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34.空爆開始

 その手には、文明の利器を握りしめて。

「……携帯?」

 須原の顔に小さく疑問の色が浮かぶ。

「ただの携帯電話じゃあないぜ」

 今や、これ一つで何でも出来る時代だからね。

「じゃあどんな携帯なのかな? 天才君」

「……僕をそんなふざけた呼称で呼ぶんじゃない」

 僕は少しむっとして言い返し、携帯電話を開くと、ディスプレイを須原に向ける。

「知ってるか? 携帯電話って」

 ゆっくりと、見せつけるように。

 そして、僕自身にもその画面に映ったモノが見えるように、微妙に角度を変えた。

「鏡にもなるんだ」

 そこに映り込んで存在していた、反面世界の住人は。

 僕と、初老の男。

 ――のみ。

「普通の人間は、鏡に映るものだろ」

 ピースが、かっちりとはまった。完全に予想通り。僕はにやりと、不敵に笑う。

「それじゃあ須原。どうして君の姿は映らないんだろう?」

 鏡に映らない。どうしてだ? そんなものは解りきっている。

「どうしてかなぁ。でもさ、そんなもの、君の裁量で何とでも細工できると思うけど?」

 当然、携帯の鏡に細工など施してはいない。それでも僕の問いかけに対し、須原は平然と、飄々と嘯く。何かを弄ぶかのような調子にさえ聞こえる。別段それに対して何か感懐があったわけでもないけれど。

「君が言わないのなら僕が言う」

 そして、その穏やかで、和やかで、安らかな風を装った彼女をぶち壊すべく、僕は言葉の銃弾を撃ち込んだ。

「須原愛乃、君はメルシングだ」

 須原は、何も口にしなかった。僕のその暴露的宣言に対して、何の反応も示しはしなかったのだ。しかし、沈黙は、肯定と認めるのが僕の主義である。それで場が凍りつくといったことはなかったが、髪をそよがせて吹く風は蒼く、心も身体も、上辺だけ見ればこれほど穏やかなことは珍しい。

 メルシング。

 精神生物。自分の存在の濃度を上げて、ただの人間であるかのように振舞っていた存在。

 それが、須原愛乃の種明かし。眼の前にいる、清楚で純真な空気を漂わせる、ボブカットの少女の真実。猫をかぶっていたのは龍ちゃんでもなく、猫耳の男でもなく、勿論畑中ですらなく、このどこにでもいそうな、なんでもないような女子高生だったのだ。

 全くもって、笑えない冗句である。

「それも君はおそらく、いや間違いなく畑中に憑いているはずだ」

『それさえ確認できれば、大方の事柄は解決可能』

 僕とフーは並んで彼女らに詰め寄る。

「まず、畑中を監視する方法」

 といってもこれは、君がメルシングであるならば呼吸するのと等しく容易だろう。

「畑中が眠っているうちにその日の記憶と思考を読んでしまえばいいんだからね」

 一度目のジョーカーからの電話で、僕が腕輪を手に入れたという事実を奴が知っていたのも、これで綺麗に合点がいく。そしてこんなのは実際に監視されているのとは全くわけが違う。そもそも畑中が監視に気づけるはずがなかったのだ。監視だとか観測だとか、見張るだとか見張らないだとか、そんな表面的な物語ではなく、もっともっと、余りにも根本的なお話だったのだから。仮に気付いたとして、何にどれほど注意していようと、睡眠をとらないなんてことはアーティストといえ無理難題だと思われる。

「二度目の電話。つまり、この携帯を使っての最初の会話の時、ジョーカーは僕にこう聞いた。『迷い猫はきちんと保護したかね』とね。これはその時点において、あの男には僕と畑中がちゃんと32号機関に猫耳のメルシングを持って行ったかどうか、確信がなかった、ということ。……理由は単純明快。畑中が起きていたからというだけの話だ」

