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「サーラさん! しっかりして!」
僕が怒鳴ると、サーラさんはビクッとし、後ろへ飛び退いた。
サーラさんは僕を振り返り、それから貴族へと顔を戻した。
貴族の方は、僕の方を見ている。体が竦む思いだった。
目元は優しい。だが、眼力は重く、有無を言わさぬものを感じた。教会の司祭が狂信者を見る時の目に似ていた。力ある者が、抵抗出来ない者に相対する時の目。人に命令する事に慣れている人の目なんだろう。
「お父様、彼らは私に協力してくれて、ここまで共に来てくれたのです」
「知らぬ顔だ。雇ったのか」
「違います」
「……まさか、友か」
「はい」
貴族は、わずかに目を細めた。口元には優しい微笑を浮かべたまま。羊飼いが生まれたばかりの羊を見るような優しさ。
「皆にも紹介するわね。私の父、ヤルバン・キルカムナ伯爵」
紹介されて、しかしキルカムナ卿は頷くでもなく、当たり前のような顔をしている。
「ギスタには話したわね。お父様は、忙しい中でも私に……」
「ダンスを教えてくれた」
「ええ、そう。私は家の誰とも折り合いが悪くて、特に兄達には憎まれてもいた。お母様にも優しい言葉をかけてもらった覚えがない。乳母にも構われなかった。お父様だけが、私を見てくれたわ」
「お前はお転婆だったからな。危なげがあった」
「自分を守る為に元気な振りをしていたのです。隙を見せるのが恐ろしかったのです」
「分かっておる。だがそれで余計に邪魔者扱いされたな。剣なども習って」
「はい。だからこそ、私は今ここへ来ているのです」
「厄介払いか」
サーラさんは言っていた。このダンジョンへ堕天使を討伐に行くと宣言しても、誰も止めなかったと。誰もついて来なかったと。討伐行の途中でサーラさんが死ぬなら、その方が兄達には都合が良いんだ。そんな家族ってあるか。
「でも私は嬉しいのです。誰からの縛りも邪魔もなく、ここへ来る事が出来たのだから」
僕らを振り返り、
「彼らは私の力です」
と言った。
「やはり、友か」
キルカムナ卿が言う。その声音には、これまでとは違い、少し、棘があった。
「お前に友が出来たらと願ってきたが、実際にそうなると、複雑なものだな。妬けるな」
そう言って声を出して笑った。
「でも安心して下さい。私がこの世で一番愛しているのは、お父様です」
サーラさんも笑った。
笑いはすぐにやんだ。
サーラさんはキルカムナ卿の胸に飛び込んでいた。その手には、三角長剣が握られていた!
「お覚悟!」
真っ直ぐに突き込まれた剣先は、しかしキルカムナ卿の胸には届かなかった。刃は、キルカムナ卿の手に止められていた。
指輪を嵌めた指で、節くれだった素手で、鋼の剣を受け止めている……。
堕天使には普通の武器は効かないんだ。この破邪の鎧がなければ。その事はサーラさんが一番良く分かっていたのに。
「この玩具はお前には危ない」
キルカムナ卿は難なく剣を奪い取り、放り投げた。
大理石の床に、重い音を立てて三角長剣が跳ねた。
「サーラ。元気なのは結構だが、ちとお転婆が過ぎるぞ。あまり父を困らせるな」
キルカムナ卿の手が、サーラさんを抱き寄せ、彼女のはちみつ色の髪を優しく撫でた。
「やめ……!」
歯を食いしばって身を捩るサーラさんだったが、その顔から、険しさが抜けて行く……。
体からも力が抜けたのか、両腕をすとんと落とした。
「サーラさん!?」
僕の呼びかけにも応えない。
ただ、力ない声で、
「お父様、私は悪い子でした……」
と呟いた。その声には涙が混じっていた。サーラさんは、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
「ごめんなさい……」
サーラさんは、父親を殺す為にここまで来た。自分を唯一愛してくれた父を。その父を彼女も愛するが故に。それは、凄まじい覚悟だ。
それだけの覚悟を、こうもあっさりと折られるとは。
これが、『堕天の力』か。やはり人の心までも変えてしまうのか!?
「良い子だ、サーラ。お前は可愛い良い子だ。はしたない格好は許さぬぞ」
キルカムナ卿は幼い子に言い聞かせるように言い、サーラさんのマントを撫でた。
マントが尖った「飛沫」を上げる。生地が脈打ち、千切れ、ほぼ裸だったサーラさんの素肌にまとわりつく。
「変化」しているのだ。
そうして、それは豪華なドレスに変わっていた。
煌びやかな、まるでお姫様のような格好のサーラさんが、キルカムナ卿の腕の中にいた。
キルカムナ卿の『力』は、マントの「呪い」を完全に凌駕しているのだ。
「サーラ、お前には貴族としての幸せを得てもらいたい。もう舞踏会を抜け出すのはならんぞ。相手はわしが選んでやる」
「お父様……」
サーラさんがうつろな目で呟き、父親の胸に顔を埋めた。




