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32.種明かしの始まり

「……」

 須原の言うとおり、時間だ。ぼーっとしているわけにはいかない、行かなければ。と僕が席を立とうとした刹那。

「あ、ひいちゃーんっ!」

 おあつらえむきのタイミングで、美咲が教室へと飛び込んできた。怪しげな台詞を口にしながら。

「そろそろ交代のひかんだよねっ」

 そして僕の机の前で跳ねるようにして停止、いつも通りの赤みがかったツーテールを揺らす。いや、その前にちょっと待て。

「……君、その餅食ったままマジックするつもりか」

 美咲はその小さな口いっぱいに餅(おそらく黄粉)を頬張り、加えて両手にもそれぞれ、ピザ餅と安倍川餅を握っている。

「え……だめ?」

 いや、だめに決まってんだろうが。何ちょっと驚いてんだ。

「うー」

「ほら、僕が一個もらってあげるから、さっさと食べちゃいなさい」

「えー」

 不服とばかりに唸る美咲から、香ばしい安倍川を取り上げる。

「あっ!」

「母音だけで会話してんじゃねえ」

「……うぅ」

 あ、これなかなか美味しい。

 じゃなくて早く交代しなきゃだめなんだった。僕は立ち上がって、まだ口をもぐもぐさせている美咲を椅子に座らせる。

「悪いな」

 美咲には無理を言って、僕が文化委員で抜ける分だけ、代わりにマジシャンをやってくれることになっている。

「いいのいいのっ、椎ちゃんが文化委員のお仕事ちゃんとやるっていうのに協力しないほうが不義理でしょっ!」

「…………」

 なんか、今の言われ方はどうなんだ。

「あ、そうだ美咲。例の奴、まだ借りっぱなしだけどいいのか?」

「あ、あれね。うん、いいよっ! 一応予備があるし。……ていうか椎ちゃん、ひょっとしてなんだけど、ヒロ君になんか妙なこと吹き込んでない?」

「ん、気のせいだろ」

「そうか、気のせいだねっ!」

 単純な奴。

「ていうか、サヤでよかったらぁ……その」

 何やら恥じらうような様子だが、それも手に持つピザ餅のせいで台無しである。

「いつでも好きな時に好きなようにし……使ってくれていいからさっ!」

「……おー。お言葉に甘えさせてもらうよ」

 何か言いかけていた気がするが、まあ気がするだけだろう。そう決め込んで、僕は美咲に手を振った。美咲がちぎれんばかりの勢いで手を振り返したのを目の端でとらえつつ、いつにも増して賑わいだ教室を出る。

 あれは月曜日にでも返せばいいかな。

 さてと。

 文化祭というふわふわ宙に浮いたみたいな非日常、行き交う享楽の声や逸楽の影で溢れる廊下。皆例外なく、楽しそうだ。そんな空気の中ごった返す人々の間を縫うようにして、僕は屋上へと向かった。一分と経たず、到着。なんだかここ一週間、普段あり得ない頻度でこの屋上を訪れている気がするな。そんなことを頭のどこかで考えつつ「関係者以外立ち入り禁止」と張り紙のされた鉄戸を、開け放つ。

 そこには既に、落下防止の手すりにもたれかかり運動場を見下ろす畑中の後ろ姿があった。

「もう来てたのか、早いな」

 割合明るめに、声を張る。

 彼女の栗色の髪が、風に吹かれて揺れるだけ。その小さな背中は、何も語りはしない。

 まあ、今更返事がないくらいで落ち込むなんてこともなく、いやそもそもそれは分かりきっていたことなので、敢えてそれを待つなどという愚行に時間は費やさない。僕は彼女に背を向け、反対、つまり旧校舎側の中庭が見えるほうの手すりへと体を預け、見下ろす。

