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17.早寝……早起き?

 夢を見ていた。

 白銀の草原で、たった一人。

 足元でざわめく膝丈の草花。その一つ一つが艶やかな銀色の光沢を放って、心配事なんか何もないかのように、のんびりさらさらと揺れている。

 そんな草原に、たった一人。

 橙色の風に優しく頬を吹かれて、髪を揺らされ、服がはためき。

 でもそれは。

 ――僕?


 リリリリリリリリリリリリ。

 目覚まし時計が鳴っている。そりゃあもう、独白するまでもなく確実に鳴っていた。

 平素ならば、普遍的物語の定石的展開として、まあ手を伸ばしてその早朝の咆哮に終止符を打つべき所である。とはいえ、今の僕が普遍的物語の登場人物として名を連ねられるかと尋ねられた場合残念ながら答えは否だ。どうにもこうにも是が非でも、結局僕は世界から外れた存在なのだろう。そうとしか思えない。

 思えないので、とりあえず寝起きの貴重なまどろみタイムをもう少し堪能するとしよう。エアコンも効いているし。というところで。

「起きなさい」

 刺々しい、とまではいかないが、決して穏やかではない声が僕に降ってきた。

 ……似たような展開を近々、それも極々最近に経験したような。

『起きろ、私は腹が減った』

「あまりにデジャヴ!」

 飛び起きた。

 同時に、僕ではない何者かの白い腕が僕へと伸びて、ベッドの後ろの縁に置いてある目覚まし時計を黙らせる。

「ようやくお目覚めですか、お寝坊さん」

 あーあーあー、ちょっと待て待てちょっと待て。

 重い。この重さの正体は、確かめるまでもなく。

 寝起きにこの状況はハードルが少々高すぎやしないか。僕は上半身だけ起こしつつ、右手を頭に押し付けた。

 とりあえず、ベッドには寝ている。それは確かだ。

「……あー」

 フーはいい。いや、よくはないのだが、この腕輪が外れない時点で僕はもうプライバシーなんてものをほとほと諦めたのだ。だからまずは。

「なんで君が僕の部屋にいるんだ……畑中」

 しかも馬乗りで僕の脚の上に。彼女の肩にかかって胸辺りまで伸びる栗色の髪の毛が、目の前で揺れている。開け放たれた窓から差し込む朝の光に透けて、清潔感も割り増しといった感じだ。一応桃色の母のパジャマを身につけてるようである。寝間着姿というのもまた乙なものだ。

 って待て。これって。やばくない?

 朝、それは朝。今は朝。それってひょっとしてひょっとするといやしなくても、生理現象として我が愛息子がエレクトしているということではないだろうか。ないだろうかっていうか、そうなんだけど。

「そうなんだけど!」

「朝っぱらからテンション高いですね、八代君」

「君のせいだ。とにかく僕の上から退きなさい」

 懸命に冷静を装い、退却命令を出してみる。顔も近いがそれよりも、女の子が四つん這いで朝っぱらから僕の上、隔てるものは薄いタオルケット一枚。この状況は確実によろしくない。

「八代君、お腹空いてませんか?」

「僕の話を聞けよ! ……ってあれ」

 なんだ、ちょっとでかい声を出しただけなのにやけに頭がくらくらする。

「んー……お腹は空いてるか、も」

 喉もからからだ。何故か声もかすれていた。

 大体、今僕はなんで家のベッドで寝てるんだっけ。僕は唸り声を立てた。猫を捕まえるために星の街公園に行って、それから。

「八代君は馬鹿みたいに魔弾を撃ったせいで精神が疲弊して倒れてしまいました」

『そうだ。貴様は本当に馬鹿だ』

 何故か二人から思い切り責められた。実際その通りなのかもしれないが。

 だけど、何か違和感がある。何かが変だ。

「ちょっと……待ってくれ。聞きたいことがいくつかある」

「その前に何か飲みましょう」

 僕の言葉を遮ったのは、穏やかながらも力のある澄んだ畑中の声。

「僕の上から降りるんだ」

 畑中は僕の言うことなど聞こえてすらいないようにスルーし。

「はい、あーん」

 何の途惑いも脈絡もなく僕へと差し出されるミネラルウォーター。なんと新妻風ボイス(棒読み)のおまけつきだ。

「………………」

 いや、おかしいよね。いろいろと。

 なんで君から水を飲まされなきゃいけないんだ。ペットボトルくらい自分で飲める、僕をなめるな。じゃなくて、ベッドの上では飲食禁止だ。でもなくて……なんだっけ。

 おかしいのはひしひしと分かるのだが、どういうわけか頭が全然回らない。

「あーん」

「自分で飲めるって!」

 なんて突っ込みもよそに、僕は額に当てていた手で畑中の手からペットボトルをひったくるなり、それを迷いなく口へと持っていった。事実、僕の身体は水気を欲していたのだろう。よく冷えた透明な水が極楽の清流となって口へと流れ込み、乾いた喉に潤いをもたらしてくれる。喉を鳴らして、夢中で飲む。実においしい。

