38.種明かしの終わり?
「龍ちゃん……あなた、その結界がどこに繋がってるか、知ってるんでしょう。そうでなければそんな思い切った行動に落ち着きはらって出られるはずがない」
「はて、何の事かな?」
「とぼけても無駄ですよ。というかとぼけないでください、癇に障る」
一つお聞きしましょう。僕は言う。
「この計画は、初めから最後まで、ジョーカーが仕組んでいたモノ……」
それは薄うす感づいていた。彼の目的は、畑中穂波に対する危険因子を全て取り除くこと。 そしてもう一つ。
「あなたがたも全員、実はジョーカーとグルだったのではないですか?」
32号機関の面子も、猫耳のメルシングも、黒髪の少年も、勿論須原も。
「ただ一人、須原星屑を除いて――」
勿論、畑中本人と僕自身が何も知らなかったのは言うまでもないが。
「んー」
それでもまだ、龍ちゃんは曖昧な返事だ。
「そうじゃなきゃこんなものがこんなに都合よくこんなに綺麗にこんな形でまとまるはずがない」
最初から最後まで。
僕が腕輪をはめられ、放課後の畑中に遭遇し、美鈴さんに回収され、龍ちゃんと出会い、畑中が家に押しかけ、ジョーカーの存在を知り、猫耳のメルシングを保護に向い、ジョーカーに電話を渡され、美鈴さんと台詞を交わし合い、畑中と仲を違え、始業前の屋上で須原に出会い、文化祭が始まり、空爆が始まり、少年と交戦し、須原星屑を捕まえ、そして今まで。
人はこれを「全て」と言う。すべての辻褄が、合い過ぎるのだ。僕の考えた通りに、予想したとおりに、動く通りに、シナリオが進む。
都合のいいタイミングで助けが入り、都合のいいタイミングで僕に情報が流れ込む。
そんなことは、現実には絶対にあり得ない。
龍ちゃんが、美鈴さんが、はたまた猫耳のメルシングや黒髪の少年、ジョーカー本人でさえも、僕を巧みに誘導していた。そうとしか考えられない。僕がミスを許されなかったのは、先の三十分間のみ。いや、それさえもある程度の筋書きに従って、僕は行動させられていたのだろう。他は必ず、確実に、どうしても絶対、僕に危険が迫ることはあっても、危機が及ぶことはあり得なかった。
まるでスイカ割りだ。目隠しした僕を、声や手で目標物まで誘導するかのごとく。
あるいは、僕は都合のいい駒だったのだろう。適度に頭がよく、適度に行動力もあり、適度に畑中とも仲がいい。そんな存在は、ちょうどぴったり僕だったのだろう。
つまり。
「あなたたちは初めからこうなることを知っていた。否、計画していた。ジョーカーと32号機関のいざこざを演じ、須原星屑を誘いだした」
これが事の顛末。
本当の種明かし。
「違いますか?」
「……どうしてそう思うのかお兄さんに教えてくれたら、答えてあげないこともないよっ」
もうすぐそこにまで、それこそ龍ちゃんの足下にまで、転移結界は迫っているが。
「それはほとんど肯定してるのと同じだと思いますがね」
彼の口の端が、そっと持ち上がった。
「だから、り・ゆ・う。この世の全ては原因と結果で成り立ってるんだよぉ八代君。一説を持ち出すのならその理由と根拠をお兄さんにも教えてほしいな」
どうやら、畑中の頑固な一面は龍ちゃんから受け継がれているようだな。僕はそんなことをチラッと考えてから口を開く。
「この腕輪ですよ」
「腕輪?」
「そう。そもそも初めからおかしいとは思ってたんです。何の変哲もない腕輪。言ってみればそんなものの為に、あなた方32号機関とジョーカーは対立していた。しかし僕は当初、全く勝手がわからなかった。勝手というか、自分の置かれた状況すら把握しあぐねてましたから、いやだからという訳でもないのかもしれないですが、その事実に大きな不信感を抱くことはありませんでした。いや、正確には抱けなかった、と」
息つぎをして、もう一言。
「だけどおかしいと思いませんか。思いましたよ僕は。何がというわけではありません。だがしかし、あまりに茶番だ」
茶番。底の見え透いた、馬鹿げた芝居のこと。
「怪盗ルパンの予告状には成立条件がある。ひとつは、盗まれる対象が必ずなんらかの意味や価値を帯びている必要があるということ。さらに、怪盗にはそれを必ず一度で奪うだけの自信があり、実際に成功させなければならないということ」
だが、この場合においてはこの条件の両方が満たされていない。
