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43.エピローグ

 軽く後日談を語るくらいの権利は僕にだってあっていいだろう。

 だから軽い気持ちで、この蛇足は読んで欲しい。



 さて。

 夢は夢でもそれはやはり悪夢だったとしか言いようがなく、とはいえ僕にとってそれが全て悪夢たる悪夢だったかといえばそうでない部分も過分に含まれていて、とにかくそんな不思議な一週間が終わって、それから二日。

 本日は日曜日だった。

『椎奈、私は腹が減った』

「わかってるって」

 僕は今、ベッドの上にいる。自宅のベッドだ。

 あの後僕は気を失って、そのまま文化祭を早退してしまったのだそうだ。まあ、自分のことながら、色々と無理をしたのだから無理もない。僕の脇腹に根本まで深々刺さっていたナイフは、後から推測してみると本当に小さいもので、それこそ銃刀法に違反しない程度、刃渡りは十センチなかったのだろう。その上刺さり所がよかったのか内臓もほとんど傷ついておらず、身体の方に残った傷も大したものではなかったらしい。だから、というわけではなかろうけども、治療はなんと美鈴さんがしてくれた。ただそれは、ホ○ミのような呪文一言で、といった具合に治療してもらったわけではなく、本当に縫い合わせてくれたのだから驚きである。驚きというか、実のところかなりの勢いで不信感に満ちあふれていたのだが、それは彼女が医師免許を持っているということで――これも全く実しやかではないが――一応納得の終わりを見た。いつも身につけているあの白衣のような衣装は、そういう複線だったのだろうか。

 そんなこんなで今朝目が覚めて、畑中に付き添ってもらってようやく、僕は我が家に帰ってきたというわけだ。今のところ、向こう一週間は安静ということになっている。自宅療養なのは「病院に行くといろいろ面倒臭いから」だそうだ。僕はそれでもいいと言ったのだけれど、そこはそれ、大人の事情というものがあるらしかった。とりあえず僕にはよく分からない話であるが。

「しかし畑中もさ、親父が帰ってきてるっていうのにな……」

『本人にそう言えばよかろう』

「言えるかよそんなこと。追い返そうとしたら阿修羅のような形相で睨みつけられたんだぞ……」

 後始末はすべて、龍ちゃんらがやってくれたらしい。畑中と須原が派手に暴れまわった屋上は、まるで何事もなかったかのように綺麗になったのだそうだ。そして須原は、転校したことになった。ありきたりすぎる後始末の付け方に僕は少々拍子抜けしたが、しかしその手はずの良さも、考えてみるとジョーカーが全てを計画済みだったからという点に落ち着くわけで。

 畢竟、何もかも、平和になった。

 まるでこうなることが必然とでも言いたげに、時計の針は穏やかに時を刻む。

 ま、そうなんだけど。実際、予定調和だったんだけどさ。

 ひとつ問題があったとすれば、親父が畑中のことを何かそういう人として勘違いしているという点だが、それについては今考えるとただただ憂鬱になるばかりであるから、後回しだ。

 ああ、ところで、これは今朝目が覚めてすぐの話だけれど、アロマの香りが微かに漂い、天井からいくつもぶらさがった白熱灯だけが照らす緩やかに薄暗い部屋で――僕の治療をしてもらっているときは頭上に強烈な光の球が浮いていた記憶が薄ぼんやりとある。多分魔法だろう――僕はベッドに横になったまま、傍らに白衣を纏った美鈴さんの姿を見つけた。長い黒髪が後頭部でくくられて、頭に花が咲いたみたいになっていたのを覚えている。大まかに状況把握をした後で、まずは一番に気になったことを美鈴さんに、つまり須原星屑について、僕は聞いてみた。するとどうだ、割合軽い声が返ってきたのである。

「あん? 踏んで縛って叩いて蹴ってじらして吊るして、で……、最後に放置プレイしておいたわ」

 と。いや、軽く返されても困るような内容ではあるのだが。誰か彼にひらがなで復活の呪文を。

「まあ、つまり逃がしてあげたわけよ」

 彼女はあっさりと、そんなことを言う。当然、疑問がないはずがない。そこで僕がどうして? と聞くと美鈴さんは面倒くさそうに溜息をついてからこうも言った。

「もう十分、懲りてたのよ。生きる目的を失った……死を待つばかりの蝉みたいな目をしていたわ。Sってのは相手の反応を見て楽しむのであって甚振ること自体が目的じゃあないからね。ま、それは拷問に関しても同じだけど」