 中身が半分ほどになったペットボトルを口から離し、ふぅと息をつく。

「ただの水がこんなにおいしく飲めたのも久しぶりだな」

 何故か、ちょっぴり飢餓に苦しむ子供たちの気持ちがわかった気がした。

「そりゃあそうでしょう。一日半ぶりの水分ですから」

 うん。

 …………うん?

「八代君は本当にお寝坊さんですねー」

『全くだ』

 えーと。

 つまり。

「……僕、寝坊し過ぎだろ!」

 え、目覚まし時計通りに起きたのにどういうわけか寝坊呼ばわりされてしかもなんかお腹が猛烈に減っていて喉までからからに乾いているなあと思ったらそれがまさか一日半以上寝ていたからだなどという究極的なまでにシャレにもならないオチだったなんて嘘だよな?

「その通りです」

「なんてこった!」

 とにかく僕から離れろ畑中。

「どうしてです?」

「この期に及んでどうしてです? も何もあるかー!」

「絶世の美女がモーニングコールという大サービスを決行して差し上げているといいますのに」

「決行していただかなくても結構だ、降りろ」

 そもそも絶世の美女って自分で言っちゃうのかよ。さらにこれはコールではない。

 はあ。と一つ大仰に溜息をついて、畑中はゆっくり僕のベッドから床へと降りた。溜息をつきたいのはこっちである。まあ、ある意味ほっとはしたかもしれないが。

「八代君も朝○○するんですね」

「ほっとしないどころか君のキャラクターを見失っちゃうけどそれでもいいならその○を埋めるがいいこのエロ娘!」

「朝バナナですよ、朝バナナ」

「拍数が合ってないよ! しかしながら意図せずその表現も非常に際どい!」

 だめだ、ここのところ主に畑中のせいで女子に抱いていたイメージがいろいろと崩れつつある。言いつつだんだんと顔が火照るのを感じたため、僕は適当に喚き散らしてようやく畑中を部屋から退出させた。部屋から出る直前、彼女の顔にふっと浮かんだあのとてつもなく嫌らしい笑みは、きっと見間違えだろう。

 もう一度右手を額に当てて、思考。

 してはみるものの、結論なんて初めから決まりきっている。まずは。

「……シャワーだ」

 実のところ本日は日曜日であり、すべては畑中が仕組んだ意味も必要もないドッキリでしたというなんとも益体もなくだるい結論が僕を待っていたとしたならば、僕は躊躇なく畑中に罵声怒声を浴びせ倒しその上でほっと一息ついて実に二日ぶり以上になる温水の至高を満喫、もはや拭っても拭いきれないかもしれない彼女への不潔なイメージを是非とも払拭した上で安息の休日を貪っていたに違いない。

 が、全ては現実であった。

「ったく、何の罰ゲームだよ!」

 こうなってしまった以上、もはや邪念を振り払って禅定の気持ちで行動するしかないだろう。

 しっとり湿った私服(当然ではあるが、パジャマに着替えさせてもらっていたとかいうそんなギャルゲーみたいなイベントは発生していなかった。ありがたい限りである)を脱ぎ棄て、五分でシャワーを済ませると、さらに二分で制服へとドレスアップ。

 脱衣所の時計で現在時刻を確認、6時ジャスト。余裕はたっぷりある。

 僕は猛ダッシュし、黒い煙の立ち上るリビングへと滑りこんだ。

「って思わず普通に描写しちゃったけどなんだその煙は!」

「八代君……けほ、こげました」

 けほけほと咳きこみながら、煙パラダイスと化したキッチンから、制服姿の畑中が現れた。急いでそこに駆けつけ、事態を確認する。

「朝ご飯を作ろうと思ったんですが、失敗しました」

 なるほど。心使い痛み入る。

「が……」

 そこに広がっていたのはまさに惨状といえるものだった。薄れてきた煙を手で払いつつ、僕はそれに目を落とす。

「まさかこの世に目玉焼きを焦がす人間が存在するとはね」

 僕がそれをかろうじて目玉焼きと認識できたことが、既に奇蹟的と言えた。フライパンの上でくすぶるそれは、どこからどう見ても消炭である。どうやら原因はフライパンの隣に置かれたワインボトルにありそうだった。

