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ミノタウロスの娘

 よく熟れた果実を、無造作に娘はもいだ。

 甘い匂いを嗅いで楽しみ、そしてかぶりつく。品位のかけらもない食し方ではあるが、蜜のしたたる唇は弾むようであり、陽光に照らされて輝きを増す。


 振り向く少女は、じいと俺を見た。

 背は低く、瞳の大きな娘だと思う。その青色に力強さを感じ、思わずこちらも見入ってしまう。まるで野生の獣と出会ったようだ。


 甘い蜜は胸元へ垂れてゆくが、それを気にするそぶりも無い。

 肩までの髪は黒く汚れており、洗えば何色になるのか今はまだ分らない。


 雪の厚い銀世界にも関わらず、肌の露出は極めて多い。胸と腰を申し訳程度に覆う程度であり、いつ弾けるのかと心配するほど紐は張りつめていた。


「千年ぶりの果実は美味いか?」

「…………」


 声をかけてみたが、もくもく食しているせいで声を出せないようだ。

 あんっと大きく口を開き、返事をするかと思いきや、またかぶりつく。


 話さない魔物へと、雪を踏み、近づいて行く。彼女の咀嚼は止まらず、その瞳はじいと俺に注がれていた。


 妙に惹きつける娘だとは思う。

 しかし頭の左右にある角は人のものではなく、耳まで牛を思わせる形をしている。ゆらりと後方で揺れたのは、おそらく娘の尻尾だろう。


 人外にして魔物の娘。

 まだ俺はそれしか知らない。


 彼女の元にたどり着き、足を止めた。

 存在感が強いというのに、背はずっと小さい。それでいて輝かしい胸元へと果汁をこぼし、むあ……と甘い香りは匂いたつ。きっとオスを誘うための色気だろう。


 この娘――ムチルは、唇を開くと蜜まみれの舌を出し、俺に見せつけるようゆっくりと果実を舐め、果汁をすすった。


 揶揄ではなく、魔性の娘だと思う。

 手を出したら、恐らく身の破滅をもたらす。

 しかし何故か俺は、目を逸らせなかった。


 どうしてこの魔物と共にする事になったのか。彼女を手にするまでのことを、ゆっくりと思い出してゆく。


 ぴいい、とモズの鳴き声が白銀の世界へと響いた。



 + + + + + + + + + + 



 僻地の教会ってのは変わった造りをしているもんだ。

 そう思いながら、俺ことカズトラは暗い階段を下りてゆく。

 岩を削った粗い造りの階段で、もちろん手すりなんて洒落たものは無い。中央の穴に落ちたら真っ逆さまという、バリアフリーを真っ向から否定する造りだった。


「うへ、これが教会の地下か。悪魔でも飼っていそうだな」

「歴史ある教会ですからね。ですが悪魔は飼うものではなく滅するべきです、カズトラ様」


 俺の独り言に、ランプを手に先導していた女性は振り返る。瞳を閉じたままなのは、なにかのまじないだろうか。

 シスターらしい服装ではあるが、布から覗いている顔はなかなかイケている。髪は見えない服装だが、たぶん綺麗な色をしているだろう。


 年若く、それでいて厳格さを持ち合わせているように見える。瞳を閉じた彼女は、すいとランプを前方へ向けた。


「千年前、この教会は建てられました。それはこの大穴をふさぐため……倒せない魔物を封じるという、ただそれだけのために」

「ふうん、千年か。確かに気配もそれっぽい。獣の匂いも含めてな」


 分かりますかとシスターは微笑を浮かべ、それから「どうぞこちらへ」と漏らし、また降りてゆく。かつ、かつ、という靴音だけが響き続けた。


 千年前となると時代は古代に当てはまる。その頃の魔物はえらい強かったらしい。敵どころか同胞さえも食らい、その血と肉によって強化を繰り返していた時代だ。


 当たり前だが、そんな時代で生き残れる者は少ない。

 最後に残った奴らは、長い長い年月をかけて戦い続ける運命が待っていた。


 海は蒸発して雨となり、大地は削られ山となる。

 俺の心を読んだように、人類史の続きはシスターが語ってくれた。


「そうして最後に残されたのは人間、そして残虐なモンスター達だそうですね。試練だらけの世界を作った神様は、我々に何をさせたかったのでしょうか」


 神を擁護すべきシスターが、それを言ったらアカンと思うけどなぁ。

 最後の階段を降り、俺は静かに息を吐く。


 明かりから照らされた先に奴はいた。

 錆の浮いた鎖に全身を縛りつけられ、広間は濃い獣の香りで充満している。

