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●1-8


「そう、堕天使を……」


 サーラさんが僕を見ている。強い、意志の強い瞳で。


「ギスタ。私がこのダンジョンに潜った目的は、『堕天石』を得る事じゃないの。この迷宮の底に棲む、堕天使を退治したいのよ。それが、私の使命なの。その為に、私はここにいるのよ」


「堕天使!? このダンジョンにもいるんですか!?」


「ええ。いるわ。だから私はここへ来た」


 サーラさんが固い表情で言う。


「君も知っているように、『堕天石』は、その『力』のほとんどをダンジョン生成の為に消費するわ。モンスターなんかはその余波で生まれるに過ぎない」


 そうだ。ミミックもリザードマンも、さっきのコボルトも。


「だけど稀に、本来はダンジョン生成に使われるほど高濃度の『堕天の力』を、身に浴びてしまった生物も存在する。モンスターなどとは全く異なる強さを持った存在。それが、堕天使」


 堕天使もコボルトも、生まれは同じ。


 モンスターがダンジョンから出る事がほとんどないように、極稀に生まれる堕天使もまた、地上へ出る事などない。僕の村を襲った彷徨う堕天使など、イレギュラー中のイレギュラーのようなものだ。


 そう、本来なら出会う事などない、稀な存在だ。それを、サーラさんはわざわざ斃しに行くのか?


「だってサーラさん、堕天使には鋼の武器じゃ敵わないんですよ!? だから僕は魔剣を打とうとしているのに……。サーラさんの三角長剣(デルタ・ソード)はただの鋼だ」


『堕天石』で生まれたものだから、『堕天石』で造った魔剣なら殺せるという事だ。


「確かに、堕天使相手に普通の装備では勝てないわ」


「じゃあ! 倒せないじゃないですか!」


 それが分かっていながらサーラさんはここへ来たのか!? 使命って、一体誰がそんな事を命じたんだ!


「君の着ている鎧。それが破邪の鎧だって言わなかった? 私は、いや、君が着ているから、私達はだね、堕天使を倒せるのよ」


 この、僕には読めない言葉が刻まれた鎧。銀色に輝く鎧が……。


「堕天使と言っても、生まれはコボルトなんかと同じ。つまり、『正体』となる元の生物がいるはず。破邪の鎧で堕天使の肉をこじ開けて、『正体』を引きずり出せば、この鋼の三角長剣(デルタ・ソード)でも貫ける」


「それはつまり」


「君が開き、私が殺す」


 僕が、このダンジョンの堕天使と戦う。銀色の手甲で堕天使の肉を掴み、引き千切り、こじ開ける。僕が?


 仇である彷徨う堕天使を殺す覚悟はしていた。


 だが、ここにいる堕天使は、僕には関係のない全然別の堕天使だ。魔剣もまだ手に入れていない。おまけの僕の人間の肉体は、もうないのだ。……こんな僕が。……こんな状態で。


「ギスタ。その鎧があれば、君も今すぐに仇を討ちに行けるわ。私を倒すなりこっそり逃げるなりして」


 それは、この鎧を、サーラさんから僕が奪い取るって事だ。これがあれば、魔剣がなくても、彷徨う堕天使と戦える。


「そうしたら、サーラさんはどうするんです。もう一度、教会に破邪の鎧を造ってもらうんですか」


「それは無理ね。家も、もうお金は出してくれない。このまま進むしかないわ」


「そんな格好で……」


「呪いのマントが見つかったのだから、他にもマジック・アイテムが見つかるかもしれない。破邪の鎧の代わりになるような、魔力を持った武器があるかもしれない。それを期待するしかないわ」


「そんなの無茶苦茶ですよ!」


「仕方ないのよ。ここで君から鎧を奪い返しても、私はそれを着れないんだから」


「じゃあ……堕天使退治なんてやめればいいじゃないですか! 誰に命令されて来たんですか!?」


「私は、私の意志でここにいるのよ。私の愛するお父様の為に」


「お父さんの……!」


 サーラさんの目。凛として、迷いのない、清らかな瞳。


 その清潔さに耐えられず、僕は、思わず自分の手を見下ろした。


 銀色の聖なる手甲。その中には、モンスターの手が入っている。悪臭が漂ってくるようだ。だがそれは、ミミック細胞の臭いではない。もっと前に、人間だった頃に染み付いた臭い。