 死を待つばかりの蝉、か。その比喩の是非は置いておくとしても、その意味がわからないということはない。美鈴さんも龍ちゃんも、なんだかんだ言って結局いい人なのかもしれなかった。とはいえそこは当分、曖昧にしておきたいところだ。

 ふうん。感想は、ない。感慨も、ない。感懐も、ない。なにもない。奴がどうなろうと知ったことではなかった。ただ、ある意味の同類として、多少の共感がないでもなかった。でもそれはやはり憐れみによる同情に過ぎず、いやそもそもそうでなければならない。だから、僕は何も言わない。

 結末はいつも、そうなるべくして訪れる。

 そんなこんなで。

「なあフー、聞いてもいいか」

 とにかく僕は、持て余す暇をフーで潰しているのである。傍から見ればひたすら腕輪と会話する、いや普通の人間には会話にすら聞こえないわけだから、ひたすら独り言を言っているひたすら危ない人間に見られかねないが。

『なんだ?』

「あの少年はさ、結局何者だったんだ? あの、頭がぼさぼさの……」

『ああ、あの言葉使いが乱暴な奴のことか』

 そうそう。

『まあ、雇われだな。昔ジョーカーに恩を買っていたこともあったそうだ。詳しくは知らんが』

「へえ……まあ、そんなところが妥当だよな」

 何の捻りもない種明かしだった。つまらない。

『いや、どうも奴と同じところ出身だったとか、そんな話は聞いたことがあるような』

「同じ、ところ?」

『……いや、だめだ、思い出せん』

 使えない奴だな。

「なあ、お前は結局のところ、最初から最後まで知ってたんだろう?」

『……うむ。まあ、そういうことにもなるな』

 そういうことにしかならないよ。

「だとしたら随分演技派だったよ、お前は」

『私は適度にアドバイスを与える役回りだったのだ。その役目は十分に果たしただろう。それにそれを言うなら貴様もだぞ、椎奈』

「何がだよ?」

『かなり初めの方から……お前は真相に気付いていただろう』

「……さあね。どうだろう。僕自身、須原があんなことになるとは予想できてなかったわけだけど、そこのところどうなんだ?」

『どうもこうも――意図的に畑中穂波と仲違いした辺りから、見ている私としては心安からん状態だったぞ』

「そうかい?」

 僕はそっけなく答えた。

『……それはいいとして。畑中勇の話は聞いただろう? あいつは封じ屋としての現役時代、多くのメルシングに恩を売っていたからな。封じ屋はメルシングから嫌われていたが、奴らは畑中勇には良心的だった。私もその中の一匹に過ぎん。そして奴にとって便利な立ち位置にいたから使われただけ。それだけの可愛そうなメルシングだ』

「ふぅん……あの猫耳の野郎もそうなのか?」

『そうなんじゃないのか?』

 なんだ、その曖昧な返答。やる気が感じられないな。

『やる気がないからに他ならんな。テンションゲージ、ただ今ゼロだ』

「そうだろうとは思ったよ」

 かのゲームでテンションゲージがMAXになることはなかったけど。やりこみ不足か。

 全く。

 黒幕かと思わせといて、でも実は違う……と見せかけて、やっぱり黒幕――なんて、ありきたりだけどとことん嫌などんでん返しである。面倒臭いにも程があるじゃないか。ジョークもほどほどにしてほしいところだ。

