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19.けーたいは誰のもの?

 時刻は八時ジャスト。まだ人のいない教室に佇むようにして、美咲は立っていた。窓から吹き込む朝方の涼風と、それに乗って飛び込んでくる蝉の声に肌をもまれながら、美咲の意識は彼女の手が握る何かに向けられている。

 先ほどまでの泣きっ面はそこにはなく、彼女はかなり集中して手の何かを一生懸命いじっていた。教室の入り口に立つ僕に気づかないところを見る限り、相当だ。鞄も両肩にかけっぱなしだし。

「美咲?」

 畑中には教室の外で一時待機しておいてもらって、とりあえず声をかけてみた。

「ふぇっ!」

 すると美咲は不必要なまでに驚いて、冷えた手を背中に入れられでもしたかのように大きくビクンと身体を震わせる。そして、ギギギ、と注油の必要性を感じさせる動作で首をこちらに回し、僕を発見してもう一つ驚きに声を上げた。

「ほわわわわわっ! 椎ちゃん!」

 大仰な身ぶるいに合わせて、細長いツーテールがぶらぶらと揺れる。

「どうかしたの?」

「え、え、え? どど、どうもしてないよっ! 今日も太陽は西から昇るのだ!」

 そう簡単に地球の自転が逆回転になっていては堪らない。どうやら、何かがあったようである。そしてその原因はおそらく、その手に握られた機械にあるのだろう。

「それ、君の携帯電話じゃないよな」

 シックなシルバーのボディ、何の装飾もないシンプルなデザイン。今時の女子高生が好んで持つ物にしては、あまりに似つかわしくない。無論、美咲の趣味でもないはずだ。彼女の派手な携帯電話なら何度か目にしたことがあるし。

「うぇっ!」

 僕の指摘で、美咲はあからさまに動転した。汗がだらだらと頬を伝っているのは夏だから、という事由だけではないだろう。

「ち、ちちち違うもん、この汗は暑いからだもんっ!」

 これほど典型的なまでのやり取りも、美咲だからこそ許されるのかもしれないな。と、「かわいいは正義」理論で目の前の少女を美化しつつも、僕は美しく整頓された机の合間を縫って彼女に近寄る。

「で、それは何なんだ?」

「えーと、えーとね」

 目線を右上にそらして、口をもごもごさせる美咲。何だ? たかが携帯電話だぞ。何をそこまで動揺することがあろうか。まあ、何だって構わないけど。それよりもまず、関心を寄せられるのは美咲がしているだろう勘違いについてだ。早いところその誤解を解いてしまわねば、朝連を終えた生徒たちが教室にやってくる。それはそれで好ましい状況とは言い難い。

 と僕が若干の焦りを募らせる一方で、パッチリお目目を四方八方に動かしつつもじもじする美咲は、一瞬その目線を僕に止めたかと思うと、思いがけない行動にでた。

「はいっ!」

 ペコリ、と彼女がお辞儀をするような形で差し出されたのは、いぶし銀の携帯電話。

「……はい?」

 律儀にも両手を使っている。賞状か何かの受け渡しでもしているつもりだろうか。そんなに大層なものでもあるまいに。それにその格好は、僕にその携帯電話を贈呈する、という風にも解釈可能である。あるいは、新手の健康体操とか。

「健康体操じゃないよっ!」

 美咲が顔を上げて叫ぶ。まあ、だろうね。

「僕にそれを取れと?」

「うん」

「……まあ、いいけどさ」

 僕は訳が分からないまま、美咲の手から軽い携帯電話を受け取った。

「で?」

「それ、椎ちゃんの」

「言っている意味が分からない」

「それ、椎ちゃんの!」

 語尾を強調して、美咲は同じセリフを繰り返す。だから意味が分からないのだが。

「だって、だってだって!」

 両手を体側でぶんぶんと振りまわし、だってを連呼する美咲。どうでもいいが、いい加減後ろに背負った鞄を下ろしてほしいものである。見ている者にとってはいささかの不安定感がある。

