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36.しすたーこんぷれっくす?

 頭に白髪の混じる男は一瞬の間をおいてから唇を少しだけ動かして、無感動に答える。

「如何にも」

 須原は何も言わなかった。

「なんだ、あっさり肯定ですか? 張り合いがない」

 僕は続ける。

「それでは何故、一体どうして、封じ屋に所属しているあなたがこんなところに居るのか。そしていかなる理由でそこに畑中穂波が横たわっているのか。教えてはいただけませんか? ついでにあなたと、そこで停止している少年との関係も出来れば教えていただきたいのですが」

「君は知る必要のないことだ」

 間髪入れず、鋭い返事が静かに返ってきた。

「ああ確かに、あなたに教えてもらう必要はない」

 僕がおどけて笑うと、黒服の男は眉根に皺を寄せて不愉快そうに言う。

「……君の方こそ、自分が常にセイフ・ポジションにいるなどと思ってはいないだろうね?」

 僕は男が発する刺すような空気を右から左へ受け流しながら、やれやれと首を振った。

「まさか。そんな風に考えるのはゴキブリかシーラカンスくらいじゃないですか? 怖いなあ……」

 あくまでも余裕を装ってみる。というのも、内心ビクビクが実情なのだ。そりゃあ僕だって多少は怖いし、今の言葉もあながち嘘ではない。だから。

「危険だよ、君は」

 唐突なその言葉に、僕は面食らった。

「まず第一に聡明だ。頭が切れすぎる。それこそ、ジョーカーを彷彿とさせるほどに。さらに行動力もある。加えて勇敢だ。これで女性ならジャンヌダルクと例えたいところだよ。いや、その顔立ちなら存外女装も似合いそうだが、どうだね?」

 どうだね? じゃねえよ。

「……お褒めに預かり光栄です。しかし女装は遠慮させてもらいますよ」

「残念だが褒めているわけではないのだよ、八代少年」

 小さな笑いを交えたその言葉に、僕は彼の表情を窺った。決して、笑ってはいない。嘲笑も哄笑も苦笑も、一切がその影を潜めている。しかしそんな無表情の中に息を殺して潜む、物騒で獰猛で怪しげな野獣の色が、安らぎを持たせないようこちらをジロリと睨みつけてきているような気がして、無意識のうちに背筋が伸びた。

 ジリジリと頭を焼かれる感覚が、ふつふつと蘇る。

「出る杭は打たれるという諺を知っているかい、少年」

 空気が、痛い。

「……そんなものは三歳児でも知っているでしょうよ」

「それでは私の意図するところが、一六歳の君にはさぞかし筒抜けなのだろう。ジャンヌダルク少年」

 だんだん、どんどん、僕にかかるプレスが強くなっていく。初対面時の、あの薄っぺらい感じが今や見る影もない。首が汗ばむ。いやな感じだ。

「……君は私が今ここで、処分する」

「!」

 処分。処遇。処理。

 最大限にまで張り詰められた空気の糸が、僕に巻きついて身体をぎちぎちと締め上げる。

 それは、平たく言えば、つまり。

「本来はそこの少女だけの予定だったが、気が変わった。というより、君はここで潰しておかなければ間違いなく近い将来、我々の脅威になる。これはもはや規定事項といってもほとんど差し支えがないだろう。そう私が判断した。だからここで君を」

 僕を。

「殺す」

 ということ。だよな。

 ……おいおい。少々ストレートすぎやしないか?

「まさか、助けが来るのに期待したりしていないだろうね?」

「……」

「残念ながらジョーカーは勿論、美鈴も、牧埜宮も君を助けに来たりはしない。いや、出来ない」

「どういう意味ですか」

 男は勝ち誇ったように嫌らしく笑う。

「今BGMとして流れているこの空爆とやら……これの開始に合わせて、彼らを妨害するよう、事前に組んでおいた術式を発動させた。この空間に閉じ込められた時点で、君に助かる術はない」

「……」

「うまくあの猫のメルシングを逃がしたようだが……それも無駄になったというわけだ。惜しかったな、八代少年。だが君の考えは読めている」

 無駄になった。僕は黙って唾を飲み込んだ。

「……まいったな。ここまで正面切って殺人予告されるとは思いもしませんでし」

「待って!」

 僕の言葉の終わりを待たずに声を挟んできたのは、ボブカットの少女だった。

「待ってよ、話が違う。彼には手を出さないって約束だよ」

 須原が、僕を庇っている……のか?

