39.本当の種明かし
「そういえば空爆、本来の開始時間を過ぎたのに、始まらないね」
須原は、なんてことのない風に口を開く。その様子をうかがいながら、慎重に返答。
「……僕のせいで予定が狂ったんだと思う。一応関田にも時間稼ぎを頼んであるし」
その関田、今頃機械室の前ではた迷惑な生徒を演じてくれていることだろう。御苦労さまである。
何も言わず、何も聞かず、ただただ引き受けてくれた関田、ありがとう。だなんて、本人を前にせずこんな独白をするほど薄情な奴はいなかろうが、まあ、塩弁当のことを種にごねたというのが真実で、それ以上のものは何もないわけであり、事実手回しは多い方が助かった。不確定要素は極力排除しなければ、如何に動かされている僕といえど、いつどこでゲームオーバーに陥るかはわかったものではなかったからだ。
「人使いが荒いね君も……アハハ、苦笑を禁じ得ないよ」
須原は笑う。が、本当に笑っているのか? 不穏で、不吉で、不透明な空気が、僕に纏わりついて離れない。結界は破壊したはずだ、なのに、この感じはなんだろう? どうして、壊しきれない。ネタネタと、食べかけの飴を掴んだ指みたいなこの感じを壊しきれないのは、何故だ。
そんな不安を振り払い、少しでも気を逸らそうと、僕は口を動かす。
「ことが終わったらきちんと礼を言うつもりではいるよ。どちらにしろ、僕は学校の人からお咎めを受けるだろうしね」
この学校の時計は全てが連動しており、一つのプログラムによって動かされている。機械室に忍び込んだ上、校内中の時計の針が12時に向うにつれて遅れるように設定した、だなんて悪戯の一言で済ませるには少しやりすぎだ。しかし「八代なら大丈夫だな」などと出所不明の信頼を僕に寄せ、何の不信感を抱くこともなく鍵を手渡した学年主任にも問題はあるのではないかと思う。いや、これはただの責任転嫁だけどさ。
「君って手先が器用なんだね。携帯に不慣れだったから機械には弱いのかと思ってたけど」
「携帯は元々僕が毛嫌いしていたのもあったからさ。それに不慣れって言っても、さすがにもう慣れたよ。もともと機械いじりは好きだったんだ」
親父の影響でな。
「手先も器用で運動も出来て、勉強は言わずもがな……か」
ドクン。
話題が、順調にスライドしていく。潤滑油を刺された自転車のチェーンのように、また非日常が回り出す。ゆっくりと、しかし繋がって、絶対に僕だけでは止まれない螺旋が再動し始める。
「何だよ」
何が言いたい。何がしたい? 君は何故ここに居る。
「ねえ、八代」
声色が変わり。
「天才って何だと思う?」
滞りのない清涼な声が、僕の耳朶を打って。おかしい。そう思った。割れた瓶で黒板をひっかいたみたいな音が、頭の後ろでずっと響いている。
「……その質問は聞き飽きたぞ、須原」
「まだ聞き飽きるほどはしてないと思うけど? ていうか二回目だし」
何がおかしいって、全てがおかしかった。彼女は、もう僕の視界から消えていなければならない。そうでないから、おかしい。我ながら、不理路整然であるが。
「僕の答えは変わらない」
異質。異端。孤独。
「答えが変わらないなら、質問のほうを変えようか」
「……なんだよ」
息苦しい。重苦しい。いや、それは僕だけだ。須原は。
微笑んでいる。
「どうして君は天才って呼ばれるのを嫌がるの?」
「…………」
何だって言うんだ?
「その質問も二回目だな」
「なんなら、答えなくてもいいよ。私が言い当ててあげるから」
ドクン。
それは、どういう、意味だ?