「それ、椎ちゃんのなんだもん」

「だから、意味がわか」

「電話かかってきたんだもんっ!」

 あぁ? 僕は手に持った携帯電話に目を遣る。びっくりするほど薄いそれは、ちょっと強く握っただけでぽきりと折れてしまいそうだ。残念ながら僕は携帯電話なんて代物に生涯縁も所縁もなかった男であるからして、当然この機械の使い方も分からない。まあおそらく、携帯電話というくらいなのだから電話をかけることができるのだろうが。

「それで、電話がどうしたって?」

「なんかね、なんかね。さやが教室に入ったら、さやの机の下にそれが落ちてたの」

 畑中を呼びいれるタイミングを完全に失してしまったなあと考え、携帯電話を手の中で転がしながら、僕は美咲の話に耳を傾ける。

「誰のかなあ、って思いながらそれを手に取ったの。落ちたままだと邪魔で座れなかったもん」

 ぴょこぴょこと、身体のサイズに見合った小さな手を動かす挙動がいちいち可愛らしい。畑中がリスならば、こいつはさしずめウサギだろう。ツーテールは垂れた耳、とか。なかなかに的を射た比喩かもしれない。

「そしたらね、急にそのケータイ鳴りだしちゃったのっ」

 ほう。

「周りに誰もいなかったから、あたしそれに出ちゃったんだ。もし誰かの落し物だったら、その人が自分のケータイ探すためにかけてきたのかも、って思って」

「それで、相手は誰だったんだ?」

 そして一体、どういう経緯でこれが僕の携帯電話だなんていう素っ頓狂な結論に至ったというのだろうか。

「んとね、知らない声だったんだけど、すっごく声の綺麗な男の人だった」

「声の綺麗な、男?」

 僕の脳裏をちらりとよぎる一つの単語。ぴたりと、背中に付き纏うような不吉すぎる黒い予感。

 いや、まさかな。

「そいつがこの携帯電話は僕のだ、てなことを口にしたのか?」

「さっすが椎ちゃん、物わかりがいいねっ!」

 美咲は両目を不等号みたいに瞑って、親指を立てた拳を勢いよく僕に突き出す。閑散とした教室に彼女の声が響き渡った。一瞬、会話の途切れ。

「……物わかりがいいねっ! じゃないだろうが」

 君はそんな見知らぬ男の言葉をほいほいと信じたっていうのかよ。

「う。だって、そう言われれば、そうなんだー、としか言いようがないじゃんっ!」

「だからって馬鹿正直にそれを僕に突き出すことはないだろ。せいぜい、これは八代椎奈の持ち物ですか? と僕に是非を問うくらいが妥当な判断だ」

「違うのっ! それを椎ちゃんに渡してほしい、って言われたのっ! だからそれは椎ちゃんので合ってるのっ!」

 あぁ? 

 なんだそりゃ。

「……なんなんだよもう面倒臭い」

 幾許のいらつきからか、本心が口をついて出てしまう。

「僕が携帯電話を持たない主義なの、知ってるだろう」

 右手で前髪をいじりながらぼやく。

「う。そうだけどぉ」

 美咲は見上げる僕から目をそらして、ぼそぼそと呟いた。僕だってそれを聞いた今、青息吐息の真っ最中ではある。

 僕に渡してほしい? 何を馬鹿な。誰の悪戯だ。

 今から学校をでて警察に持っていってもいいが、それだと一時限目に間に合うかどうか怪しくなってしまう。まあ、いいや、今日一日くらい。電源を切っておけばさして問題もないはずだ。僕は小さく息を吐きつつ、ズボンのポケットにシルバーの『けーたい』とやらを滑り込ませた。

