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31.二枚のジョーカー

 穏やかで慎ましくて麗らかな春の足音がいつの間にか遠ざかっていったのは、人々が陽炎をちらつかせ遍く熱波を従える夏の後ろ姿を見つけて駆け寄っていったからであり、実のところそれは春に対する興味を失うように教えられてきた国民洗脳による春に対する暴虐なのではないだろうか、とか擬人的表現技法で季節の移り変わりを虚ろにしたためてみるのも、夕涼み時にはまた一興だろう。

 来る日も来る日も休むことなく日本国民にうだりを提供し続ける夏は頑張りすぎだと思うので、せめて一日くらい有給休暇をとってくれてもこちらとしては全然構わないのだけど、しかし彼には約三カ月程度しか勤務期間がないわけだから、一年を平均してみれば、日本に勤める夏は事実その辺の大学生よりもよっぽど暇そうだった。そうは言っても、地球温暖化の影響か知らないが、近年の夏の精力的活動に対する熱心さには目を見張るものがある。

 今年の文化祭がやってきたのも、そんな夏が猛威をふるっていた七月七日。

 驚くほどあっさり、文化祭の日は訪れたのである。

 最高にハイな美咲に模擬店巡りで散々振り回されほんの二時間ばかりの間に体力と金銭を無駄に浪費しまくっただけに終わらず、行きたくもなかったコスプレ喫茶に四十万に無理やり連れ込まれ、チャイナだかメイドだか和服だかの女の子たちに囲まれるというのはあまり悪い気分ではないと言う事をさりげなく悟った僕であるが、しかもそこにさりげなく畑中(やはり無視してくる)も憑いてきているわけで、僕はマジで文化祭を楽しむどころではなく、内心常に冷や汗ものだった。

 こんな時だけに限るが、ベガとアルタイルのことがほんのちょっぴり羨ましい。普段は一年に一度しか会えない恋人など居て居ぬようなものだとしか思わないが。あれ、恋人じゃなくて夫婦だったかな。まあいいけど。

 とにかくそんな織姫と彦星が出会うというロマンティックなシチュエーションにしては少々配慮の足りない熱気が、空が岬高校を大勢の活気と共に満たしている。

 すがすがしいとまでは言わないけれど、実に。

 青春を見た気分になった。

 たぶん、去年も同じことを思ったのだろう。覚えてないけど。

 さらにそれはここ、二年二組の教室でもある程度作用している集団心理であり。

「よ、よし。覚えたか?」

 関田のおぼつかない声が裏返って聞こえる。

「好きなところでストップって言ってくれ」

 言って、関田は不器用な手つきでトランプを右手から左手へとぱらぱら落とし始めた。机一つ隔ててその前に立っていた女子生徒が「ストップ!」と可愛らしく声を上げる。

「ここだな、ってうわー!」

「…………」

「…………」

 僕の沈黙と、女子の沈黙である。花吹雪のように宙を舞い、床に散らばるトランプ。

 いや、普通あそこで落とすか?

「す、すまん!」

 あたふたとそれを拾い集める巨体を尻目に、女子生徒二人は白けた顔で僕の前を通り過ぎ、つまり教室を出ていってしまった。

「……何やってんだ、お前」

「げっ、見てたのかよ椎奈!」

「まあ、そろそろシフト交代の時間だからな。ようやく美咲らから解放されたよ」

 関田に詰め寄りながら、僕は常時とは教室を見回してみる。

 ぐるりと一周するように壁際には机がいくつか設置してあり、クラスの生徒が何人か椅子に座って何種類かあるトランプマジックを披露していた。壁や天井には、須原がクラスの面々を元にデザインしたA4サイズのトランプが、約四十名分貼ってある。この教室を訪れることにおいて、マジックを披露されるというのも正当な楽しみ方だろうけど、マジシャン銘々は一時間毎に交代するので、時間をずらして全員がどのようにデフォルメされているのか確かめるのもなかなかに楽しそうである。実際、マジックを実施しているクラスメイトに「あなたはどのトランプなの?」と声を掛けている人もちらほら見受けられた。

