25.トランプ-万能者
「畑中は一体どういう種類の魔術師なんです?」
間に挟まれた明らかに不審な話題と僕の(決死の)動向について、目の前の黒髪美人は気にかける素振りもなく、僕の質問に対しては瞼を半分降ろし、思考する。
「どういう種類のと聞かれればそれはまあ、そうね。おそらく『封印術師』ということになるわね、多分」
おそらく? 多分?
なんだそれは。
「なんて言えばいいのかしら。わかりやすく拷問で例えるとすれば」
「やめてください」
「顔に水滴を落とすタイプの拷問があるじゃない、あれって水責めというよりは睡眠妨害系よね。本質的には同じなんでしょうけど」
「やめてください!」
僕の悲痛な声はほんの数メートル前方の美鈴さんにすら届く気配がなかった。遺憾だ。
「つまりはそういうことよ」
「全然わかりません」
「まあそうでしょうね」
「…………」
拷問の話したかっただけだろ、あんた。
「種類、ねえ。穂波にはちょっと例外的な話になっちゃうのよね」
美鈴さんはだるそうに髪を弄ぶ作業を再開し、小さく欠伸をする。まことに暇そうだ。
「系統に型、か。そりゃあ分類しようと思ってできないなんてことはないんでしょうけど」
「……?」
「そのよくわからないという顔。鬱陶しい」
……僕には薄弱な機微でさえも許されないというのか。
「する意味がないのよ」
といいますと?
「その鬱陶しい顔をね」
「一瞬でも本筋の続きだと思った僕が馬鹿でしたともさ!」
彼女は何とでもないという風に、髪の毛をいじり続け、指に巻きつけたりしている。変に子供っぽく見えてどこか諧謔的でもあった。見方によっては加虐的ともいえる。まあ、自己申告でSだしな、この人。
「それでなんだったっけ? 漆責めのエロさについてだったかしらね……」
「違いますね」
「あら、じゃあくすぐり責めのエロさについてだったかしら」
「違います」
「鰻風呂? そう、鰻風呂だったわね、あれは拷問というよりもむしろプレイだわ」
「そもそも拷問の話ではないですね!」
これ以上続かれても嫌なので僕が耐えきれず突っ込むと、美鈴さんはわざとらしくため息をつく。
「はっ、ノリの悪いガキ」
破壊的なまでに乗り方の分からないノリだった。
「まあ、閑話休題。あの娘は少し変わってるのよね。特別――いえ、特別というよりも、特異なの」
特異。他と違っていること。僕の持つイメージからすれば、それはあまり聞こえのいい言葉ではない。畑中自身からはそんなことは聞いていないが。
「本来魔術師ってのはね、一つの魔術に特化するもんなの。他のことには手を出さない。というか、手を出してうまく折り合いつけてやるなんてことは通常不可能なわけ」
不可能とまで言い切るのはどういうことだろう。
「例えていうなら、ラケットスポーツ全部でプロを目指すようなもんね。ああいうのは確かにラケットを使うっていう部分は似てるけど、実際は全然違うスポーツよね。逆にラケットを使うところが共通してる分、並行してやったりすればフォームがおかしくなっちゃうのよ」
例えば、卓球。例えば、バトミントン。例えば、テニス。僕はそのどれも極めようとした経験など一切合財ないため分からないが、その例えは存外分かりやすい。同じジャンルで括れるようで、括れないスポーツたち。根柢の部分が違っている。なるほどそれでは確かに、専攻を決めるのが賢いやり方なのかもしれない。僕は魔法を格闘技や学問のようなものだと、多種多様なスキルがあればある程に強くなっていく、相補間的関係の技術なのだと思っていたが、そうではないらしいな。
「魔法は、まあその種類はそれこそ豊富で一口には語りきれないけれど、大雑把な括りでいけば追跡術、結界術、封印術、生成術の四つってとこかしらね。その内の一つを選択して、まあ俗な言い方をすれば専攻する」
専攻、ねえ。
「私の場合は追跡術。詳細は省くけれど」
省かれた詳細は看破するとして、だ。
追跡術?