「それはいいとして、もう少し敷衍した説明を要求させてもらおう」

「ふ、ふえ?」

「ふえん、だ。詳しく説明してもらおうか、という意味だよ」

「なんでよ、今のでケータイに関するお話は全部だもん!」

「今の話のどこに君が動揺する要素があったんだ」

 いや全くない。美咲があそこまで狼狽していたことには何か理由があるはずで、それは今の話の中には見受けられなかった。ということで、彼女はまだ何かを隠している可能性がある。

「かかか、隠してることなんて、なな、ないもんっ!」

 隠し事判定。

 ◎。

 隠し事アリ。

「言いなさい」

「な、ないもん!」

「…………」

 じぃ、と顔を近づけて彼女の漆黒の瞳を見つめる。が、その目線をうまく捕捉できない。その大きな黒目は、ものすごい速度で泳ぎまくっていた。

「なな、ないったらっ!」

 美咲はなお頑なに、否みの言葉を繰り返す。そこまで言いたくないのならば無理やり言わせるのも問題かもしれない。と、果てに僕はそう考え始めていた。今までの経験からしたって、下手に言い寄ったところで口を割るような人間でもないのだ、この娘は。隠し事があることはすぐにばらす癖に、その先が堅い。

「……、まあいいか」

 僕は林檎の色で常に頬に朱の差している彼女の顔から、ゆっくりと頭を離す。今日も一日は長いのであるからして、無駄な労力は省いておくべきだろう。

「それでだな、本題は別にけーたいのことじゃない」

「う。だよね」

 だよね? 彼女の返答にどこかしらの違和感を覚えつつ、話を続ける。

「僕の家に畑中がいただろう」

「うん」

「……?」

 美咲は、そこで停止した僕を見て、ぱちくりと瞬きした。

「うん? どしたの?」

「いや」

 なんだ、先ほどとは打って変わって冷静だな。時間をおいて落ち着いたのだろうか。少し返事が素直すぎる気がしなくもないが。

「それで君、何か勘違いしてるよな?」

「あー、うん」

 今度は生返事である。この心境の変化は一体なんなのだろう? わからない。つくづく女子という生き物の思考回路は理解に苦しむ。

「とりあえず、僕と畑中はそういう関係じゃないから」

「うん、わかった」

「…………」

 わかった? 

 今ので何がわかったんだよ。

 おかしい。いつもの美咲なら、ここで最低でも「じゃあなんで穂波ちゃんが椎ちゃんの家にいるのっ!」とくるはずである。のだが。

 穏やかに僕を見上げる少女に、その気配はない。これはどう考えても異常だ。

「おい、美咲」

「ふぇ?」

 そしてあくまでもきょとんとした様子を装うつもりらしい彼女に向かって、僕が最も可能性としてあり得そうなことを言霊にしてぶつけようか、という。

 その時。

 ポケットの中の携帯電話が、僕の言葉を遮るかのように突然振動し始めた。

「……!」

「あ、それ電話かかってるよっ」

「そうなのか?」

 言われて、一定周期でぶるぶる震える銀色の携帯電話をズボンから取り出し、拙い手つきで開く。いかに僕といえど、さすがにこれくらいの操作方法は心得ていた。

 たくさんボタンがあるな。たぶん、この真ん中の一番大きなボタンを押せば通話が可能なはずだ。そして人差し指でそれを押そうとして、僕はふと電気的な光を放つ液晶画面に目をやる。

 そして、見つけた。いや、それは的確とは言えないだろう。

 見つけてしまった。

 僕は気づいていた。そこにそれがあることに。勿論、気づきたいとは思わなかった。気づいた、という事実にするのが嫌だったから。いずれそうなるのなら、いつその行動を完了したとて結果に変化は生じないのだが。どちらにしろ僕がそれを視界に入れた時点で戦慄することくらいは予想がついていた。

