教会への挨拶
ぐぐぐ……とムチルの力こぶは盛り上がる。
肉体強化はレベル64、68、74と上がってゆき、腕相撲の台にさせられた可哀想な切り株はミシィ!と悲鳴を上げる。
「おーー、けっこうスゴいな。さすがはミノタウロスだ。よしよし、もっとやれ、お前は出来る、もっと、もっとだ、お前の本気を見せてみろ」
「うッ、ぐッ、オオオオーーーー!!」
相貌は獣じみたものになり、ぶわりと毛は逆立つ。小娘とは思えぬ迫力だし、あとおっぱいが凄いぶるんぶるんしてる。生唾ものの谷間をじっと見ながら応援をするが、負けるのは絶対に嫌らしく、なんと反対側の腕も加勢に加わりやがった。
「なんて卑怯な魔物なんだー(棒読み)」
「ウンぐおお……ッ! ビク、とも、しない、ッ、すうううオオオッ!」
はい、スタミナ切れー。
ぼすんと爆発するようムチルは息を吐き出し、そのまま崩れ落ちてゆく。もちろん勝者としては、そんな相手を見下す特権があたえられるのだ。
「はっはっは、残念だったなムチルよ。貴様は己の心に負けていたのだー」
「はら、立つ、っす……ぜひゅうーー!」
玉のような汗をかき、ヒビだらけの切り株に上体を預ける。
おっと、前のめりになると本当に胸が……横から見るとド迫力過ぎて……やっぱりこの子、軽いチート入ってますね。呼吸に合わせて揺れるから、下から支えてあげたくて困るなぁ。
大丈夫?って爽やかな顔で支えてみたらたら平気かな?
もちろん人としては駄目だろうけど、男としてはギリギリセーフに入るんじゃ無いかなぁ。え、駄目? なんでよ。
うん、まあ大体分かった。
驚くなかれ、俺の計算結果によると、ムチルの推定レベルはだいたい80前後だ。さらに特殊能力を足すと90以上へ跳ね上がる。
これは地域を支配する階級と等しく、一体を倒すのに千人規模の軍勢がいる。一騎当千とはこの事で、確かに地下へ幽閉されるだけの実力はあったわけだ。
ぜひぜひと荒い息をするムチルへ、空間術から取り出した果実水を手渡す。一気に飲み、ぷあっ!と大きな息を吐いた。
「トラはおかしい! 人間がそんなに肉体強化できるわけが無いっス!」
「うん、そりゃ無理だよ。だって人間だもの」
あっさり白状をすると、青い瞳は真ん丸になった。
暇だったし、近くの棒っ切れを拾って、雪の上へ図を描いてゆく。
「陰は陽となり、陽は陰となる。これは深い言葉でさ、まあぶっちゃけるとムチルの怪力を俺のものに出来るわけだ」
「?????」
大量のクエスチョンマークをムチルは浮かべ、しかし俺の言葉を疑っていないのか図をじっと見つめてくる。
俺も詳しく教えたりはしない。これは教えて伝わる物なんかじゃないし、素質や洞察力などのありとあらゆる能力が必要だ。
なので、これで何が出来るのか結果だけを教えてやる。
「相手の力を循環させて跳ね返す。跳ね返した力を戻し、勢いをつけてまた戻す。逆も出来るし、その逆も出来る。相手が乱そうとしてきたら、その相手を乱すこともな」
わけが分からないという顔をし、それでもムチルの瞳は動かない。うんうんと何かを掴んだように頷き、そして少女は見上げてきた。
「トラはちょっと可哀想な人なんスね」
「その哀れみの顔、やめてくれませんかね!?」
ああもう無駄な時間だったよジュースと時間を返せよクソが!
その日、俺はちょっとだけ不機嫌な顔で過ごした。
まあ、そんな暇つぶしなんてどうでも良くて、お昼には教会へ行く約束をしてある。
ムチルを封印し続けた教会であり、問題を起こしていないか観察をする役目があるらしい。……けど、だったらそっちが来てくださいよと俺なんかは思いますケドねーー。
「トラ、いつまでそんな顔をしてんスか。みっともないからその醜い顔を雑巾で隠すっス」
「どゆこと、俺って雑巾より下なの?」
あれー、おかしいな。これでも王都では引っ張りだこなんだけど。可愛いとか何とかで。ひょっとしてこの地域って美的感覚おかしいのかな。
「良くないけど、まあいいや。シスターとの受け答えは俺がするから、ムチルはじっとしててくれ」
教会も見えてきたのでそう伝えると、不思議そうな顔を浮かべられた。
なに、大した意味なんて無いさ。監視しているはずが、お風呂で抱き合っていたなんて事がバレたら嫌だろ? 主に俺が。
とりあえず頷いてくれたので、金のかかってそうな教会の扉を開いた。当の彼女は祈りの最中だったらしく、立ち上がり、振り返る。
「…………カズトラ様、魔物のその恰好はあなたの趣味ですか? 最悪ですね」
「ちがいますぅーー、この子が勝手に作りましたぁーー」
顎をクイっとさせた変顔で答えると、シスターの眉間のあたりが「ミシッ!」と音を立てた。ちょっと怖すぎません?