今まで僕が読んだファンタージー物に、そんな魔術の存在は認められたことがあっただろうか。大体が元々、追跡なんて言葉はファンタスティックとは縁遠い響きだ。少なくとも僕はそう思う。現実的というか、唐突に無機質な感じが漏れ出てしまっていて、とても魔法という雰囲気ではない。追跡術なんて言い方をするとなおさら、殺伐とした軍事関係を連想させてくれる。
「無機質で現実的で、軍事関係。確かに、以前にも表の人間に同じようなことを言われたけどね、そんなのは勝手な先入観との甚だしい懸隔だわ。魔法使いって言い方をするとそういう誤解を招くから穂波には魔術師って教えてるわけだけど。そんなもんよ、魔法使いっつっても結局は人なんだから。人と人のあるところに生じる現象なんてたかが知れてるわ。ファンタジーだろうとなんだろうと、結局人の造る物語の根幹は人間関係でしかない……それは雄弁に、痛いほどに現実世界そのものを語ってる。まあ、それはいいとして」
美鈴さんは、はたと髪と同化したみたいな手の動きを止めた。
「あの娘にはね専攻ってものがない。それにね」
そして、よく意味の分からないことを口にしたのである。
「魔法の使い方をどこで学んだのかわかんないのよ」
「…………は?」
僕は固まった。石になった。
数多の死線をくぐり抜けた僕の耳もついにいかれたか? しかし美鈴さんはなんてことのない風に、あくまでも悠然とした態度で、僕をぼんやりと眺めながら言う。
「そうね、それは正確には私たち――龍と私には、あの娘に魔法を教えた覚えはないってことなの。もっともこの二年くらいは私たちからも手ほどきしてるけど、穂波の魔法は私たちのものとは違うのよね、根本的に」
どうなんだ、それって。それって、どうなんだ。
「それってどうなんですか?」
動揺のせいで同じことを三回も繰り返してしまった。
「すごく大問題ね」
大問題にはとてもじゃないが聞こえない口調のまま、美鈴さんは上の空。透明な空気を吸ったり吐いたりして、また口を開く。
「とにかく、あの娘にはなんでも扱える。どの種類の魔法だろうと、ほとんど制約もなしに。その中でも飛びぬけて上手く扱えるのが封印術、ってだけの話よ。一応龍の専攻がそれだしね。そういう言い方をするなら追跡術師でもいいのかもしれない……何でもいいけど、バーサティリティなのよ、穂波は。そういう魔法使いは俗に、万能者なんて呼ばれるわ。それがどれだけ特異なことかあんたにはわっかんないんでしょうけれどね」
トランプ。万能者、ね。トランプにはそんな意味もあったのか。
ふと、畑中の発言がリフレインする。
『私はこの分野の専門ではありませんから魔術単体の術式はごく単純なものですが――』
そもそも分野とか、専門ではないとか。
そういう話じゃない。ということらしかった。
専門じゃなければ、使えない。それを畑中は平気な顔をして使っていた。
「……なるほどね。理由はそれか」
僕は呟いた。一人で、静かに、小さく。
「理由は、それか」
二回、同じことを。
「ま、ここからあんたの護衛に穂波が選ばれたんもそういう理由が大きいわ」
「……でしょうね」
「私と龍が動くのが面倒ってのもあったけど」
「そういうことは心の中でのみ言っておくべきだと思いますがね!」
「私はSだわ」
Sだからと言ってそれは人を不愉快にさせていい理由にはなりません。
「そうなの?」
「…………」
それが当然であるかのようにキョトンとしないでください! 僕が間違ってるような気になってくるじゃないですか。
「これで回答になったかしら?」
「ええ、ありがとうございます」
正直、少し予想外の要素がふんだんに含まれ過ぎていたが、回答としてそれは予想以上の収穫だった。
これでまた一つ、たどり着いた、と言うべきか。
「まだ質問をしても構いませんか?」
「ええ。私の気が変わらない限りはね」
ともすれば信号よりもコロコロと気の代わりそうな人を前にして躊躇する暇はないだろう。では早々にもう一つ。
「ここは封じ屋の中でも、32号機関という組織らしいですね」
「ええ、そうね。誰からそれを聞いたかは知らないけれど」
相変わらずどこを見ているか分からないような焦点で、美鈴さんはぼうっとしている。
「32号ということはつまり、31号や、30号機関も存在すると……そういうわけですね?」
「そうね、その通りよ」
では。と、僕は一つ息をのみ込む。
「少し質問が飛躍しますが――あなた方『機関』同士における連携は、どれほど行われているのです?」
美鈴さんは再びその焦点を僕に合わせる、僕の目に。
この人は解り易いな、反応が素直だ。錯覚だろうが、周りの空気がどことなく冷たい。
「どういう意味?」
「そのままですよ。末端組織がそれ単体で動くということもあるでしょうが、話を聞く限りじゃこの32号機関にはあなたと牧埜宮さん、そして畑中の三人だけのようだ」
そしてそんな少人数では遂行しきれない職務だってなくはないはずである。
「僕は――僕はね」
口を開こうとしない美鈴さんに代わって、僕が淡々と話を続ける。
「人に良いように使われるのは、大嫌いなんですよ」
「……それはジョーカーのことを言っているのかしら」