 加えて。

「三度目。これは僕からかけたものだけど、その時ジョーカーは僕が美鈴さんを殴ったことはおろか、32号機関を訪ねたことすらも知らなかった。さらに、あの男が僕に美鈴さんを殴るように頼んだ時の台詞を引用すると『気が進まないのなら別に行動に移す必要はない。君の任意だ』これが意味するのは、つまり、奴は僕が畑中の目の届かないところでそれを行動に移すと予測していた、ということ。だから強制はしなかったのさ。確認が取れない行動に強制は意味がないと踏んだんだ。だから僕はそれを確かめるために、ジョーカーへ三度目の電話を入れた」

 二人の表情は変わらない。どこまでも曖昧で、限りなく無表情。須原はかろうじて笑みを見てとれるが、男の方はほとんど無表情の極致にある。

 まあ、いいさ。

 僕は大きく手を持ち上げて、辺りを見回しつつ口を動かし続けた。

「そしてこの結界だ。まあ……ここから先はほとんど推測でしかないんだけど」

 第一に、と次いで声を上げたのはフー。

『メルシングは自分が寄生する人間の導力を使い、魔術に似た力を扱える。勿論私もだ。だがしかし、それは導力を利用しマナを導いているのではない。自身の導力を用いてマナを使うのが人の回路ならば、自身の精神エネルギーを用いて導力そのものをエネルギーとして使うのがメルシングの回路』

 マナは赤い。同じく、魔弾も赤い。さらにマナを変換して使う『術』は、視覚的には白を基調としている。一度身体の中を通せば、マナは変質し、白色化する、とか大方そんなところだろう。だが、この結界の色はそのどちらにも当てはまらない。

 青。それは魔導師の根源、導力の色だ。即ち、メルシングの色でもある。

「導力が導力たる所以は、マナを通さないが故。だからこそ人という存在は導力を利用してマナを導き操ることができる。その力を網のように使用してね。しかし、人間はあくまでもマナを収集するためにしか導力を使えないが、メルシングにはそれが可能――だそうだ」

 理屈なんざ知りもしないが、大切なのはそれが確かな事実だという一点のみ。

「だから、メルシングによって張られた導力の性質を強く受け継ぐ結界は、いや結界に限らずメルシングによる術というものは、マナを利用した術を扱うアーティストの力では破砕することが困難なんだよ。手慣れた結界術師でもない限り、ディスペルするにはかなりの時間を要する……そうだよな? 須原」

 それが唯一できそうな畑中も今は、相当熱くなっているはずのコンクリートにうつ伏せになり、眠ってしまっている。美鈴さんの拷問のお話が一瞬、違反ギリギリのスピードで僕の目の前を過ったが、そんなものは過らなかったことにした。

 そして再び、話は出来事の解法へと舞い戻る。

『ここで取り上げるべきが、椎奈と穂波に起こったある種偶発的な現象――』

 あの白と青の入り混じった爆発。

「まず、あの現象が発生するにあたって、いくつかの前提条件がある」

 一つ目は、フーが僕に帰依したメルシングであるということ。

 二つ目は、君――須原が畑中に帰依したメルシングであるということ。

「で、重要なのはその次」

『三つ目。人間の精神を拠所とするメルシングは、その力を駆使して出来得る限り宿主に危機が及ばないようにしているということ』

 まあ、敢えて触れるまでもないか。今まで何度かフーが口にしてきたことだ。

「君が畑中に憑いた精神生物だったとするなら、猫耳の男がどうして僕を攻撃しようとしていたかの理由も含めて、一つの仮説を立てることができる」

『仮説どころか真実だがな』

 フーに茶々を入れられた。まあ、実質そうだ。砂場に突っ込んだ磁石に砂鉄が吸い寄せられるのが当たり前なのと同じように、結果と結論の全てはここに集束することになる。

「放課後のあの暴発現象は、術の発動を阻害されたから発生したんじゃない」

 それでは何故? 答えは簡単。

「あれはメルシングによる術と術がぶつかり合ったから、発生した現象だったんだ」

 そう、フーが僕を守ろうとして僕の周囲に張り巡らせていた術と、同じく須原が畑中を保護しようと畑中の周囲に張り巡らせていた術。この二つがぶつり合い、反発し合ったから、あの現象が発生した。

