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9.ズレた人

「……窓から出ればいい、っつってんのに」

 ひとり残された僕は、ぼそりとそう呟いてみた。

 そもそも引き留めるべきだったのだろうか。今更ながら罪悪感がなくもない。夕食くらいは一緒に食べようと誘ってやろうかな。

 と、その夕ご飯だが、どうしようか。親父が帰ってこないとなると作るのは僕ということになる。冷蔵庫に十分な食糧が残ってるかどうかも怪しいところだし、というかそもそも一週間も朝昼晩を自炊しろというつもりか。

 畑中が親父を遠ざける理由くらいはおぼろげにわかる。面倒事に巻き込まないよう気を使ってくれたのだろうということも。

 しかしそれでもこう言わざるを得ない、なんてことをしてくれたんだ、と。

 僕が自炊を決行しなければならないことについては大したことはないし、問題はそこじゃない。いったい親父にどんなハプニングが発生してしまったのかは考えるだけでもおぞましいことだが、ただでさえ毎日の仕事疲れがある中年男性にそこまでの過労を期待するのは少々酷な話ではないだろうか。という一点に尽きる。そりゃあ僕にだって落ち度はあるのかもしれないが。

 やはりごめん、親父。

 ここで一つ、考えのベクトルをシフトしてみる。龍ちゃんの話や畑中の話からすれば、かなり組織的な動きがあるようである。勿論魔導師とやらのやることだ、確実にそうとは言い切れないだろう。個人で起こせることの範囲など僕にわかる由もない。

 しかし、僕を狙うやつらとて裏の人間だ。僕を襲うにしろあからさまに裏の世界の存在やら魔法の存在が露呈するような真似をするはずがない。だったら僕一人程度、放っておいたところで『封じ屋』にとってそこまでの重荷になるとは考えにくいからな。彼らが一体何をそこまで懸念しているのか、暇なうちに少し考えてみるのも面白い。

 僕は机の上の保冷剤を手に椅子から立ち上がり、腫れてたんこぶになってしまっている額を左手でさすりながら、それを再び冷凍庫に入れ直す。

 僕、表の人間が裏の人間と深く関わりを持つことが表の世界に甚大な影響を及ぼすことになりかねないということだろうか。表の世界のスタビリティを崩すことを彼らは恐れているらしい。だからか? だがそうだとして、それは僕という人間一人のためだけにここまで気を回す理由にしては少々薄弱に思える。というか、既にその仮定は成り立たないだろう。畑中や龍ちゃんはもう十分すぎるほど僕と関わりを持っているはずだ。

 だったらやはりこの腕輪が? しかしこの腕輪はフーの話によると相当ぞんざいな扱いを受けていたという。そんな風に扱っていたとすれば、それを今更盗られることを気にするなんてことはなんだかおかしな話だ。

 だとすれば。やはりそういうことなのだろう。

 僕は何気なく、半分だけカーテンの開けられた窓の隙間から庭を見た。もう時間は四時半近く、手入れの行き届いていない庭の木々やブロック塀が紅に染まりつつあるのが目に入る。キャンプというからにはテントだとかそれに準ずる何かがあるのかとも思ったが、それらしきものは見当たらない。

 キッチンの端っこで冷蔵庫の前に立ち、なんとなく庭を見続けていると、窓枠に切り取られた視界の横からセミロングの髪を揺らして畑中が現れた。

 畑中は何やら僕に向って口を開いている。しかしその声は僕に届く前に窓に遮蔽されてしまうらしく、何も聞こえない。

「聞こえないよ」

 近づきつつ、少し大きめの声で僕も窓越しに畑中へ話しかける。畑中も窓の方へと寄ってきて、もう一度口を開く。しかし聞こえない。

 うちの窓ってこんなに防音性能高かったっけな。

「聞ーこーえーなーいーよ」

 口に手を当て、さらにボリュームを上げる。

「――――」

 だめだ、聞こえない。窓ガラスをはさんで畑中と対面するが、相変わらず彼女の声は僕に届く気配がない。

「――――」

 口の動きだけで言葉を読み取ろうとするが、向こうが一息で多くものを言いすぎるせいでそれも厳しい。もう一度大声を張り上げようとして、はっとする。ったく、何をやってるんだか。窓を開ければいいだけの話じゃないか。一歩歩み寄り、窓枠に手をかけ、それを右に引いて開ける。