「残念ながら君は私に指図出来る身分ではないのだよ。いい加減理解してほしいものだ」

 しかし初老の男は鬱陶しそうに首を振る。

「この状況、せいぜい記憶を消す程度で構わないはず。それで何も問題はないし、ここで彼を殺してもあなたに利益は何もない」

「少し静かにしていなさい」

「お願い、お父さん」

 彼女がその単語を発したとたん、彼は固まった。黒のスーツの、動きが止まる。僕の数歩後ろの少年の如く、ぴたりと止まる。

 お父さん。

「おや、あなた方はそういう御関係だったのですか?」

 ここだ。小さな隙間に指を突っ込んで無理やりに広げるかのように、僕は言う。

「……おべんちゃらはそこまでにしてもらおうか」

「いいえ、おべんちゃらはここからです」

 半ば気合のみで彼の言葉を遮り、続ける。

「あなたさっき言いましたよね、そこの少女だけの予定だった、と。同業者の、いえ同業者どころか同じ組織に属するはずのあなたが、畑中を殺そうとしている。これは一体どういう訳なんでしょうね?」

 僕は立て続けに、向こうには付け入る隙を与えないように言葉を積み立てた。

「しかもメルシングと協力してまでだ。いや――あなたの娘さんと、ですか?」

「黙っていろと言っているのだ……!」

 急に男は目くじらを立てる。穏やかなままに聞こえる声も、水面下で荒げているのがよく分かった。ふうん、どうやら、ここを突けばいいらしい。

「いや、そんなことは何でも構わないんですよ。いや、構わなかった。しかし、あなたが畑中を殺すだなんて物騒なことを言い出すのなら話は別だ。何でも構わないという訳にはいかなくなる」

 僕は言って、ズボンのポケットからあらかじめ用意しておいた一枚の写真を取り出した。

「うちのクラスの学級写真です」

「それが何だというのだ」

 おお、噛みついてくる噛みついてくる。

「この写真には、須原……君が写っていない。欠席者として写ってさえいないんだ。おかしいとは思わないか? いや、普通はおかしいと思うはずだよ。でも、ある意味これは当たり前のことだ。君は何せメルシングなんだからな。鏡に映らないような存在なら、写真に写らないのも納得できる。しかしそこじゃないんだ、注目すべき点は」

 他のクラスの面々が、この異常に気付いていないことが問題なんだよ。

「あんなにクラスの活動に貢献しているはずの須原が、どういうわけか学級写真に写っていない。なのに、僕が聞いた話だと誰一人として気にも留めなかったらしい。先生も、生徒も、誰一人としてだ。そんなことがあり得るだろうか?」

 僕はそれを再びポケットに仕舞いながら続ける。

「答えは――君がおそらく、記憶を操作する魔術を教師を含め、クラスのみんなにかけていた、とかそんなところだろう。勿論、畑中にもね。畑中もまさか、自分に寄生して力を振るうような奴にそんなことをされるとは思ってなかっただろうけど」

 だから、畑中はあんなことを言ったのだ。記憶を消すような魔術は存在しない、だなんて。だが、いろいろなことをまとめ、考えていくうちに、それは存在しなければならない、存在しなければおかしい、という結論に至ったのである。僕とてハッタリとあてずっぽうばかりを言っているわけではない。

「そもそも、君に当たりをつけた理由がこの写真なんだ。内通者が人間でない可能性もある……なんて考えからふとそんなことを思いついてね。調べてみたら案の定、写真には君の姿がなかった。そしてその時初めて、僕はそのことに違和感を覚えたんだ」

 おそらく僕が意識的に「違和感を覚えようとした」から、それは起こった。

「ご名答だよ。簡単な記憶操作の術――まあ暗示的なものだね――を使って、私の存在に「ぼかし」をかけていた。……本当に簡単な、ほんのちょっとした魔術だった。ただ、君みたいに強いショックを受けたり、今までの日常が壊されるようなことがあると、その効果が薄れてしまうみたいだけど」

