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11.ジョーカー

「誰だ」

 受話器を握る手に力が入った。僕がトランプのジョーカーだろうとなんだろうと、それは構わない。だが意図的にそんな呼ばれ方をされれば、その呼称自体に嫌悪感を感ぜずとも込められた悪意は明確に読み取れる。

「用があるならさっさと言え」

 口を衝いて出る言葉もとげとげしく、邪険になる。しかし、聞き覚えのない声だ。同じクラスの連中なら、一度くらいは声を聞いたことがあるはずなのだが、おかしい。

 挨拶を交わしたきり、向こうは一向にしゃべる気配がない。沈黙が続く。僕は痺れを切らし、冷えきった声でもう一度同じ問を繰り返した。

「名を名乗れ」

「くっ、ふふ……」

 電話線の拾える最低ラインすれすれのテノールが、くつくつと笑う。

「ふざけているのなら、切る」

「いや、これは失礼、ジョーカー君」

 ねっとりとした言い回しがいちいち鼻についた。怒りはじんわりと心に浸透し、だが僕の芯の部分はかえってしんしんと冷えてくる。

「いい加減に」

「奇遇だね、私もジョーカーなんだ」

 あくまでも自分のペースで、その男は僕の声を遮り、名乗った。

「……何?」

「ジョーカーだよ」

 なんだ、こいつ? からかっているのか。

 そんな風に油断していた僕は、次の瞬間。数本の思考の糸が繋がり。

 衝撃に体躯を打たれた。

 心臓を貫かれたかのように、僕の時間がその鼓動を止める。フルカラーの視界は反転し、白と黒のフィルターが僕をモノクロの世界へと落とし込んだ。僕の頭の中に張り巡らされた網が複数の過去をからめ捕り、一つの事実として結びつける。ジョーカー。こいつは今そう名乗った。

 こいつだ。

 体の内側で、和太鼓を叩いている音がする。噴き出た汗がシャツにじっとりと染み込んでいく。

 間違いない。こいつが――僕の右手のこの腕輪を、僕の命を狙う張本人だ!

 昨日ずっと感じていた違和感は、これだったんだ。僕は眩暈を感じつつ、なんとか言わんと意図することを口から紡ぎ出す。

「魔導師も逆探知なんて文明の利器を使うのか?」

 倒錯の余り、今のがきちんとした言葉になっていたか、自分でも判別がつかない。

「……ふふ、安心しなさい。私はそんな下賤で姑息な真似はしない」

 相手の返答を咀嚼する限りでは、僕の口から発せられた音声に日本語として致命的な欠陥はなかったようだ。じんわりと、だが急速に受話器を握る掌が汗ばんでくる。落ち着け、魔術師と言えど、電話越しじゃ何もできないはずだ。

 いや、待てよ。

 こいつが今僕に電話しているということ、それが詰まるところ何を意味するのか。それに気づいて、プラスチック製の受話器が手を滑り落ちそうになる。

 電話番号が簡単に割れるということは。いや、それどころか今この男は僕のことをジョーカーと呼んだ、ご丁寧に二度もだ。つまり。

 これは脅しだ。

 お前のことはすべて解っているのだ、という脅し。逆探知なんてそんな小細工、する必要すらないということか。

「ふふ、わかっていただけたかな?」

 なめられたものだな。僕はもうとっくにジョーカーの手の平の上というわけだ。

その低い声域のせいで年齢は判別しがたい。受話器からの声は若いようにも、年老いているようにも聞くことが出来た。どちらにしても、相手はこちらの動揺などお構いなしに、落ちつきはらって僕と対しているようだ。結局その余裕は、十分すぎるほど下賤で姑息なものに思われた。僕は舌で唇を湿らせてから、口を開く。

「……生憎、僕はまだ自分の右手首が可愛い。手放すつもりはない。いや、手首放すつもりはない、とでも言っておこうか?」

 自嘲を交えつつ、ブラックジョークを飛ばす。そうでもしないと今、この瞬間、この会話で僕は自分というものを保てない。

「くくっ、やはり君は面白いな。――八代 椎奈」

 ジョーカーはあたかもそれが当然であるかのように、不愉快な微笑を交えつつフルネームで僕の名を口にした。こいつの中では、正常と異常がそっくりそのまま入れ替わっているのだろう。吐き気がした。

