魔物の変化とは
そんな俺の考えを、シスターは首を横に振って否定した。
「バカなこと言わないでください。ミノタウロスに人化する能力なんてありませんし、あったら大事件です。そもそも魔物が人化をしたなどという記録は一切残されていないのですから」
「え、じゃあ何なのこれ、突然変異?」
そう問いかけながら、背負った魔物へ視線を向ける。
気絶した彼女――ムチルとか言ったか――は、牛を思わせる耳をへにゃりとさせており、俺の腕には尻尾らしきものが触れている。
驚くべきはこの肉づきの良さか。
支えた尻にはずしりとした重さがあり、指は柔肌に埋まる。低身長ながらド迫力だ。
そして背中に押し当てられた膨らみは柔らかく、先ほどまで戦闘をしていたせいで熱い。
大量の汗を俺の衣服は吸い続け、ひどい湿度を感じていた。
……とはいえ実際のところ、匂う。
髪は真っ黒く汚れており、下水のような悪臭を放っているから堪らない。鼻の曲がりそうな匂いに、シスターはそそくさと俺から離れて行った。
鎖に千年つながれていたらしいけど、十世紀もの悪臭ってのは初めて嗅ぐだろうな。
しかし化けた理由は何だろうか。
確かに彼女の言う通り、魔物が人化したという記録は無い。吸血鬼やサキュバスといった元から人に近しい者はいるが、今回はそれと根本的に異なる。
魔物というのは強者になろうとあがき続けている存在で、こんな小さな姿になる理由が無いのだ。
彼らの本能は強力であり、今も大きく変わらないだろう。この身体になる事が、ミノタウロスが生き残るために最善の道だったのかもしれない、などと思う。
ヒビ割れた石階段をのぼりきり、ようやく教会へ戻ってこれた。
こいつは体重があるので、さすがの俺でもちょっとしんどい。おんぶをすると重くなるとか、どこの妖怪だよって話だ。
「カズトラ様、何をする気ですか? 穢れを神聖な教会へ置くことは許しませんよ」
魔物を床に降ろす俺に、シスターはかなり離れたところから話しかけてきた。くそ、鼻をつまみやがって。
おまけに侮蔑の表情をしてくるとか、別に俺が臭いわけじゃないんだぞ。
「臭くなくても同じ顔をします」
「えっ、なんで?……ちょっとだけ待ってくれ。今のうちに調べられるだけ調べたい」
口うるさいシスターはしばらく放置しよう。構っても何の得にもならない。
つーかアレだろ、さっき悪巧みを暴いたから俺のこと嫌いになったんだろ。だから女って……っとそれより人化した理由を調べるのが先か。
床へ降ろすと、娘はぐんにゃりと冷たい床へうずくまる。顎を掴んで上向かせると、生気の無い瞳がこちらを向いた。
じいと互いに見つめ合うこと数秒。精神へ入り込むと同時に瞳から光が消えた。
HP 212/2234
SP 12/2136
うん、やっぱり精神を削る闇属性で散々殴ったせいで、SP値の方が多く削れているな。魔術師同士の戦いになるとバンバン闇属性魔法が飛ぶので、この世の終わりみたいな光景だったりする。
意外なのはSP値も高いことか。すると筋肉一辺倒ではないのかもしれない。おっとそれよりも特殊能力の一覧は、と……。
あったあった。かなりの量を持っているが【迷宮】【捕食】あたりが珍しいか。
戦闘中も思っていたが、こいつは看破への耐性が低い。昨今の戦いでは情報を守り、バレる前にケリをつけるのが普通だというのに。幽閉されていたせいで、それを知らなかったのだろう。
だけど、人化に関する能力は見つからないなぁ。
ざーっと最後まで閲覧したけど、それらしい物は無い。諦めかけ、最初のあたりへ目を戻ると――。
「あった、これだ。まさか状態異常の項目とはな。えーと【発情】【繁殖期】って、なんだこりゃ」
そう呟いた瞬間、ゆっくりと娘の腕が伸びてくる。
俺の両肩を掴み、朦朧とした意識だろうに、ふーふーと息を荒げながら顔を近づけて来る、が……。
わずかに小首を傾げ、ぷっくりとした唇を寄せられるのは――まさか、俺に発情しているのか!? 繁殖期ってのは、つまりそういう意味なのか?
