3-11
●3-11
僕は、巨人の「正体」であり「素材」であった、地面に重なる死体を見ていた。
焼かれ、朽ち果てた数多くの死体。どれもが黒く焼け、溶け、誰が誰だか分からない。人かどうかも分からない。
その中に、光る物があった。
僕は膝をつき、それを手に取る。
「指輪だ……」
光は、ランタンの明かりの反射ではなかった。指輪自体が光っているのだ。
「これは……」
〝約束の指輪よ〟
「エル? お願いだ、表に出てきてくれ」
君の事までも失いたくないんだ。
僕の体が、エルのものに変わる。だが、その顔に表情はなかった。
「この遺跡に『堕天石』が落ちた時、その場にはアタシもいたのよ。この、荒野の真ん中にある忘れ去られた遺跡に。古代のお宝でも漁ってやろうと思ってやってきたんだけど、入る前に『堕天石』が降った。そして、この指輪を見つけた。この指輪は、『堕天石』が地面に激突した時に生まれたのよ」
小石か何かが『堕天の力』を受けたのだろうか。
「地中で大きな変化が起こり始めて、ここがダンジョンに変化していくと分かった。アタシは『力』の影響を受けたくないから、まだ外にいた。しばらくして、男達の一団が、この生まれつつあるダンジョンに入っていった。アタシは身を隠してやり過ごしたけどね」
エルが話してくれた。
彼女は盗賊ギルドに所属するシーフだった。
盗賊ギルドも、教会の狂信者や金持ちに雇われた荒くれ者と同様、ダンジョンに『堕天石』を求めて潜る。表だって目立たないのは少人数での隠密行がその信条だからだ。
新ダンジョンを発見したエルは、ギルドの掟に従って、ギルド長へ報告しようとした。
だが、その事を嗅ぎ付けたシーフ仲間のカラトから、ギルドを抜けて、自分達だけでダンジョンを探索しようと持ちかけられた。
エルは彼を信じて、彼に従い、ギルドを裏切り、ダンジョンに潜った。ギルドを裏切ればただでは済まない。そこまでの決意をするほどに、エルはカラトを想っていたのだろう。
「でもカラトはアタシの事など必要としていなかった。彼が欲しかったのは、この指輪だった。『堕天石』から生まれたこの指輪には、『堕天の力』に引かれる特性があった」
〝じゃあ、この光って〟
「強い『堕天の力』に反応して、そちらを指し示しているのよ。一番強い『堕天の力』と言ったら、そりゃあ『堕天石』そのものだからね。光に導かれていけば、ゴールに辿り着けるはず。羅針盤ね。繋がっているのよ。だから約束の指輪。そりゃ欲しがるわ。女なんかよりも、ずっと貴重だから」
エルが、くすくすと笑った。
「そうして、アタシと彼は指輪を交換した。愛の約束として、ね。アタシが贈られた指輪は、カラトの母親の形見だと言っていた。嘘だと分かっていた。その辺の酒場で、賭けで巻き上げた代物よ。でもそんな事はどうでも良かった。アタシは間抜けだったから。そうしてアタシは、ドジで間抜けなアタシは、幸せの絶頂で毒を盛られて、ミミックの中に捨てられたってわけ」
〝でも……。でも彼もまた、幸せにはなれなかった〟
「そうね。その指輪は強い『堕天の力』に反応する。『堕天使』ほどではなくても、強い『力』を受けて生まれた、強いモンスターに。だからさっきの巨人にも反応したんでしょう。カラトは自分から巨人の元へ向かったのよ。そしてあのざま」
エルの掌で、約束の指輪から短い光が伸びている。ある方向を指し示している。
「命が惜しかったら、光とは逆の方へ向かいなさい。光の先にあるのは、絶望だけよ……」
そう言って、体が僕の形へと変わる。
エルの心は体の奥深くへ潜ってしまった。
「エルの言う通りね。『堕天の力』なんて、不幸しか呼ばないのよ。人が使っていいものじゃない」
サーラさんが言った。
「モンスターも、このダンジョンそのものも、『堕天の力』がもたらしたものよ。なのに、人はそんな恐ろしいものに惹かれてしまう。人の分際で」
「でも、きっと良い事にも使えるんです。だから修道院だって、僕らだってそれを求めるんだ。そりゃ欲望ありきだとは思います。けど、『力』を良い事に使いたいっていう願いが強ければ……」
「『堕天の力』に打ち勝てる強い心なんてないのよ。誰もが負けて、取り込まれてしまう。人は弱いのよ。自分で思うよりも、ずっと」
「サーラさん……?」
「私の目的は、堕天使を殺す事だって言ったわね。このダンジョンに棲む堕天使を」
