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10.かかってきた電話

「貸して下さると仰っているのにこんなことを言うのもどうかと思いますが、よろしかったんですか? お母様のお部屋なんか借りてしまって」

 少々早めの夕食に、畑中は盛られたチャーハンを平らげた後、律儀にも皿を自分で洗ってくれていた。

 僕は夕食に、冷蔵庫の余りものの食材を統合して考察した結果、チャーハンが最も適切な料理と判断しそれを作ってみたのだ。

 結果から言うと、失敗だった。

 畑中は「おいしいです」と、言ってくれた。言ってはくれたが、自分では全く納得がいってない。ベーコンはやはり、事前に油で揚げておくべきだったし、そして恐らく飯を投入するタイミングが遅すぎた。卵と飯粒の絡みがいまいちだ、そもそもフライパンを温める時間が短すぎたたのだろう、ところどころご飯で塊ができていた。最悪である。

 そもそもチャーハンと焼き飯の違いを知っているだろうか。この二つにはれっきとした違いがある。チャーハンと呼ばれるものは「卵を先に入れてからご飯を入れて炒める」のに対し、焼き飯と呼ばれているものは「ご飯を先に入れてから卵を入れて炒める」のである。だからこそ、卵を先に入れるチャーハンはご飯を投入するタイミングが難しい、卵で一つ一つの飯粒をコーティングする黄金のチャーハンにするためにはそのタイミングを完璧にマスターするしかない。早すぎても遅すぎてもだめだ。

 それに鍋を温める時間が少なかったとは言えやはり、もっと米の水分を飛ばしておくべきだった。でんぷん質が糊化したからご飯に塊ができていたのだろう。

 親父ならもっと美味く作ったろうな。

「八代君?」

 机の上で仰々しく頭を抱えていた僕は、その声にハッとした。

「えぇと、なんだっけ? プロピルメルカプタンへの変化が甘かったせいで甘みが足りないという話だったか」

「……いいです、もう。大したことじゃありません」

 失望されてしまった。

「じょ、冗談だよ」

 言って、キッチンに立つ畑中の背中に声を向ける。

「別にいいんだ、母がいないとは言え、死んだのは僕が生まれた時で記憶には全然ないし。そりゃ、そういう目で見ようとすれば僕が殺したってことになるのかもしれないけど、そんなことは気にしてないし親父も気にするなって言ってる」

 ま、結論として。

「君がそんなことで気に病む必要はない。どちらにしろ女性を男の部屋に泊めるっていうのは気が引けるからな。気兼ねせず、存分に使ってくれたまえよ」

 キュ、と水道を止める音がして、畑中は手に持っていた皿を水切りにカタリと置いた。

「わかりました。遠慮なく使わせて頂きます」

 なんとまあ、ほのぼのとした光景だこと。

 僕の命が誰かに狙われている、なんて嘘みたいに。

「ご飯まで頂いてしまって申し訳ないです」

 だが、このひどく家庭的な状態の前提には、影がある。彼女がここにいる理由はそれなのだから。思考順序の逆転、これもある意味、出来そこないの鶏と卵だ。

「いいって言ったろう、ボディーガードは丁重に扱うべきだからな。これだって言ってみれば賃金代わりみたいなもんじゃないか」

 そう、ボディーガード。それが彼女がここにいる理由。

 畑中は僕の横を通り過ぎながら言った。

「では、お言葉に甘えてシャワーを浴びてきます」

 いろいろと話した結果、衣食住と体の清潔は提供する、という話になった。そういうわけで、僕は母の服をいろいろと漁り(これはさすがに怒られるかと思ったが、まあ親父のことだ。快く許してくれるだろう)パジャマ代わりになりそうな物をもう脱衣所に置いておいた。その選出のセンスについては伏せておくことにするが。

 この点において、畑中が何も持たず手ぶらでうちにやって来ているということを考慮すれば、そう扱ってもらおうという意図が見え見えではあるのだが、そんなことを咎めるほど僕は小さい人間ではないのである。