 だから。

 不吉な揺らめきと対照的に騒がしいまでの電子的点滅、それが一体どれほど僕に不愉快と敵意に満ち満ちた顔を作らせるのか、僕自身にはわからない。だが、そこまで計算されたようなそれを見つけて僕は、まるで自分の立っている教室の床板がグラグラ揺れて溶け去っていくような、強烈な不安定感を覚えたのだ。

 携帯電話の液晶画面に浮かんで点滅する、今や僕にとって苦渋と業腹の象徴ともいえる、五文字を見つけて。

「どうせ」

 どうせそんなことだろうとは思っていた。

 躍るようにして僕を嘲笑っているその五文字とは。

 j・o・k・e・r。

 吐き気がする。最悪だ。

「しぃちゃん?」

 そこでふいに美咲の心配に満ちた視線を見つけて、僕は思わずほんの少し顔を柔らかくする。眉間によった皺が伸びたのを感じた。

「……ああ、悪いけど少し席を外させてもらう」

「うん、わかったっ」

 無駄に元気よく返事をする美咲を早々に後ろにして、僕は震える携帯電話を手に教室を出た。

「あ、八代君」

 ドアのすぐ横、隣の教室の前に畑中が立っていて声をかけてくる。

「悪い、君が適当に美咲と話をしておいてくれ」

「え?」

 その前を早足で通り過ぎ、すれ違いざまに一方的な頼みごとをした。

「あの、ちょっと、どこに!」

「屋上だよ。いや、やはりついてきたいならばついてきてくれても構わない」

 そう言って僕は、廊下で抜き去った畑中へと身体を回す。そして、歩み寄ってきた彼女に向かって右手の携帯電話を突き出した。

「携帯……?」

「よく見るんだ」

 そう言って、もう一段ぐいとそれを畑中の顔に近づける。そして。

「……? ……っ!」

 それを見つけた畑中の眼が一度は驚きに見開かれ、かと思えば数瞬にしてその眼に鋭く瞼がかかった。

 緊迫した空気をぶち壊すかのようにどことなく滑稽なリズムで震え続ける携帯電話は、僕たちをからかっているかのようだ。

「本物ですか?」

「さあね。他にこんな粋な悪戯を思いつく奴がいるのならそいつが犯人なんだろうぜ」

「……そうですか」

 僕はそれだけ言って、さっさと畑中に背を向けた。そして屋上へ向かう階段へと早足で歩きだす。畑中はそれ以上何も口にせず、黙って僕の後をついてきているようだった。

 何らかの形でコンタクトをとってくるとは思っていたが、大胆なやり方だ。とはいえ、妥当だという見方も可能ではある。奴の狙いがそういうことなのならば。

 だが何よりもまず、美咲を巻き込みかねないそのやり方には腸が煮えくりかえる。下手をすれば、彼女だってこちら側に指先一寸くらいは突っ込んでいてもおかしくないだろう。

 彼女は関係ないんだ。

 僕だって巻き込まれた形なのに、これ以上他人を巻き込んで堪るものか。僕を当事者に仕立て上げた奴が一体どんな存在なのか見当もついていない今だって、僕はそいつを少なからず恨んでいる。そんなことが美咲にあっていいはずがない。

 ……これはジョーカーの挑発だろう。

 今のタイミングでの電話。それ以前に教室に携帯電話が置いてあったこと。いや、もっと前からだ。

 二人分の靴の音を朝の校舎に染み込ませながら、僕たちは早足で階段を上っていく。

 繋がる。出来事を過去にさかのぼり、青い光の糸が僕の記憶の闇の中に浮かぶコンテンツを、一つの線上へと結び付けていく。結果として。

 僕がジョーカーであること。

 帰結はやはり、ここになる。

 そして最終的な結論はズバリ。

「2年2組にジョーカーと繋がっている人間がいる……ということになる」

 僕は暗がりの階段を2階層分一息で登り切り、屋上につながる鉄戸を開け放った。

 そして左手の人差し指で力いっぱい、通話のボタンを押しこんだのである。

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