「お」

 まだちらほらとしか人影は見えないが、しかしその中では、ポニーテールのメイドが何やらせわしなく動いているのが目立って見えた。

 ……メイド服のままかよ、四十万。

 と。

『おい』

 主だった前置きもなく、腕輪からフーが話しかけてきた。

「ん、どうした」

『ずっと考えていた。ジョーカーの目論見、とやらを』

 ああ、あれ。

「それで? 考えはまとまったのか」

『ああ』

 肯定の返事。

「ほう?」

 暇だから聞いてやるよ。

『偉そうに。まあいい。前は確か、ジョーカーが貴様のことをジョーカーと呼ぶ――ややこしいな――理由、とかそんな話だったな』

 それこそがつまり、気づくための鍵だ。奴に別の目的があるという、事実に。

『そして貴様の口ぶりからすると、その内通者はある程度特定できるという感じだった』

「ああ」

『しかしながら、貴様がジョーカーと呼ばれた事実をどうのこうのするよりもまず、そこに至るのには必要な条件がある。そう、腕輪を手に入れたのが貴様だ、ということをジョーカーが知らなければならないはずだ』

 そうだな? と僕に確認を取るフー。

 頷くこともなく、僕はギラギラ照る太陽を手で遮る。

『偶然見かけた、なんていう如何にも都合のいい話はこの際考えないぞ。そしてそうなってくると、ジョーカーが誰を監視していたのかは自ずと見えてくる』

 フーは言う。

『あの日、貴様がこの腕輪を付けているのを最初に発見したのは、坊主頭のデカブツ。しかし奴は月曜日の朝貴様が言ったように、ほぼ白。ジョーカーと繋がっている可能性は、まあないだろう。全くの一般人だ、監視される理由もまずない』

 関田のことだな。

『さらに金髪の男と黒髪の女、あいつらは貴様のクラスメイトではないし、ジョーカーと呼ばれたということも知らん。よってこの二人も除外して差し支えない』

 龍ちゃんと美鈴さんのことだろう。

『となると、貴様が腕輪を手にした事実を、土曜日の夕刻電話がかかってくるまでに知り得た人物は残すところあと一人』

 フーが言う。

『つまりジョーカーが何らかの目的を持って監視、観察していたのは』

「…………」

『畑中穂波だ』

 どこかでまた、蝉が鳴き始める。

 逆ベクトル。

 狙われていたはずの僕。

 その僕を守るはずの畑中。

 監視されていたのは、その彼女。

 庇にする手首にじわり、と汗がにじむ。

 僕は、何も言わない。

『ジョーカーはあの小娘を見張っていた。そして、畑中穂波の監視者は必然的に、貴様が腕輪を手にしたことを目撃する。さらに言えば、小娘が貴様のことをジョーカーと勘違いし、そう呼んだという事実をも耳にした。ジョーカーという男は貴様をからかうためにその勘違いを利用したようだしな』

 そう。

 おそらくフーの言っていることは、十中八九正鵠を得ている。僕の考えとほぼ同じ。というか、少し考えれば誰でもすぐにわかるだろうことだ。

 ……ここまではね。

『しかしお前は黒髪の女――美鈴とか言ったか、あの女に、腕輪はジョーカーを誘き出すためのエサだ、とか言っていたが、ジョーカーはご存じのとおり、頭の切れる男だ。そんな初歩的な、馬鹿げた罠に気づけないはずがない。だとすれば、奴も利用しようとしていたのではないか?』

 僕は黙る。

『奴は、ジョーカーは予測していた。自分を仕留めるために、あの小娘が駆り出されるだろうという事実を。そしてそれを逆に利用し、畑中穂波を始末しようと考えていた。「ジョーカー」と「封じ屋」は敵対関係にある組織、そして敵方の有能な駒を隠密に潰すという策略は決して珍しいものでもない』

「……それで?」

『しかし、椎奈。貴様という邪魔が入った。だからあの場で小娘を始末できなかったのだ。そこで、ジョーカーは画策する。自分の部下を使って、貴様に責任をなすりつけた上で畑中穂波を消せないものか? と。そしてそれはすぐに実行に移された。公園での猫とガキだ。貴様が猫をどうにかするように仕向け、一方でガキが小娘を仕留める手はずだった……そう考えれば辻褄は合う。どちらにしろ失敗したようだがな。あの小娘は魔導師として強すぎたのだ』