 僕はまた嫌らしく笑ってから、須原の顔を窺う。しかし、もはや須原に確認をとるような真似はしない。無言の肯定も認識し飽きてきたところだ。

「したがって、いよいよ帰趨だ。この考え方により、出来事に関してはすべての辻褄が、合う」

 そう、すべての辻褄が合う。それがそうあるべき姿へと、歯車をかみ合わせる。

「猫耳のメルシングが貧弱なボディをしてリスクを冒してまで僕を攻撃してきた狙い。それは当然、あの暴発現象を引き起こすことにあったと言える。逆に、猫耳男が僕を爪で攻撃しようとしてきたことに裏打ちされて、メルシング同士の近接接触によって暴発が起きたという考えに行きつくのは実に容易い」

 僕は隠すことなく「余裕」の字を大々的に顔面に展開させつつ、須原を窺う。

「どうだ? これで疑問の余地がどんどん狭まってきたと思わないか?」

「ま、校長先生の文化祭開催宣言よりは興味深いお話だね」

 彼女はからかうように大げさなかぶりを振った。

「……となると、だ。フーでもこの結界を壊せるんじゃないか?」

『無理だ』

 即答だった。少し、拍子抜けする。

『できるのなら既にやっている』

「まあ、そりゃそうか」

 お前がそんな即行主義だとは知らなかったが。

『いいか? 以前にも同じようなことを言ったと思うが、メルシングが使える術や魔力の量は基本的に宿主に依存する。その人間の使える術式を元に術式を編み込むからだ』

「…………」

 つまり、なんだ。僕のせいということかな。

『端的に言うならば、そうだな。ただ、あの現象と同じように、外的要因に限っては、単純接触で破壊できる可能性は――ある』

 僕がそれを聞いて再び笑みを形作ろうとした次の瞬間。

『みんなぁぁ――――っ! ノッッッてるかぁ――――いっ?』

 マイクを通し、頭蓋骨に共鳴してビリビリと響くそんな甲高い科白が、突如として背後から轟き渡った。

「!」

 それに続いて、雪山でならその声だけで雪崩を起こしかねないような歓声が、結界のフィルタを通してくぐもってはいるものの、半端ない勢いで僕の鼓膜を強烈に揺さぶる。

「……空爆が始まったのか」

 僕は一瞬だけ後ろ振り返ってから、事態を把握して前を向く。そろそろカタをつけなけれ

「そしてえぇぇぇぇっ! お前の意識はここで終わるぜぇぇぇぇっ!」

「っ!?」

 僕の目の前に、顔。漆黒の瞳。

 いや、拳。

 いや、いや、いや、

 ぼさぼさ頭の少年の体躯が、僕の眼前で浮いている、浮いて、いや、飛んできている、僕に向かって、ロケットみたいに、ひゅーん、と、飛んで、きて、い

 ――だ。

 ――だめだ。

「っ!」

 ――これは、どうやっても避けきれない!

 ゴムのようにしなった少年の腕は握り拳を僕の顔面に引き連れて来ていて、いつの間に? なんて考える隙もなく、衝撃を受け止める覚悟をする間もなく、次の瞬間。世界が一瞬だけ止まったかのように見えてから。

 鉄アレイでぶん殴られたかのような激甚な衝撃荷重が僕の頭部全体をぶち抜いた。

「がぅっ!」

 頭の中は刹那にしてペンキを何色もぶちまけた極彩色に染まり、虹色の火花が四方八方へ飛散する。視界は回転し、揺さぶられ、急激に、忽然と、瞬きする暇すら与えずに、猛スピードで吹き飛んで行った。

『っ、椎奈!?』

 世界が、回る。

 一回転。

 世界が、流れる。

 二回転。

 世界が、落ちる。

 三回転。

 そして僕の身体はただの玩具の人形みたいに、何のなすすべもないまま、肩から屋上の床へとダイビングした。無造作に投げられたバスケットボールが弾む如く、身体はコンクリートに叩きつけられてまた三回ほどバウンドする。

「……っ!」

 だめだ、まずい、やばい。

 意識が――飛ぶ!