「あなた方は何の価値もないという腕輪をどうして守っていたのか。そんな必要はない。それこそご自由にお持ち去り下さい、ですよ。では、知らないだけで本当は価値があるのかもしれない、そう考えたからか? いいや、違いますよねえ。あなた方の筋書きはそうじゃない。違っていた」
美鈴さんから聞き出した話を思い出せば、こうだ。
「この腕輪に与えられた役割は、餌。ジョーカーをおびき出し、倒すための。しかしそうなるとやはり、この腕輪には何か価値があったということがある――そうでなければジョーカーは無価値な腕輪を狙っていたということになりますからね。だがしかし、畑中は思い込んでいた――その腕輪が無価値だと」
ほうら。だんだんチグハグな感じがしてきた。龍ちゃんは、目をつむったまま静かに結界から後退する。
「畑中はジョーカーと対面した際排除する役回りだったはず……なのにその畑中が計画のあらましをしらなかった。あり得ないお話しです。あり得ないお話しですよ、龍ちゃん」
つまるところ、美鈴さんは僕の語りかけに対して肯定の意を示しはしたが、その内容の全ては僕が語りきったことだった。
「彼女は一言たりとも、腕輪に意味がありそれはジョーカーをおびき寄せる餌だなんて口にはしなかったんですよ。僕の発言に是と頷いただけ。この意味が分かりますか?」
「なんだろうねぇ?」
「彼女は僕に合わせただけだったということですよ。その上、あなた方はジョーカーを始末できてもいないし、ジョーカーも腕輪を手に入れ損ねている。全てが、おかしい」
整合性がなさすぎる。
「ふぅむ」
「畑中を僕の護衛につけたのは、一般人への被害を恐れる『封じ屋』の方針から、須原星屑には手が出せないと踏んだからだ。空爆に合わせて奴が僕らを襲ってきたのも、そういう意図があったのでしょうしね」
「そうだねえ。で、決定的証拠か何かはあるのかな?」
「愚問だなあ、これ以上は不毛だと思いますがね。強いてあげるとすれば、あの猫のメルシングが32号機関に預けられていたというのがおおよそ決定的な証拠ですよ」
ジョーカーがあなた方と協力していたというね。あの猫はこれ以上ないくらい、先ほどのワンシーンでしか用途がなかった。壊滅的なまでに決定的だ。
「あぁ! そうだ、そうだね。確かにそのとおり。認める、認めちゃう、認めざるを得ない。さすが八代君鋭いっ」
龍ちゃんは拍手しながら、やはり軽い調子で言った。
「……はあ」
急激に、時間を無駄にしたような落胆が僕を襲う。なんだかなあ。
「で、その理由はなんですか?」
ジョーカーと協力した理由。
それは勿論。
「畑中穂波を守るため……ですよね」
結局僕は、このセリフが聞いてみたかっただけだったのかもしれない。どうせ、そんな好奇心からだったのかもしれない。どうしてそんな気になったのかはわからない。だけど、だけれど、どうしても。確認したかった。彼女が、畑中が。
畑中が、きっと壊れてなんかいないって。彼女は。
――是が非でも、愛されているって。
僕は聞く。
「そうなんでしょう?」
だから、こんなことになったのだろう。
「違うねえ」
それは即答だった。
「は?」
困惑しなければならなくなったのは、僕だ。
「いや、だって、畑中の兄がジョーカーで、あなた方はかつて仲間だったから……」
「あぁ! 違う違う違う。ぜーんぜん違うよ。お兄さんとジョーカーとは利害が一致しただけの話さ。穂波ちゃんは……まあ、言ってみれば彼女の方こそが餌だったって感じだね」
龍ちゃんは続ける。
いや、ちょっと待て。
「確かにジョーカーはそのつもりだったろうけどね」
ちょっと、待てよ――。
何か、赤いものが。熱いものが。煮えたぎったモノが。身体の中を駆け上がってくる。
「僕は違うんだなあ、これが。僕はね、須原星屑が鬱陶しかったんだ。僕らの商売の重要な要だった勇を殺しちゃうし、それからもいやがらせが続いてね。そもそもあの機関は目障りだったのさ」
ああ、そうか。
あれが、複線だったわけか。
「僕は須原星屑を殺せればそれでよかったんだもんね。正当防衛っていう理由があればよかったんだ。それでジョーカーをたぶらかして、ちょいと今回の計画を練らせただけ。まあ、ジョーカーは穂波ちゃんをずっと見守っていられりゃあそれで満足だったんだろうけどさあ、僕としてはちょちょいと彼女の危険を告げ口するだけで済んだからね。しかしこれでまたうちは仕事が増えるよ? すばらしいことだと思わ」