 窓は開いた。はずだった。

 確かに開いた手ごたえ、右手が綺麗にスライドする感覚を得たのにもかかわらず、僕は再び同じ窓ガラスを前にしていた。

「……?」

 なんだ? もう一度窓を開けようと試みる。が、先ほどと同じ現象が、僕がその動作を完了することを妨げた。明らかに不自然だ。僕自身には「開けた」という確かな感触が訪れるのに、何度やってもその窓は僕と畑中を隔て続けるがごとく、目の前に立ちはだかる。

 この窓、一般的な家ならどこにでもある、いたって普通のガラス窓のはずなのだが。親父だってさすがにこれにまでは手を加えていない。

「………………?」

 畑中は、解せない現象を前にして眉をひそめる僕を不動の硝子越しにしげしげと眺め、満足げに一瞥をくれると歩いて再び視界から消えた。

 困惑しつつ、一度手を離した窓枠へ再び手をかけようとして、そこに不可思議な文字が刻みつけられていることに気づく。さっきはこんなものはなかったはずだけど。思いつつ、顔を近づけ、その正体を見極める。

 文字。

 僕には一文字足りとも解読できないが、どうもこれは文字以外の何物でもなさそうだ。うねりのある筆跡で書きつけられた2センチ足らずの文字列と思しき物は、揃って紅色の輝きを放っている。

 と、玄関の開く音がして、廊下をぱたぱたと踏みならす足音が聞こえたと思ったら、リビングに畑中が戻ってきた。ドアを開け放って第一声。

「窓は開きましたか? 八代君」

 どことなく解りきった調子で、上からの発言の色が見て取れた。この場合聞いて取れたとでも言うべきだろうか。僕は若干呆れて振り返り、先ほどとは逆の立ち位置で、また畑中と対峙する形となる。

「君も見てただろ? 開かないよ」

「そうですか。それは大いに結構です」

 畑中はそう言いつつフローリングを踏みならし、リビングを渡って窓辺の僕に歩み寄ってくる。

「何が大いに結構なんだ。全然結構じゃないぞ」

 僕の隣まで来て足を止めた畑中は、僕が先ほどしたように膝に手を当てて腰をかがめ、窓枠の文字をにらんだ。

「きちんと動いてるようですね」

 動いてる、って魔法が?

「ええ、そうです。簡単な隠ぺい術ですが、何もないよりはマシかと思いましたので勝手ながら施させていただきました」

「隠ぺい術……ね、ふぅん」

 呟いて反芻し、その要となっているのだろう窓枠の文字列にもう一度目をやる。少しでも目との距離が遠くなると、それに比例するようにして紅い光りは薄れていくらしい。一メートルも離れていないここからでは、既に目を凝らさないと何かが刻まれているということにすら気づけなさそうだ。

「しかし畑中、隠ぺい術なら隠ぺい術で、別に中から開けることが出来たって構わないんじゃないのか?」

 畑中は腰を伸ばして此方を向くと、右手の人差し指をぴんと立てて見せた。その姿が昨日の金髪の男のものとダブる。

「それはダメです。今私がこの家を対象にかけている魔術は、隠ぺい術と言っても、相手方の索敵網を直接ジャミングするタイプのものではありません。この家を覆うように結界を張る、いわば八代君宅をステルス化するようなタイプのものなんです。ですから、特定の一部を除いてこの空間への出入りは出来ないようにしてあります」

 ステルス化、か。そういう言い方をされるとなんだか近代的な親近感が沸くな。

「特定の一部、というのは、この場合玄関になりますね」

 いちいち玄関から外に出てたのもそういうことだったらしい。

 でもいつの間にこんなことを? 魔法というのは10分そこらで手続き可能なほどお手軽な物なのだろうか。

「いいえ、決してそんなことはありません。この魔術は先ほど八代君と楽しく会話のキャッチボールをしていた時に、最後のトリガーを引かせて頂いたんです。大方の仕掛けは昨日のうちに済ませてましたから」