 単なる自画像を描いているわけではないところに須原の絵のスキルが感じられるというか、本当に彼女がトランプにした二年二組の面子は、僕の想像を遥かに超えて美化され、愛玩化されている。一応塗り絵という形で全員が参加しているため、それぞれに、うん、なんというか、個性あふれる――配色となっているし。

 まあ、僕のものに関しては敢えて、触れずにいるとしよう。

「そうか、もうそんな時間か……ようやく、ようやく解放されるわけだなぁ!」

 トランプを集め終わった関田はまるで土木の重労働でも強いられていたかのように汗を滴らせまくって、感慨深げに声を震わせていた。

「何を大げさな」

 僕は軽く嘲笑する。

「何を言うか、見てただろうが椎奈よぉ!」

 しかし坊主頭は必死に、まさしく圧政からの解放を待ち望んだ奴隷のごとく、その目をよくわからない感情に燃やしながら、目一杯反論してきた。

「俺の不器用さはなあ……」

「知ってるよ。針の穴に糸を通そうとしたら強く握り過ぎて針が折れちゃったっていう話だろ」

 それはもはや、不器用のテリトリーを超えていると思う。

「それもあるが、俺が今言おうとしてたのは、リンゴの皮をむいていたらいつの間にか芯しかなかったという話のほうだ」

「逆にすげえ」

 というか途中で気づけ。

「まあ、そういうわけで俺のマジックはこの一時間、一度もたりとも成功しなかった。地獄だったよ」

「……なんというか」

 そんな悲しい笑顔で言われてもなあ。

「ま、そういうこった。俺をマジシャンに抜擢した奴らの気が未だに知れん」

「全くだな」

 賛同してみた。

 殴られた。理不尽だ。

「ま、俺は文化祭を満喫してくるとするか。一番不安だった役回りも、まあ一応とはいえこなし終えたことだしな。後は頼んだぜ、親友」

「待った、それよりお前、例の約束忘れてないだろうな?」

「……、ああ、あれな。本当にやるのか? 生徒会の誰かに恨みでもあんのかよ」

 関田は顔色を少し真剣なものへと塗り替えてから、僕に聞き返す。

「別に、ちょっとしたいたずらだよ。出来心とも言うね。偶にはいいだろ? 趣向をかえてこういうのも。お祭り騒ぎにはちょっとした事故や騒動がつきものってね。僕なりの文化祭の楽しみ方さ」

 僕はそれに軽い調子で返しておいた。そこまで深刻になられても困る。

「はあん? お前がいいってんなら俺は、いくらでも協力はするがよ。ほどほどにしとけよ、お前頭いいんだから。いいか、とりあえずはこれ一回きりだからな」

「言われずとも、金輪際こんな真似はしないよ」

 言うと、関田は急に黙り込んで僕をじっと見つめてきた。

「……お前」

「なんだよ、急にどうした。気持ち悪いぞ?」

 あくまで、軽く。

「いや、……、なんでもねえ」

 こいつは、変なところで勘がいい。だけど、それ以上のところまで突っ込んでこようとはしないのだ。それを見越して、僕は動じない。

「じゃ、ま、予定通りに」

「そういうことで頼んだよ。親友」

 と僕がそう言い終わる前に、関田は僕の前から姿を消していた。

「……って、誰が親友だっての」

 勢いで僕まで繰り返してしまったじゃないか。親友、だなんて言葉を。なんだか急に気恥ずかしくなって、独り言で訂正。

 だって、僕にはそんなものを駆使する権利も権限も、一切ないってのに。

 しかしながら僕の言葉を聞く姿勢など端からないだろう彼は、もはや教室を出ていたわけで、多分、僕の恥ずかしい単語だって耳には入っていなかったのだろう。全くもって、肌理の荒い奴だとつくづく思う。それがいいところでもあるんだけどさ。