 須原はずいぶんと冷静に返してきた。しかしまあ、便利だな、魔術。マジで何でもアリじゃないか。そんな風に考えながら、男に変な動きがないか気を配りつつも、僕は再び話し始める。

「……その理由の一つは勿論、君の存在が異常であることをごまかすためだ。写真に写らなかったり鏡に写らなかったりすることを指摘されたりすれば、それこそ困るしね」

 でも、本当の理由はそんなことじゃない。

「須原愛乃――学級写真にも写っていない君だけど」

 ここ二日。畑中に相手をしてもらえなかった分も含めて、僕だって何もしていなかったわけじゃあない。

「その名前は実在するんだ」

 彼女について調べる時間は、たっぷりあった。

「七年前の、空が岬高校のクラス名簿にね」

「…………」

 彼女は、俯きさえしない。男は、声を上げさえしない。

「そして、七年前、亡くなったことになっている。当然、同姓同名の人間なんて五万といるが……君はそれでもやはり、教師に気づかれ、指摘されるのが怖かったんだ。須原愛乃」

 僕だって、それを見つけた時は目を疑った。いくらなんでも、これはどういうことなんだ? と。だけど、考えていけば辻褄が合ってしまうのがこの物語なのだ。

「……メルシングっていうのがどういう存在で、どうやって生まれるかなんて、僕は知らない。知りたくもない」

 だけど。

「君は本当は何者なんだ? 須原愛乃」

「…………私は」

 テレビのマイクでも拾えなさそうなくらいか細い声が、僕の耳にかろうじて届く。

「どうなんだよ? その辺詳しく頼みたいところだな、須原愛乃」

「この娘は」

 何も口にしようとしなくなった須原を継いで、代わりに穏やかさを取り戻した男がゆるりと口を開いた。どこか哀しみに満ちた眼を従えて。

「私の娘……だった」

 過去形。その語尾は時として、決していい意味を孕まない。

「だが今は違う。こんな身体になってしまった。人の心の隙に付け込まなければ、物にも触れない、人に認知もしてもらえない、こんな身体に。それどころか所属していた『封じ屋』にまで追われることになった」

 須原が、封じ屋に所属していた。

 予想はしていたがやはりそういうことなのか。

「何です? 急に饒舌になったりして、気味が悪い」

「メルシングとは、死に際に魂が上手く砕けなかった人間のなれの果てなのだ」

 魂が上手く、砕けなかった?

「どういう意味ですか」

「通常人の魂は、肉体が滅びた時、それと一緒に綺麗に砕け散る。だが、メルシングはそれが上手くいかなかった存在――」

「要領を得ませんね」

 僕の発言はどうやら無視される傾向にあるらしい。彼は少し黙った後、ぽつりと言った。

「……喋りすぎたか」

「いいえ? 全く喋り足りてませんよ」

 僕は促すが、

「いや、やはり君は知る必要のないことだったな」

 今度こそ会話を引き延ばす気はなさそうである。ならば、こちらから引き伸ばさざるを得ない状況に持ち込むまでだ。

「畑中(いさむ)

 僕は唐突に、声を低くして一人の男の名を口にする。

「!」

 老人の顔が、ハッと上げられ、その瞳が僕を捉えた。

「畑中穂波の兄……あなたもよくご存じでしょう」

 須原と同じその漆黒が揺れるのを眺めながら、僕は言う。

「…………君は一体、どこまで……」

 驚嘆する男は、その細い眼を目一杯に見開いていた。

「僕は畑中から、彼女の兄は彼女が小学四年生の時に亡くなったと聞いています」

 畑中が小学四年生の時。今彼女は高校二年生だから、畑中勇が死んだのは七年前。

 須原愛乃が死んだのも、七年前。

 この二つに相関がないだなんて、そんな風に見るのはもはやそれ自体がナンセンスだ。となると。

「七年前、何かがあったんじゃないですか? 貴方の娘さんと、畑中の兄との間で」

 そう考えるのが、必然である。

「ですよね? 須原星屑(せいせつ)さん」

「……私の名までもか」

「そんなものはいくらでも調べられるんですよ、情報化社会なめてもらっちゃ困ります」

 魔術は旧態依然としてコンビニエンスだが、時代は科学、現代の力はすさまじい。いや、嘘だけど。僕がこの足で聞きまわっただけである。言うなればアナログをなめるなということで。

