダメだからって」
「いやそういうわけじゃないよ。単に仲が微妙になっちゃったし踏ん切りもついたからまたお友達に戻りましょうみたいな。愛とかそんなのわからないしさ」
愛がわからない、なんて大層なこと言っちゃって少し笑える。でも私の嘘のない言葉でもある。由仁が何を考えているのか、鹿乃が何を考えているのか、それがまだ完全に理解できないから。
きっとそういうの、一緒にちゃんと考えていけたらいいんだと思った。
こっからこっから! 気分を入れ替えてやっていこう! と持ち前のポジティブで内心暖かくなっている時に。
「……さっきの嘘」
「さっきのって?」
今日は井藤さんといろんな話をしたからどれが嘘なのか。告白とかだったら……結局それどころの気分じゃないし、前と同じで片思いでも続けておきたいけど。
「たまたまそこにいたから、誘ったんじゃないの」
「そこかぁ」
クラスに十数人いる女子の中で、私を選んだのは偶然じゃないと。
そういうことだろう。
「いいなって思った。あなたを。……変かな」
「……まー私的には自分に自信もあるし私を選ぶなんてお目が高い、なんて言いたいけど。……そういう話じゃ、ないよねぇ……?」
まさか、まさかと思いつつ、けれどタイミングと雰囲気は、井藤さんの目は十分に物語る。
まったく似てないのに、由仁と井藤さん、だけど戸惑って困る由仁の姿と井藤さんの今、言葉を必死に紡ごうとしている懸命な姿は、どうしてもダブる。
「…………す……好きかもしんない」
私は、女にモテるのか。
「王子は?」
まずそれを聞きたかった。だって王子の告白を受けるって、井藤さんは。
戸惑う私をよそに彼女は私を見つめていた。所在なげで頼りないけれど逸らさないようにまっすぐ。
「だって私が断ったら馬希が近江くんと付き合おうとするかもしれない」
私と王子が恋仲になるくらいなら自分がなる、ということか。なんて意地の悪い。そして自分を大事にしない姿勢。
今まで見たことない井藤さんの意地悪な部分に内心呆れつつ、そんな彼女の行動にやや合理的なものも感じて私は口ごもる。単に責めたりしては由仁の二の舞だ。
かといって私が彼女に返す言葉は見当たらない。
だって、ねぇ。井藤さんと付き合うことはないだろう。そうなるなら、由仁と付き合う方が現実味がある。
それだって、ない。
「ねえ、馬希……」
「私、井藤さんと一緒にご飯食べたことすらない」
私は、でもまだ何もわかっていない。井藤さんのことも、そもそも女同士で付き合うってことも、どっちにしろ、これからどうなるかってことも。
「一緒にご飯食べよう。そして、いろいろ考えよう。話し合おう。二人で」
たぶん私の結論は彼女にとって不満が残るだろう。それを彼女もちょっと気づいているかもしれない。
それでも私は彼女の気持ちを無碍にしようとかはなかった。
由仁といろいろあって、私も少しだけ成長したのかもしれない。
……井藤さんより先に由仁といろいろ話し合いたいけど、それは仕方ない。
「それはそれとして王子からの告白はフッておくね」
「えっ! なんでもったいない……」
「やっぱり私にその気がなくなったから」
そういう井藤さんはどこか晴れやかな表情だった。もともと私が好きなんていうんだから、そりゃ王子の告白にも乗り気じゃなかったんだろうけど。
彼女は自分の中で何かに決着をつけられたのだろう。私は、まだ何もできていないのにずるいなぁ。
「でも王子に告白したら許さないから!」
「えぇ~言論の自由……」
なんとも女の子らしい会話って感じで、妙にくすぐったくなって笑うと井藤さんも楽し気に笑った。
「ま、これからもよろしく」
「うん」
きっといつもと変わらない日々。ただいつも手探りだったというのを改めて実感した。
そんな大したことのない話なのだろう。