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テストの日。
学校の日。
馬希と顔を合わせる日。
教室に馬希は……いない。といっても、彼女は私以外にも友達がいるから珍しいことではない。机の上も綺麗だけど既に登校している可能性は高い。
結局、私が馬希のことが好きだと暴露されてそれきりになっている。気まずい。最近は一人の時は馬希を探して、そのまま馬希とずっと一緒にいることが多かったから。
でも今は、どうしよう。普段は馬希と一緒にいる時に何を話すとか考えずに一緒にいたけど、今日ばかりはどんな顔をすればいいのかわからない。
「あ、由仁おはよう」
「!? あっ、まっ、まっ、馬希……」
「力抜いて、力抜いて。まあまあ色々会ったけど私としてはノーの方向でできれば今まで通りでって感じなんだけど」
今まで通り、それは、それで済むなら良かったような、進展がないのはなんだかんだ落ち込むような。
いや、今まで通りって言われても私が今まで通りじゃいられない。とても。とてもいられない。
「……私、私が、ちょっと、考え直す。……今まで通りにはできない、から。……そういうことで」
「ふーん……。じゃあ、仕方ないね。じゃ、私は全然気にしてないから由仁の好きなタイミングで来てよ」
全然気にしてない、のだろうか。私を責めるように言っていた馬希が、何も気にしてないなんて。
ありえない。
なにか許してもらえる方法を知るまで、償えるまで近づくことさえできない。
……自分を見直す良い機会にもなる。
戻ろう、以前の私に。
誰も近づけなかった、誰も寄せ付けなかった頃の私に。
テストが終わって、誰とも何も話さず家に帰って、ようやく、ようやく以前のようになったと思ったのに。
「……なんでいんの?」
「お邪魔してまーす!」
私の家の、私の部屋でもない場所に、一階のリビングに、鹿乃がいた。
私服で、我が物顔で、テーブルの上にジュースなんて置いて、お菓子までおいて、平然とお母さんの向かい側に座っている。
「お母さんッ!」
「昨日あんたが泣かせた子」
「……! だからなに?」
「だからなにじゃない。小さな子泣かせて放っといて何してんのはこっちの台詞」
母は、いつも、どこか冷たい雰囲気のある人だった。こっちが子供としてワガママを言ったり駄々をこねるのが馬鹿らしくなるみたいに、周りまで冷たくするような、冷血な人。
――本当は、そんなお母さんのことが好きなんだけど。
問題は冷たい人のくせに、友情とか優しさとかを重んじるから、子供にも甘い。だから子供嫌いなんだ。
「その子、私のことが好きなんだって。本当に好きで、キスしたいとか。気持ち悪いじゃん。だからそう言ったの。悪い? 私が変?」
母さんは驚いた様子を億尾も見せず、鹿乃の方を見た。見られている意識はあるのか、少し口籠ったけど、彼女はやはり、いつも通り堂々としていた。
「……はい! 由仁お姉さんのことが、大好きです!」
「おー……」
元気があればなんでもいいって感じの鹿乃はともかく、母さんはそんな告白にも動じた様子はない。声出して反応してる時点で、まあまあの反応だけど。
「由仁は悪くない」
母さんは、そう言った。傍にいる鹿乃が露骨に硬直するのが見て取れる。
だってその言葉は、私を肯定する言葉は、鹿乃を否定する言葉で……。
「でも、この子も悪くない」
あっさり母さんはぽんと鹿乃の頭を撫でた。表情がないから何が言いたいか掴みづらい、この人。
「どういうこと?」
「あんたが意識しすぎて気持ち悪いって思うのは別に悪いことじゃないし、この子が年上のお姉さんに憧れるのも別にあり得る話ってこと。ま、私の娘ならもう少し大人な対応ができると思っていたけど」
「その子めちゃくちゃしつこいからね」
「ま、家に来るくらいだしね」
母さん、当然のように、平気そうに話す。私があんなに取り乱したり悩んでいるのに、それをわかってくれないみたいで。
最近あんまり会話してなかったのもあるけど、やっぱりなんか、嫌になる。なんてのは、親離れできてない自己嫌悪もあるかもしれない。
「とりあえず座んなよ」
「……着替えてくる」
「着替えですか!? 私も……」