「何があったのか、教えてくれませんか」

 いや、そんなことはどうでもよくて、とにかく。

「……畑中勇は」

 一つ嘆息した男の少しかすれた声は、諦めたように真実を紡ぎ始めたのである。

「裏の世界の麒麟児だった。所謂天才だったのだ。何をやらせてもそつなくこなし、それどころか何もかにもを完璧にやってのけるなどという噂が、奴が正式に『封じ屋』として任を受ける以前から、広まっていたくらいだ」

 天才。畑中と同じ。兄妹同士でそういうものも似るものなのだろうか?

「だが奴はやはり特異だった。奴は正式に封じ屋の一員となってからも、メルシングを世界から排除しようとしなかった。メルシングに罪はないなどと言ってな。実際、奴は出会うメルシングのすべてを説得しきっていた。弁の立つ男だったのだ。武力を行使することもあったにしろ、殺すことだけは絶対にしなかった」

 それはまたすごい話だ。

「そんな姿勢に対し、当然のごとく奴はバッシングを受けた。だが私自身、その考え方は嫌いではなかったのだよ。表世界に明らか影響を及ぼすもの以外をあえて消そうとする必要はどこにもない。それが私の持論でもあったのだ」

 どこか、あの畑中の兄らしいと言いたくなる逸話だった。

「だが、そのせいで私の娘はこんな有様になってしまった」

 しかし男の表情は彼の服装に負けず劣らず暗い。見ていて痛々しいほどに。

「というと?」

 僕が聞き返してから再び語り始めるまで、躊躇うようなタイムラグを残す。

「ある時、私の機関と32号機関とが協力して任務をこなすことになったのだ。二つの機関が連携して敵を討つなどというのはそれ自体が稀有なことだ。敵はそれだけ強かった。だがその任務でも、奴はやはり完璧だったのだ。完璧だったが故に、敵の――排除すべきメルシングの標的は、私の娘に回ってしまった」

 そして、と彼は続ける。

「奴は初めてしくじった。メルシングを、どうしても始末しなければならなくなったのだからな。だが、行動を起こすには遅すぎた」

 僕はただ見つめた、その語り様を。

「奴の魔術は、確かに討つべきメルシングの魂の欠片を、完全に打ち砕いた。だが、私の娘も同時に――死んでいた」

 死んでいたのだ。彼はそんな風に、ただ一言だけ、同じことを呟いた。

「私の目の前で横たわっていたのは、何も宿らない、ただの人形だった。だがそれでも、娘の魂だけは奇跡的に生きていた……何故か? 畑中勇が助けが間に合わないことを見越し、娘の方に魔術を施していたからだ」

 しかし。そんな逆接が文をつなぐ。

「それはやはり半端な救済でしかなかった。所詮人の生命を弄ぶことなど、神にしか許されない行為。肉体はそのまま滅び、魂だけが残された。奴の魔術はまだ実験段階で、不完全だったのだよ」

「その魂が……今ここに居る須原だと?」

「そうだ」

 しばらく言葉が出なかった。

 衝撃的、と表せざるを得ないだろう。お世辞にも語彙豊かな回想とは言えなかったが、少なくとも予想していた以上に悲劇的な話だったのは間違いない。そういう経緯なら、確かにフーやあの猫耳のメルシングと比べて、須原はメルシングとしては一線を画していると言っていい。いや、実際にそう感じる。須原はどこからどう見ても人間だし、何かそういった雰囲気も感じる。

 魂に傷が付いているか、それとも完全なままなのか。その違いが顕著に現われている、ということなのか? 果たして僕にはわからないが。

「で、そんな話で僕の涙を誘おうとでも?」

「何の価値もない君の涙など、誘ったところでどうなるというのだ。まさに冥土の土産だよ。大事に噛み砕いて、それから自分の愚かさを思い知ることだな、ジャンヌダルク少年。それにまだ話は終わっていない」