「軽くフラッペしようとしようとしただけなんです」

「……そりゃフランベだろう」

 目玉焼きをかき氷にってもう意味が分かんないよ。目玉焼きをフランベするのはもっと意味が分からないけど。

「頼むからこれ以上厄介事を増やすのはやめてくれないか……」

「申し訳ありません」

 換気扇を起動し、ようやく元の情景を取り戻したキッチンで、しゅんとする畑中。その落ち込みようを見ると、何故だか急に僕が悪いことをしたような気分になってきたので。

「あの、そんなに気にしなくていいからさ」

 片付けを続行しつつ、適当に言い繕う言葉をかけておいた。

 あ、まずいな。まさかとは思ったが、この焦げくさい臭いでさえ僕の食欲中枢を刺激する。当然ながら丸一日以上食べ物を口にしていないのであるから、空腹も大概限界を迎えていた。

「とりあえず、作るか」

 学校の授業開始は8時45分だ。今からなら多めに朝食を作っても大丈夫だろう。かかる畑中は助手にすらなり得なさそうなので軽くキッチンから追い出し、冷蔵庫を漁る。

「おぉ」

 そして僕は思わず感嘆に声を上げていた。すごい、いつの間にか冷蔵庫が新鮮な食材であふれているではないか。

『感謝しろ、あのガキを買い物に向かわせたのは私だ』

 ふいに腕輪から聞こえてきた声に、僕は素で感激してしまった。

 どういう風の吹きまわしか、僕が馬鹿面で一日中寝ている間に、フーと畑中は幾分か友好関係と呼べるものを築いているようだった。理由などは後で聞けばいいとして、その点で懸案事項が一つ減ったことに関してはまあ素直に喜ぶべきことなのだろう。

「助かったよ。実は食材不足もかなりの懸念材料でさ」

 野菜室には野菜がバッチリ入っているし、魚と肉まで完備されている。価格のほうは、まあちょいとお高めになってはいるが、十分許容範囲である。というか、これは畑中の自腹だったりするのだろうか?

『私がお前の財布から勝手に金を貸した』

「何やってるの!?」

『あれだな、ありっちゃありというやつだ』

「なしっちゃなしだよ!」

 どちらにしろ買い物には行くつもりだったが、それにしてもそういう行為は倫理的に問題アリだと思うがな。

『ありっちゃありだな』

「問題がな」

 やれやれ。とは言っても、今回ばかりは僕にだって責任があるだろうし、ここで腹を立てすぎるのもイマイチ格好がつかない。今は朝食を作って食べられるという事実にだけ目を向けて生きていよう。

 うん、やるかな。



「「いただきます」」

 食前の挨拶は久しぶりに二人分だった。なにはともあれ、僕はようやく食べ物にありつけるわけである。調理中につまみ食いという名の悪魔の精神が僕を誘惑しただろうことは誰にでも容易に想像がつくことと思うのだが、辛くも僕はそれに負けじと鋼鉄の精神で欲を払いのけ、ここに今日本食フルコースを作り上げたのだ。

 焼き鮭、なめたけの味噌汁、ほうれん草のおひたし、里いもと人参と鶏肉の煮しめ、野沢菜の漬物にだしまき卵、そして山盛りの白ごはん。テーブルのいたるところで湯気が上がり、それに乗ったいい香りが朝のリビングに立ち込める。それぞれが実に美味そうにつやつやと輝きを放って、作った本人である僕でさえも美味しそうだと太鼓判を押せる。

 至福だ。

 たとえそれが料理として完成していなかろうと、空腹時に至ればある程度のライン以上のものは無視できるものなのだ。無視できると言うか、空腹は最高のスパイスだとはよく言ったもので、なんでもおいしく頂けるのである。