 と、もう百万回はしただろう独白で思考を紛らわしていると。

 傍らに置いていた携帯電話が、震えだした。

「!」

 このタイミングでかけてくるか。須原なんかいなくても、ジョーカーには僕の思考と行動が筒抜けなのではないかと疑ってしまいたくなるな。

『でないのか?』

「でたくはないけどね」

 言いつつ、それを手に取り、通話ボタンを押す。

「はい、もしも」

「こんにちはジョーカー君」

「……」

 電話の主は、少し懐かしい、そして嫌に耳につく低音だった。

「御苦労さまだったね」

「ああ。まったく苦労させていただいたよ」

「君には……もう散々、言いたいことも言い尽してしまったからな。最後に、何か質問があれば受け付けよう」

「……」

 なんだ、こいつ。本当になんなんだ。絶対聞いてただろ、僕と須原の会話。だが、そこに遠慮が介入する必要はない。僕は淀みなく口を動かした。

「なんで、この腕輪だったんだ」

「綺麗だったからだよ。私の所持品の中で最も慎ましやかな美しさを保持していたからさ」

「この文字列はなんだ」

「単なる落書きさ。誰でもやるだろう、暗号めいた文章を残すなんて」

「なんでフーだったんだ」

「可愛らしかったからだ。君には似つかわしいと思ってね」

「なんで男に猫耳が生えていたんだ」

「もののあはれというやつだ」

「それは違う!」

「くっ、そうかね?」

 昔の人たちに謝れ。特に本居宣長に謝れ。

「須原はどうして、あの終わりを選んだんだ?」

「さあ。それは私には答えかねる。だが、彼女に選択肢を用意したのは確かだ。私にはそれくらいしかできなかったからな」

 選択肢、か。死に方を選ぶ、ということだろう。

 彼女は望んで、畑中穂波に生かされたんだ。

 それは多分至極当然の結末で、何度やっても、何度繰り返しても、須原は同じところにたどりついたに違いない。そしてそれは、それだけ彼女が畑中のことを慈しみ、信頼していたということだ。

 メルシングは欲望のままに行動する。須原だって例外なく、彼女の思うままに行動したに違いなかった。それなら救われる。須原も畑中も。二人は、結末を迎える前から、既に救われていた。

 とか言って、こんなのはほとんど希望的観測って奴だけどな。

「……じゃあ、もう一つだけ教えてくれ」

 どうして。

「僕はどうして、あんたの為の『清算』をしなくちゃならなかったんだ?」

 なんだ、と。受話器の向こうの声は、そんな風に言う。まるで、何でもないかのように。

「そういうことなら、簡単だ。君は私を殺したわけだからな、その責任くらいとらせてやっても構わないと、そう思っただけに過ぎんよ。くっ」

 いささか上から目線のもの言いに聞こえたが。自分を殺した責任を取らせる、か。全く狂ったジョーカーだ。いや、ジョーカーというのはそういうものか。笑い声は相変わらず、くつくつと僕を苛立たせる。

「……やはり僕は、あんたに何も言う必要はないんだろうな」

 それはやっぱり、そうあるべきだから。

「ああ、その通り。君は十分すぎるほど私の為に動いてくれた。勤労賞をあげても構わない。だけどそれは私の、君に対する気持ちだっただけだ。それだけだよ」

「勤労賞ならいらん」

「くっ、そうかね」

 まあ、それ以外の気持ちなら、もうとっくに受け取ってしまったが。

 とっくの昔に、享受してしまったが。

「今後は友好的に……そうだな、メル友にでもならないか、ジョーカー君」

「本気で言ってるとしたら軽く引くぞ」

 ビックバンをもう一度起こすと言われてもお断りだね。このジョーカーなら実際起こしかねないところが厄介だが。

「やはり君は面白いな。ますます面白くなった。ますますジョーカーらしくなったよ」

「……はあ」

 だめだ、やっぱり僕は、こいつには敵わない。溜息と共にそんな想いが口から漏れ出た。

「ああ、そうだ。最後に一つだけ言っておこう」

「……?」

「君の家の玄関の立てつけの悪さには、気をつけた方がいい」

「……なんだそりゃ。余計な御世話だよ」

「ふふ。それでは、コングラッチュレイション、ジョーカー君。いつかまた会う日まで」

 ブツリと。

 電話は切れた。

「……そんな風に締めくくるのはやめてほしいところだな」

 なんだかまた会いそうな気がしてくる。

『いいじゃないか。奴はお前の敵じゃない』

「敵じゃなくても天敵以上の何かであることは間違いないんだよ」

 って、あ。

 あ。

「あぁっ!」

 腕輪のはずし方、聞きそびれたじゃねえか!

「……あちゃー」

 ……なんてこった。

 僕は静かに、右手で頭を抱えた。僕を嘲笑うかのような青い装飾品のついた右手で。

 まあ、いいか。しばらくはジョーカーからの餞別としてつけておいてやろう。どうせ龍ちゃんや美鈴さんに聞けばいくらでも回答は貰えるだろう。

 いいことにしとけ。

 と。

 僕が携帯電話を再び折りたたんで置いた時、部屋のドアが開いた。

「あ、八代君、身体起こしちゃだめだって言ったじゃないですか」

「……畑中」

 今日は薄いたんぽぽ色のワンピースを着た彼女は、ウェイターさんがするみたいに手にお盆を乗せていた。オリーブオイルが香ばしいペペロンチーノが見える。

「……ちなみにそれは、誰が作ったんだ?」

「? 八代君のお父様ですけど。どうかしましたか?」

「あ、そうか。いやいや、いいんだよ。僕は君の手料理が食べたいなんて決して思ったりしてないから」

 この台詞に対して特に曲解は必要ない。ツンデレを装ったただの素直ちゃんだからだ。

「……まあ、いいでしょう。私、料理下手くそですし」

 あれ?