 なるほど、あの時か。そう言えば意味もなく窓際に居たな。それらを頭に入れて畑中の一連の行動を振り返ると、確かにいろいろ合点がいった。裏を返せば油断も隙もあったものじゃない、とも言えるが。

「家の外側には昨晩に、それと今念のために内側にも数か所に術式を記述して、簡易ですが二重結界にしてあります。私はこの分野の専門ではありませんから魔術単体の術式はごく単純なものですが、即席の隠れ蓑としてはそれなりに機能すると思いますよ」

 術式。二重結界。いくつかのキーワードを耳に引っ掛けつつ、適当に相槌を打つ。当たり前ながら昨日の今日で僕が魔法なんてものに詳しいわけもないので、理解の程度もそれなりで打ち止めにせざるを得ない。

 畑中が一体どういうジャンルの魔法を専攻しているのか、それは解りかねるが、少なくともこういう術――隠ぺい術でいいのか――は専門ではないということらしい。

 ……ふぅん。

 それで、結局畑中は魔術の動作確認以外には僕にそれを言うために戻ってきたのだろうか。

「で、八代君。気は変わりましたか?」

「気、とは?」

「女の子をご自宅にご宿泊させる算段は付きましたかと聞いているのです」

 敢えて『女の子』と表現するあたり、意地が悪いよな。

「外でキャンプするんじゃなかったのか?」

 本当は泊めてやったって構わない、というのが心境の推移の実ではあるが、このまま折れるのもなんだか体裁悪いし、とりあえずここはノリを考慮してあくまでもそう言ってみることにした。畑中は大変わざとらしく嘆息し、頭を垂れる。

「うら若き乙女が野ざらしで二晩連続夜を越さなければならないというのに、八代君は心配はおろか同情すらしてくださらないのですね。私、少し八代君を過大評価しすぎていたのかもしれません。失礼ながら、ガッカリですよ」

 おい、急にキャラが変わったな。

「ああ、今夜は雪が降るでしょうか、槍が降るでしょうか……外は寒いですねえ」

「今は夏だから外は生ぬるいし、雪は降らないよ。そして夏でも冬でも槍は降らない! ていうか、今は夏だし!」

 しまった、つい勢いで夏であることを二回も口にしてしまった!

「そうですか? では、今夜は八代君の血が降るでしょう」

「平然とした顔で淡々と恐ろしいこと言わないでくれ!」

 君が言うと普通に怖いから。というかそれは脅しですか、畑中さん!

「脅しだなんて、私はただ」

「僕はMじゃない」

 スキル「発言の先読み」を発動してみた。

「そうですか……そうなんでしょうね。こんな風に女の子を外に閉めだそうとするくらいです。ドSなんですね、やっぱり」

 いや、だからなんでドをつけるかな。

「あのな、なんなんだよさっきから」

「八代君がおこったー、こわいですー」

「セリフの棒読みはやめなさい!」

 畑中は僕から顔を背け、指の背で「よよよ」とかいう感じの効果音が入りそうな動作で涙をぬぐう。ふりをした。僕は冷ややかな目でそれを見つめる。

 そしたらどうだ、啜り泣きを始めやがったぞこの娘。

「うっわ、ちょ、わかった、わかったから!」

 泣き真似と解っていても、それを止めないわけにはいかなかった。

 元来男は女に弱いものなのだという。肉体的には男が勝るが、身体の耐久力だとか、頭の出来一つ取って見ても女性が男性に勝る要素は多いらしい。それは生物学的にもそうだし、あるいはかかあ天下とかいう俗語からそれを読み取ることも容易かろう。結論として、女の涙というものは男心を動かす最強かつ最悪の武器であるのだ。

 そう納得しないことにはやってられない。僕は早くもこの年にしてこの世の真理の一つを獲得してしまったのかもしれないな。

 しょうがない、変に意地を張るのはやめよう。

 僕は深く肩を落とし、ついでに深くため息もつくと、力なく顔をあげる。そこには泣き真似を繕おうともしない、もはやふてぶてしい笑顔を浮かべた畑中が立っていた。

「ついてきなよ、母の部屋まで案内するから」

「はい」

 返事だけはいい奴だな。しぶしぶ畑中を後ろに連れて夕日の差し込むリビングを後にすると、二階への階段を上る。

「広いおうちですね」

 後ろにつく畑中が感心したように言った。

「ああ、二人……いや、一人のほうが多いかな。にしては確かに少し広いと思うことはあるよ」

 一段ごとにぎぃぎぃ鳴る階段を上り終えると、大して散らかってもいない簡素な廊下を数歩進む。自分の部屋を通り過ぎ、素っ気のない字で「希未の部屋」と書かれたプレートが下げられたドアを開けた。