どうぞと礼拝所の奥、客用の間に案内される。
暖炉が部屋を暖めており、落ち着いたソファーとテーブルを俺たちは見回す。窓には上質なガラスを使っているし、やっぱり優雅な生活を楽しんでいるようだ。
「それで、脅威を感じることはありませんでしたか?」
「ん、なんの?」
お茶を手にし、当たり前のようにそう返す。
確かに食料不足は危機だけど……。
「違います! ミノタウロスの事です!」
「え、だってアホのムチルだよ。いてっ! つねらない! お尻をつねらないの!」
ムチルの唇はぱくぱくと動き「死ね」と「バカ」を繰り返していた。
そんな様子を見て、ふうとシスターは溜息を漏らす。しばらく眉間を指で揉みほぐし、閉じたままの瞳を向けてきた。
「まったく貴方は……。それがどれだけ恐ろしいかご存じ無いようですね。もし村人に知られたりなどしたら、どのようなパニックが起こるかは分かりますよね? 本来ならば私の鎖で縛りつけたいというのに」
珍しく、ムチルが青ざめた。
ひゅっと息を呑み、そして少女と同じ方向を俺は見る。シスターの背後、ソファーの後ろでズズと生まれるものがあった。半透明の鎖、それに棘つきの輪っかだ。
「うん、二人ともそこまで。そういう事をするために俺を呼んだわけじゃないよね?」
ミシミシ膨れ上がろうとするムチルの腕を掴み、俺はそう言う。
部屋は静まり返り、嫌な沈黙が満ちた。
分かっていたが、この二人の相性はかなり悪い。
長いこと敵対し続けていたのだし、互いに敵視しあうのは仕方ないだろう。
縛る者と縛られた者。恐らくムチルのほうが嫌な思いをしているだろうが、そう単純な関係でも無さそうだ。
ふっと鎖は消え、同じようにシスターも肩の力を抜いた。
「ええ、今はそのつもりはありません。あくまで経過を確認しただけです。これまで逃げ出す意思を感じられなかったし、ミノタウロスにどうこう言うつもりはありません」
おや、観察されていたのかな。もちろん分かっていたけどさ。あっさり白状するあたり、俺が気づいてるのも分かっていたようだ。
もー、めんどくさいよね、女性って。優位に立つための算段が沢山あってさ。一番面倒なのは実力もないのに上に立ちたがる人で……っと、今それはいいか。
などと思っていると、彼女の瞳は俺を向いた。
「問題はあなたです。ミノタウロスを見て欲情をしたり、あまつさえ身体に触れたりなどはしていませんね?」
「していませんよ」
我ながら惚れ惚れするほどの早さで返事をした。
やましい事もあるし、やましい事だらけだ。やましくない時なんて無かった。だが男というのは嘘を許されている。皆が幸せになれる嘘をな。
お風呂で正面から抱き合ったまま洗ったり、ベッドで身体をこすりつけ合ったりしたけど潔白です。間違いありません。
じい、とシスターが見つめてくる。
気持ち悪いものを見たような顔でムチルが遠のいてゆく。
負けるな、俺。一歩でも引いたら地獄が待っているんだぞ。というかムチルちゃん、君が色々としてくるから俺は困っているんですよ?
「…………まあ良いです。詰問したところで良い方向には働かないでしょうし。今日のところは様子見だけで許してあげます」
にこりと爽やかな笑みを俺は返す。ちょっとだけ引きつってたかもしれんけど。
そして去り際に、背後から声をかけられた。
「近くの村で魔物を見たという噂が届きました。何かの異変があるかもしれません」
「魔物か。情報ありがとう」
手短に礼を言い、そのまま俺は教会を後にした。
うーん、厄介だ。縛りや封印を専門にする教会ってのは、地域一帯の監視でもしているのかね。
彼女の言う通り、今日の目的は詰問などでは無い。
俺とムチルへの威嚇を、今日はしたかったのだろう。教会というのは厄介な存在なのだと教えるために。
ただね、帰り道にムチルが距離を置いているのはちょっとショックだったかなぁ。言っておくけど、俺みたいな紳士はそういないよ?
…………だからいまだに経験が無いんだけどさ。
ああーー、彼女欲しいなーー。
ちょっとぶつかっただけで「きゃっ!」とか言いながら大きな胸を揺らし、頬を染めてくれる絶世の美女が。
いやしねえか、そんな希少生物。