表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/45

21.推理=整理

 五分、か。

 どうせ四十分には授業の予鈴が鳴る。それを聞いてから降りても始業には間に合うだろう。一時限目は三須先生の授業だったはずだ。老年の彼は遅刻者の基準が甘いから、少しくらいなら遅れたりしたって(あまり正当な考え方ではないが)問題もない。とはいえ、授業だけは何があっても真面目にこなさなければ。

 それを考えれば、今のうちに思考できることはしておくべきだ。

「フー」

 僕はどこを見るでもなく、ぶらりと下げた右腕の腕輪に話しかける。

『なんだ』

 間髪を入れずに澄んだ高い声が返ってきた。

「どう思う?」

『何がだ』

「そうだな。何でもいいよ、適当に何か言ってくれないかな」

『適当に、か。しっかりしているようでいい加減な男だ。まあいい、私も貴様の考えを聞きたいと思っていた』

 それを耳にしつつ、夏の太陽で熱をもったドアへともたれかかる。

『ジョーカーとの内通者は誰だと考えている』

「ああ、そのことか」

 いい点を突いてくれた。そのことに関しては、これから日々を過ごすに際して思考するに余りある。

 分かりかけてはいるんだ。ジョーカーの狙いは。

 しかし奴が得体のしれない人間であることは疑いようのない事実だった。

「内通者、まあそんな大仰な言い方をすべきかどうかという問題はあるが」

『それが誰かをハッキリさせておくに越したことはない』

「そういうこと」

 言ってふと思う。安易にその前提で話を進めてはいたが、そもそもこのフーは僕の味方なのだろうか? こいつの立ち位置もイマイチ把握し辛いものがあるが。

『安心しろ。メルシングは自分の欲望以外には基本的に中立だ。そもそも今の私は貴様を依代にして存在している。そうである以上宿主を無下にしたりはしない』

 僕が何か言おうかとするその前に、フー自身にそう断わりを入れられた。

「……よくわからないな、メルシングという物は」

 精神生物。僕から見たその存在は言ってみればモンスターであり、人聞きの悪い呼称を使うならば魔物である。ジョーカー以上に考えが読めないと言えば読めない。

『深く考えるな。どうせ貴様の考えていることは往々にして私に伝わる。とは言えあくまでもなんとなく、感情の起伏や思考のベクトルが大幅に変更された時だけに限定はされるが』

「ふぅん……」

 そんなものなのだろうか。

『そんなものだ。さっきも言ったが深く考え過ぎない方がいい。頭がおかしくなるぞ』

「それは少し難しいな」

 可能性の一つとして、ジョーカーが狙っているのは腕輪ではなくこの『フー』だということも考えられる。畑中も、龍ちゃんも、ジョーカーも、すべての人間がそれを知っていて、僕に隠そうとしていて、つまりそれだけ重要な秘密をこの名も無きメルシングは抱えていているという可能性。

 なくはない。

 なくはないが。

「――この場合においてのみでは、それは違うだろうな」

『何を言っている?』

「……トポロジーを使ってポアンカレ予想の解を導こうとしてただけだ」

『そうか』

 納得されてしまった。まあいいけど。

『それで。結局貴様は何をどう考えているんだ』

 もくもくと、綿あめのように大きく膨れ上がった夏の風物詩を青空に見上げる。肌を焦がすような直射日光がヒリヒリと痛い。鉄戸に背中を預けたまま口を開く。

「関田と美咲はおそらく白だ」

『何故だ』

「僕の家で四人が鉢合わせした時、畑中のバックの中からキィキィ声がしてただろう」

 記憶に新しいそのシーンを頭に思い描く。四人分の驚嘆顔。思いだすだけで最悪の絵面であるが。

『あの毛玉か』

 そう。

「関田と美咲にそれを気にする素振りはなかったからな。彼らは少なくともアーティストじゃない」

『確かに』

 フーは尤もらしく一つ間を置く。

『マナを操る力を持っていなければ、メルシングの実体を知覚することはできない。だが、それだけで奴らを白と断定するのは少々強引だな。そもそもあの場でそちらを気にかけるほうが難しいだろう』

 勿論、根拠はそれだけじゃないよ。

『では他に何があったというのだ』

「よく言うぜ。その為にわざわざお前に姿を現してもらってたんだろうが」

 一番肝心な当日にその予定事項を失念していたせいで僕自身挙動不審になりはしたが、そもそも今朝関田らが僕の自宅を訪ねてくることは事前に分かっていたことだった。

 だからフーには前もって土曜日のうちに、関田たちの前でその姿を顕現させることを依頼していたのである。

『……そんなこともあったかもしれんな』

 とぼけた風にフーは言う。そしてどうやら彼女はそれを実行に移してくれたのだった。

「ま、結局他の人間にどう説明するか畑中と話し合うのを忘れてて一騒動起こっちゃったけどな」

 それはそうとして、フーの声と、姿。どちらに対しても二人の反応はなかった。つぶさに観察していたが、彼と彼女に動揺の機微は微塵も感じられなかったのである。

 フーの話に基づくのなら、彼女の存在をジョーカーが知っているはずがない。なんせ彼女は偶然、落ちていた腕輪にその存在を滑り込ませたにすぎないのだから。ある理由も加味して、前述したとおりフーがジョーカーの目的だということもないだろうと思う。だったら少なくとも、ジョーカーと繋がっている人間が二人のうちどちらかだとして、何も動揺がないというのはいくら何でも少し考えにくい。