 僕は目線を上げる。旧校舎のアナログ時計が示すのは、一二時十分前。

 後――十分か。

『だから、今度はもっと直接的に、不意を打って、単純に。そういう考えになるるのは自明』

 フーは一息おいて、言った。

『結論。貴様が託された任務とは、今日、「空爆」とやらの騒ぎに乗じて畑中穂波を殺すことではないのか?』

「…………」

『そしてその為に、わざわざ小娘と仲を違えた。その方がやり易いと考えたから』

 そして、無機質で平坦で、味気のない透明な声を従えて、違うか? と僕に問う。

 僕は、一瞬厳粛な面持ちを保ってから。

 答える。

「大ハズレ」

 そしてフーを馬鹿にした風に、控え目に哄笑してみせた。

『む』

「はは、いいね、なかなか面白かったよ」

 確かに全く、面白かった。いやはや、暇つぶしには丁度いい余興だった。

「これはほんの例えだけど、射撃が何で難しいか分かるか?」

『いきなり何の話だ』

「……少しの照準のズレが目標に届く頃には大きなズレになるからさ。標的が遠ければ遠いほど」

 勿論、僕は射撃に詳しいわけではないし、これが射撃競技を馬鹿にした台詞だというのは自覚できている。が、僕が言いたいことは伝わるだろう。

「お前の見識も、途中までは当たっていたよ。そこから先も、まだ少しくらいはかすってた。でも結論まで到達してみるとこれが滑稽、全然的外れ。考えが足りてない。大体お前の論法だと、肝心の内通者のことにほとんど触れていないじゃないか」

『むむ』

「しかも、今の話ではジョーカーは畑中のことを僕が腕輪を手に入れるずっと前から監視してたってことになる。それなのに彼女を襲うタイミングがこれまで一度もなかったと思うのか? 如何に畑中が警戒心の強いアーティストだったとして、一瞬でも隙を見せることがなかったとでも? いくらなんでもそんなことはありえないさ。畑中が見張られていることを知っていたならいざ知らず、彼女は何も知らなかったんだぜ。監視されているなんて、気づいていなかった。それにそれこそ、ジョーカーは頭が切れる。どんな小さなチャンスだって絶対的な好機に変えてみせるだろう」

『むむむ』

「ジョーカーが彼女を殺そうとしていたのなら、彼女が今生きているのはおかしい。生きているはずがない。少なくとも、猫にしろ少年にしろ僕にしろ、もっと確実な手段を試みるはずだ。あんな不確定要素ばかりの方法を使うわけがない。そうだろう?」

 まあ、少なかれ誇張はあるかもしれないが。

『むう……』

 話しているうちに、眼下の中庭にぞろぞろと人影が増え始める。アンプだとかドラムだとか、賑やかしのアイテムたちも多く運び込まれているみたいだ。その中心となって指揮を執る江戸前メイド。

 ――うむ、至って実に格好いい。

『それでは一体……?』

「それでは一体……? じゃないだろ」

 僕はまたフーの話に意識を合わせる。

 ジョーカーに監視されているのは畑中。

 そこまで分かっているのなら、後はほんの少し思考のベクトルを動かしてみれば、それだけで事足りる。

「まず。畑中は、高校に入ってからあまり積極的に交友関係を広げようとしていない」

 そのことに関しては容易に想像がつく。おそらく彼女の仕事への意識の高まりから、だろう。

「そして監視、とはいえやはり彼女は学生だ。それ相応の手段というものがある。灯台下暗しというだろう?」

『……どういう意味だ』

「そのままさ」

 彼女は、言ってみればこの世界のプロだ。

「あからさまな尾行、監視。そんなものに気づかないほど、畑中も間抜けじゃないってことだよ。もっとも事実を知っているわけじゃないし、彼女が実は超ドジっ子キャラだったなんていうなら話は別だけど、でも彼女は抜け目なく一流のはず」

