18.ツーテール
僕は足音を立てないようできるだけ摺り足で玄関に近づき、恐る恐るドアに耳をくっつける。ペタリ、と。
「しーぃーちゃーん! きったよーっ!」
分厚いドア一枚を通して若干の曇りはあるものの、それでも明るく陽気に響く少女の声が僕の耳朶を打った。
……うわあ、マジかよ。
「おーい、そこに居るのは解ってるんだゾ! 無駄な抵抗はやめて出ってきっなさーいっ!」
厚くはない板一枚を隔ててすぐそこに、ヘラヘラ笑いながら僕の登場を心待ちにする少女の童顔がいとも容易く脳裏に浮かんだ。
こうなっては、押し売りに対する天下の必殺技『居留守』を使うという手もある。そうだ、それがいい。というかもうそれしかないな。と、腹をくくって僕がドアから耳を離そうとした刹那。
「椎奈ー、出てこないとぶん投げるぞー」
打って変って野太い声が僕の名を呼んだ。関田まで居るのか。いや、居て当たり前だけど。それより、開口一番シャレにならない脅しかけだったような。
「そうだゾ、あたしもぶん殴るのだっ!」
少女よ、あなたも武力行使に出るおつもりなのですか。そうなると本格的に僕の命がやばいことになるのだがね。
『友を待たせるのは関心しないな』
と、高音域のフーの声が、腕輪の中からではなく僕の耳の横で響く。いつの間にかフーは、青髪を伸ばした人型にその姿を現していたのである。そしてそうあるのが当たり前とでもいった風に、僕の左肩に腰掛けていた。
「んなこと言われてもね。あいつら絶対僕の家に上がり込んで弁当のおかずつまみ食いするのが目的だからな、今中に入られたらまずいし……って!」
ひそひそ声の甲斐もなく、最悪の事態が発生した。
ガチャリ。
痛快に鳴るそれは、フーの小さな子供みたいな手がドアの鍵を開けた音だった。やってしまった。こいつ、マジで何にも考えてないとしか思えない。
『いや、いろいろ考えてはいる。慌てる貴様のパニックフェイスを見てみたい、とかな』
「最悪な奴だ、お前は!」
いっそもう一度鍵をかけ直してやろうかとも思ったが、ドアを目前にして待機している連中である、一度鍵が開いたことくらいは視覚的にも聴覚的にも認知可能だろう。となれば、もう一度閉めたところで奴らが僕の家の玄関前から退去するとも思えない。この板一枚隔てて今そこに居るのはそういう奴らだし。
「お、ひろ君ひろ君っ! 開いたっぽいよ?」
案の定である。
「ぽいが……出てこねえじゃねーか」
「君は完全に包囲されているぞー、観念して出てきたまえーっ」
どうしてこう朝からテンションが高いんだろうねこの娘は。方向性は畑中とまるで正反対だが、ドア越しに声を聞いているだけで疲労感が蓄積していく点のみにおいては、二人の少女は似ていると言えなくもない。などと考えて油断していたのがいけなかったのか。
ゴチン。と、鈍い音が頭蓋中に響いた。
「あいてっ!」
お星様が数個目の前でくるくるりと回り、開いたドアと人影の隙間から差し込む朝日が目に眩しい。僕はくらくらしながら千鳥足で数歩後ずさり、ここのところ異常なまでに打撃事故の多い額を反射的に押さえた。じぃん、と鈍い熱さが込み上げる。
「おー、悪い悪い。椎奈、開けるぞー」
「開けてから言うな!」
「なんだよ、朝からカリカリすんな。幸せが逃げるぞ」
誰のせいだと思ってるんだ。
「ドアをさっさと開けないお前のせいだな」
いや、でも不可抗力というか、僕にだって言いたいことはある。
「……ごもっともでした」
まあ、言わないけどね。
『まったく、ごもっともだな』
どうやら二人に、僕の左肩に乗るフーは見えていないらしかった。そして声も聞こえていないのだろう。反応がまるでない。最も、イライラするのは僕だけで十分だが。
よかった。