「……なあ、須原」
一歩、畑中と須原に近づいて。
いや、近づいているのか? 僕は。僕は本当に、近づけているのだろうか。
「僕は君に聞かなければならないことが……あるんじゃないか」
言う。
あるんじゃないか、なんておかしな言い方だけれど。
ドクン。
心臓、うるさいぞ。もう少し静かにしていろ。
「奇遇だね、八代。私も君に言わなければいけないことがあってさ」
ドクン。
全身の血流の巡りがここまでいいのも久しぶりだ、というか初めてかもしれない。
「君は別に構わないんだよね、八代」
ドクン。
だめだ。
稲妻のように早く、短く、だがしかし強烈に、そんな思いが頭を駆け巡った。
「自分が天才と呼ばれるのは、構わないんだよ。ねえ、八代。……そうだよねえ、八代椎奈君」
須原は僕の名を、繰り返す。ゆっくりと、一文字ずつ分解して口にする。じんわりと、僕は、黙って彼女の双眸を見つめた。
「……問5の(4)」
瞬間。
僕は突き落とされる。どこへ? わからない。だけど、急激な落差。酷烈な明滅。目がチカチカして、僕の後ろでは宇宙が二度生まれ変わり、銀河が爆ぜて飛ぶ。ノルアドレナリンが脳内を交差し、交感神経と副交感神経が乱れ、神経伝達物質の花火がバチバチはじける。視界が回り、世界は閉じ、時間が狂い。
だめなんだ。
だめなんだよ。
これじゃ、だめなんだ。
だめだって、わかってたんだ。
「……僕は……」
口から洩れる声は弱弱しく。
頭では、スライドショーみたいに、ここ一週間の出来事が映し出されては消えるようにして、高速で切りかわっていった。
「…………僕は…………」
もはや、僕が僕たる厳然さはどこにも存在し得なかった。
僕は、蝉の鳴き声のプールの中で、自我がブロック状に裁断されて崩壊していくのをひしひしと感じる。
夏だった。
蝉が鳴き始めてまだ間もない頃、暑さでアイスクリームが溶けたみたいに揺らぐアスファルトを眺めつつ登校する僕の脇を、水着やゴーグルや、塩素の香への期待感でパンパンになったビニールバックを力の限りに振り回しながら駆けていく小学生たち。彼らのほとんど大半は、多分この先僕以上に苦労することもないだろうし、苦悩することもないのだろう、だなんてその時の僕は生意気にも人生を悟ったような冷めたモノの見方をしていたのだと思うし、そもそもそれは自分と他人の区別というよりも、侮蔑の意を込めていた捻くれた思想だったに違いなく、大目に見積もっても今の僕がこの時期の僕と出会ったら「うわ、なんて暗くて陰湿で性格の悪い最悪なガキなんだ」と寸分の違いなく思うはずだ。
とにかく夏で、暑かった。そして僕は水泳というものに興味がなかった。
時にその頃の僕、八代椎奈は、運動の点で言えばどっちつかずの少年だったと記憶している。上手くもないし、下手でもない。グレーゾーンに居て、脚光を浴びることもなければ、罵倒を浴びせられることもない、そんないい意味でも悪い意味でも目立つことのなかった少年だ。所謂陰キャラである。僕はそもそも外で遊ぶこと自体が好きではなかったのだ。
だけれどそれはセンスの問題で、頭でしっかり考えて動きさえすれば「出来る側」に入ることも不可能ではなかった。個体値的能力不足が否めなくとも、スポーツに必要なのは素質ばかりではない。運動が出来ない人間というのは、そもそも考えが足りていないだけ。それ以外には考えられない。などと、そんな極論を振り回しては敵を作っていたのも、今となっては懐かしい。敢えていい思い出だとは言わないが。
僕が水泳ないし運動を好きになれなかった理由はそこにある。
半分は努力でどうにかなっても、もう半分はどうにもならない。これは高校生にまで成長した今でもほとんど変わらない考えだけど、やはりスポーツ(あるいは芸術でもいいが)という分野において常人と非常人の間には決定的な溝がある。
才能という溝。
それはおそらくもっと早くから、きっと頭で理解するよりも感覚的に掴んでいたことなんだろう。確かに、運動することは楽しい。だがそれは発散的な楽しさであるべきだし、自己実現に費やされるべきものではない。たぶん、少年時代の僕はそんな風に、運動を切り捨てた。今から考えれば、馬鹿な考えだったとは思う。だが今更とやかく言ったからといってどうなることでもない。
とにかく問題は、その訳の分からない自意識が、勉強という一点に向いたことだった。キッカケなんてものは覚えてないし、いや、そもそもそんなものがあったかさえも怪しいところだけれど、僕は小学生低学年で居ながらにして勉強に日々の大半を費やすというなんとも非健全な子供だったわけである。