 あれでドジっ子なら、それはそれでアリだけどな。

「彼女が監視に気づいていないということは、つまり、ジョーカーとの内通者は彼女にとって疑いをかけるという行為の対象外にいる可能性が高いということ。いや、そうでなければ今に至って監視するなんて行為がスムーズに行えているはずがない、少なくとも今彼女とクラスメイトなわけだしな」

『疑いをかけるという行為の対象外――』

「もっとも近くに居ながらにして、何の疑念も生じない、一切の疑問もぶつけられない関係」

 ま、これだって使い古された監視方法なのかもしれないが。

「畑中の友人、に絞られる」

 一般人。表の世界に生きる人間。

 その先入観こそが、畑中を縛る最も強固な鎖。

「それも、だ。さっきも言ったけど彼女は高校に入ってから交友関係を広げていない。ということは彼女に監視がついたのは高校生になるよりもっと以前、おそらく――彼女が魔術の世界に入って間もなく出来た友人関係……と僕なら考える」

 そう、時は彼女の小学生時代にまで遡る。

 そこで疑惑の範疇に入ってくるのが。

 四十万 香菜美。

 須原 愛乃。

「彼女にとって親密であればあるほど、気を許していれば許している程、彼女はその友人に疑いをかけたりしないだろう。そういう人間だよ、畑中は。しかも自分にとって普通の人間として振る舞える数少ない相手……特別な二人なんだろうな、畑中にとって彼女らは」

 僕の人生において、この一週間以上に畑中穂波という人間を詳しく観察した日々はない。だからというわけではないが、ある程度彼女の人物像は把握できている。

 僕にやたらと接近を図ってくるのも、そういう心理からなのかもしれない。

 龍ちゃんの言葉を借りれば、魔導師はマイノリティ。

 その上彼女はただのアーティストではない。

 万能者。トランプ。

 異端に属す魔導師の中でも、さらに異端。

 その気持ち、感覚。

 解らなくもない。

 僕のそれとはまったく質は違うけれど。でも。

 自分だけが、知っているということ。秘密を抱えているということ。

 秘密というものは、持っているだけで辛い。厳しい。

 それは、周囲の人間が、自分という人間と本質的には出会っていないということなのだから。

 だからそれを開けっ広げにして話してしまえるなら、楽になってしまえるなら、それ以上のことはないだろう。畑中にとって僕がこの世界に足を踏み入れたことは、確かに自責の念に駆られたとしても、半分以上嬉しいことだったに違いない。

 なんて。

 出過ぎた考えだろうか。

 出過ぎた考えだな。

「さて……容疑者約四十名から、一気に二人だ。こうなれば、もはや特定したも同然」

 畑中が監視されているという考え方さえできれば、後はオートマチックにここまで導ける。いや、そもそもそんなに大仰な言い回しで語るようなことでもない。往々にして被監視者の周辺が最も怪しいなんてのは、セオリーにすらならない話だ。

 考え方さえできれば、と言ったが、それさえも単純な思い込みのロジックを解けるか否かに過ぎないのである。ここまでは、あくまでも前菜程度。

 メインディッシュはまだこれからだ。

『ふむ。あの二人の内どちらかが魔術にかかわっているというのか。いや、二人ともという可能性もある』

「そうだな」

『貴様はもう分かっているのだろう? どっちなんだ』

「ん……もうじき分かるさ」

 そろそろ。

「嫌でもね」

 時間だ。

 言って僕は。

 畑中を振り返る。

 丁度僕の反対の手すりに身体を預けていたはずの、畑中を。

 振り返る。

 彼女は。

 栗色の髪を振り乱して。

 手に持っていたオペラグラスを地面に落として。

 学校の屋上で。

 熱された緑のコンクリートの上に。


 仰向けに倒れていた。

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