「今、君のそばにいるアーティストは何をしているのかな?」

 僕は廊下の右手奥に薄暗く見える風呂場の引き戸を一瞥した。先ほどからずっと、シャワーの水音がBGMとして耳に心地よく響いてきている。まったくもって、光熱費を考慮してほしいものだ、と僕は呑気に考えた。

「地球温暖化に貢献している」

「ふっ、そいつは大変結構なことだ」

 愉快そうなジョーカーの声は、僕の心を深い絶望の淵へと陥れる。畑中のことを思うと、僕一人でこの電話を続けていいものかどうか迷いが生じた。だが、切るわけにもいかない。切ったとしても再びかかってくるのがオチだ。

 魔導師同士の対決。もっと少年漫画的で、学園異能バトル的展開を期待していたのだが。ここまでいやらしい、心理的な攻撃を仕掛けてこようとは。

 いや、もはやこれは攻撃ですらない。

 一方的な凌辱だ。

 受話器の向こうのジョーカーという男が指一本動かせば、僕の右手首から先は僕の身体からおさらばする。今や、そのくらいに考えておいたほうがいい。

 僕は、何もできない。

「何が目的だ」

 苦虫をかみつぶして、口から言葉を絞り出す。

「僕に何がさせたい」

 最も、血なまぐさいことは御免だ。ここまでくれば、奴がとんでもないことを言ってくるだろうことくらいは容易に想像がつく。だからこそ僕は、その要求内容によっては腕輪がどうなろうとも、例え右手首が跳ね飛ばされようとも、全力を尽くして抵抗するつもりでいた。

「いい、大変よろしい。その食ってかかるような態度、ゾクゾクするよ。若さというのは、実に素晴らしい。私も昔に戻りたいものだ」

 話はあくまでも自分の歩調で進める、か。逐条腹立たしいしゃべり方だ。僕は左手に受話器を持ちかえ、空いた右手で頭を押さえた。はめられている禍根の蒼い腕輪が、廊下の薄明かりに照らされて玄妙な光を放つ。

「その腕輪、私は無粋な方法で得るつもりはない」

 ジョーカーは静かな口調でそう言った。

「どういう意味だ」

「それはね、ジョーカー君。君に一つ、お願いをしたいということだ」

 何だと?

「ふふ、もう少し肩の力を抜きなさい。別に取って食ったりはしない」

 僕はそのセリフの続きに、君が言うことを聞く限りはね、という無言の圧力を感じた。

「君も魔導師になりたいんだろう?」

「……話が見えないが」

 それでも、強気な態度は崩さない。屈したら、負けだ。何に負けるのはわからない、だけどこれはプライドの問題でもある。

 その一方で僕は今にも畑中が出てくるかもしれない洗面所の引き戸を注視していた。どうする、今畑中が出てきたら。素直に状況を話すべきか?

 いや、そんなことは今考えるべきことじゃない。今は会話に集中したほうがいい。ジョーカーが僕を観察している可能性だって低くはない。

「ついでに、君のレベルアップに協力してあげようかと思ってね」

「…………」

 何だ?

 こいつ、何を言っている? 全く意図が読み取れない。

「他意はない。君のアンテナで字面そのままを受信したまえ」

そして再び、くつくつと笑い声を立てる。自分の理解力のなさを咎めるつもりはない。ないが、理解できないのは事実だ。

「――星の街公園」

 僕が右手をさらに額に強く押し当て辟易とする中、ふいにジョーカーはそんな単語を口にした。

「星の街公園?」

「そこに、迷い猫がいる」

「何?」

「二度は言わない。いいかね、今晩中にそこに行って、迷い猫を保護しなさい」

 解らない。こいつが、何を言おうとしているのか、ことごとく捕捉出来ない。いや、普遍的な言葉として、言っている意味はわかる。だがその裏に何があるのか読み取ることは多難を極めていた。

 星の街公園。確かに知ってるさ。行ったことは何度もあるし、親父と遊んだ幼い記憶は思いだそうとすれば今でも鮮明に蘇る。だがそれがどうした? 迷い猫? 僕がその言葉に従って行動する限りは命は保障するとでも言いたいのか。それとも指定の場所に誘導しておいて、奇襲でもかけるつもりなのか? それはない。この電話は、そんなことをする必要はない、という明示であるはずだ。