まあ、とりあえず今はどうでもいい自己責任云々よりもまず、関田らをなだめすかして先に学校に行っていただくのが先決だろう。僕は涙のうっすらにじむ目で視界前方をしっかりと直視する。
日の光を遮るようにして僕の家の玄関先に立つのは、制服を着た大柄な男と、同じく制服を着た小柄な少女。その身長差には目を見張るものがある。それもそのはずどっちもどっち、関田は身長一九〇オーバーの巨漢だし、その隣で輝きを放たんばかりに微笑む少女は身長一五〇アンダーなのだから。
関田は相変わらずのスポーツ刈り。ところで髪の毛というものは、人にとって『威嚇』の意味合いを持つこともあるらしい。俗に言う不良さんたちの髪型を見てみれば、その通りだと言えないこともないのではなかろうか。
では短く刈りそろえられた髪の毛は、威嚇などする必要もないという彼の腕っ節についての自信の表れなのだろうか。全くもって興味はないが。
一方で関田の隣の少女も、関田の馬鹿でかい図体に負けず劣らず強烈な存在感を放っている。その主因としてはまず、長く伸ばされた髪の毛を二本に束ねた髪型、ツーテールが挙げられた。赤みがかった髪の毛は一本一本が繊細で滑らかな質感で、よく手入れが行き届いていることが一目ですぐに分かるだろう。これまたどうでもいい話だが、巷でよく言われる「ツインテール」は、正しくは「ツーテール」と言う。
而してそのツーテールであるが、小柄な体躯も相まってか、腰のあたりまで伸ばされた髪の毛は少女のプレザンスを際立たせるのに十分一役買っていた。これはさすがに威嚇ではないだろうが(いや、ある意味威嚇なのかもしれないけど)それにしても圧巻の髪の量だ。見る度ごとにその長さが伸びている気がするのだから、恐ろしい。呪われた日本人形を彷彿とさせた。
「なによ、その気持ち悪いイメージ! 怒るよっ!」
僕のモノローグに勝手に突っ込みを入れるのはやめていただきたく候。
「顔に書いてあるから読めるんだもんっ!」
ぐ。なんだ、僕の心ってやっぱり読みやすいのか?
「違うもーん、さやがすごいだけなんだもん」
「……さいですか」
とまあ、このお調子気取りな性格もまた、彼女の存在感バッチリの理由の一つであろう。今更ながらこのチンチクリンは僕のクラスメイト、美咲 沙耶花だ。女子の癖に僕や関田とよくつるんでいる、少し変わった女の子。
目のぱっちりした顔立ちは、総評中の上(自称)である。ちなみにそれは謙遜のしすぎだ、というのが専ら僕と関田の通説だ。多くの時を共有するからこそ、彼女の顔立ちを否応にも他の女子と比べてしまう。
ふむ。ここ数日顔を合わせていなかったが、やはり彼女は可愛いという分類に間違いない。僕がこんなことを言うのもどうかと言う話だが、畑中といい勝負だ。
「で、お前。制服着てるってことはもう行ける準備万端ってことか?」
僕と美咲のかけ合いを黙って眺めていた関田は、太い声で僕に言う。
「あ、いや。実はまだやることがあってね。だから先に行っててくれな」
「そうか、じゃあ中で待たせて貰う」
「僕の話を聞けよ」
「しぃちゃんのお弁当もーらいっ!」
「あ、おい!」
などと声をかける間もなく、学生鞄をリュックのように背負って僕の脇を駆け抜ける小柄な影。その長い髪をつかもうとするも、滑らかな感触は掌をするりと抜ける。どこでそんなスキルを身につけたのか一秒足らずで靴を玄関に脱ぎ棄てると、美咲は制服の青いスカートを翻して僕の家の廊下をどたどた駆け抜けていった。
なんともお行儀が悪い。
「美咲! 待て、リビングには入」
「ああぁぁぁあぁあぁぁあぁぁあぁぁあぁあぁっ!」
阿鼻叫喚なまでのその叫び声で、僕は悟った。
事態はもはや手遅れだ、ということを。
「……はぁ……」
「溜息か。また幸せが逃げるぞ?」
「いいんだよ、既に幸せなんてものからほとほと愛想を尽かされてるんだ、僕は」
