3-6
●3-6
今、起きているのは僕とサーラさんだけ。
胸甲を着けようとした手を、サーラさんの手が押さえた。
「ちょっと待って」
「え」
「胸を見せて」
「え!?」
ど、どういう事!?
僕はギクシャクした動きで鎖帷子を捲くった。
僕の男の胸板を、サーラさんがしげしげと見つめる。
エルのように完璧な肌の色にはならない。意識の仕方が間違っているのか、どうしてもピンクっぽい半透明になってしまう。
「恥ずかしいです……」
我ながら情けない声。
「あんっ」
冷たい!
サーラさんが僕の胸にピトッと指を当てていた。
「あれが、君の魂なのね」
サーラさんが言ったのは、僕の胸の奥で光る、折れたナイフだ。その横にはエルの指輪がある。
あ、なんだ。ナイフが見たかったのか。はは……。
「クーリカの癒しの魔法なら、そのナイフも直せるのかな……」
「いやあ、これはこのままでいいんです。僕の村に何が起こったか、誰を失ったかを、忘れない為に」
「そっか、村の……」
「はい」
僕の村は彷徨う堕天使に襲われ、僕以外の全員が殺された。
「このナイフは、父さんから贈られた宝物だったんです」
父さんは村の鍛冶屋だった。だけど打つのは包丁と鍬、それに鍋釜ぐらい。
でも僕は、そんな父さんから、勇者の武器を造る鍛冶屋の話を聞かされて育った。
貧しくて盗賊に襲われる事すらない村だったけど、父さんは趣味でいろんな武器を造っていた。いつか勇者の為の剣を打ちたいと夢見ていたんだ。その事を村の皆にからかわれても、腹を立てるわけでもなく。
僕は父さんを世界一の鍛冶屋だと思っていた。だから、父さんからナイフを贈られた時に、本当に嬉しかった。
だけど、村が堕天使に襲われた時、父さんの造った武器では相手に傷を負わせる事も出来なかった。
それは、父さんの腕が悪かったからじゃあない。父さんは世界一だ。
司祭様が言っていた。魔剣じゃないと堕天使は討てない、と。
「だから、魔剣が欲しいのね……」
「はい。父から習った鍛冶の技と、『堕天石』さえあれば、僕にも魔剣が打てる……!」
魔剣さえあれば、世界中のダンジョンの奥にいる堕天使を倒す事が出来る。いつか、僕の村を滅ぼした、彷徨う堕天使にも辿り着けるだろう。
「この破邪の鎧も……。こんな物を造らせるなんて、サーラさんの家も凄いですね」
「そうかしら」
「いったいどれだけのお金を積めば買えるのかな、この鎧。教会に聖別させるなんて、僕には想像もつかない額なんだろうな」
「うちは貴族だから」
「えええ!? そうだったんですか!?」
なんと、貴族……!
領土を持ち、領民を持ち、税を取る。そんな人が、僕の隣に。
ただのお金持ちとは違うとは思ったけど……。だって、街の商人達とは全然違うし。
それにしても貴族か……。貴族なんて、見た事なかったよ。
僕の村の領主は、何回かしか見た事なかったけど、いかにも粗野な田舎の旦那といった風情で、貴族でも騎士でもなかった。ただ昔からの土地持ちなだけだった。
「貴族ですか……それはそれは。さぞやお金があったんでしょうねえ」
なんか凄い馬鹿みたいな事言っているな、僕。
「そうね」
サーラさんが笑う。
「先に言うけど、家来も多かったわよ。馬もね」
「ははー」
「まあでも、よくある話だけど、気を許せる相手なんていなかったから。楽しい生活ではないわ。想像出来るでしょ?」
「ええ。あり得そうですね」
二人で笑う。
「でも、お父さんは優しかったんでしょう」
炎の魔人と対峙した時、サーラさんは「お父様」と呟いていた。
「そうね」
「良いお父さんなんですね」
「良い人間ではないと思う。税の取り立てで領民はいつも苦しんでいた。だけど、私を可愛がってくれた。子供はそれだけで嬉しいのね」
「遊んでくれたんですね」
「そうね。ダンスを教えてくれたわ……。嬉しかったな……」
貴族のダンスか。舞踏会に行ったりするんだろうな。
「あとは冷たい、つまらない連中ばかり。母も二人の兄もいるけど、赤の他人以上に冷たいわ。家族の繋がりなんて意味がないのかもしれないわね」
「そうなんですか……」
「ねえ、君の村の話を聞かせて。さぞのんきで気の優しい人達だったんでしょう?」