「君は少々邪推が過ぎるようだな」

 ジョーカーのその声にはやや憐憫の色が見えた。だが、その声音の半分以上は歓を尽くす傾向にある。やはりそれは、僕を腹立たせるのには十二分の代物だった。

 僕はラジカルにも、額に押しあてた右手で前髪を一房ぐっと掴んだ。邪推だと? 魔導師ってやつは電話越しにでも僕の心が読めるってのか。

「違うな。それは違う。ただ、君の考えていることは読みやすい」

 ジョーカーは畑中と同じもの言いをしたが、そこに込められた意味合いは大分異なっているように思われた。

「私と君には幾等か共通項があるのだよ。ジョーカーという呼称にしてもな」

「……すこぶる不愉快だ」

「くっ、そうだろうね。全くそうだろう」

 あんたのその耳につく笑い声もおおむね不愉快だが。

「まあそう言うな」

 ジョーカーは雄弁に語る。

「いずれ、君はその腕輪を目の上のたんこぶに思うだろう。違うかね」

 悔しいがそれは否定はできないことだった。今でさえその感は否めない。

「私はその腕輪を直接安全に外す方法は知らない。しかし、ヒントならくれてやれる」

 電話越しの男はヒントが欲しくはないかね。と穏やかに付け加える。

「結構だ」

 ここで否を返すべきではないのだろうが、僕の口は強がることをやめようとしない。そもそも、狙いが解らない。ここまで予想のつかない会話は初めてだ。完全に相手のペースに嵌められてしまっている。

 こいつは今何を考えているんだ。不気味すぎる。

「はっ、いいね、それでこそ君だ」

 高揚感を付け加えたようなそのテノールは、だが、と続ける。

「これは取引ではない。私からの『お願い』だ。それを勘違いされては困るな」

 高圧的な言葉に、手汗がその量を増す。

「……つまり。あんたが言いたいのは、僕があんたの言うことを聞き入れる限り、安全が保障され、さらに腕輪を外すためのヒントまで頂ける、ということか」

「その通りだ」

 しかし。

「あんたはこの腕輪が欲しいんじゃないのか?」

「ああ、そうさ」

 ならば何故。

「さっきも言っただろう、私は乱暴を好まない。平和的な解決を望む」

 馬鹿な。そんな虚言を信じられるものか。じゃなければこの物々しさはなんだ? 畑中が何故僕の家にいる。あんたが危険人物として認識されているからだ。それにあんた自身も言っていたように、今しているのは『取引』じゃない。『お願い』なんだろう。

「違いないな。君の言葉には日本刀にも勝る切れ味がある」

 イライラと、焦れてくる。結局、何が言いたいんだ。

「君だからだ」

 何だと?

「私は君が気に入っている。故に、暴力に帰依するようなことはしたくない」

 いつ僕があんたに気に入られたって言うんだ。

「そんなことはどうでもいいさ。重要なのは現在の私に君への殺意がないということだ」

 僕はじっと、その声の続きに耳を澄ませる。

「いかんせん、君が私のお願いを無碍にするような真似はしないと心得ている。君は賢明な青年だ」

 僕は歯を強く噛みしめた。僕はこのジョーカーとかいうふざけた奴に完全に遊ばれている。奴は目的を二の次にして僕を玩具にしている。

 僕のどこにそこまでの要素があるというのだろう? 勝手に話を進めてくれては、甚だ迷惑だ。

「ふふ、ああそうだ、もう一つ。危なく言い忘れるところだった」

 敵さんの意図するところは一応ながらも解った。だが、気は抜けない。僕は左手の受話器をもう一度強く握り直す。

「猫は、32号機関で保護しろ。と、そこに居るアーティストに伝えてくれたまえ」

 32号機関。また聞き覚えがない。

「何だ、それは」

「腕輪や、君を保護していた『封じ屋』の先端グループの一つだ。確かそこにはテンションの高い金髪の男が居たのではないかな?」

 思いのほかあっさりと、ジョーカーはその言葉の意味するところを僕に教えてくれた。

「ふっ。それではまた。グッドラック、ジョーカー君」

 低い美声を引き留める間もなく、ガチャ。という音が、耳元で僕に通話終了を告げた。

 ツー、ツー、ツー。

 それではまた? あんたと話すようなことは二度とないと願いたいところだが。

 閑静とした廊下で、無機質な音だけが僕の耳朶を打ち続けていた。僕は立ち尽くしてしばらくそれを聞いてから、音を立てないよう静かに受話器を置く。電子画面に「ツウワ シュウリョウ ゴゴ 7 ジ 33 プン」と表示されていた。十五分以上は電話していたというわけか。男の僕にしてみればそれは随分な長電話だった。