 ノってきたのか、向こうから話したがっているようである。僕は何も言わずに耳を傾けた。

「畑中勇は、私以外の人間からは全くと言っていいほど非難されなかった。勿論非難してくれた人間もいた、だがそんなものは結局少数に過ぎなかった。奴は娘の命を救うどころか、敵であるメルシングにしてしまったというのに、そんなことよりも奴が成し遂げたメルシングの討伐のほうが大きく取り上げられたのだ。その上奴には依然として仕事が多く舞い込んでいた。有能。天才。私はそれだけで腹立たしくさえ思えたよ。私が被害者のはずなのに、私は畑中勇に命を救われた者としてだけ噂され、地位も瞬く間に落ちていった」

 ある意味、現実社会の闇を見ているような話である。

「そして、奴は私が殺した」

 男は、あまりにもあっけなく、実にあっけらかんと言った。

「……あなたが、畑中の兄を?」

 これもまた、少し衝撃だ。

「娘をこんな姿にした人間を許せなかった、とでも動機づけすればいいのかね」

 男の声は、わずかながら怒りにうちふるえているようにさえ聞こえる。

「もはや七年前の出来事だが――生々しいほどに覚えているよ。奴の、あの何を見るでもない無表情で無機質な眼差しを。だがそのおかげか、私は少しずつ地位を取り戻していった」

 さぞかしトラウマがござるのだろう。

 何と言っても、やはり他人事なので、僕は呑気にも適当にそんな感想を持った。

「そんなあなたが今、その妹である畑中穂波をも手にかけようとしている。これはまた一体、どういうわけなんですか?」

「目障りなのだ、そうやって有能で居られるということは、私にとって迷惑以外の何物でもない。私は機関の一員で、機関は組織の所有物に過ぎず、詰まるところ私は私の意思でその娘と組まないということを絶対に選択できない。もう二度とそんなことは御免だ。だから、ここで消しておく。それに有能な人材は消えた方が私の仕事もうまく運ぶ。すでに経験済みだからなおさらな。同じ社内とはいえ部署が違えば競いたくもなる……そんなような心境も含まれてはいる」

 有能すぎる、か。やはり半分は僕の思ったとおりだった。異端の排除、異質の除去。それによる商売敵の衰退。まあ、そんな現実的で陳腐なものなんかよりは『復讐』の方が動機として強そうではあるが。種をばらせばこんなもの、ということか。まあなんだ、B級昼メロドラマでも見ている気分だよ。

 須原は、何も言わずに僕を見ていた。

 しかし。

「それが七年前の話ですか」

「そうだ」

 ずいぶんと扱いやすくなったものだ。自分の過去を話してしまうと、人間多少はおとなしくなると聞いたことがあるが、どうやらあながち嘘でもないらしい。そろそろ頃合いかな。

「七年前……七年前ね」

「……? それが何だというのだ」

 僕は。

「少し強引に話を戻しましょう」

 切りこむことにした。

「君はおそらくジョーカーの指示を受けて畑中を監視していたのだろう、須原。だがしかし、その目的は結局なんだったのか? 考えてみれば、メルシングを監視につけるということのメリットは彼女を殺すことにはない。その真逆、むしろ君はその対象を保護し、危険から彼女を守るべき存在だったはず」