 むしろ、魔術という存在を知っている人間が身近に居てくれることで、僕は幾分か救われていた。

「覗いたらころしますから」

 わかったよ。

「重ね重ね申し上げるが、君が言うと普通に怖いからな、そのセリフ」

 半開きにしたドアから顔だけを覗かせていた彼女にそう告げると、畑中は風呂場へと向かった。

 まったく。

「やれやれだ……」

『まるで新婚さんだな』

 のわっ! フーお前急に話しかけるなよ、びっくりするだろう。

「というか、帰ったんじゃなかったのか?」

『帰るわけがあるか、バカか貴様は。大体私の家は今これだ』

 右手首の腕輪から、少し籠った声が響く。

「おぉ……そういやそうだったな」

 まあ、言われずとも想像くらいはついてたが。

「というかやめてくれ、そんな風に言うのは。畑中に失礼だろうが」

『ほお、貴様は自分の不細工を自覚していると言いたいわけか』

 うるさいな。

 フーといくらか雑談をこなし、広い机の上に小さな紙と鉛筆を用意する。

 夕食の前、僕は自分から畑中に志願し、魔術の講義を延々と受けていた。2時間は話し込んでいただろうか。

 それを通して、僕の魔術を使ってみたいという欲求はさらに高まった。きっと、誰だってそうだろう? そんなものがあると知っていたなら、思うはずだ。魔術を、魔法と呼ばれる夢を、扱ってみたいと。

 僕だって、使いたい。

 馬鹿みたいだと罵られたって、子供みたいだと馬鹿にされたって構わない。

 それに、いくら畑中が護衛についてくれているとはいえ僕自身が魔術を使えるというのは最大の防衛術になり得るし、学ばないに越したことはない。

 これは言い訳。

 でもそれでいい。欲望に必ずしも理由が必要だとは限らない。いや、欲求に理由は必要ない。

 だったら何も言わずに始めようじゃないか。

 魔術という名の奇蹟を。

 まあ、前置きはこの辺にしておくとする。僕は自分の気分の高まりを感じつつ、勝手に動きだしそうになる手を理性で無理やりに押さえつけて。

『まず、第一に』

 さっきの畑中の話を、頭の中で再生する。

『魔術のことを魔法と呼ぶのはやめなさい。そんな風に言ってるのは龍だけです。基本的には魔術、もしくは導術。魔法だと少々万能のイメージが過ぎます』

 というわけで、僕はその時から魔法の類をまとめて魔術と呼ぶことにしていた。

『魔導師が何故魔導師と呼ばれるか。その所以は』

 その所以は、自分たちの「導力」と呼ばれる力によって自然発生する魔力、即ち「マナ」を自由自在に導き、扱うことが出来るという一点による。畑中はそう教えてくれた。

 故に、人の持つ力とは「自然魔力に準する、固有の、魔力を導ける優位の力」であり、準自然固有魔導優力、略して導力。これは先ほどフーが口にした単語が気にかかっていた僕が、畑中に無理やり聞きだした話だ。

 さらに、魔導師の左右の手にはそれぞれ役割があるという。

 右手は装填の為の魔手。

 繊細に導力を操ることができる手で、マナをその掌へと集束させ、顕現させる。

 左手は精錬の為の術手。

 魔手に集めたマナを左手へと移し、それを各々の魔術で使える形へと変換する。

 いわば右手と左手は鍵と鍵穴の関係にあり、一人一人が全く違う形状を持っている。両掌を合わせるのは今の魔術では最もオーソドックスなスタイルらしい。それをすることによって自分の使う魔術のイメージをより堅固なものとし、右手から左手へマナの流れを作り出すのだそうだ。