「それで……」

 まさか、とは思っていた。だが、通常の人間は部屋を出る時、当たり前ながらドアを開けなければならない。それが魔導師にも当てはまる、と考えたのは失敗だったのだろうか。

「君はいつからそこにいたんだ?」

 振り向くと、気持ち悪いくらい予想通り。狭い廊下で背中にほぼ密着するようにして、髪に潤いの残る畑中が立っていた。母の洋服ダンスから引っ張り出してきた水玉模様のピンク色パジャマに身を包み、女子特有のいい香りを周囲に漂わせている。その腕には、彼女が昼間着ていた衣服が綺麗に畳まれて、抱きしめられていた。

 すぐそこに、彼女の整った顔があった。白い頬をほんのり紅潮させて、髪と同じ淡い栗色の 目をまっすぐ僕に向けている。怒っているようでもないし、慌てているわけでもない。彼女は落ち着いていた。

「大方、あなたの思っている通りです」

 シャワーの音が聞こえなくなった時から僕は、ずっと洗面所の引き戸を睨みつけていた。

「だけど君は出てこなかった」

 電話中とはいえ、戸から人が出てくるのを見逃すほど僕の目は節穴ではない。俗耳に入らば、瞬間移動とかいうやつだろうか?

「まあ、どうでもいいさ。そんなことは」

 よくはないけど、悪くもない。所詮今は関係のない話だ。

「それで、どなたからのお電話だったんですか?」

 廊下を照らす薄暗い橙色の照明の下に立ち、僕の眼前30センチ、お互いに息の吹きかかりそうな近さで畑中が言った。まず僕はそれに苦笑いを返しておく。そして誠実な色を湛えるその目を見つめ、意を決して事実を伝えるべく口を開いた。

「ジョーカー、だそうだ」

 その名を出した途端、畑中の顔は横殴りされたかのように強張った。

「……してやられましたね」

 軽く下唇を噛み、僕から目をそらす畑中。その感想には全力で賛同の意を示したいところだ。僕だってこんなことになるとは思っていなかった。ここのところ予想をぶった切る出来事が多すぎて思案に余る。

「その腕輪がまだあなたの右手首についているということは、向こうはそれをネタに何か要求してきたのですね?」

 畑中は僕の右手首を見てから、眼前の男に目線を戻すと、そんなことを言った。

「鋭いな」

 その通りだ。僕よりも頭一つ小さい畑中は、ほんの少し不安の混じる、しかしそれでいて屈強な目つきで僕を見上げていた。僕は続きを口にしようとして、はたと思いとどまる。彼女に罪はない。それに今のところ問題もない。そんなことは分かっている。だが、僕はついに抑えきれず、その小さくまとまった顔に少し怒気の籠った声を降らせた。

「君らはジョーカーという男の何を知っている?」

 煮え切らない。もしジョーカーが電話ではなく直接対話の形をとっていたとしたら、僕が既にこの世の人間でなかったという可能性だって低くはないはずだ。結果的に奴の気まぐれで僕はの寿命は延命されたようだが、それとこれとは話が違う。命にかかわるような話を結果論ですることはそれ自体がおかしいのだ。

「あの……お願いです、怒らないで下さい」

 僕の顔を驚いて見上げ直してから、眉根に皺をよせ、畑中は申し訳なさそうに首を横に振った。畑中がうっかり僕にこのことを伝え忘れていたということまでは納得してもいい。だが、『封じ屋』が僕にジョーカーについて何の情報も提供してくれないというのはどうなんだ?