「仮に二人のどちらかが超演技派の内通者でお前の存在を知覚出来ていたとして。仮にだよ、ジョーカーの性格ならおそらく朝の電話でそれを話題に振ってきてたと思う」

 しかしそうはしなかった。

「ジョーカーがそれを知っていることを仄めかさなかった、ということはつまり、その内通者もお前の存在に気づいてないってことだ。よって二人は内通者ではあり得ない」

『納得しかねるな。お前の言っていることはすべて仮定の範疇を抜け出ない』

 フーの反論は最もだった。同じ立場で話を聞いていたら僕だってそうしただろうな。

「ああ、確固たる証拠はない。だから、おそらく白、なんだけどね」

 ジョーカーがそれを話に振ってこなかっただけだ、ということだってあり得なくはない。可能性として高いとは思わないが、それは決して0ではないのだ。

「ま、そんな可能性、除外して差しさわりはないさ。その内通者がそれほどまで巧妙に人を欺く能力を持った存在だとするなら、僕にそれを突きとめるのは不可能に近い。だからそんなことは端から考えないでいい。『おそらく白』で既に十分条件を満たしてるんだよ」

『どうかな。打開策を模索しないのは賢明とは言い難い。すべての可能性には真摯に立ち向かうべきだ』

 そうは言うがな、フー。

「何かあるのか? アーティストかそうじゃないかを確かめる確実な方法、とかさ」

『ない』

 ないのかよ。

「だったら僕の推論に変なケチつけるなよな」

『何を。ケチをつけてほしいから私を使ってわざわざ考えをまとめているのだろう』

「む……」

 鋭い。やはりこいつを話し相手に選んだのは正解だったのかも。

『どうしても確かめたいのなら、ある程度アタリをつけて策をぶつけるしかないな』

 僕は体表面が紫外線を吸収していくのを切に感じつつ、チャイムが鳴ることを暗に期待しながら腕輪を持ち上げる。

「アタリねえ」

『ないのか? 心当たりは』

 そんなものがあれば苦労はしないよ。

『あるんだろう』

「ない」

『……』

 黙りこくる腕輪。

「……」

 僕も負けじと黙る。が。

「……あるけどさあ」

 暑さに負けた。制服の肩で汗を拭いつつ、やれやれと目を瞑る。屋上の床は目に優しい緑色だったが、照り返しがないわけではない。正午を過ぎればこの場所も日影になるのだが、残念ながら今はまだ八時半過ぎだ。この時間帯にこの場所で日光浴とは実に健康的である。暑いです。

『私に隠し事をする必要はない』

「この世の中で完全に信用できるのは自分自身だけだからな」

 嘘じゃあない。それは絶対的な真実だ。

『そこまで重要な事項でもないだろう』

「……それはそうだけど」

 あまり進まないんだよ、まだ固まってもない考えを他人に話すのは。

『思考整理が目的ではなかったのか? 本末転倒だな』

 フーが大人びた言い回しで冷たく言い放つ。全くだった。言葉にも熱があれば少しは涼しくなれただろうか。

「僕の悪い癖だな……」

 悪い癖だらけじゃないか、僕。

『それに私は貴様が眠っている間ならばいつでも貴様の記憶と思考を覗くことができるからな。隠し事などしても無駄だ』

 僕のプライバシーはいずこに!?

 というかそういうことは早く言えよ!

『言ったからといってどうにかなるものでもなかろう』

 いや、お前が僕の記憶及び思考を覗くのをやめればそれで万事解決だろ。

『私は徹頭徹尾他人の助言や茶々によって考えを曲げないと決めているのだ』

「…………」

 あ、なんか今普通にこいつを殴りたくなった。

『む、今貴様、誰かを殴りたくなっただろう。誰だ、貴様を怒らせた輩は」

「…………」

 わざとなのか?

『む、怒りが引いていくな。お前ほど感情のコントロールが上手い人間は見たことがない』

「……それはまあ、どうも」

『扱いやすいやつだ』

「お前を殴る!」

 僕は右手の腕輪にうなる鉄拳をぶち込んだ。ごっどしゃいにんぐふぃんがー!