「怒らないのか?」

「怒られると自覚した上でさっきの発言をしていたのならそれに対して怒られても文句はありませんね?」

「ごめんなさい」

 即行で謝って、僕はとりあえず横になっておいた。

「全く……」

 言って、ベッドの縁に木製のトレイを置いてから、畑中はベッドに腰掛ける。

「具合、どうですか?」

「ああ、うん。まあまあかな。今はそこまで痛まない」

「ごめんなさい」

 今度は、彼女が謝罪の言葉を口にした。しかしそれは僕のよりも幾分か深刻な声だ。

「聞き飽きた……いい意味でね。君は謝りすぎだよ。一週間前僕に言った台詞を思い出した方がいい」

 確か、八代君はすぐ謝る、とか。そんなニュアンスのことを言われた覚えがある。

「いいんですよ、美鈴姉と龍の分も一緒に言ってるんです」

「……そう言われると、何故かものすごく納得してしまう僕がいるよ」

「それと、須原の分も」

 あまりに違和感なく付け加えられたその名を前に、僕は一瞬息をのんだ。ほんの一拍を置いて、僕はそれに答える。

「そうか」

 畑中は、割り切っているようだった。

 何かを抑えているようでも、堪えているようでもない。ただ、吹っ切れた。彼女から感じる少女らしさには、そんな面がチラチラと見え隠れした。

 あれでよかったとは、さすがにまだ思っていないだろうけれど。あんな結末が、ベストエンドでトゥルーエンドだなんて、僕だって認めたくはないけれど。

 だけど、この娘は強いよ。

 なんたって、あんたの妹なんだからな、ジョーカー。

 僕はもう一度だけ、枕もとの携帯電話を見る。

 ……。

 ……メルトモはやっぱ、難しいかな。

「私、頑張ります」

 畑中は言った。

 多分、ここ二日泣きはらしただろう目に、決意の色を浮かべて。

「ん、何を?」

 でもそれでいいんだと思う。僕が実行した仕事だったけど、僕の清算じゃない。これは兄妹の、さらにひいては須原と畑中の問題であり、そこには僕が土足で踏み入れる余地なんてものは、完全絶無、空前絶後、存在しない。だから、彼女は放っておいていい。

 畑中穂波は、強い。

「……全部!」

 なんだかちょっとアホっぽくなった気がしないでもなかった。

 まあ、そういうのもありかもな。論理的すぎる娘ってのもあんまり僕の好みじゃないし。

 そしてしばらく、静かだった。

 畑中が持ってきてくれたパスタを食べようという気にもならなかった。だけどそれは、決して心地悪い静けさではなく、間を埋めなければ気が済まないような、そんな気まずい沈黙でもなかった。なんだか、とても居心地がいい。そんな、静けさだ。今朝僕が一日振りに目を覚ましてから、畑中は頻繁にこの「間」を作る。どうしたんだろう? そうは思うけれど、こちらからそれを打ち崩すには少し惜しい気がして、僕は口を開けない。

 響いたのは、畑中の声だった。

「八代君」

「……んー?」

 畑中はどこを見ているのか分からないし、どんな顔をしているのかもわからなかった。ただ、ベッドに腰かけたまま僕とは顔を合わせないで、彼女は言う。

「なんであの時、私を守ってくれたんですか?」

 あの時。

 それは勿論、須原が畑中を襲おうとした時だろう。

「……君は気づいてなかっただろう、須原の存在に」

「それはまあ、そうですけれど、でもそういうことじゃなくて」

 そういうことじゃなくて。

 僕はぼんやりと天井を見上げる。いつもと変わりのない、僕の天井を、ピントを合わせることもなくただぼうと見上げる。

 うん。

 使いどころはここかな。

「人が人を、同種の生物を助けたいと思う気持ちに」

 少し息を吸って、続ける。

「理由なんて必要ない。だろ?」

「……!」

「畑中、君の言葉だよ」

 僕は彼女に背に言葉を投げかけた。

「……覚えてたんですか、そんな下らないこと」

「下らなくなんてないさ」

 下らなくなんてない。

「最高に下る台詞だったよ。僕の中では上半期ベストを取ったね」

「……そうですか」

「しかもこの台詞には確か続きがあったと記憶していてね」

「!」

 畑中の小柄な背中がビクリ、と震えたのを、僕は見逃さない。というか、ベッドが揺れて分かったわけなんだけど。

「確かこんな風に続くんだ」

 僕は言う。

「そこに何かあるとすれば、それは」

 畑中の言葉は僕がそこで遮ってしまったから、ここから先は推測になるわけだが。

「それは……何ですか?」

 僕はもう一度、人為的に沈黙を作り出した。イニシアチブは、僕にある。歯がゆいような、どこか気まずいような、でも何だか甘酸っぱいような、そんな空白の時間。こういう時間を、僕は今まで過ごしたことがない。だからそれを十二分に味わってから。

 僕は口を開いた。

「マナ、かな」

 部屋が、再び静まり返った。

「………………はあ?」

「ほら、どこにでもあるだろ、マナって。君はつまり、そういうニュアンスのことを言おうとしていたわけだよな? 何にもない、あるとしたらマナだけだって……」

「……帰ります」

 あれ?