「はい」
「そいつは、私の父よ」
「え……?」
「私は、『堕天の力』に狂わされた父親を殺しに来たのよ」
サーラさんは本当の目的を話してくれた。
この遺跡に『堕天石』が落ちた時、すぐ近くを、サーラさんの父親一行は通っていた。武装した家来を二十人ほど連れて、荒野の先の街へと向かっていたのだそうだ。
そうして、一行は『堕天石』に導かれるようにダンジョンへと向かった。エルの言っていた、男達の一団とはサーラさんのお父さん達だったんだ。
父親は、まだダンジョンが生成中に地下へと潜っていった。
そうして、悲劇が起こった。
まだ『力』の発動中の『堕天石』に近付きすぎたサーラさんのお父さんは、自身も大いなる『力』を受け堕天使へと変化した。お供の家来達を殺し、そのまま『堕天石』とともに、ダンジョンの下階層を生成しながら降りていったのだそうだ。
「運よく生き残った家来が一人いて、その知らせを持ち帰った。我が家は大騒ぎになったわ。跡目争いでね。母と二人の兄と、彼らそれぞれに従う家来達が、ひと時も休まずに争い……。でも、当のお父様の事はほったらかし」
サーラさんの顔に、彼女には似合わない、人を蔑むような嫌な笑いが浮かんだ。
「お父様の事で悲しむ者などいない。堕天使になったところでダンジョンの外に出てくるわけでもない。どうでもよかったのよ。でも、私は嫌だった。だって、これではあまりにお父様が救われない……。だから、私が……」
「殺しに行こうと決めたんですね」
「そう。それを言っても、誰も止める者などいない。兄達は嬉々としていたわ。跡目争いで一人脱落した事になるから。家来の内で私についてくる者もいない。どうせ殺されると分かっているから。兄達は私の為に、教会にお金を積んで破邪の鎧を造ってくれた。餞別代り、いや、手切れ金ね」
この銀色に輝く鎧は、全然綺麗な物ではなかったのだ。黒い願いで造られたのだ。
「君を巻き込んでしまったね、ギスタ。私の問題なのに」
その破邪の鎧は、僕が着ている。サーラさんの持つ、堕天使に対抗出来る唯一の装備が。
「誰の問題かなんて関係ないです。僕らは自分の為にこのダンジョンにやってきて、そして『堕天石』を目指しているんだから」
そうして、それぞれの目的でここに来て、僕らは出会ったのだ。僕と、エルと、クーリカと、そしてサーラさんが。
「この鎧がある事で、僕の命はあるんです。僕は生きているんです。だから、戦えるんです」
僕は鎧を着ている。
嫌な想いから造られた鎧であっても、破邪の力を持っている。
僕もまた、モンスターの細胞から出来ていても、人の心を持っている。
僕ならやれる。僕が、やらねばならないんだ。
「君は強いのよ、ギスタ」
サーラさんが僕をじっと見つめる。
「体は人間ではなくなっているのに、心は人間のままそこにある。君と話していると、人間の心って『堕天の力』でも変えられないのかもしれないなんて思ってしまうわ。でも……、もしも、心を歪められて、それでも意識が残ってしまっていたら。エルの恋人のように、苦しんでいたら。あんなに……助けを求めて……。だから私は、堕天使の中のお父様を、早く殺してあげたいの……」
サーラさんが背を向けた。両手を顔に当てて、背中を震わせる。声を出さずに泣いていた。
エルは、僕らの目的が殺しだと言った。その点で同じ穴のむじなだと。
でもそれは違う。今はっきりと分かった。
殺す事が目的なんじゃない。大切な人を、愛する人を助ける事が目的なんだ。
エルもそうだ。カラトを殺すつもりだったのに、救いたいという気持ちの方が勝ってしまった。
僕は?
「僕はサーラさんに言ったはずです。あなたが愛するお父さんの為にここに来たのなら、僕もまた、愛する人達の為にここにいるのです」
僕は、かつて愛した人達の復讐の為にここに来た。
そして今。
そうだ、僕は、僕の好きな人達を、不幸せになんかさせない。
サーラさんの背中に、僕は鎧に包まれた手で触れた。鋼を通して温かさを伝えられたら。
「僕はあなたに約束しました。サーラさんが僕を助けてくれたように、僕もサーラさんを助けるって。一緒にやりましょう。あなたのお父さんを殺す為に。不幸から、助ける為に」
それから、胸に手を当てる。
「そしてエル。君も、今度こそ幸せになるんだ。絶望なんて、いけない」
エルは、何も応えない。