逆に、勉強はやればやるほど成果が出た。
それはどう考えても、スポーツとは異なったのだ。
ただ、小学生だった僕が愚かだったのは、その事実を僕が運動を上手くこなせないという現実と同列に扱ったという点に尽きる。これはただの推測でしかなく、客観的考察に基づいて過去の自分を分析した結果を述べるにすぎないのだが、僕は少なからず勉学に関して他の人間よりも本当にほんの少しだけ優れた頭脳を持っていた。しかし自身を無能だと思い込んでいた僕は、努力こそが勉強パラメータの絶対値だと勘違いをしたんだろう。
それはそれは、可哀そうな勘違いだった。
父親の影響もやはり、あったのかもしれない。
僕の父もまた、決して頭の悪い人間ではなかったのだ。なかったというか現在進行形でそうなのであるが、幼い僕は父以外にあこがれの対象を持たなかった。持てなかった、と言うことも可能ではあるが、それはやはり母がいなかったことが原因というよりも、一人ですべてを完璧にこなす父が僕の目に相当の格好よさで映ったということのほうが大きい。僕は彼に対して過剰なまでの憧憬を抱いたものだった。
まあ、それだけなら可愛い話なんだけど。抱きしめたいくらい可愛らしい坊やの話なんだけど。
多分、一日十時間、休日なら脇目もふらず十八時間程度、勉強に時間を費やしていたと思う。
残念ながら、これは完全に、ただの頭のいかれた馬鹿だ。
当然、それだけの時間机に向かっていれば脳みそがお豆腐で出来ているような馬鹿野郎でも多少はマシな脳内回路を組みあげられる。ましてやなまじ、僕は頭の出来が良かったものだから、これが駄目だった。僕は思いあがり、中一、中二、中三、高一……という具合に受ける模試のランクをどんどん上げていき、そしてそのどこでも全国一位をとることに拘った。
結果から言うと、必ずしも上手くはいかなかったが、しかし実際とれてしまったのだから驚きだ。困ってしまう。とは言え模試にも難易度はある。僕の受けたものはレベルの高い私立の学校なんかは受けていないようなやつだったから、そこまで快挙でも……いや、快挙だな。自分で言うのも嫌だけど。
一言でいえば、勉強狂い。
回り回って、ただの馬鹿。
よく、頭がいいのと勉強ができるのは違う、と言うが、まさにその時の僕はその違いが理解できていなかった。しかし残念、それはとてつもなく楽しかったのだ。わくわく感というか、どこまでいけるかという期待感というか、そういうものが半端なかった。今思い返して比喩するなら、RPGゲームの主人公になったような気分だったのだと思う。もっと適切な比喩を用いるなら、世界を見つける行為――まだ狭い世界を、自分の手で広げていく感覚。自転車に乗って、世界の上を走っていることを自覚しながら、どこまでも広がっていきそうな坂道をどこまでも下っていく。そんな感じ。いや、そんな経験をすることは結局なかったんだけどさ。これは本で読んだ正常な子供の感覚だ。
親父が心配して僕にあんな遊び――ピタゴラスイッチ的遊びのことだ――を勧めてきたのも、全くもって頷ける。親父にはさぞかし心配をかけたのだろう。
それをクラスのみんなに自慢するようなことはしなかった。これもまたおかしな話だけど、やっぱりおかしな僕だから、これは裏の裏、おかしなことではないのだ。自分でひっそり楽しむ。それにこんなことを他人に話しても理解してもらえないだろう、そう考えていたのかもしれない。
そんな時だった。
一人の天才の、噂を聞いた。
彼は、僕のように自分よりも上の学年の模試を受けてみたりすることはしていなかったけれど、それが僕にまで伝わってきたということはそれ相応に結果を残していたということだろう。そんなことはどうでもよくて、重要なのは僕がそれを耳にしてしまったということ。
そして僕は、無謀にも彼に挑戦することを思い立ったのである。
わざわざ、模試の会場が同じになるよう日程などを調整して。そして初めて彼を見たとき、僕は思った。
なんだ、こんな奴か。
細身で黒髪で、何の変哲もない青年。何のオーラもないじゃないか。ちょっとは格好いいかもしれないけれど、どこからどう見ても普通の奴だ。しかも、名字が『無才』などと言ったのだ。ふざけているのかと思った。
「君が……天才っていう人?」
人のいっぱい詰まった教室を縫って彼に近づき、そんな風に聞いたと記憶している。この辺だけ、いやに記憶の上澄みがはっきりしているのだ。
「……ん、なにか用でも?」