それよりどうするんだろうな、この状況。朝からこんなことになるとは。今日はこいつらが僕を家まで迎えに来る予定になっていた、ということは土曜日の時点では覚えていたはずなのに、一日睡眠のせいですっかり記憶が欠落していた。
そういえば土曜日目覚めた時は一三時間睡眠だかを悲観していた気がするが、今朝の寝起きを考えればそんなものは目でもなかったわけだ。僕の寝起きは概念ごと一新されたと言っても過言ではない。
とにかく。僕は右手を額に当てた。
「やれやれだ」
「ん」
と、関田は僕の右手を見て、何かに気付いた声を上げる。
「お前、その青い腕輪まだつけてんのか。こいつは相当なお気に入りと見たぜ」
「お気に入り? ……馬鹿言うなよ」
この腕輪はちょっとした事故みたいなもんだ。
「外し方が分からないんだよ」
「はあん……なるほどな」
何を勝手に納得したのか知らないが、まあこいつは放っておいたところで大した問題もない。適当にあしらっておくのが吉である。
それよりも、先ほどの叫び声から忽然と消え失せているリビングの物音のほうが問題だ。びっくり仰天の美咲は騒ぎ立てることとばかり思っていたし、そうしてくれたほうが対処は楽だったろうからこれは想定外である。関田だけならばまだマシだったものを。知られたのがまずあの美咲だからな。厄介だ。
「んうー……」
観念するか。
「で、椎奈。さっきの美咲のすくりーむは何だ」
「お前がセリフで英語使うと不自然だからやめとけ」
平仮名になっちゃってるじゃないか。
「む、そうだな、身の程をわきまえる。で、さっきの美咲の鬼火は何だ」
「スクリームの意味は鬼火じゃないよ、叫びだ! 全然違う!」
お前の頭の中の一体どこで意味が入れ替わっちゃったんだ? スクリームって口にした時点では意味わかってたんじゃないのかよ。
「ん、そうだったっけかな。まあ、俺日本人だし」
それ以前の問題だろ、どう考えても。
「で、あの叫びはなんだったんだ?」
「……これから追々説明するよ」
したくなくてもしなきゃならないだろうしな。
「美咲ー、どうしたー」
なんとも白々しい呼びかけを慣行しつつも、僕はリビングへと足を向ける。後ろから関田がのそのそとついてきた。今更関田を止めたところで意味は微塵もなかろうから、僕はそれを容認して歩を進める。
そして荒々しく扉の開け放たれたリビングの全貌が、僕の視界に入ろうかと言う時に。
「……ふえぇぇぇぇぇ……」
「…………」
あれえ?
鳴き声、いや泣き声。女性の。女性と言うより少女の。
あれ、泣いてる。泣いているのは美咲。俯いた美咲の後ろ姿。対するは畑中、彼女の表情もまた驚きに強張っている。その手には通学カバンが持たれていた。その中からきぃきぃと獣の声が漏れている。あの猫耳毛玉だろう。だろうけどそんなことはどうでもいい。
これは一体。
「うぅ……ふぅぅ、し、しぃ、ちゃん……ふ、不潔だよぉ……」
「どういうことでございましょうか!」
なんとなく意味はわかるけど分かりたくない。
「げっ、畑中じゃねえか!」
そしてその後ろから飛ぶ関田の声。
カオス。
平成のリビングはまさに混沌そのものである。
「……畑中、美咲に何か言ったりしてないだろうな」
「し、してません! 断じて!」
あの畑中が動揺しているぞ。これはこれでレアな光景だな。とか、そんな悠長な感想を持てる場ではないので、とりあえず僕は美咲をの肩をちょんちょんとつついて、こちらを振り向かせた。
「美咲、落ち着け。とりあえず落ち着いて僕の話を聞くんだ」
そしてその両肩に手を置く。
「ぅ……?」
「ほーら、大丈夫だから。決して僕は不潔じゃな」
「ふわあぁぁぁぁん!」
泣きに泣く美咲。何がそんなに彼女を悲しませるのか皆目見当もつかないが、僕の説得は彼女の耳に届くことすらなさそうだ。
こうなると泣きたいのは僕のほうである。