「それはもう」
「やっぱりね」
綺麗な顔が微笑む。
僕が生まれ育ったコドー村。田舎の小さな村。一つの共同体、一つの家族のようなものだった。
でもそれは窮屈な事でもあって、誰かが仕事をさぼると村人皆からひどく怒られる。秘密ごとなど出来やしない。怒る時には、他人の家の子でも容赦なく拳骨だ。薪で殴られるのも当たり前。
「きっと、サーラさんや街の人には耐えられませんよ」
実際、若い人なんかは嫌になって飛び出していっちゃう。そういう時も村全体で引き止める。一番の働き手が出ていっちゃったら村の損失だし、税は土地に課されるから、残された人は大変だ。だから、明け方にこっそりいなくなっちゃう。
「でも、出て行った人で、実際に街で成功するのなんて、ほとんどいなかったと思います。数年経って、ボロボロになって村に戻ってきたり、泥棒になっていたり。後は、きっとどこかで野垂れ死んだんだろうって話に落ち着きます」
「ギスタはどうだったの?」
「僕も、いずれは出て行くつもりでした。街で鍛冶屋を開いて、名のある騎士に僕の打った剣を使ってもらって……なんて夢を見ていました。それに……」
鼻の頭をこする。
「村にいても、碌な人がいなかったから。土色の服を着た土色の女の子だけ。街に行って、きらきらした綺麗な女の子を見てみたかったし、そういう人を嫁にもらいたいって。村の男は皆そうなんですよ。でも、まさかこんな形で村を出る事になるとは思わなかったな」
ハハ、と、ちょっと乾いた笑い。
「街も酷い所でしたけどね。村とは比べ物にならないような、本物の悪人ばかり。女の人にだっていくら取られたか……。綺麗に着飾っていても、中身はどす黒いもんです」
「そうね……」
「だから、僕はこのダンジョンに潜って良かったと思っているんです。本物の、きらきらした綺麗な人と出会えたから」
僕の視線にサーラさんが気付く。
「え、あ、え? ちょっと、何言ってるのよ!」
サーラさんの顔が赤くなる。
「変な事言わないで」
サーラさんは口を尖らせて、棒切れで焚き火を突っついた。
こんな顔もするんだな。いつもの涼しげな顔ではない、照れて、拗ねた、「女の子」の顔。
「サーラさんは綺麗です。強くて、凛としていて。こんな人が本当にいるんだなあって。クーリカの言う事じゃないけど、絵本の中に出てきた姫騎士様みたいで」
「私は、そんな立派な人間じゃない。そんなに強くないよ……。私はただ、お父様に褒めてもらいたいだけかも」
そんな、親想いの子供らしいところも、僕にはとても素敵に思えた。強いだけじゃない。きらきらしているだけじゃない。
「サーラさんがミミックを倒して僕を解放してくれたように、力が漏れないようにこの鎧を預けてくれたように、僕もサーラさんを助けます。僕は死んでいるけど、命はあるんです。その命をかけます。そうして堕天使をやっつけて、家に帰りましょう」
僕にはもう家がない。家族もない。
だけどもサーラさんにはそれがある。優しいお父さんが待っている。
サーラさんは一しきり焚き火を突いたりかき混ぜたりしてから、
「命をかけるだなんて、暗い決意はやめて。それとも、誓いって言うのかな」
と言った。
「約束です」
声が上ずってしまった。
「私は君を助けたわけじゃない。偶然よ。君が、自分で私の鎧に入り、生き延びたのよ。だから恩人のように言って欲しくないわ。重いもの」
僕が言い返す前に、
「君はクーリカに友達だと言ったわね。私は?」
「サーラさんは、僕の……」
僕はサーラさんの手に、僕の手甲に包まれた手を乗せた。軽く掴む。今だけは、この体が人間のものではなくて良かったと思う。人間だったら掌が汗でびしょびしょになっているところだ。
サーラさんが僕の手を握り返してきた。そして、立ち上がる。
僕の手を引くので、僕も一緒に立ち上がった。
「君は踊れる?」
「え! 踊り……ダンスですか? ええと……」
ダンスなんて、村祭りや結婚式の時の、皆で輪になって手をつないでぐるぐる回るのしか知らない。それで街に出たときはずいぶん恥をかいた。
「大丈夫よ。私だってお転婆だったけど、お父様が教えてくれたんだから」




