4-12
●4-12
遠く山の端に太陽が沈みかけている。
世界はオレンジ色に染まり、空にはゆっくりと雲が流れていく。
そして大地には花が咲き乱れ、ミツバチと蝶が舞っていた。
全てがオレンジ色に光っていた。美しかった。
涙が出てきた。僕はこの景色を知っている。一度だけあった、蜂蜜が溢れるほど取れた季節だ……。
甘い景色の中を、穏やかな顔をした初老の男と、幼い少女が手を繋いで歩いていた。
少女が小走りに男の前に回り込み、向かい合って両手を繋いだ。
「お父様、またダンスを教えて」
少女が言った。
「ああ、いいとも」
少女の裸足が、男の足の上に乗る。
「いち、に、さん、いち、に、さん」
真剣な顔の少女。
その顔を、男の微笑が見下ろす。
「お父様、笑わないで」
そう言って、少女も笑う。
「いち、に、さん、いち、に、さん」
同じステップを繰り返し、一向に先に進まない、子供のダンス。
それで良かった。それが良かったのだ。彼女と彼が、幸せなのだから。このまま、いつまでも、こうしていてほしかった。
だが、男は足を止めた。少女の裸足を芝に下ろす。
「さて、もうすぐ暗くなる」
「まだ平気よ」
「サーラ、わしは行かねばならない」
「どうして? いやです」
「このまま永久にお前とダンスをする事も、この『石』があれば可能だ。だがそれは良くない事なんだよ」
「いや。やです」
「お前はもう大丈夫だ。わしがいなくとも、お前には友がいる」
キルカムナ卿が「僕」を見た。その目はやはり、少し傲岸で、苦々しさが混じっていた。だけれど、人が人を見る目つきだった。
それから少女に向き直る。僕らに向ける顔とは全然違う、切ない笑顔で、優しく……。
「これはお前にはよくない物だ。わしの弱い心そのものだ。おもちゃにしてはいけないよ……」
「お父様」
「さらばだ」
「お父様! 行かないで!」
風が起こった。
咲き誇っていた花が散る。
花吹雪で、何も見えなくなった。
◇◇◇
凄まじい振動と轟音に驚き、目を覚ました。
ここは、花畑などではなかった。僕は相変わらず、邸の床に倒れていた。邸の形をした、ダンジョンの最深階だ。その、砕けた床や瓦礫の中に、僕はいた。
息を吐き、ひどく苦労して寝返りを打つ。
「お父様は行ってしまった」
サーラさんの声が聞こえた。
そうだ、キルカムナ卿の魂は、もうここにはいない。
「サーラ様~」
「クーリカ!」
瓦礫の中、二つの足音が走り寄り、抱擁する気配。ぐすんぐすん言っているのはクーリカか。
「ギスタは!? エル?」
僕は倒れたまま手だけを上に伸ばした。二人の声を掴むように。
〝もうちょっと格好がついてから呼べばいいじゃない。こんな無様な状態、見られたくないわ〟
「そうかな……」
確かに、声を出すのも大変だった。
「あ、あの折れた柱の陰に! ああ! ギスタ!」
サーラさんが気付いてくれたようだ。
二人が駆け寄ってくる。その足音を、仰向けのまま、聞く。
僕は鎧姿だった。魔剣の形ではない。
「ギスタ様! エル様!」
「生きているのよね!?」
二人が心配するのも無理はない。大の字に倒れている鎧は穴だらけでボロボロ。その中で、僕らの体を構成するはずのミミック細胞は、半分も残っていなかった。
でも。
「大丈夫……」
僕は面頬を上げて、笑ってみせた。
それから腰の鞄から糧食を出して、むしゃむしゃと食べた。
「回復中だからしばらく待ってて」
「もう、ギスタ……」
サーラさんはホッとしたような呆れたような、困り顔の笑みを浮かべる。目に溢れた涙が、ぼろぼろとこぼれる。
サーラさんはマント姿だ。きっとその下は、裸だろう。




