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ずっと待っていた。お姉ちゃんと、由仁お姉さんと三人で仲良くして、私はいつか来るその日のために準備をし続けた。
あれからお姉ちゃんと由仁お姉さんはうまくやっていて、由仁お姉さんが求めていたような関係にはなれなくても、二人は元の親友同士に戻ったみたいだった。
由仁お姉さんも、私が今まで見ていたような強くて、気高くて、孤高の雰囲気からずいぶん柔らかい表情を浮かべるようになって、私にも最近優しいから、それはそれでいいんだけど。
それでも私は由仁お姉さんを諦められなかった。ふわふわテキトーなお姉ちゃんとも、今の関係に甘んじているお姉さんとも違って、私にとって由仁お姉さんが絶対だった。
今だけだと、お姉ちゃんは言う。
『私も子供の頃はプリキュアになりたかったけどさ~、いや今でもなりたいかもしれないけどさ、諦めるじゃん、普通。なれないってわかるからさ。そういう感じだよ、年上の人への恋なんて』
『そもそも小学生が恋愛なんて片腹痛いって。私だってまだだし』
『それはお姉ちゃんが逃げただけじゃん』
『逃げたっていうか私は……私はなんなんだろうね……』
自問するお姉ちゃんの意見なんてどこ吹く風、だ。そもそもお姉ちゃんの意見も考え方も人生も私には何も関係ない。私は、私の考えで、私の気持ちで行動する。そして私の人生になる。
ただ、仲良くなろうとした、由仁お姉さんとも、そのおばさんとも。一緒にいたいから、ずっと一緒にいたいから。
もはや鹿乃さんが家にいるのもいつも通りで。
暑い夏の日、帰ってすぐにシャワーを浴びる、そんなよくある一日のことで。
突然だった。
「由仁お姉さん!」
突然雷に打たれるような、宝くじの一等に当たるような、親友から好きな人の話をされるような。
自分を好きな友達の妹に襲われるような、そんな突然が起きるある日のこと。
油断していた、というのも事実だった。すっかり鹿乃さんは大人しくなって、もう我が家に娘が増えたというくらいの気持ちになっていた。きっと今も、着替えを置いてくるだの言いわけしてここまで来たんだろう。
だから、浴場に入ってきても、警戒すらしていなかった。
「なに、どうしたの?」
「由仁お姉さん!」
同じことを言って、彼女はそのままの姿で私に抱き着いた。シャワーの熱と夏の暑苦しさと蒸した浴場の熱以上に、彼女は既にどこか熱を帯びていたような気がする。
私を抱きしめた彼女は、濡れることも厭わずに私の胸を、丸ごと食べるように口に含んだ。
「ちょっ……!」
熱の伴った粘着が胸を包み、蠢く。舐め回す舌の動きはどこか遠慮がちで、私を見上げる鹿乃さんの目は活力を帯びながらどこか不安げであった。
即座に、押しのけた。シャワーが流れているせいで浴場のタイルの上でこけた鹿乃さんは、信じられないものでも見るような目で私を見ていた――きっと私も同じ顔をしていただろう。
「あの、私……」
何を言われても私から言葉が出てくる気がしない。お湯とは違う熱が確かに右胸にあった。温度の違う温もりが、熱く激しい感情を映したような体液がまだそこにあった。
鹿乃さんも、何か言おうとしたままで何も言えなかったのか、濡れたままで走って逃げて行った。私はそれを追うこともなく、ただ自分の体を庇うように座り込んでいた。
さぁぁ、とシャワーの音が聞こえる。それ以上に、バクバクと鳴る心臓の音が、今ここにいる現実味の薄さを思わせる。今朝起きて、昨日も明日も通る道で馬希と出会って、学校で授業を受けて帰って、そんな普段通りの日常だった、はずだった。
「ちょいちょい、また鹿乃ちゃんが……」
母さんが顔を覗かせたけれど、私の様子を見て絶句していた。
「…………えっと、……家、上げない方いい? もしかして……」
何があったのかは悟ったのだろう、私は首を半分、縦に振った。
そうしたら、お母さんは扉を閉めて私を一人にした。何をされたのかもわからないだろうに、優しい人なんだなぁと思う。
一人になって、そっと右胸を撫でてみた。お湯よりも粘着質のぬるい体液をそっと撫でたその指を、眺めてみて――どうしようとしたんだろう、そのまま流れるシャワーで洗った。
洗って、体も胸も、洗って、それでもその指と、胸は、なにか特別な印でもつけられたみたいに変な違和感があった。
鼓動はまだ鳴りやまない。少しだけマシになった気はするけれど、それでも一生分の鼓動のペースを加速させられたみたいな気持ちだった。
なんなんだろう、この気持ちは。一生忘れられない何か、というのは、単なるレイプだから、だろうか。それなら許せないだろう。
それなのに、私の中にあるショックは、衝撃は、その全くが嫌なものというわけではないようだった。その時の嫌悪感は確かにあった気がするが、今はそれ以上に熱に浮かされたような焦燥感があった。