「……なるほど。いや、なるほどじゃあねーが、椎奈。わかった、とりあえずわかった」
「何がだ」
変にひきつったまま固まってしまった笑顔をそのままに、短く関田と会話をこなす。
「今この状況がとんでもなく面倒臭いものだということが、だ」
おお、さすがは関田だ。物わかりがいい。そして僕の頬っぺたは今にも攣りそうだ。
「あー、なんだ。とりあえず落ち着け、美咲」
関田は言葉を口にしつつも、僕の脇を抜けて美咲の頭にそのでかい手をぽんと置く。
「ひ……」
すると、美咲の大泣きがピタリと止まった。かのように思われた。が。
「ひ?」
関田が聞き返した瞬間である。
「ひろくんの…………バカああぁぁぁああぁぁあぁあああぁぁぁぁああぁぁぁぁっ!」
今世紀最大級の爆弾が爆発した。そんな錯覚を生む程に生々しいすくりーむがその場にいた美咲以外の三人の耳をつんざいた。
あたふたする僕と関田。それをうろたえつつ遠巻きに眺める畑中。そんなことはよそに泣き叫ぶ美咲。
この際もうフーでも誰でもいい、助けて下さい。
『青春だな』
前言撤回、フーはどこかに行ってください。
「まて、落ち着けって!」
「そうだ、落ち着きなよ、美咲!」
「知らない知らない知らないっ!」
そして彼女はもう一つおまけに「ひろくんの大バカやろーっ!」という台詞を関田に投げつけるなり、
「どたばたと何にかから逃げるようにして、リビングから出て行ってしまった」
「何言ってんだ、お前!?」
しまった、あまりの驚きにモノローグが口から駄々漏れしてしまったようだ。
「で、追いかけなくていいのか、関田」
「馬鹿か、この場合追いかけるのはお前の役回りなんだよ」
僕の役回り? なんで。
「なんででもだ」
そうかい。ま、どうせ追いかけるつもりではいたけどさ。
「ああ、その間に俺は畑中から事情を聞いておくから。あー、何か訳アリなんだろ?」
「ああ、まあ、うん」
ここで、返答が滞る。やばい。
何がやばいって、その提案には非常に問題があるからである。
「やっぱり追いかけるならみんなで一緒にしないか、早くしないと学校にも遅れちゃうし」
「お前が、一人で、追いかけろ」
しかし関田はきっぱりと言い切る。何故だ。そりゃあすぐに追いかけた方がいいのかもしれない。でも僕一人でってことはないだろう。僕はチラリと、机の前で鞄を胸に抱えて石になっている畑中を一瞥した。
「あー……」
その彼女に向って、僕は口を開きかけたが、その初めの一単語を述べる間もないままに畑中は頭がちぎれそうな勢いで首をぶんぶんと横に振った。栗色の髪の毛が左右に振られて乱れる。
ですよね。それならばなおいっそう、僕だってそうだ。
問題とはつまり、僕と畑中がそれぞれバラバラに言い訳を立てて関田と美咲に説明をした場合、それぞれの言い訳が食い違って後々問題が発生するだろう、ということだ。そして僕は、相手の言い訳をうまく予想してそれに合わせて言い訳を作るなんていう人間離れした技術は持っていないわけである。それはアーティストにしても同じらしかった。
大体にして往々、僕がこれをもともと畑中と話し合っていなかったのは馬鹿だったとしか言いようがないが、それにしてもつまりは僕が一日寝坊したからであるし、不可抗力には違いない。
どうしたものだろうか。
「ほら、早くしろ。弁当は適当に俺が詰めておいてやるから」
「あー……」
考えろ。ここで頭を使わなくてどうする。
「じゃあ僕は畑中と一緒に美咲を追いかける。それならどうだ?」
「どうだ、じゃねえよ。お前が一人で追いかけないと意味がない」
「なんでだよ」
「なんでででもだ」
会話は綺麗に平行線上をたどる。しかしこんなことで時間を食うのも馬鹿らしい、僕は攻撃に打って出た。
「いや、その方が説明しやすいと思うんだ。彼女がそれをどうして悲観してるのかは知らないけど、美咲の勘違いがどんなものかは僕にだってさすがに想像がつく。それを取っ払うのに、僕一人で何を言っても言い訳がましく聞こえるだけだろうな」