 昨日。

 畑中の見解では、僕の右手は無意識のうちにマナを収集していたという。そしてその右手で畑中の左手をつかんだ為畑中のマナの流れは阻害されて歪になり、結果として術式の暴発、あの事態を招いたということだった。それでもあれが珍しい事態であることに変わりはなく、通常なら術手が力負けするようなことはあり得ないらしい。

 このことについて、畑中はあまり進んで話したがらなかった。何故かはわからなかったが、話したくないことを無理やりに聞き出すような真似をするほど僕と彼女はまだ親密じゃない。聞くべきではないと思ったし、実際僕はそれについて突っ込んで聞こうとはしなかった。まあ、今の僕に対してそこまでの重みを持つ事柄とも思えない、僕はそれなりに紳士なのである。ということにしておく。

 とにかく。右手、つまり魔手によるマナの顕現。これが魔術の1stステップ、アーティストになる為の第一歩と言うわけだ。さて、情報の整理も出来たことだし。僕は自分の手に巻きつけていた心の鎖を外すと白紙の上に転がる鉛筆を夢中で手に取り、紙に言われた通りの図形を描いた。

 直径3センチにも満たない、正確なわけでもない、少し歪んだ小さな円。

 それだけ。それだけでいいらしい。そしてその中心に、鉛筆を立てる。だが立てると言っても普通に立てるのではない。削ってあるほう、つまり尖がっている側を下にして立てるのである。

 ここからが大事なところだ。

「おい、フー、黙っとけよ」

『安心しろ、言われなくてもそんな子供じみたことはしない。貴様のようにはな』

 しかしながら、毎回毎回こいつの表現は実に的を射ていると言える。不愉快なくらいにな。いや、だめだだめだ。こいつにリズムを崩されては堪らない。僕はめくるめく軽やかにそれをスルーした。

 よし。と一つ意気込む。

 僕は鉛筆の背を人差し指で抑えて、円の中心を見定めて立てると人差し指の力加減でバランスをとる。これでいいはずだ。そしてそのまま、意識をそこだけに集中する。外から聴こえてくる虫の声も、時計の針の音さえも聞こえないくらいに。

 極限まで神経を薄く、細く、尖らせる。

 視界は暗く落とし、目に映るのは鉛筆と、紙に描かれた円の線のみ。

 僕はこの世界に一人だけになった。

 その中に、畑中の声が重なる。

『集中し』

 集中し。

『力を抜いて』

 力を抜いて。

『そして』

 そして。

『意識を繋ぐ』

 …………意識を、繋ぐ!

 瞬間、鉛筆を支える僕の人差し指から、無数の蒼い光の糸が円周へと延びた。撚ってあった一本の細い糸が解れたかのごとく、解き放たれたそれらは一瞬にして鉛筆の線に複雑にからみつき、そして紙の中へと入り込む。

 本当に一瞬だった。僕の右手の人差し指を起点にして、鉛筆と閉じ込める光の檻が完成する。

 これが「序導」。

 息を荒くしつつ、輝く三角錐を呆然と見つめる。今この導力の檻は、僕にしか見えていない。僕の力は僕にしか見えないのだ。

「す…………すごい……」

 感嘆に声が漏れる。だが、このままじゃだめだ。

 導力だけでは何もできない。

 しばらくすると、その信じられないほど鮮やかな蒼い輝きも色を失い、元の何もない空間へと戻っていく。しかし、色は褪せてしまってもそこには確実に僕の力が在るのが指先を通して分かる。

 3点。意識を集中させる点が3点あれば、導力を自分の思うように展開するのが容易になると畑中は言っていた。それ以上では逆に意識が飛び散り、それ以下では空間認識能力がうまく働かず、導力を展開するのが難しくなる。この場合は鉛筆の頂点と、円周。円周は点ではないが、とにかく囲まれた場所を捕まえると意識することが、初めて導力を展開させる場合には最もやり易い。