その細い体躯が吹っ飛んだのは、僕が彼を殴ったからだろうか。
頭の中に、一つの声がリフレインする。
『美鈴と牧埜宮清龍をそれぞれ、一発ずつ殴っておいてくれたまえ』
人を殴ったことがない僕には、その感覚というものがよくわからない。
「……これも」
わからないけど、その代わり、僕は言う。
「任務なので」
最後に、一つだけ、目が合って。
緑色の宇宙が僕を見つめて、飲みこんで。
「じゃ、頑張ってね」
そしてそのまま、龍ちゃんが魔方陣に接地すると同時に、彼の身体は赤い光に包まれ、消えた。
一つ分かったことは、人を殴ったりすれば殴る側も少しは痛いということである。今後一切において参考にならなさそうな教訓を得たわけだ、僕は。何故ならもう二度と、僕は人生において人を殴ったりしないだろうからだ。ジョーカーに再び命令されない限りはね。
「……」
須原星屑を始末するため。畑中穂波を守るため。どちらも結果的に同じところに辿りつくとして、その過程が、根拠が、動機が、あまりにも違い過ぎていた。
あの言葉が、あの長台詞が彼の真意だったかどうかは、僕にはわからない。というか、龍ちゃんの真意なんて、それこそ最初から最後まで、全くもって理解できなかった。僕が目隠しされていたとするなら、彼は終始仮面をつけていた。ああいう人間は、僕が一番苦手とするタイプだ。
だけど。
だけど、僕は自分を抑えられなかった。
どうしてだ?
決まってる。
僕はここまで来た。ここまでやれた。
でも、どうしてこんなに必死なんだ?
僕のためじゃないのに。自分の為以外にこんなに必死になったのは何年振りだろう。少なくとも美咲の時以来なのは確かだ。
だけれどしかし、それとこれとはまるで質が違うような気がした。
なるほどそれは自分で分かる、なんとなくだけど。
どう違う?
簡単な話だ。
それもこれも、僕が。
畑中を。
「……………………」
馬鹿馬鹿しい妄想だ。
……僕らしくもない。
それからしばらく息を整えて、僕は魔法陣が排水溝に吸い込まれる水のように消えてなくなったのを確認する。驚くべきことに、とでもいうべきか、少年の姿もそこからは消えていた。
「本当に三人飲み込んだら消えやがったな。ま、そりゃそうか、龍ちゃんは全部知ってたんだしね」
ああ。全く。
とんだ茶番劇だったな。うん。
今から思えばどれもこれも白々しい演技だったのだ。どれもこれも、この結末を招くための、布石でしかなかった。だとしたら少々、オチにインパクトが足りやしないか。まあ何にしろ、なんだかなんとも、歯切れの悪い終わりだったことに変わりはない。伏線も大体回収してしまったし。マジックで一番楽しいのは、種明かしまでと、その最中である。種を明かしてしまえば、こんなもの、というところだろう。だから通常、マジシャンは種明かしなんかしないのだ。理由は諸々あるとはいえ、観客の楽しみを削ぐからというのは重要なファクターに違いなかった。
思い返してみれば、一番ジョーカーの掌で踊らされていたのは須原星屑よりも、僕の方だったのだろう。だが、終わった今となってはどうでもいいことである。拘泥すべきはそんなことじゃあない。
「そして、だ」
僕は、視界を百八十度回転させ、視界にその存在を補足する。
「逃げないのか? ……須原」
彼女はそこに居た。
須原愛乃は、そこに居た。
どうして逃げないのだ? どうして消えない?
「さあ――どうしてだろうね」
ドクン。
彼女の唇が、そんな風に動いただろうと思う。言葉も、そんな風に聞こえたように感じる。
ここでこの物語は終わりじゃないのか? ここでエンドロールが流れだして終了じゃないのか。心臓が、急にうるさくなる。少し静かにしてほしいと言っても、うんともすんとも言わず、むしろずっとドキンドキン言っているこの有様。
これだ。
これを僕は危惧していた。須原のあの余裕を見て、どこかがおかしな感じがした。それを僕は。
「……」
これは、違う。僕の思い描いていたチェックメイトじゃない。
決定的に、違う。僕の予想していた終わりでは、終焉ではない。
まだ、終わらない……?
「さあ八代君、種明かしを始めましょうか――」
おいおい、勘弁してくれよ。それは。
「僕のセリフのはずだぜ?」