『ちっ!』

 馬鹿みたいに熱い緑のコンクリートの上を無様な恰好で転がりながら、かろうじてまだフーがそんな風に舌打ちするのだけは、耳に届いた。

 そして気付いた時には、フーが後ろから僕を支えてくれていた。その人形の小さな体躯でもって。でも、眼球は惰性で揺れ続けている。平衡感覚だけが唯一まともに停止を知覚できた。

「止まって、る、みたい、だ」

『みたいじゃない私が止めたんだ』

 そう、か。

「ありがと、う」

 フーの声が遠い。頭がぐわんぐわんして、脳みそが揺れている。ああ、脳みそって多分プリンみたいなんだ。だからこんなにプルプル震えてる、小刻みに、揺れているんだ。この弾力感、甘さ、見た目の美しさ、どれをとっても完璧だ。コンプリートリィにプリンなんだ。間違いない、プディングが僕の脳みそなんだ。なるほど、だから脳みそには皺があってプリンはつるつるなんだ、区別をつけるために脳みそには皺が刻んであるんだ。プリンが気持ち悪がられないのもこれで頷ける。気持ちのいいカルメラに浸ってぷかぷか浮いている脳みそがああ、なんて清々しい気分なんだ。

『貴様ら……どういうつもりだ』

 僕がてんでチンプンカンプンな方向に主軸をずらして頭を回転させていたら、フーがそんなことを言う。

「どういうつもりって、そりゃあ僕のプリンに醤油をかけて美味しく食べるために」

『椎奈は黙っていろ!』

 あれえ、怒られちゃったぞ。

「ごめんね、八代。でもやっぱりこうなることは必然なんだ」

 遠くで、須原の声がする。

 …………。

 いや、遠くじゃない。

 遠くなんかじゃないぞ!

 急激に海面へと、意識が浮上してくる。ハッとする。

「……やって、くれるじゃないか。どこに潜んでいたのかは知らないけれど、飛んだ不意打ちを食らったものだね」

「ひゃっほう! 不意打ちに終わらないのが俺のいいところなんだぜえぇぇぇぇっ!」

 そんな楽しそうに狂った声と同時に、僕に飛びかかってくる人影が一つ見える。

 冷静になれ。

 冷静になれ。冷静になれ。冷静になれ。冷静になれ。冷静になれ。冷静になれ。冷静になれ。冷静になれ。冷静になれ。冷静になれ。冷静になれ。冷静になれ。冷静になれ。冷静になれ。冷静になれ。

「……」

 少年と青い太陽とが重なって、日食が出来る。

「…………冷静に」

 頭が、冷える。絶対零度にまで、ただただ、真冬の冷たさを超えて、無機質に冷え込む。勿論頭は痛む。身体も熱い。だけどそんなことは些事だ。どうでもいい。気にするな。そんなものは僕の身体に何の関係もない。

 世界には、僕しかいない。

 僕しかいない世界を、思い出せ。

「……そうだ」

 僕にはまだ、武器があるじゃないか。

 思って、片目は半開きで全身打撲と擦り傷だらけの僕は、ただ一つ、あんなにすさまじいフックを受けてもなお握りしめて離さなかった右手の物体を、天に向けてかざした。

「……さっきので頭が痛いんだ。悪いけど、君みたいな小物に構っている暇はない」

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