 心の中を、猛烈な悪臭が吹き荒れた。


 家屋が焼ける臭い。肉が焼ける臭い。炎と煙。村を焼いた火。


 村を滅ぼした力。堕天使。


 そんなものを相手に、僕は。




◇◇◇




 小さな村だった。


 僕はこの村で生まれて、この村で育った。僕は他の村へも行った事がなかった。


 僕は村の人を全員知っていたし、全員が僕を知っていた。全員が僕の家族と同じだった。


 コドー村といったが、普段はその名を耳にする事はなかった。旅人がこの村に立ち寄った時にだけ、誇らしげに村の名を名乗った。


 ほとんどの村人に苗字がなかった。彼らはコドー村の誰々だった。皆、家族だった。




 そいつは、どこからかやってきた。気が付いたら村にいたのだ。


 姿形は、よく分からなかった。真っ白で、いくつも目があって、翼が何対もあって、二本の足で立っていた。手もあったし、男性器もぶら提げていた。


 一歩歩くごとに羽根が舞い、いつまでも地面に落ちなかった。


 司祭様が、あれは堕天使、と言った。


 そうして、その堕天使は村の皆を殺して回った。


 人でもなく獣でもなく、並みのモンスターでもない。堕天使。


 堕天使がなぜこんな小さな田舎の村を襲ったのかは分からない。


 村の皆は、ただ殺されていった。次々に、八つ裂きにされた。


 抵抗したがまるで敵わなかった。槍や、剣、干草用のフォーク、どれもが堕天使には無意味だった。


 司祭様が叫んだ。堕天の力を宿した剣でないとあれを討てん。魔剣が必要だ、と。


 誰も敵わぬと悟った時、両親は僕を逃がそうとした。


 父さんには怒鳴られ、母さんは泣いて頼んできた。だが僕はそれを拒否した。


 僕の手にはナイフがあった。父さんが打ち、僕にくれたナイフ。これを手に、僕は男になり、村を、家族を守る戦士となるのだ。


 母さんの手を振り払って、僕は堕天使に向っていった。


 一撃を堕天使の眼球に突き込んだ。やった、と思った。


 その時に刀身が折れた。それを知り、僕の心も折れた。


 そこまでしか覚えていない。




 気付いた時、僕は真っ暗闇の中にいた。死んだのだ、と思った。


 だが酷く膝や首が痛かったので、動かそうとした。


 すぐに何かにぶつかった。自分が、狭い箱に入っている事が分かった。


 死んでいない。それを自覚する。


 直後に、箱に閉じ込められている事に恐怖心が湧いてきた。


 手を踏ん張って腰を浮かせる。背中で、蓋を開ける。


 光が差し込んできて、目を焼いた。同時に、細かい石や土がなだれ込んできた。瓦礫だった。


 どうにか箱から這い出る。箱を埋める瓦礫の中を掘り進む。


 やっと地上に出た。


 僕が埋められていたのは、自分の家の地下貯蔵庫だった。おそらく両親によって箱に入れられ、隠されたのだ。




 そうして。


 太陽の下に。


 死だけがあった。


 堕天使はどこかに行ってしまっていた。


 父さん、母さん、友達、皆、家畜、家。全てに火をつけて、弔った。僕は村を焼いた。煙は、凄まじい死の臭いを放った。


 僕の村は、もうない。


 僕一人を残して。


 その僕の肉体も、もうない……。




◇◇◇




「ギスタ、立ちなさい」


 サーラさんの声が、上から聞こえた。


 僕は顔を上げた。編み上げサンダルにマント、それを辿ると、一番上に白い顔があった。僕はいつの間にか、地面に手を付いていたのだ。


「ギスタ。今ここで決めなさい。私と一緒に行くか。別れるか」


 サーラさんのマントの裾から、三角長剣(デルタ・ソード)の柄が突き出ていた。


「サーラさん……、あなたは、聖騎士なんですか」


「違う。けど、堕天使を斃したいと思っている。堕天使を殺す者よ」


 僕は膝に手を突いて、体を起こそうとした。


 鎧が、重い。こんなに、体が、重い。


 歯を食いしばる。体が震える。鎧の中で、血でも肉でもない体が、ぶるぶると震えている。


 そうして、やっと、立ち上がった。


「僕の体はもう人間ではありません。けど、僕にはまだ、命があるんです。僕は死んだけど、生きているんです。あなたからこの鎧を奪ったら、心まで人間ではなくなってしまう。死んでしまった僕の愛する人達に顔向けできない」


 サーラさんの目をじっと見る。


 彼女も目を逸らさない。


「サーラさんが愛するお父さんの為にここに来たのなら、僕もまた、愛する人達の為にここにいるのです。僕は、堕天使を殺したいんです。殺さなくちゃいけないんです」


 僕はその事を、三年前に誓った。あの日、彷徨う堕天使が僕の故郷を滅ぼした日。地獄と化した故郷を、倒壊した家屋と親しい人達の遺体を、自分の手で燃やした日に。この手で、焼いて弔った日に。


「分かってるわ。だから君は、その鎧を着ているのよ」


「一緒に行きましょう、サーラさん」


 僕は、文様だらけの、銀色の手甲を差し出した。


 その手を、サーラさんのミルクのように白い、柔らかな両手が包み込む。


「君に破邪の鎧を託します、ギスタ」



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