 このドアを開けるのも久しぶりだ。半年振りくらいだろうか。中に踏み込むと、やわらかい絨毯の毛がふさふさと裸足の裏をくすぐった。結局冬の間に片付けるのが億劫だったものが、そのまま敷いてあるのだ。なんだか懐かしい香りを一人堪能しながら、壁伝いに手をやり電気をつける。明かりがついて部屋の全貌が明らかになると、ますます懐かしさが込み上げてくる。

「ほら、ここだよ。入りな」

 少し声高に言って、僕は中に畑中を招き入れた。

「母の部屋だ。勝手に引き出しを開けてものを弄ったりしない限りで自由に使っていいよ。ま、君がそんなことをするなんて思ってないけどな」

 彼女は部屋に入っていくらか進むと、ベッドと洋服ダンスの置かれた、そして角の丸い机の上にちょこんと座るライオンのぬいぐるみ以外には女性らしいもののほとんどない、6畳ほどのシンプルな部屋を見回した。白い絨毯と桃色の壁紙が、今日の畑中の服装にちょうどよくマッチしている。

「綺麗なお部屋です」

 そりゃそうだろうな。この部屋で何かをすることなんて最近ではめっきり減ってしまった。それにもし何かに使ったとしても次の日には親父が必ずこの状態に片付けるから、この部屋が散らかっていたことなど過去に一度たりともないはずだ。

「……これで満足でございますか、姫」

 右手を胸の前に、僕のイメージの中にある執事のポーズをとりつつ、言ってみる。

「うむ、よはまんぞくじゃ」

 ノるならノるで棒読みはやめろよ。

「というか、さっそくベッドに寝転がるな」

「んー、んんー、ふかふかですぅ……」

 小さな体躯を丸めて、羽毛の掛け布団の上をごろごろと転がる姿は、姿は正直、なんだ、かわいいと言えなくもない。

 そして危ういよ、その格好は。

 見えるよ、それ。

 そのかわいらしいひらひらのスカート、皺になるし、っていうか、見えるし。

「八代君」

 話しかけられて目のやり場に困ったので、僕はあさっての方向を見た。向かって右側の壁、タンスの上のにある、見なれた文字盤のないシンプルな掛け時計がほんの少し僕に冷静を取り戻してくれる。

「なに?」

「ころしますよ」

「なんでそんな物騒なセリフが君の口からっ!」

「見える、とか思ってたでしょう、今」

 まさかとは思っていたが魔法使いは人の心が読めたりしちゃうのか!?

「あなたのような単純な人間の心など、魔法を使わなくとも容易く読めます。誰でも読めます。病院の待合室にある雑誌のように」

 それは暗に、読んでもつまらない、ということも示唆しているのか。

「ご名答」

 嬉しくない!

「さてと」

 枕を抱きかかえるようにしてうつぶせになる畑中は、そう前置きして寝返りを打ち、今度は仰向けになった。ふわりと、つやのあるセミロングの髪の毛が複雑な軌道を描いてベッドの上に広がる。だからその動き、危ういってば。

 じゃなくてだな、結局直接的に見るなとは言わないんですか、君は。まさか僕の人間としての器をそれで量るつもりか。

「とりあえず私はこれで、今日すべき任務をすべて全うしたことになりました」

「え? え、ああ、うん。そうなのか」

 あまり露骨に発言にうろたえを出すと、小さい人間だと見られてしまうかもしれない。僕は自分を無理やり理性の淵へと沈め、彼女の言葉に耳を傾ける。

「全く……八代君がもっと早く起きて居ればこんなに時間がかかることもありませんでしたのに。どんだけ寝坊ですか、あなた」

 畑中は天井を見つめながら、僕の痛い点をついた。

「勘弁してくれよ。寝起きにはいろいろあったんだよ。フーにも……」

 と言いかけて、フーと畑中はあまり仲が芳しくなかったということを思い出し、慌ててそれを打ち切る。

「いや、そうだな、僕が悪かった。謝る」

 ちらりと顔色をうかがうが、大丈夫そうだ、さすがにフーという単語を口にしただけで怒るような娘じゃない。

「やっぱり。そう言うと思いました」

 やっぱり、という言葉が彼女の口から出たときには一瞬フー関連のことかとドキリとしたが、口調から察するにそうではないらしい。なんだ、僕の心ってそんなに読みやすいのか? そうだとすればそれは少々心外だけど。