僕一人で美咲を説き伏せる自信がないわけではないが、やはりこういう誤解を解く場合畑中からも言ってもらうに越したことはない。それは事実であり、真実である。
「む、それもそうだが」
落ちかける関田。押しが甘そうだが、ここはもうごり押しだ。
「だろ? だからお前は僕の弁当を詰めて持ってきてくれ。ついでに戸締りも頼んだ。鍵は玄関入ってすぐの靴箱の上の引き出しの中だ。ああ、このことはお前には学校で説明をするから」
「は? いや、ちょっと待ちやがれ」
「じゃ、行くぞ、畑中」
僕は一方的に会話を切り上げると、さっさと椅子の上に乗せてあった鞄を手に取る。そしてずかずかと畑中に歩み寄って空いている手で少々強引に柔らかい手を取ると、唖然とする関田を一人残していそいそとリビングを後にした。
「ちょ、ちょっと八代君!」
急ぎ足で畑中を引っ張って、僕らは玄関で靴を履いて外に出る。
「八代君ってば!」
家を出てからさらに数分歩いたところで、僕はようやく夏の太陽に照らされて汗ばんできた手を解いた。この数日で夏は一段と本調子になってきたらしい。蝉の大合唱がからりと晴れた夏空を満たしている。
そして僕はほっと息をついた。
が、その束の間の安息に畑中の声が突き刺さる。一難去ってまた一難。
「……いきなり女性の手を取るなんて、無礼にも程がありますよ」
「え?」
振り返ってみれば、畑中は白く細い右手を胸の前でぎゅっと握りしめて、俯きがちにこちらを見ていた。
「あ、ごめん」
関田に引きとめられる訳にはいかなかったからな。夢中でそんなこと気にも留めてなかったよ。
「無礼にも程があると言っているのです」
その頬が紅潮しているのはこの夏のうだるような暑さ故だろうか。
僕も僕だ。無意識のうちに畑中の手を握っていたわけで。それは彼女にとっては失礼にあたっただろうが、僕にとってそれは羞恥でしかない。握った瞬間はさして意識していなかった少し冷たくて柔らかな感触が、ふいに思い出される。
「ぐ」
なんだか急に恥ずかしくなってきたぞ。
「ご、ごめん」
言って、畑中の顔から目をそらす。
お互い無言。
二人を隔てて瞬く間に舞い降りた微妙な空気が、夏の暑さに溶け、静寂を許さない蝉の声に流されていく。
「……」
馬鹿か僕は。何をやってるんだ。こんな光景を美咲に見られでもすれば、それこそ誤解を解くのは至難の業になってしまう。
「……うん、行こう。早くしないと追いかける意味もなくなっちまうよ」
「追いかける、って心当たりでも?」
僕に駆け寄ってきてなんとも普通に振る舞う畑中に、僕も平静を装って返す。
「ない」
そして二人並んで、熱されたアスファルトを歩きだした。
「そんなに堂々とない宣言されましても。どうするんですか」
「さあね、普通に学校まで行けばいるんじゃないかな」
「いるんじゃないかな、って」
「いなきゃ教室にいるだろ」
「そういう意味じゃないですよ」
じゃ、どういう意味だ?
「いえ、それは、その」
それは、その?
「……なんでもありません」
「?」
よく分からない奴だな。きっぱり言ってくれて構わないけど。
「八代君がそう言うならそれでいいんだと思います。私よりもあなたのほうが美咲さんとは付き合いが長いのでしょうし」
そうかな? まあそう言うのなら突っ込んで聞きはしないけどね。
今日はやけにはっきりしない畑中である。なんて言いつつ、やはり彼女は会話の節々に不明瞭さが見えた。理由もまた不明だ。とりもなおさず僕たちは、久々に魔術だなんだのといった不思議要素がひと欠片も含まれない日常会話をしかしぎこちなくかわしつつ、朝の通学路を歩いて。
結局。
美咲の小柄な体躯を発見したのは、2年2組の教室だった。