誕生日の夜に
「たっだいま〜っ!」
夢のことなどすっかり忘れ、亮はウッキウキで帰ってきた。キッチンの方から、愛理が顔だけ出し、
「お帰りなさい。もう少しで準備出来るから、着替えてきなさい」
「うんっ!」
自分の部屋へ向かうため階段を駆け上がりながら、亮は、
(何かな……?)
家中に広がるおいしそうな匂いをかぎつつ、ドアを開け、
(あれは、あるよね? あれも……)
ご馳走を思い浮かべながら、着替えていると。玄関のベルがピンポーンと鳴った。すぐに、愛理の急ぐ足音がパタパタと、
「はぁ〜い」
かちゃっというドアの開く音のあと、
「こんばんは」
優しく暖かみのある声が響いた。亮は着替えるスピードを一気に加速。
(わっ、もう来たんだ。急がなくちゃ)
猛スピードで着替えを終えると、彼女はバタバタと一階へ降りていった。玄関に現れた、落ち着きのない亮を見つけ、
「おめでとございます、亮ちゃん」
丁寧にそう言って、優しい笑顔を見せたのは。櫻井 正貴、二十五歳。愛理の婚約者。銀に近い金色のサラサラした髪は、祐よりも少し短め。薄いスミレ色の瞳は、優しさに満ちあふれている。
以前、彼は亮たちの父の教え子であったが、亮たちの父親がアメリカへ転勤することとなり、『その後任に、是非』という、亮たちの父親の強い推薦を受け、去年の春、正貴はこの若さで大学教授となった。
地質学のことに関しては幅広い知識を持っているが、その他のことに関しては、ほとんど知らない。特に芸能界の知識はゼロ。彼を一言で表すなら、『マイペース』が一番よく似合う。何が起きてもーーたとえ、地球が破滅しようとも、驚くことがない。それくらい、のんびりしている。
亮は少し照れながら、正貴に、
「あぁ、ありがとうございます」
愛理がスリッパを差し出して、
「さぁ、上がって、正貴さん」
「愛理さん、ありがとうございます」
正貴がにっこり微笑むと、三人はさっそくダイニングへ向かった。
部屋へ入ると、テーブルには豪華な料理がズラリ。コーンクリームスープに、ハーブをふんだんに使ったサラダ。手作りの焼き立てパン、こんがりとおいしそうに焼けたチキン……などなど。それらを目にして、亮は大喜び!
「うわっ、すごいっ!」
そして、中央に置かれた、自分の大好物を見つけ、
「お姉ちゃん、ありがとう!」
(やったぁ〜、イチゴのショートケーキだ!)
目をキラキラさせている妹に、愛理は微笑み返した。
「大好きな妹のためだもの、がんばっちゃったわよ」
その隣りで、正貴も表情をほころばせ、
「確かに、これはすごいですね」
亮と正貴が腰掛けると、
「さぁ、電気消すわよ」
壁際へ寄った愛理が、電気のスイッチを押した。ロウソクの明かりだけになり。お決まりの歌を愛理と正貴が歌い終え、亮は勢いよくロウソクの炎を吹き消した。再び、部屋に明かりが灯り、それぞれグラスを片手に、
「亮の十七歳の誕生日に、カンパーイ!」
愛理のキャピキャピ声が響き、カンッと気持ちのよい音がした。豪華な食卓を囲みながら、亮の学校の話や、正貴のよくわからない地層の話などをして、時間は過ぎてゆく。そして、料理の量が半分ぐらいになった頃。正貴が綺麗にラッピングされた箱を取り出した。
「はい、これは私たちふたりからのプレゼントです」
亮は食べる手をぴたっと止め、姉とその婚約者を代わる代わる見た。
「うわ、ありがとう!」
愛理はテーブルに身を乗り出して、
「ねぇ、開けてみて」
「うんっ!」
亮が急いで開けると。中にはムーンストーンをはめ込んだ、銀のブレスレットが。一目で気に入った彼女は、
「うわ、本当にありがとう!」
大はしゃぎしている亮の向かいの席で、正貴と愛理は同じ雰囲気の笑みを見せた。
「よかったです、気に入ってくれて」
「それでおしゃれをして、素敵な彼を紹介してね」
美青年ゲッターの姉の問いかけに、亮はこんな相づちを返した。
「あぁ、おいしそうだね」
見事なまでに、恋愛に関する単語をスルーしていく妹に、姉はため息。
「どうして、そうなっちゃうのかしらね?」
「え……?」
亮がきょとんとすると、愛理は大きな包み紙を差し出した。
「はい、これ、アメリカから届いたのよ」
「わぁ、お父さんとお母さんからだね!」
プレゼントは大きく、取り出すのに亮はしばらく苦労していた。愛理はその間、キャピキャピ声で、
「そうそう、お隣さん、今日引っ越してきたのよ」
「そうなんですか」
「プレゼント預かってくれてたんだけど、それがまた、美青年でね〜」
愛理のテンションが最高潮に上がった時、ようやくプレゼントが出てきた。七、八十センチもある、真っ白なテディベアだった。それを、亮はぎゅっと抱きしめ、
「うわ、かわいい!」
と同時に、電話が鳴った。愛理が席を立ち、通話ボタンを押す。
「もしもし?」
テディベアの頭をなでている亮を、暖かく見守っていた正貴は、何か引っ掛かりを覚えた。
(何……でしょうか?)