 僕はそれを見送ってから、コの字に配置されている机の中で、関田が離れて無人となった、出口のドアに最も近い席へとついた。

 しばらくするまでもなく、賑わいだ教室で一通りのマジックを堪能した生徒や学校外の方々が、続々と僕の机へやってくる。なるほど確かに、こうして赤の他人を前にしてみるとマジックというのも意外と緊張を呼び起こすものだ。関田ほどではないにしろ、手元が狂うのも頷ける。などと思いを馳せつつ僕は半時間程の間、適当に客を捌いた。

 一足先に交代した畑中が僕の真向かいでマジシャン役をしていた。うん、していた。

 それはいいとして、どうしてなかなか、大抵の客が驚いてくれるというのは嬉しかったり。こんなに単純なマジックだってのにな。こんなチャチなものでも楽しめるとなると、やはり人の幸せというのは考えようだ。捻くれた奴は、幸せにはなれない。

 と、そこへ現れたのは。

「ん……?」

 黒髪ボブカットの少女だった。

「君のシフトはもう終わったと思ったけど?」

「ちょっと気まぐれでね」

 須原は、僕を見下ろしてアハハと笑う。

「それにほら、自分の描いた絵ってのは案外愛着も湧くものだよ?」

 そんなものだろうか。

「そんなものそんなもの。それにさ、今日は何だか知らないけど、お父さんも来てるんだよね」

 お父さん? 君の?

「勿論私の。なんていうか、邂逅相遇を衒ってるって感じ。びっくりだよね、仕事休んでまで来るなんてさ。授業参観か何かと勘違いしてるんじゃないのかな」

「それはないだろ」

 須原はそれなりに常識人であるからして、その父が非常識であるなどとは考えにくい。娘と一緒に文化祭を回りたいだなんて、なんともかわいい発想ではないか。まあ、もっとも僕の父は根っからの非常識人なので、その法則を強くは推せないが。

 しかしうちの文化祭はどういうわけか、地元の人間にそれこそ非常識なまでの人気がある。 毎年平日開催であるにも関わらず、一般人はかなりたくさん訪れるらしい。らしいというか、僕の目で見た限りでもそのようだ。だったら彼女の父親が文化祭に来たってそこまで甚だしく疑問なわけでもない。

「で、それが何で君がホームルームに舞い戻ってくる理由になるんだ?」

「んー、ちょっと照れ臭いってのもあるかな。実は多分彼、今既に現在進行形で正門前にいるのだよ」

 ひどい奴だな。

「そう言わないで。君も想像してみれば今の私の気持ちくらい分かるでしょう」

 あの親父が文化祭に。

 しかも同伴して行動したがってるとなると。

 …………。

「……うん、僕なら死を選ぶ」

「そこまで?」

 須原は垂れ気味の目を見開いて少し驚いていた。

 君にはあんな親父を持った僕の気持ちは分かるまいよ。

「ところでさ、今年もやるんだよね、空爆」

 空爆。

 かなり物騒な名称ではあるが、それは『空が岬高校ゲリラライブ』のことを指す。まあ、ゲリラライブとはいえ、開始時間は毎年決まっているのだが。しかしプログラムにその旨が記載されているわけではないので、一応そういう扱いになっている。

 言ってみれば文化祭の風物詩、名物、看板イベント。

「やるんだろうな。文化委員が屋上監視に駆り出されてるみたいだし」

 毎年恒例、空爆。

 いや、全くもって物々しい名称なのだが、その実皆の注目を面白いくらいかっさらっていくのだから、大したものである。去年が運動場だったから、今年はおそらく旧校舎と新校舎の間にある中庭で行われるのだろう。詳しいことは僕も知らないけれど、去年はぶっとんだ会長のマイクパフォーマンスに始まり、個人バンドのライブにチアリーディングや吹奏楽のジャズライブ等など、文字通りお祭り騒ぎ、大騒ぎ。僕自身はそういう空気に馴染めなかったしこれからも馴染むつもりはないが、しかしやはり青春だ。ああいうのもたまには不愉快じゃない。