 さらに。

「ジョーカーはなんだかんだ言って、僕を助けてくれる。電話の電池パックにしろ、アドバイスにしろ。彼から貰ったものはすべて僕の助けになった、これもまた事実」

 おそらく、猫耳のメルシングもまた、この状況を見越して32号機関に寄越したのだろう。

「ついでに、あなた方は僕と畑中の敵と見なしてよさそうだ。となると、僕に託されたジョーカーからの指令とやらはおそらく『畑中穂波を護ること』……でしょうね」

 しかしそれは須原星屑の一笑に伏される。

「ハッ、今更そんなことが分かったところで何になるというのだ?」

 彼は自分で自分を欺いている。僕には分かる。人の先入観というものは、はいつも身勝手な夢をその人に見せるのだ。

「ところで、僕、七年前という数字に、たまたまもう一つだけ心当たりがあるんですよ」

「……何?」

 七年前。それは当然。

「ジョーカーという組織が出現した頃……ですよ。これもまた、七年前」

 だんだん、どんどん、僕の言わんとしたことが理解できてきたのだろうか。男は黙り込む。

「そしてジョーカーはどういうわけか畑中穂波の命を守ることに固執している」

 勿論、証拠はない。残念ながら、確信もない。

「馬鹿な、そんな馬鹿な、あり得ない」

 急に、突然、忽然、唐突に、男はそんな風にぽつりぽつりと、降り始めた雨の如く呟きだす。

 だけど、可能性なら、なくはない。

「そんなはずは」

 それは恐怖であり、驚愕であり、不審であった。

 さあて。

 僕は男のそんな不気味なつぶやきを遮って、言う。

「彼は一体何を考えているのか。それとも」

 ここから導き出せる結論の中で、最もこの場にぴったりなものは、ただ一つ。


「ジョーカーが極度のシスコンだったっていう説はどうでしょう?」


「これで全てが解決できると思いませんか?」

 僕は微笑みながら、彼の眼を見る。が、それは既に僕に焦点が合っていなかった。

「奴は――私が殺したのだ」

 どこを見ているのか? 分からない。しかしその声は震えている。脚も、手も、全てが恐怖に、震え、今にも崩れそう。いや、恐怖ですらないのだろう、その感情は。もっと恐ろしく、恐怖なんて生ぬるいものなんかでもなく、一言では説明のつきようもないもの。それを僕が付きつけた、あまりにもあっさりと、あまりにも一瞬で。

 だから彼は震えている。

 ……堪らなく快感だ!

「果たしてそうでしょうか?」

「そうだ! あり得ないッ!」

 その狼狽しきった姿を見て、僕は満足した。

 よし、こんなものでいいかな。

 時間配分は我ながらばっちりである。彼が最も冷静さを欠いたこの瞬間、時は僕の勝利へとその色を塗りかえる。彼に証拠を提示して差し上げられないのは非常に歯がゆいし申し訳ない話なのだが。

 ごめん、制限時間切れ。

「あー、そろそろテープが終わるんで、ケガしないように構えた方がいいんじゃないですか?」

「……テープ? こ、今度は何を、ほざいているのだ?」

「ほら、そこ、あなたの死角になってるところです。そこにラジカセがあるでしょ」

 僕が少年を知覚出来なかったように、校舎につながる扉の影には、お互いに死角がある。というわけで、だ。

「さっきから流れてるこの『空爆』は僕が四十万に去年の録音テープを借りて、家で音質を調整しただけのものですよ。ついでに、校舎の時計は昨日、僕が勝手に三十分進めておきました」

 そりゃあ、四十万もメイド服のまま飛んで来るはずだよ。なんてったって、本来『空爆』が始まる時間よりも三十分早く観客が集まってしまっていたわけだ。それを捌くためにてんてこ舞いになっていたのは愉快だった。それに、時計には根本から巻き直さないといけないように仕掛けを施しておいたから、そう簡単に修正されるはずもない。

「ああ、あなたの施した術は大体三十分で解除し終わるって龍ちゃんが言ってましたから、勿論それに合わせて時間も調整したんですけどね。気付いてました? って気付いてるわけないか。くっ。そろそろ猫耳のメルシングがこの結界を壊して飛び込んでくると思いますから、せいぜい身を守ってください、目の前で死なれるとさすがにショックがでかいですので」

 にっこり。

 笑う。

「ふふ」

「…………そ、そんなはずはッ! 馬鹿な、あり得ない、馬鹿な、嘘だ、全部嘘だ」

「嘘じゃありませんよ、面白いなあ」

 なんて滑稽な図だろう。端から全部僕の手の上で踊らされていたということにたった今気付いた哀れな男の姿は、実に哀れで、まさに哀れで、哀れで哀れで仕方なく、そしてその上僕の笑いを誘った。

 フフ。ふふふふふ、フフフフフフ。

「あんたの負けだよ! っはははははははは!」

 次の瞬間。

 バチッ!


 そんな感電したみたいなチンケな音とともに、青い世界は――脆くも崩れ去った。

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