立ち上がろうとした鹿乃を、お母さんが動物にするみたいに落ち着かせた。……まあ、優しい人なのは変わらないかな。
「単刀直入に聞くけどあんたこの子のこと意識してる?」
「え、まさか」
やっと落ち着ける恰好で、三人でテーブルを囲む形になった。テレビなんかつけっぱなしが気が抜けるけれど、その割には話の内容はちょっと重めだ。
「ガキに何意識するの」
「ガキとか言わない。名前は?」
「射場鹿乃、です」
「だって」
「知ってるよ」
「じゃそう呼びなよ」
気まずい。
気まずさを感じているのは私だけじゃなくて鹿乃もだ。さっきまではくつろいでいた風に見えたけど、母さんの隣に座ってるんだから借りてきた猫みたいに萎縮しているのがわかる。
「……私、もう鹿乃さんと会いたくないんだけど」
「なんで?」
「いや、馬希とも疎遠になってきたし」
「えっ、そうなんですか!?」
それは今日生まれた事実だけど。頼むから余計なこと言ってくれるなよ、と牽制するみたいに睨んでると母さんが冷たい目を向けてくる。結果、話があまり進まない。
「もう、お母さんは口出ししないで」
「そう思うならご近所さんに変な噂が立たない程度のやり取りしなさい」
「いやこの子が家に来る方が変な噂立つでしょ!?」
「仲が良いならそれに越したことはないでしょ。女の子が泣きながら出ていく方が悪評あるし」
「……犯罪じゃん、こんな子」
「あんたも大概潔癖だね」
潔癖、と言われるとそれまでかもしれない。
私が真剣になりすぎている。のかもしれない。
というか、馬希のことを考えていたからこの子のことを考えずに済んでいたけど馬希と距離を開くことを決めたらこの子をどうするかに集中してしまうんだ。
彼女も離れてくれたら助かるんだけれど、それがどうしようもない。
「でも……キスされたり好きって言われ続けたらこっちもその気になるかもしれないんじゃない? ……くっ」
「苦しいなら思ってもないことを言うのやめなさい。深く考えずに、常識の範囲内で付き合ってあげたら? 保護者みたいに」
「でも……」
「じゃ、ない。子供なんてちょっとくらいは可愛いもんなんだから、深く考えず仲良くしたらいいじゃない。そのうち飽きるかもしれないし」
「飽きません!」
「はいはい」
母さんの言う通り、子供との距離感なんてそんなくらいが正しいのかもしれない。
私が意識しすぎている、というのも事実だと思う。
でも、一つだけ。
「……鹿乃さん、少し部屋の外で待っててくれませんか?」
「え、あの……」
「すぐ済みますから」
母さんに話しておきたいこと、相談したいこと、それを言うのも胸が苦しくなる切なさがあるけど、私は大人の意見を聞きたかった。
曲がりなりにも常識のある、尊敬する大人に。
「で、なに?」
「……私、私、馬希のこと、あの子の姉のこと、好きだったの……」
母さんは目を大きく開いた。流石に、それは驚きを隠せなかったみたいだ。
「……それは、もういいの。馬希に好きな人がいるのもわかってたし、……一応フラれたし」
「……そう」
「でも私、あの子に本気になるのが怖い。馬希の妹のあの子に、本気になってしまうかもしれない。今は、本当にどうでもいい。馬希に全然似てない、ただの子供だから。だけどずっと一緒にいて本気になったりするかもしれない。それなのにあの子が大人になったら、きっと私のことなんて……」
「……それは、辛いね」
母さんはそっと私を抱きしめてくれた。こうやって触れ合うのは、もう何年振りになるだろう。
優しく心配するみたいに慈しむ声音も、普段の、最近の母さんからは想像もできないくらいで。
「……でも、由仁、それは私以外に話した?」
「ううん」
「きっと馬希ちゃんとかにも話した方が良い。その上で、鹿乃ちゃんに話すかどうか考えた方が良い。と、思う。……私もわからないけど」
「ごめんなさい、困らせるようなこと言って」
「謝んな。子供は迷惑かけるもんだって。私が婆さんになったら一杯迷惑かけるからな」
「……老人ホームに送るから」
「愛がないねぇ」
母さんはかかかと笑って、私の背中をぽんと叩いた。こういう、なんていうか気のない笑い方をする人だけど、私の方が幾分スッキリできた。
馬希に相談しよう。
そしてから……少しは鹿乃さんとも、仲良くしてみよう。