 …………痛い。

 仕切り直し、仕切り直し。

「それでまあ、そうだな」

 気を取り直し、今までの事実から推測できることを一つずつ、確実に言葉にしていく。

「アーティストである子どもは通常、表の学校には通わない」

 僕は少し離れたところから真実への溝を埋めていくことにした。これはついさっき通学中に畑中から聞いた話だ。(まだこれは魔術云々の話題圏外だと僕は勝手に認識している)

「何か特別な養成施設があるのか、それとも裏の世界にも学校があるのか。それは僕の知るところじゃないし、知りたいとも思わないから聞かなかったけど」

 話しを聞く限りだが、大体にして封じ屋は、裏の人間が表の学校に通うということはそれ自体が表のバランスを崩しかねない危険事項と認識しているようだった。勿論畑中本人は例外で、彼女の仕事の都合上通学を許可されているらしい。

「それを踏まえてまたここに戻るんだけどさ。そもそもジョーカーはなんで僕がジョーカーと呼ばれたことを知ってたんだっけ?」

『それこそが今の論題だろう。二年二組のメンバーにジョーカーとの内通者が混じっていたから、だ』

「その通り」

 フーの口にしたことは実に至当だ。

「だけど」

 ここで少し立ち止まってみるべきだ。

「そいつが二年二組に混じってるのは僕の情報を伝えるためじゃない。というのが僕の考えだ」

『何?』

 そこなんだよ。

 そもそも。

「ジョーカーはなんで僕を殺そうとしていたのか?」

『この腕輪……それを手に入れるため、だろう』

 フーが律儀に答えてくれる。そうだ。そして。

「そこに一つの――矛盾が存在する」

 一つの特異点、そこに介在する矛盾点。

 すべての原点はやはり三日前の六時間目から放課後にかけてにあるのだった。

『それで、何が矛盾なんだ?』

 僕は湿気を少なめに含んだ夏の大気を、胸いっぱいに吸い込んだ。

「二年二組には、確かにジョーカーと繋がっている人間――アーティストがいる」

 ほぼ間違いないと見て構わないだろう。そしてそれは通常裏の人間が表に長時間存在し干渉することを嫌うことからして、間違いなく特殊な措置といえた。ジョーカーだって裏の人間である以上、下手に表の世界をぐらつかせるような真似はまずしないはずだ。

「だが」

 そいつが僕のクラスにいる目的はなんだ?

『お前の動きを観察しジョーカーに伝達する為……、……。なるほどな』

 フーがはっとしたように呟く。

 そう。

「おかしいだろ」

 僕も納得しかけてた。でも絶対的にあり得ないことが一つある。

 ジョーカーの目的は僕から腕輪を奪うこと。そしてその為に二年二組の誰かを介して、情報を得ている。ずっとそう思っていた。いや「僕から奪う」というのは後付けされた余分にすぎない。彼はあくまで腕輪が手に入ればそれでいいのだ。最もその理由は未だ不明だが、そこに無駄が介入する余地はない。

 そして僕が観察、監視されていることは既に明らかである。だがしかし。

「僕が監視されている理由がこの腕輪である以上」

 僕がこの腕輪を手に入れる以前の情報を。

「僕がジョーカーと呼ばれた事実を」

 ジョーカーの内通者は得て、どうしてジョーカーに伝えたんだ?

 僕は金曜日の六時間目その時点では、ジョーカーらにとって全くマークする必要のない、いわば部外者だったはずだ。

『……つまりもともとジョーカーが二年二組に配下を置いていたのは』

「初めから僕を観察するためなんかじゃなかったんだよ」

 そして僕を観察するための内通者じゃないとすれば、奴には。

『何か他の――』

「目的がある」

 僕とフーは声を揃える。果たしてそれは何を意味するのか。

 内通者は二年二組で起きた出来事を日常的にジョーカーに伝えていた。

 たまたま? そんなことは前述からしてあり得ない。さらに二年二組に内通者が存在している理由は僕なんかではなかったのだ。奴には二年二組の何かを観察し、日ごろから情報を得る必要があったということだ。その過程にたまたま僕という予定外の因子が飛びこんだ。

 そう考えるのが至極自然な思考過程というものだろう。

 ピースが一つ、ハマった。

 まだまだ辺を埋めている段階のジグソーパズル。何の絵なのかもまだ見当が付かない。それでも繁雑に散らばり過ぎたピース、その数を一つでも減らせたことは大きな一歩だった。

 重要なのは、そう考えることによって一つの可能性が浮かび上がることにある。

『ほぅ。おもしろい。聞かせてみろ』

 僕がいい気になって口を開こうとしたときだった。

 キーンコーン。

 通常のチャイムよりも短めの予鈴が気だるい音色で始業五分前を告げた。

「……もうこんな時間か」

 やはり五分は長いようで短い。どうせ放課後にはまたあの場所に行かなくちゃならないし。

「お楽しみは後に取っておく、ということにしとこうぜ」

『そうか、それもいいだろう』

 あの胡散臭い男にも聞かなければならないことがたくさんあるのだ。

 ともあれ、何よりもまずは授業第一。勉学は学生の本分だからな。

 僕はようやく太陽光から解放されたことを内心喜びつつも、相対的に涼しさを覚える陰りの校舎へと足を運んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