 風の噂だと、四十万も出演するのだそうだ。ああいう騒ぎ大好きだからな、あの娘。

「お父さんが見たいってさ。そういうわけで空爆まで時間をちょいと潰したいんだ」

 と一つ前置きしてから、須原は挑戦的な目つきで僕を見る。

「マジック、やってみせてよ」

「……君は種を知ってるだろう?」

「んや、君のやるのは知らないよ」

 そうだったっけ。あまり記憶にない。誰にどのマジックを教えたかなんて、一々僕が管理していることでもないし。

「ま、それならいいか」

 なんて、猿芝居を打って。茶番はここまで。

 丁度。

 君にはこのマジックを見てもらいたいと思っていたところだ。

 僕は手元にあったトランプの山をおもむろに掴んで須原に近いところに移動させると、その上に左手を置き、一気に左へとスライドさせる。一列に、さっと広がるトランプ。リボンスプレッドと呼ばれるテクニックである。

「おぉ、すごいね」

「ま、見た目ほど難しくはないんだけどね」

 僕は彼女の夜の瞳を射ぬきながら、定型の台詞を口にする。

「それでは、一枚。好きなカードを選んでください」

「はい」

 須原の小さな手が、一枚のカードを抜いた。

「覚えましたか?」

「……」

 数瞬、カードを眺める、表情に変化のない須原。

「覚えましたか?」

「……ええ」

 残った山札を一つにまとめる。

「では今から僕がカードを上から下へ落とすので、好きなところでストップと言って下さい」

 そして僕は先刻関田がしていたように、カードを落下させた。

「ストップ」

 清澄な声が、制止をかける。

「それではそのカードを一旦置いて」

 言いながら、僕はストップと言われたところで山札を二つに分ける。直接山札には戻させない。それから須原の引いたカードを間に挟むようにして、それらを重ねた。

 数回、カット。

「それでは」

 再び、リボンスプレッド。

 横列になったトランプを前に、一方の端を人差し指で持ち上げ、ひっくり返す。

 ドミノ倒しの要領で、トランプは全てぱたぱたと裏返った。

「あ……」

 そして、須原は、小さな声を上げた。

「あなたが選んだカードは……」

 僕はそれを指さす。須原の眼を見ながら、彼女に何もかも見せるけるが如く。

 絶対と絶対の間に。

 ジョーカーとジョーカーの間に挟まれたそれを。

「ハートの、6――ですね?」

 しばらくの、噤口。

 教室の喧騒のせいであまり露骨にそれを感じることはなかったが、確かな沈黙。

「……大正解。さすがだね、関田とは違う」

 須原は、笑わなかった。

「当たり前だ。あんなのと一緒にするな」

 僕はトランプを片付ける。まるで何もなかったかのように。

「……まいったな」

 須原はそれを見ながら、困却したみたいに力なく言った。

「何がだ?」

「何がだ? だってさ。よく言うよ」

 そして、僕を見る。

「さっきのハートの6、どうやったの?」

「……マジシャンに種明かしを頼むなんて、無粋だな、須原」

 僕は返して、トランプをとんと揃えて置き、ゆっくりと、一文字ずつ台詞を口にした。

「……そうね。是々非々って感じ。その通りか。君が正論」

 そうして、ボブカットを揺らして彼女は、僕に背を向ける。

「さて、そろそろ時間だ」

「ああ、そうだな」

「君もでしょ」

「そうだな」

「ねえ」

「ん」

 どんどん短くなっていったやり取りの果てに、須原はもう一度、首だけで振り向いて。

「いつからなのかな? ちょっと怖いや」

「……」

「やっぱり君、普通じゃない」

 僕は何も言わずに、半分しか見えない彼女の顔をただ、見つめる。

 しかして彼女は。

「アハハ」

 笑った。

 どうして、何かを愛惜するように。

「さっきも言ったけど、君もそろそろ、屋上監視の時間でしょ? 四十万ちゃんから聞いたんだから、確か。さぼっちゃだめだよ」

 言って、彼女は完全に、僕に背を向ける。

「……ま、サボるわけないか」

 そして須原は、今度は振り返らずに、教室を出ていった。

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