そう、こんな風に会話を交わして。
その男がこちらを向いて、そんな風に口を動かして。
僕の眼を見て。
この辺で確か、突発的に自覚したんだ。
ああ、僕は、天才じゃない。
特に何を確かめたわけでも、何を根拠にそう思ったわけでもない。ただ、現前の存在はあまりに強大、いや巨大すぎて、僕はそれに圧倒されたのだと思う。林檎を手にとって、ああこれはリンゴなのだと思うのと同じように。
理由は分からない。だけど、彼のその言葉を耳にした瞬間、僕は僕の脆い世界が崩壊する音を同時に聞いたのである。
「……僕と勝負しないか?」
一瞬で全てが喪失されていた。
覚悟も自信も、自分自身の自己同一性すらも、もはやそこには存在せず。
訳が分からなかった。声も、多分震えていた。足はもっと震えていただろう。瞳だって震えていたに違いない。地震が起こったかと思った。怖かった。自分の存在がまるで紙切れのように薄っぺらいものだということを、本当に、トントン相撲の駒のように危ういバランスでなんとか起立の姿勢を保っていただけの、立体感の欠片もない張りぼてもいいところの存在なのだということを、知りたくもないのに知ってしまった気分だった。
でも、その男はにこりと笑って、柔和な声でこう言ったんだ。
「構わないよ。そうだな……普通に勝負するだけじゃ面白くない。俺が負けたら自殺してやろう」
結果から言えば、僕は子供だった。
どうしようもなく子供で、少年だった。だから、そんな言葉で躍起になってしまったんだ。
「僕が負けたら、僕も死んでやる」
小さな騒動になった記憶がある。でもそんなことより、そんな屈辱的な言葉を放たれたことの方が僕には重要だったのかもしれない。とにかく、気づいたらそう言い返していた。端正に整った彼の顔が、少しだけ驚く。
「良い覚悟だ……ああ、今気付いた。君がそうか。噂は聞いてるよ。何でも天才小学生なんだってね」
もはやすべてにエコーがかかって聞こえていた。わらわらと人が集まってきて伸びたり縮んだりしていたけれど、僕はそれを掻き分けて自分の席に着く。初めて、自分を完全に超える生物に出会った。天敵、というのとも違う、完全に全てにおいて自分を超越していく生命体。そんなものを見つけた気分だった。
当然、そんな状態で小学生が高二の模試を落ち着いて解けるはずもない。
それでも、僕も死ぬ、だなんて啖呵を切った以上、点数を取らない訳にはいかない。僕は出来得る限り冷静になろうと努め、そして大半の教科を何とか乗り切った。生意気ながら、ほとんど百点の自信もあった。だからこそ。最後の最後、数学で僕は油断してしまったのだ。
選択問題、問五の(4)。
今でも覚えている、確かベクトルと平面図形の問題。
ベクトル。逆ベクトル。
今なら2分で解けるだろう簡単な問題だ。でもその時の僕は。
……解けない!
焦れば焦るほど、マークシートは汗で滲んでいく。周りの人間全てが僕に死ねと囁いているようで、僕は声を上げて泣きそうになった。なんとかそれはこらえるも、急激に景色が色褪せていくのを切実に感じた。僕は死ぬ。僕は死ぬ。僕は死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。それだけが頭の中をぐるぐるとメリーゴーランドのように駆けまわって、ついでに目までもくるくると回り出す。
『俺が負けたら自殺してやろう』
だけど、頭の中にその言葉が蘇って、僕はまたあの怒りを思い出し、そして。追い詰められていた僕は、その赤い感情も相まって。
絶対にしてはいけない暴挙に出た。
そう。向こうも500点なら、二人とも満点になってしまえば。
どちらかがペナルティを負うことにはならない。
だから。どうして。僕は、なんて愚かだったのだろう。
気づかれなければ問題ないと、ばれなければ万事十全と、見つからない事実はそもそも事実として存在し得ないのだと、そんな風に考えたのかもしれない。
しかし、だとしたらなおさら愚かだったろう。
僕自身が一番の証人であることを見逃していたわけだから。
過程はいい。どうだっていい。大事なのはアウトプットだけ。
だから、結果。
ほんのちらりと一瞥をくれただけだったのに。
自分の答案以外の紙切れに、ほんの一瞬目をやっただけだったのに。
天才は死んだ。
模試の結果発表、その日の朝刊に、小さく自殺記事が載ったのだった。そのことは、小学校のクラス内でも話題になっていたのである。おそらく無才が彼らの姉か兄の知り合いだったとか、そんなところからお喋りが始まったに違いなかった。