どうしよう、これからどうしよう、という気持ち。
どうするっていうのはきっと鹿乃さんのことだろう。でもこれから鹿乃さんとどうしようなんて考えるのは、どうかしている。すべきことは多くない、怒って幻滅して離れて、くらいだろう。
それなのにこんなのは、こんな想いは……。
「鹿乃さんに、……襲われたんだけど、今日……」
「……お?」
電話がかかってきて、いつもと妙に雰囲気が違くて淑やかな由仁から出てきたのはそんな言葉だった。
襲われた。
由仁が。
鹿乃に。
「どう?」
「どうって?」
「どうやって?」
「……シャワー浴びてたら、胸を」
「あーーーうわーーーーー。ごめんごめんごめんごめん。めっちゃ言い聞かす。めっちゃ怒る。……んだけど、なんか由仁怒ってなくない?」
由仁が怒ってない、というか違和感のようなものが私の中で言葉にして改めて感じ取った。
以前の由仁ならもうマジでブチギレだったと思うけど、ここ一ヵ月くらい鹿乃が通い妻してたから気持ちが変わったのかな、っていう納得はあるけれど。
「……なんていうか、色々、自分でもよくわかってないんだけど。ちょっとショックだった、と思う」
「ショック、というと」
「信じていたのに裏切られた、的な」
「ああ、そっか。そうだよね……これはマジで怒っておくから」
鹿乃が由仁を襲う、というのはにわかには信じがたいけれど、由仁が嘘を吐かないっていうのはよく分かっている。それに鹿乃に聞けばわかることでもある。
せっかく二人の仲もそこそこ良くなってきたのに、いや良くなってきたからこそ鹿乃が暴発したのだろう。にしても小学生のくせにそんな、襲うなんて、うーん、なんて言って叱ればいいのか。
親に言いつけるのは流石に悪い気がするけど、私がきちんと叱れるかどうかも不安だ。
なんて考えているともう鹿乃が帰ってきた。
「じゃ、怒るから切るよ」
「あっ、うん」
どたどたとイクラちゃんみたいな勢いで帰ってくる鹿乃は、自分の部屋に入るわけでなく私の部屋にいきなり押し入ってきた。
「お姉ちゃん!」
「こらノック。いやその前に……」
いざ叱ろう、とりあえず叱ろう、としたら、その前に鹿乃は言い放った。
「私! 私! 由仁お姉さんのこと……好きで、好きで、だから!」
「だから」
「エッチなこともしたい!」
「おでこ出して」
とりあえず全部置いておく。何を言ったかも今は無視。私が髪をかき上げておでこを出してみると、鹿乃もそれを真似してまんまるみたいな広いおでこを見せてくる。
で、すぐにデコピンした。バチン! って音が鳴る凄く弾く感じの痛いやつ。
「いっ……たぁ~~!」
「何したか聞いたけどね、子供だからなんだって許されるわけじゃないんだよ」
「それは! でも!」
「でもじゃない。許可取らずに人の体を……うん、そういうことしちゃダメ。わかるでしょ」
「取ったらいいの!?」
なんて凄まれて、そういえばどうなんだろう、ってなった。胸を、ねぇ。
母性とか、性欲とか、セックスとか、言われてもわからないと思うけど、でもやっぱりこれは鹿乃の性欲、なんじゃないだろうか。生理も来てたらしいし。
じゃ、どっちから誘うとかにしろエッチは良くない、と思った。
「いやダメ。もし鹿乃が許可求めて由仁が許したらもう二人にデコピンする。っていうかぶつ」
「なんで」
「そういうもんなの。体をもっと大事にしなさい」
なんて、どこかで聞いたことのあるような当たり前の文言しか言えないけど。でもそれ以外に理由なんてある?
鹿乃は、そんなのじゃ不服そうだ。思い通りにならないのなら、そりゃ不服だろうけど。
……最近の子供は進んでいるっていうし、そういうことをしている同級生もいるのかもしれない。じゃあ私が止められるのなんてもうこんなものなのかもしれない。
それでも由仁も私と同じ気持ちだろうから、止まるだろうけど。
いや、それでも止まらなかったのが鹿乃だ。
「ちょっと、明日由仁を家に呼ぶ」
「……え、なんで?」
「話し合おう! 改めて三人で! で決着をつけよう!」
このままではよくない、というか、きちんと話し合わないといけないと思ったから、そうするということ。
そしてこれはできるだけ早い方がよい。鹿乃の暴走がこれに留まるわけがないだろうから。留まるなんて思うのは楽観視でしかなくて、もうこれまで何度も鹿乃の行為に私と由仁は振り回されてきた。
きっと明日が最後になるわけがないとも分かっていた。鹿乃が何をするかなんて今の私にはわからないし、由仁とのことがあって改めて鹿乃のいろんな気持ちを知ることになった。
でも、由仁とも色々話し合って分かり合えた。私はきっとこうして話し合うことを続けて、鹿乃のことも由仁のことも、納得できるまで理解できるんだと思う。
なんて、妥協みたいな気持ちは二人には隠して、今はその時を待つことにした。
……そんな明日、あんまり来てほしくない気もするけど。