 爛々と輝く瞳は、恐らく俺を品定めしているだろう。美味い肉か、そうでないかを。


「流石にデカいな。生きた化石、ミノタウロス。それもメスか」

「文献も少ないのに良くご存知ですね。ええ、大きいですよ。封印により能力を封じておりますが、過去に聖騎士を幾人も食べています。それで、殺れそうですか?」


 シスターにしては剣呑な言葉選びに、俺は微笑を浮かべた。


「さすがに魔王より上ってことは無いだろ」

「頼もしいお言葉でいらっしゃいます。討伐のため、カズトラ様を派遣してくださった王都にも感謝を致します」


 ささやかな胸の前で聖印を刻み、彼女から礼をされる。

 先ほどの言葉の通り、ひと月ほど前に俺は魔王を討伐した。しかし大きすぎる目標を終えてしまった事で、フヌケ状態になったのは我ながら驚いたものだ。


 そこで重い腰をあげたのが魔物討伐クエストなのだから、やはり俺は根っからの戦闘好きなのだろう。


 これらは重要度の低い依頼サブクエストであり、今までずっと放置をしていたものだ。

 結婚をして落ち着くような年でも性格でも無いので、あとしばらくはこんな生活をしようと考えている。



 ……。

 …………。

 ………………。



 まあ、そんな過去なんかはクソどうでも良い。

 この際だからもう暴露しちゃうけど、さっきまで俺はカッコつけてた。暗くてビビってた。大体ね、足元がぐらぐらする階段を造るなんて、大工としてアホの極みだよ。


 はーあああ、だから嫌だったんだ。

 魔王なんて倒したら「暗くて怖いっすね、へへ」なんてもう言えないじゃん。言っても良いけど、たぶん「偽者かな?」って顔されちゃうだろうし。

 そこでまた「偽者じゃないっすよ」なんてヘラヘラしたら、もう色々な意味でアウトだよね。うん分かってる。


 いや魔王を倒したのだから勿論大したものだし、金に糸目をつけずに大盛り上がりをするのはとっても楽しかった。

 とびきりの美女からちやほやされたり、色々な国の王族達もやってきて、市民と一緒にバカ騒ぎをするのは爽快だった。


 でもさ、翌朝に血の気がさーっと引いたよ。


 あいつらガン首そろえて、俺がどこの国へ所属するのかを決める会議を開いてんだ。

 わけも分らず席につかされ、やれうちの国が育てただの、軍を出したのはうちの国だのと、奴らは卓上で戦争をやってやがった。

 そしてもちろん俺の所属する国は、大陸を支配する事になるそうだ。


 ――あれ、倒したはずの魔王に俺が成ろうとしていないか?


 なんて考えたら、もう酒は楽しめなくなった。美女も怖くなり、人の目にも触れたいとさえ思わない。

 戦うことしかできない俺は、決して政治になんて絡んではいけないのだと心底思った。


 おっと、また気分が落ち込んでしまったぞ。

 肩書きのおかげか、シスターは「憂いのある表情で素敵」という眼差しをしているけど、実際はそういう弱い男だ。



 でも、今の俺にはそんな過去はどうでも良くって、目の前の敵、ミノタウロスをきっちり倒さないといけない。


 もしも、もしもだよ? レベル的にまず無いと思うけど、余裕ぶっこいててミノタウロスに負けちゃったらどうなると思う?


 たぶんというか絶対に「魔王を倒したのに雑魚モンスターにやられたのかよ。ざまあ」って言われちゃうよね。それってけっこう重くて、もう立ち直れないくらいキツいと思う。たぶん誰でもそうだろうけど。


 で、千年ほど魔物を封印していたという、大層アホな――失礼、生真面目な教会のために一肌脱ごうって考えているんだけど……。

 このシスターもちょっとアホで、鎖を緩めて派手に戦えるよう演出してくれちゃう人だった。


 あのぅ、シスターさん、そのまま鎖に繋いどいてくださいませんか? 別に俺は「正々堂々と戦わないと嫌だ」とか考えない男ですし。


 はっきり言って、勝てば良いの。勝つことが大事。できるだけ楽に戦って、安全圏をつねに確保して、俺だけが勝つというシチュエーションが大好きなの。そういうのも含めて戦いなんだからさ。


 そういう訳で、戦闘が始まった直後、俺の取った行動は「尻側に張り付く」というものだった。

 これって巨体を相手にするにはベストポジションなんだけど、ほとんどの人がやらない位置取りだ。


「おーおー、良いケツしやがって」


 せっかく褒めたのに、どおお!とミノタウロスは吠え、尻を揺すりながらカギ爪をこちらへ振り下ろしてくる。もちろんそんな雑な攻撃なんて当たらないし、カウンターとして拳を尻にブチかます。