疑問はあった。どうして、何を間違えたのか? だけど、そんな陳腐なものは一切合財必要なかった。
僕の世界は、そこで終わったのだから。
何もない。
僕は、死んだのだ。
僕は、二人の天才をこの世から葬ったのである。
残ったのは、僕だった何かと、天才だった脱け殻。それは同値記号で結ばれる可能性もあったし、全く結ばれない可能性もあった。
それから僕がどういう日々を過ごしたのか、それは全くもって書くに値しない。
結果だけ言えば、僕は僕だった何かの上に天才の皮を被って生きることに決めたのである。
それでも、やっぱり、どうしても、悲しいくらいにどうしようもなく。
僕はやはり、死んではいなかった。
生きていたかと聞かれればその返事にはNOと返すしかないが、死んでない以上僕は僕であることを徐々に取り戻しつつあった。
僕は、僕の為に生きることを、勉強することを放棄した。無才の生きるように、彼の軌跡をなぞった。
何も満たされはしなかった。
だけど、そうするよりほかになかったのだ。
「お前は天才だ」
だから、そんな風に言われるのは最も辛かった。
その言葉は、僕に向けられてはいけない。絶対にいけない。何があってもどんなことが起こっても、たとえ地球が滅びようとも、宇宙が破滅しようとも、だめだ。そんな言葉を僕が受け取ることなど地獄の果てまで行っても許されないことだったから。その言葉を受け取るのは僕じゃない。僕であっては、何が何でもダメなのだ。
許されるはずがない。それに何より、僕自身が許すはずのないことだった。
僕は、人を一人殺したのだから。
「勉強が出来過ぎて気持ちが悪い」
「孤高の天才だ」
そんな風に言われるのも、許せなかった。
何が許せないって、そんな風に言われる僕自身が最も許せなかったのだ。吐き気がするほど自分を刺し殺したくなった。脳みそに包丁を突き立てて調理して自分で食べたいとさえ思った。
無才は、絶対そんな風には言われなかっただろう。
根拠のない確信が、あった。だがそれは正答だったに違いない。だから、僕がそんな風に言われるのはあってはならないことだった。
僕は、人を一人殺したのだから。
僕自身、そんな言葉を差し向けられたってどうってことはない。だけど。
だけど僕は、天才として、生きる振りをしなければならない。そうしなければ、僕は真っ先に死んでいたはずだ。
関田にはだから、感謝すべきなんだろう。
何も聞かずにいてほしい時には何も聞かずにいてくれた。傍に居て馬鹿笑いしてほしい時には、そうしてくれた。美咲だってそうだ。
だけどそれは、あの天才がそうだったと思うから、僕もそうでなければならなかったというだけの話だ。
僕は、僕の為以外に生きることを許されない。僕は一人の天才の為に、僕を生きなければならない。
僕は、天才であらねばならない。天才として生きる僕は、死なずにいなければならない。
僕は。
「君は、どうして天才って呼ばれるのを嫌がるの?」
須原は、また繰り返した。
「…………」
もう、やめてくれ。
「僕は……」
「無才未尚」
「!」
はっと、顔を持ち上げる。
「県立空が岬高校二年生……だった男の子」
「……須原」
「彼が死んだのも、七年前。君が小学四年生の時」
「須原」
「私は知っている。人の先入観というものは、いつも身勝手な夢をその人に見せるの」
「須原、やめ」
「ねえ、八代。いい加減、気づいてるんでしょう。自分で、進もうよ」
「やめてくれ! や、いやだ、い、いやだいやだ……」
「彼は、どうして死んでしまったのかな?」
「やめろ、やめろ。やめろやめろやめろ、やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
頭が爆発しそうだった。その首の上に乗っかっている爆弾を両手で抱え込んで、座りこむ。
「僕から奪う気か、生きる意味を! 僕からはく奪するのか、命を! 僕は今までそのためだけに生きてきたんだ! 許されなかったんだ! 絶対、絶対絶対、絶対に! 僕は生きていてはだめだったんだよ! 僕は……僕は、僕はっ、いやだっ、今更そんなことが許されるものか! 僕の犯した罪は消えてなくならないっ!」
「八代」
「いやだ、うるさい、黙れっ! 僕は……僕は僕は僕は僕は僕は僕は」
視界が反転して、白と黒が黒と白だった、空は白くて、雲は黒い。僕は。
「……?」
畑中が、顔を上げてこちらを見ていた。
僕の正面に横たわったまま。
こちらを、見ていた。
「……どうしたんですか、八代、君?」