「あれ、ちょ、畑中さん?」

 彼女は立ち上がって、スタスタとドアの方へ歩いて行ってしまう。しまった、怒らせてしまっただろうか? だとしたらこれはかなり手痛いミスということになるが――

「……馬鹿、包帯取りに戻るだけですよ」

「あ、ああ、そう」

 そしてそこで振り向いて。

 そこにあった顔は、少女の顔。少女が一番可愛く引き立つ表情で。

 最大級の笑顔で、少し意地悪げに、僕へ言った。

「だから八代君のそういうところは嫌いなんです」

「む……どういうところだよ」

「一番大事なところで恥ずかしがっちゃうところ」

 そりゃ、どういう意味だ。ていうか、前と変わってるじゃないか。

「そのまんまですよ」

 そして畑中は、カラカラと笑った。本当に年相応の、一つの影も差さない太陽そのものみたいな笑みで。

「ちゃんとご飯食べなきゃだめですよ、じゃないと私の手料理食べさせちゃいますから」

「君の手料理も食べたいとは思うけど、ま、今はけが人だからな」

「どういう意味ですか?」

「すいません」

 僕は横になった。

 出しゃばり過ぎると、ダメらしい。須原から得た教訓である。

「それじゃ、すぐ戻りますから」

 なんて、畑中はドアをパタンと閉めた。

『私は予言する。貴様は大そうな恐妻家になるだろう』

「……僕に嫁ぐ嫁がいてくれたらの話だろ? 仮定の話に興味はないね」

『仮定、ねえ』

 フーは少し不満そうに唸った。僕はとりあえず、起きてパスタを口に含む。おいしかった。

「どうやって作ってるんだろう……」

 そうやって口にする独り言も、何もかもが新鮮で。当たり前の毎日が、まるまる全て、全部が新しく思えて。

 こんなものかな、僕の生活は。

 生きるって、こういうことだろうか。

「ま、しばらくは難しいことを考えるのもやめだな……」

 少しくらい休養をもらっても、誰も文句を言ったりはしないだろう。僕はそれに相当するだけ働いたという自覚がある。

 全く、こんなに順調に滑り出すなんてな。少し、疑い深くなってしまう。

 だけど、完璧なチェックメイトだった。

 僕はもう、詰まされている。

 しかし僕は一体どこに何を忘れていたんだろうか? 分からない。今となっては何もわからない。だからこんな時だけ、結果論を振り回す人の気持ちが、少しだけ分かる気がした。だって今、こんなにすがすがしい。これ以上はないってくらいに。過去を振り返るのは、もう少し先でいい。

 そうだな、そういう点で言うと、七夕の神様ってのは、案外気前がいいのかもしれない。

 僕は七夕が、ちょっとだけ好きに……

 いや、やっぱならない。

 ただ、七夕を嫌いになった僕を許してやれる気はした。

 今はそれでいい。

 僕は僕を救助した。その事実があればいい。

「人が人を助けたいと思う気持ちに理由は必要ない、か」

 あるとしたら。

 そこに何かあるとしたら、マナだけ。

「はは……」

 違うな。

「違うよ畑中、君は勘違いをしている……」

 重大な勘違いを一つ。

 僕は一本、スパゲッティをすすってから、ひとりごちた。

 だけどそれは、また今度。いつか別の機会に、教えてあげることにしよう。



「だってどこにでもあるじゃないか、(まな)っていうのはさ」


お疲れ様でしたー。

本当にいろんな意味で。

終わりました。

完結させたという意味では、この作品は処女作になったりします。


いろいろ書きたいこともあるんですが、それはそれ。今はいったん自重しておくことにしましょう。


ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。

一生分の感謝を……まだほんの少しの年数分しかありませんが、差し上げたいと思います。

というか、ささげたいと思います。


よろしければ、感想や評価なぞ、お好きなようにお願いします。

がいあとんは率直な意見をお待ちしております。

質問などもあれば、気軽に声掛けてください。

答えられる範囲でなんでも答えます。


それではまた会う日まで、あでゅー!

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