 そう、捕まえる。

 そこに確実に存在しているマナを、魔術の網で捕まえるのだ。

 点滅する無数の蒼い糸を自分の意思で中心に向けて狭めていく。網を引き寄せるのは、思っていたよりもずっと簡単な感覚だった。光の糸の群はまるで一本一本に僕の意思が通っているかのように、ざらざらの紙の上をするすると滑らかに動く。

 鉛筆は、マナを目にみえる形に具現化する際のガイドだ。その糸が絡め取ってきたマナを、一本の鉛筆の周囲に沿って形にする。

 これが「顕現」。

 イメージするのは、細い棒、鉛筆そのものの形だ。鉛筆へと集束した蒼光の糸は僕の意思をそのまま体現して鉛筆のボディーで網目となり、その表面へと巻きついていく。そして縛る。ぎゅっ、と。

 これで、いいんだろうか? 少し不安だ。僕は成否が解らぬまま、人差し指をなるたけそっと夢の纏わりついた棒の尻から離す。

 僕の心配をよそに、HBの何の変哲もない鉛筆は円の中心に立ち続けていた。その全体を赤く発光させて、尖った芯その一点だけで。

「お、おぉ。やった」

『感動の割に薄っぺらいセリフだな』

「感動メーターが限界MAX振りきれて、0に戻っちまったんだよ……」

 僕は目の前の光景から目が離せないまま、魂の抜けたような声でフーに答える。

 ……出来た。

 畑中の言っていた通り、本当に出来た。出来たじゃないか。

 僕にも使えたんだ、魔術が。いや、本来はこれだけでは魔術とは呼べないのだが、経験値が0から1になったという事実はとてつもなく大きい。

 そう、そして。

 これで絶対。

 これは自分の意思で。

 僕はもう後戻りできないところに足を踏み入れた。

 巻き込まれたってわけじゃない、全てが自分の意思でだ。彼女に、畑中に気負わせるようなことだけは避けなければいけない。嫌悪感の理由は自分でもよくわからないが、とりあえずそれだけは僕の良心が許さないから。彼女は暗い顔の似合う人間じゃないんだ。

 ふぅ、と興奮冷めやらぬ中に一安心を得て、息をつく。

「で、次はどうす」

 リリリリリリリ。

 パタン。その音に僕がびくっ、となると鉛筆はあっけなく倒れてしまった。

「うぇあ!」

 なんてこった!

『電話だぞ』

「わかってるよ! あーあーあー、せっかく立ったのに……」

 電話の主よ、我はそなたを恨む。恨むぞよ。親父か。親父、あなたなのか! よもやこのタイミングでなくてもいいだろ、畜生。マーフィーの法則か、これぞマーフィーの法則と言うおつもりか。

 倒れたペンシルはそのままに、バタバタとリビングから廊下へと出て左向け左。突き当たりの洗面所に向かう途中にある電話へと早足で向う。無機質にコールを告げ続ける備え付け電話を発見するとまず一睨み、イライラと受話器を手に取った。

「もしもし」

 もしもしぃ、と一昔前のヤンキーのような不遜な口調になってしまったいた。万が一これで相手が親父じゃなければ大変失礼だが、はて。

「あぁ、もしもし」

 む、この口調、親父じゃないぞ。

「あ、大変失礼しました。八代でございますが」

 慌ててそう言い直す。そもそも第一印象を良く見せるための心がけが大切である電話での応対に言い直しは利かないだろうが、しないよりはマシだ。しかし親父はもっともったりと喋る。こんなハキハキとした話し方はしない。

 とすると、誰だ? 僕の知り合いにはこんな透き通ったテノールボイスの持ち主はいなかったと記憶しているが。

「こんにちは。いや……違うな、もう七時か。訂正させてもらおう」

 その含みのある話し方は、熟成した人間を受話器の向こうに印象付ける。だが。

「こんばんは、ジョーカー君」

「!」

 その耳新しい単語が、魔術の練習で磨り減った僕の神経を再び尖らせた。昨日の今日で僕をこんな風に呼ぶ奴は――2年2組の人間しかありえない。

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