「──あぁ、うん。今、ちょうど開けたところ」
愛する人の声に、彼は我に返り、愛する人の背中を見つめる。
「あぁ、大丈夫よ。ちょっと亮に代わるわね」
愛理は妹に受話器を差し出した。それを受け取った亮は、
「あ、お父さん? ありがとう、すっごくかわいい。気に入ったよ」
さっそく話し出した妹の声を聞きながら、愛理は正貴の隣りに腰掛けた。
「大丈夫、お姉ちゃんも櫻井さんもいるから」
大興奮で話している妹に聞こえないよう、愛理は小さな声で婚約者の名を呼んだ。
「正貴さん?」
「どうしたんですか?」
優しい眼差しで、正貴は愛理の手に自分の手を乗せた。その温もりを感じた愛理は、心配をかけまいとして、口をつぐんだ。
「…………」
正貴は彼女の顔をのぞき込み、
「何か気になることが、あるんですね?」
心配させないように、愛理は弱く微笑み返す。
「気のせいかも知れないし……」
真剣な顔で正貴は、考え考え、
「そうですか……」
そこで、ふたりの会話は途切れた。亮の声が沈黙を破る。
「櫻井さん? お父さんがちょっと話があるみたいです」
「……あぁ、はい」
正貴は愛理に小さくうなずき、そっと席を外した。そして、受話器を受け取り話し始めるが、愛理と亮には、さっぱりわからない単語ばかり。恋人の後ろ姿を見つめながら、愛理はちょっとため息。
「大丈夫かしら? 仕事な話ししてるみたいだけど……」
ケーキを口に運びながら、妹は戸惑い顔。
「あぁ……うん」
小一時間ほど経過すると、亮のところへ再び受話器が回ってきた。
その後、また三人で楽しく話をし、時間はあっという間に過ぎていった。
正貴が帰ってからーー
後片づけを手伝おうとする亮に、愛理が優しく。
「今日は主役なんだから、ゆっくり休んでなさい」
妹は素直に従い、
「うん、わかったお願いするね」
食器を重ねながら、愛理は、
「お風呂沸いてるから、先に入りなさい」
「は〜い」
パタンと閉まったリビングのドアを、愛理は静かに見つめ。今朝からずっと感じている違和感を、ふと思い出した。
(そういえば……本当に何だったのかしら?)
ぼんやりと手元の皿を見つめ、
(……今は、まだわからないわね。考えるのは、明日にしましょう)
自分に言い聞かせ、愛理は片づけを再開した。
お風呂から上がり、部屋へ戻った亮は、カバンを抱えて、いつもの習慣ーー明日の準備をしている。
「え〜っと、明日は水曜日だから……。これと、これ……」
みんなからのプレゼントが視界に入り、ふと手を止めた。
「そういえば、何だったんだろう? あの夢の言葉って……」
答えを探しながら、ベッドに入り。今日、会った人たちを一人一人思い浮かべてゆく。
【雪に……】
ある人のところで違和感を感じ、不思議そうに首を傾げ、
(あれ、何だろう?)
それが何だかわからないうちに、亮は眠りの底へ落ちていった。