冷えた目で、美鈴さんは僕に対して斜に構える様相だ。暖かさのない机を挟んだ二人の間に、決して心地よいとは言えない空気が流れ始める。
「質問に答えてもらいましょうか」
「繋がりのない話をしだしたのはあんたのほう、逆ギレはやめてほしいわね」
彼女はやれやれ、とおどけて首を振り。そして僕からふっと目を外した、かと思うと。
「気が変わったわ」
ぶっきらぼうに質疑応答を打ち切ったのである。
「! ……そうですか」
ではここからは。
美鈴さんに答える義務はない、ないが。
僕の言葉は、詰問になる。
「あなた方の目的はなんです」
「あら、それは質問かしら?」
しれっと流された。答える気がないのならそれでいい、どうせ質問をしたつもりもない。
「ジョーカーを倒すことですか」
「さあ」
彼女のその受け流すような態度に構わず、僕は立て続けに言い倒す。
「そもそもこの腕輪は何なんでしょうか」
目の前の黒髪美人の反応など気にしない、否、必要ない。
「僕は考えました。誰かがこの腕輪を狙っている。そうなればこの腕輪には何か価値がある、もしくは何か用途があるのでは。と。結局直接的なそれらを発見することはできませんでしたが、畑中はこう言っていた。何の変哲もないフツーの腕輪、だと。そしてあなたもこう言った。そもそもそんな腕輪に価値があるなんてのも初耳だった、と。だとすれば、何らかの方法であなた方――いえ、この場合は牧埜宮さんが、ジョーカーにこの腕輪に価値があると思わせた。そう考えるのが自然、必然、常道。もっとも、あなた方がグルになって僕を騙している可能性は捨てきれない、だからこの場合、なんですが」
美鈴さんは僕を見ない、見ようとしない。それでいい。
「そうなってくると、そうやってジョーカーにこの腕輪を狙わせるように仕向けた意味はなんでしょうか。それはつまり、餌。餌だ。それがこの腕輪に与えられた役割。ジョーカーをおびき出し、倒すためのね。いや、倒すなどという言い方はあまり適当していない。もっと下衆な言い回しをするなら――殺す。消す。とにかくジョーカーという存在は、あなたたち『封じ屋』にとってあまり良好とは言えない関係にあるらしい。反応を見る限りは。だからそれを何とかするための策略。まあ、そう呼ぶには少々お粗末ではありますが、あなた方の目論見はある程度成功していたと言える……現状、僕がこうしてジョーカーに付きまとわれている以上はね」
大理石に囲まれた空気は、濁ってはいるが、重くはない。これでいい。
「つまり僕も、その延長線上の存在でしかない。僕はあなた方に使われているだけの、囮、そう呼ばれるのも馬鹿馬鹿しい、餌だということだ。正直いい気分ではありません。そして畑中が僕の護衛に付けられたのも、そういうわけだ。ジョーカーとコンタクトが取れないままに腕輪を奪われるわけにはいかない、だから常に監視している人物が必要だった……護衛というよりも監視役ですか。監視。これもまた、気味のいい言葉ではないですね、ええ。僕の限りにおいては、その単語は僕の命を守る為に十全だとは思えない。まあ、どちらにしろタダで僕を守ってくれてるというのですから、それに関しては目を瞑りますが。しかしその目的もあくまでサブだ、メインはやはり、ジョーカーの直接の討伐、それに尽きている。だからこその畑中だ、彼女はいろいろな魔術が使える。そもそも直接対峙してしまえば、護衛という理由で、正当防衛という理由で、ジョーカーを殺すことができる」
僕はそこまで言い切ってから、一つ息をつき、
「……違いますか? 美鈴さん」
そう、対面する美女の表情を、ゆっくりと窺った。
そして彼女はまた、何もない空間に焦点を合わせたまま、長いまつげの目で瞬きして。溜息が出るほど綺麗な黒髪の後ろ髪を両手でかきあげて、そして言った。
「違わないわ」
再び僕にやられたその双眸に浮かぶ表情は。
「なかなかの洞察と推察ね、ガキ」
さながら、龍ちゃんのそれにもにた、ポーカーフェイスの無機質な微笑みだった。
「でも、だからって何? 逆に私から問わせてもらうけど、あなたの目的は何なのかしら?」
瞳に浮かぶ、魅了されるような遊興。紅い口元に浮かぶ、ぞっとするほど美しい薄ら笑い。龍ちゃんの造る表情よりももっと妖艶で、それなのにもっと無感情で、無感動。
「僕の目的ですか」
そういえばついさっき、畑中からも同じようなことを聞かれたな。
「そんなのは決まりきってますよ」
当たり前だ。畑中には嘯いたが、僕が一体何をどうしたいか、そんなものは決まっている。
「身に降りかかる火の粉は払うものです……」
だから、僕は。
いい機会だと思った。絶好のチャンスだと思った。
とはいえ、理由なんてものはなんでもいいのかもしれない。それに一度くらいは、そうなってみたいものなんじゃないか。なんて、正当化してみたりもした。それは少年の夢であり、いや、そもそもこんな世界に足を踏み入れた時点で、そうなれるんじゃないかって、そう思っていた。そう錯覚していただけかもしれないけど。
いや、往々にして、理由なんて必要ないのかもしれなかった。それはインパルス、所詮ただの幼稚な衝動なのだろう。いや、絶対そうだ。
だけど。いや、だから。だからこそ僕は。
「笑わないで下さいよ」
僕の目的は。
「僕の目的はね――」