 ずらりと並んだ食べ物に箸をつける前に、畑中は僕を見る。

「八代君、少々メニューが多くないでしょうか」

「ん、そうかな」

 確かに、自分がお腹空いてるせいか、若干作り過ぎた感は否めない。

「ま、いいさ。余ったのは今日の弁当のおかずにすればいいし」

 僕は適度に出汁の染み込んだ人参を口に運びつつ、言う。うん、美味しい。今は卑屈になるべきシーンではないだろうし、原始的な味覚に対しては素直になっておこう。

 しばらく黙々と箸を動かすことだけに集中していたからか、珍しくテレビのBGMもない朝のリビングが静まり返ってきたころ、

「……おいしいです」

 ぽっと、畑中が言った。

「そう?」

 もぐもぐと口の中の鮭を飲み込んで、それに返す。

「今僕の舌は正常じゃないだろうから、客観的には味をみれないけど、畑中がそう言ってくれるなら嬉しいかな」

 畑中と行動を共にしてほんの一日も経っていない(実際は二日ほど経っているが)のに、僕が彼女に以前抱いていたイメージはがらりと変わった気がした。ただ、それは悪化ではなく、確実に改善と言える。改善、だなんて上から見たようなもの言いではあるけれど、事実僕は彼女に対してもっと引っ込み思案で暗い人間だ、という印象しか持っていなかったのである。

 今の彼女は学校に居る時よりずっと活き活きしていて、年相応の女性として天真爛漫、太陽のようにキラキラ輝いて見えた。それでいて物静かなイメージはそのままに、素直でどことなく人懐っこいその部分には僕の中でさらに磨きがかかったと言えよう。

 心の底からいい娘なんだろうなあ、とその人間性には軽く関心してしまう。

 そんな風に改めて畑中を観察しつつご飯を口に運んでいたら。

「ごちそうさまでした」

 いつの間にか彼女は一つの食べ残しもなく、綺麗に完食していた。

「おう、お粗末さまでした」

 僕もワンテンポ遅れて、箸を置く。

 やはり卵焼きは余ったか。頭に弁当の構想を描きつつ、僕は空いた食器を重ねて席を立つ。

「私も手伝います」

「お、サンキュー」

 畑中もそれについてきたので、まあ丁度いい、今からしようとしていた話をいくつかしたって構わないだろう。カタカタと鳴る食器を持って、再びキッチンへと踏み入れる。

「なあ畑中」

「何でしょうか」

「ジョーカーが僕を暗殺しにくるといった可能性はほとんど地に落ちたわけだけど、この場合君はいつまで僕の家にいるんだ?」

 非常に率直な疑問だ。僕はスポンジで鮭の乗っていた皿を洗いつつ、隣で泡の付いた食器を洗い流してくれている畑中に話を振った。

「それは今日龍に聞こうと思います。一応至上命令ですので、私の判断で勝手にこの家から退去することはできません」

「ふぅん……」

 至上命令、ねえ。

 やはり彼女が学校で影が薄いのも、『封じ屋』関連の仕事の影響が大きくあるのだろうな。そうじゃないにしろ、高校生にして秘密結社の一員なのである。余生の思想に多大な影響を及ぼすこの年代の少女にとって、この国に居て本来あるべき自由を束縛されるようなことは少々酷は話ではなかろうか。

 まあ、僕なんかが口をだすようなことではないのかもしれないけれど。

「例の毛玉はどうしたんだ?」

 コップも綺麗に洗って、畑中へと手渡す。流れ作業だ。

「私の鞄の中です」

「あれ……」

 水道を止める音で手を休め、思い返す。

「君って手ぶらじゃなかったっけ?」

「八代君が寝てる間に買い物に行って」

 畑中はぱっぱと手を振って水気を飛ばしてから、タオルで手を拭った。

「その帰りに家に寄って制服と鞄は取ってきました」

「家?」

 家って、君は美術準備室の向こうの部屋で暮らしてるんじゃなかったのか?

「ええ、暮らしてるのはあそこです」

 二人でリビングに戻りつつ、畑中は続ける。

「ただ、一応どんな形であれ家がないと面倒ですからね。ぼろいアパートを借りて、私はそこ に住んでることになっています。予備とでもいいますか、一揃え生活に必要なものだけはそこに置いてあるんです」

 そういうことか。なるほどね、大体のところ納得したよ。

「それで、次が僕の一番関心を寄せる質問なんだが」

 ピンポーン。

 あれ、ピンポン? 誰だろう、ちょっと待ってて、と畑中に断わってから、僕は玄関に向かう。ピンポンピンポンと、何回も連続でならされるインターホン。

 なんだか、とてつもなく嫌な予感が……。

 と考えた刹那、僕は自分のミスに気づき、雷に打たれた。

 ぐあ。

 しまった。すっかり忘れてた。

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