「カズトラ様、まさか教会で魔物に手を出しませんよね?」
「ああったり前じゃないっすか! へへ、変な誤解をしないで欲しいなぁーー!」
冷や水のような声をかけられ、びくんと俺は硬直した。
思わず雑魚っぽい言葉使いをしてしまったけれど、今はそれどころじゃない。たぶん、いや間違いなくこの魔物は俺に発情し、子供を作ろうとしている。
何故、何故、何故、と思考はループをし、その答えを俺は探す。
今までに得た情報をかき集め、可能性のありそうなものをぶつけてゆく。すると、ピンと浮かぶものがあった。
――強い血を残したがっている?
そんなバカなと笑い飛ばしかけた。
だが、それ以外の可能性を見つけられず、俺の口からは何も出てこない。
統制者である魔王のいない今、残された魔物にとって最優先事項なのか。己が滅ぶということは、種族が消えるという意味だ。
繁殖をし、絶対に繁栄をしなければならないと生存本能がわめき立てているとしたら……。
「カズトラ様、何かお分かりになられたのですか?」
「いや、確かでは無いが……たぶんかなり厄介だ。下手をしたら魔王がいた時よりも大変になるかもしれない」
「どういう、意味でしょうか?」
大陸全土の魔物は、魔王討伐を機に減少傾向だ。
生息数は膨大ではあるが、予想ではこれから百年ほどで安定すると言われている。
しかし、ここに来て新しい情報が出てきてしまった。
だから、シスターからの問いかけには「分からない」としか返せない。この情報を放っておいたらどうなるか、世界はどう変わるのか、今は何の答えも出せない。
娘との同調を切ると、青色の瞳はゆっくりと閉じる。長く深く調べたせいで、さらに精神力を削ったのだ。倒れかけた上体を支え、ふうと俺は息を吐く。
「王都に連れて行く。報告しておかないと嫌な予感がするからな」
きっぱりそう告げると、彼女は息を呑んだ。
恐らくは首を切り落とすと考えていただろう。千年を生きた悪魔であり、何をしでかすか分からない魔物だと。
「……事情は分かりました。しかし道中は危険です。あなたではなくて、周囲の市民がです。それでも行くのであれば、そこの魔物に【奴隷術】を受け入れさせてください」
その提案に、深く考えることなく頷いた。
「そういえばここは束縛と封印を象徴する教会だったか。それくらい良いだろ、誰も困りはしないし」
「分かりました。では儀式まで7日7晩のあいだ契約対象の身を清めてください」
なぬっ!?と俺は目を剥いた。
この意味が分からないくらい臭い魔物の面倒を見るだと?
しかしいくら文句を言っても、彼女は頑として方針を曲げなかった。
「ご存じ無いのですか。主人の手で清めることが奴隷術の発動条件です。魔王を倒したというあなた様が、まさかズルをしたいなんて言いませんよね?」
出たよ、縛りルール。
俺、これがすごい嫌い。女ってのはいつも男にレッテルを貼りたがるし、そういうのが息苦しくて王都から逃げて来たってのに。
分かるかな、男ってのは何にも束縛されていない時の方が輝くんだぜ。
「……失礼ながら、カズトラ様はもうすこし品性を磨かれたほうが良いと思いますが。子供の教育にも悪そうですし。では、外は寒いですけれど、お気をつけくださいまし」
シスターは扉を開き、俺に白銀世界をご案内しやがった。
えー、なになに、意味が分かんないよ。どうして臭い娘と一緒に外へおっぽり出されるの? もしかしてこういうのが普通? 流行ってんの?
「悪いけどここへ泊めてくれないか、シスター?」
「カズトラ様、外は寒いですけれどお気をつけくださいまし」
「だからここに宿泊を……」
「外は寒いですけれどお気をつけくださいまし」
うわあ、食い気味に会話ループ始めやがったこのアマぁああ!
もう嫌い、このシスター嫌い! やっぱり可愛い女って性格悪いから大っ嫌い!
ぶつぶつ文句を言いながら、俺はどうしようもない一歩を踏み出した。