「伝達者が君である必要はなかった。それは別に龍ちゃんでもよかったんだよ。少し行き過ぎた考えかもしれないけど、君らは少々不親切だと思うな」

 畑中はそれを聞いて目を丸くした。

「私は、てっきり龍から聞いていたものとばかり……」

 ああ、違うね。僕は君らから何も聞いちゃいない。君が今日うちに押し掛けてきて、あなたは現在進行形で命を狙われています、なんて言い出したのがそもそもの発端さ。それ以外の情報はほとんど僕の耳に入ってないんだ。

「ではどうしてジョーカーのことを?」

 そんなに驚くことだろうか? 少し頭を回せば分かりそうなものだが。

 僕は、電話中に閃光のごとくほとばしった考えを畑中に話した。それは詰まる所、こんな感じである。

 畑中はおそらく昨日、6時間目の始まる前に学校を早退していたのだろう。僕は5時間目が終わってすぐに眠りについたためその事実を知らなかったが、これは関田の言動から推測が立つ。つまり、畑中は6時間目のホームルームで「僕がジョーカーと嘲笑われた」ということを知らなかったはずだ。僕だって、関田からそのことを聞かされるまでは知らなかったし、聞かされなければその機会すら永遠に失われていたかもしれない。

 なのに、畑中のこのセリフだ。

『私に手荒な真似をさせる前にそれをこちらに渡してください、ジョーカー君』

 昨日あの状況下で、僕にはそこまで回す頭が残っていなかった。だからつい、自分の都合のいいように事実を捻じ曲げて納得してしまっていたんだ。

 「封じ屋」はきっと、僕を狙う人間の情報はほとんど掴んでいないんだろう。と。

 畑中は皮肉を込めて、腕輪怪盗である僕をそう呼んだのだ。と。

 とんだ勘違いだった。そもそもそう思っていても、彼女には聞いておくべきだったんだ。どんな些細な要件でも、それを知っているのと知らないのでは心の余裕が違ってくる。少なくとも僕は、全く正体のわからない敵に狙われるよりも、それについて何かが分かっている敵に狙われるほうがよっぽど心理的に楽だ。

 しかしながら、彼女が六時間目の授業に参加していたかどうか、などという情報はまさに不要物でしかない。それについて一言でも僕たちの二人のどちらかが触れていれば芋づる式に答えが導き出されていただろうが、それすらも起こり得ない状況が出来上がってしまっていたのである。僕も僕でボケていたとしか思えない。

 不自然に噛み合ってしまった歯車。

「まあ、こんなとこだ。自分の中での矛盾点を解消しただけだ。というか決め手は君自身が僕に向ってその名を口にしたことだし。結局、こんなのは推理とも呼べないお粗末なものさ。」

 それに実際は名前なんてものの重要性はそこまで高くない。畑中は人差し指を顎にあて、思案するそぶりを見せてから呟いた。

「なるほど」

 畢竟僕が何を言いたいかというと、これからもこのような体制が続くようであれば、それは僕が異議を呈する点になり得る。ということだ。

「わかりました。出来るだけ私の得た情報はあなたにも提供するよう、配慮します」

 畑中は神妙な顔つきでコクリと小さくうなずいた。

「それで、ジョーカーは一体何を?」

 ああ、それなんだが。

 とりあえず、僕は畑中に再び服を着替えてもらうことにした。少し嫌がりながらも昼間の服装に戻った畑中を僕は再びリビングに呼び戻し、電話での会話を掻い摘んで話す。

「それで、今のところ僕は安全ってことでいいのか?」

 白い靴下を穿く畑中に、意見を募る。彼女が座るリビングの黒いソファーは、昨日の小部屋の小汚いソファーとは違って弾力もあるし小奇麗だ。例によって親父製である。何かと綺麗好きな親父の人間性が、その家具からはうかがえた。

 しかし、彼女は僕に対する防衛がなってないというか、この立ち位置だと、生足とスカートの合間の領域が絶対的なまでに僕の目を奪う。そんな短いスカートで脚を上げるな、畑中。非常にはしたない。いや、僕的には全然オーケーなんですけどね。というか、これは僕なんか警戒するにも値しないってことだろうか。そうだとするならばそれは少々無礼だぞ。

 などと考えているうちに、畑中は膝上近くまである白い靴下を両足に穿き終わっていた。

「本当に安全かどうかはわかりません。ですが、ジョーカーが私たちを良いように使おうとしているのは確かです。そう言う意味では危険なことに変わりはない、そう考えるのが正しいと私は思います」

 だろうな。畑中の意見はあらかた僕と同じだった。動かないことには先が見えない。

「じゃあ、そろそろ行くか」

「はい」

 とにもかくにも。

 僕たちは、ジョーカーに言われるままに、星の街公園へと向かったのである。

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