「そうじゃないです。八代君のそういうところ、私は嫌いじゃないけど、直した方がいいと思います」

 そういうところって?

「本当に自分の責任かどうかもよく考えずに物事を背負い込んで、仕舞いには謝罪まで述べちゃうようなところですよ」

 そうかな? 僕自身、自分がそんな性格だと意識したことはないけど。それにもしそうだとして、それは僕が現代社会の中を生き抜くために編み出した人との円滑な付き合い方という奴だろう。別に直す必要はない。

「……まあ、八代君のことなんか私には関係ありませんし。お好きにどうぞ」

 相変わらず彼女は天井からぶら下がる電球を眺めながら、拗ねたように言った。なんでそんな言い方をされなければならないのか僕にはよくわからないが。

「昨日のことですが、覚えてますか?」

 昨日はいろいろありすぎた日だったが、おそらくベッドの上の桃色仔リスが僕に思い出させようと意図していることは。

「あれか、放課後の校舎で追いかけっこをしたやつ」

 これだろうな。

「追いかけっこ……そういうことにしておきましょうか。私は途中から記憶が曖昧なので、半分は美鈴姉から聞いたお話なのですけど」

 畑中はそう言って上体を起こすと、両手で枕を胸に抱えたままベッドの縁に腰かける形となり、こちらを向いた。

「謝らなければいけないのは私のほうです。ごめんなさい」

 そして僕に向って、ペコリ、と頭を下げた。

「何に対して、何故謝ってるのかよくわからないんだけど」

 感じたままを、頭を下げっぱなしの畑中に返す。

「今日あなたが寝坊したのは私のせいでした、だからごめんなさい。と申しているのです」

 どうして? 僕が寝坊したのはどう考えても堕落した僕のせいであり僕以外のせいではありえないと思うのだが。

「私は昨日、あなたに魔術を使わせてしまいました。そもそも導力に目覚めたばかりの人間に魔術を使うこと自体、その人間を相当疲弊させることになるのです」

 顔をあげた畑中は、こんな風に続けた。

「ですから、今日あなたが寝坊してしまったのは必然的に私のせいなのです」

「わかるように説明してくれ」

 君たちはどうも常識というか、前提をもう少し吟味して話し出すべきだと僕は強く主張するよ。

「僕は魔法だか、魔術だかに関する知識はほぼ0なんだぜ?」

 開きっぱなしだったドアを背もたれにしつつ、腕組みをして畑中に遺憾の意を述べた。

「知りたいんですか?」

 え? 意図せず、そう声が漏れた。

 その声には何やら不思議な響きが含まれていたから。心配の色か。いやもっと深い、彼女の、僕じゃ入り込めないような心の場所に置かれている何かが、その短い台詞には込められていたような気がした。

「知ってしまうということは、後戻りできないと言うことです」

 畑中はうつむきがちになる。

「何を今更」

 表情に影のさした、彼女のそんな姿は見ていて居た堪れなかったので、努めて明るく声をかける。

「逃げられないように僕の脚を動かなくしたのは君だろう」

 冗談めかしてそう言ってから、彼女に目を遣る。

 まあ、当人が平気な顔してるんだ。君は僕の護衛なんだろ? そんな風に落ち込むのは似合わない。さっきみたいにふてぶてしく笑ってればいい。

 言葉にはしなかった。口に出すには、少しばかり気恥ずかしいものもあったし。だけども畑中は僕の意をそれとなく汲み取ってくれたらしい。名残惜しそうに枕を手放してベッドの定位置に戻すと、立ちあがった。

「八代君は……やっぱり」

 そしてはにかんだ様にあどけない笑顔を作ると、言った。

「ズレた人です」

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