 ちなみにこいつは打撃と闇の属性に弱い。

 情報隠蔽をまるでしていないので、ミノタウロスの弱点属性が丸見えなんだ。

 昨今の戦闘というのは情報戦だと知らないのかね、君ぃ。あっ、こんな地下深くに引きこもっていたら、時代に置いていかれちゃうよね、ごめんごめん。


 最終的に、俺の選んだ戦い方は肉体強化だった。

 剣とか槍は金がかかるし、結局のところ作り手の腕に左右されてしまうからだ。


 なので強さの上限を取っ払うため【四肢鋼鉄化ハウンド】【超怪力レッドブル】【闇属性カオスドライブ】を俺の肉体へ付与してゆく。

 やはり重厚な一撃はミノタウロスの持つ4層もの防御壁を叩き割り、どずんと大きくメリこんだ。


 ギオ……ッ!


 おほ、効いてますなぁ。

 よほど痛かったのか踵がぺたんと地面を踏んでいるし、太ももをブルブル震わせちゃって可愛いったら無いわ。


 うん、余裕で勝てるわ。知らないモンスターだから心配したけど、能力が封印されてて良かった。ナイスアシスト、胸の小さなシスター。


 やっぱこれだよ。気持ちよく一方的に殴れて、苦しむ顔を見るのが俺はとても好きだ。今とんでもない性格地雷みたいなことを言ったけど、それも俺の個性だから仕方ないよね。


 爽やかに笑いかけると、ゾオっとした顔を魔物はする。


 ね、楽しいよねミノタウロス君――いや牝だから「ちゃん」付けしないとな、ミノ子ちゃん。武器を使わない正々堂々としたガチンコ勝負だし、君もスッキリするんじゃないかなあ。


「ははは、ゆっくりして行けよミノ子おおお! ハハハハハ!」

「グモオおおおーーーーッ!?!?」


 俺という悪鬼から逃れようと手足を滅茶苦茶に振り回してくるけれど、そうしたらアレが来ちゃうから。急激な運動の後、大量の酸素を欲しがるアレが。

 そうそう、それ、無防備タイム。俺の一番好きな奴。


 酸素が取り込まれてゆくのを見た瞬間、ドヅン!と俺は優しく胸を小突く。すると肺はひしゃげて空っぽになり、痙攣するようミノタウロスは身を震わせる。


 大量の酸素が欲しいのに、肺が空っぽだとキツいよね。うんうん、気持ちはよく分るよ。胃液をブチまけているし、喉を絞められているような苦しさがあるよな。


 などと非常に美味しい状況ではあるが、俺はくるりと振り返った。


「どうするー、本当に始末するかあー?」


 体長4メートルもの巨体が、ビクビクと身体を震わせるきり動けない。

 そんな光景に、シスターもあんぐりと口を開いたきり、言葉を発せられないようだった。

 コンコン魔物の膝を叩くと、ようやくシスターは我に返る。


「なっ、なんっ、なんですかっ、本当に始末するかって……っ!」

「いやだって、封印していた魔物を倒したら、もう教会に補助金が入らないだろ。そうしたら明日から無収入だし俺への報酬もある。本当にそれで平気?」

「うっ、あっ、なんでそれを……っ!」


 ぶうんと後ろから拳がやってくるけど、もうパターンは覚えたから当たらないかなぁ。ひょいひょいとかわしながら、でもシスターから目を離さない。

 これがかなり効く。俺の圧倒的優位さを見て、そしてシスターは観念したようガクリと膝をついた。


「…………いつ、そのことへ気づいたのですか?」

「えーと、聖騎士を食ったのを自慢げに言ってたのと、鎖を弱めたときかな。どう見ても俺を殺しにかかってたし」


 特殊能力を封印している術は本物だ。なのでグルというわけでは無いだろう。

 しかしこんな僻地で生きて行けるには、それなりの訳がある。教会関係者というのは妙に小賢しいから、こちらも用心をしておいた方が良いという過去からの教訓だ。


 大方、俺が負ければラッキー。駄目そうなら諦めて、俺に取り入ろうと考えてたんじゃないかなぁ。それがバレちゃったら、流石にがっくり来るわな。


 しかし、ひとつだけ分らない事がある。

 ミノタウロスが、じっと俺を見たまま動かなくなったのだ。身じろぎひとつせず、静かに見つめられると変な感じがする。


「おいシスター、これは何だ? 大人しくなったぞ?」

「まさかそんな、凶悪極まりない魔物です、人を襲わぬ訳が……!」


 俺たちの見ている前で、魔物はゆっくりと変化を始めた。

 膨大な重量、そして肉体は凝縮されるように質量を減らしてゆき、周囲へ蒸気じみた熱を放つ。


「うおっと、なんだよこれ、シスターー!?」

「わかり、ませっ……うぐっ!」


 熱気から顔を背け、悲鳴じみた声を彼女は漏らす。

 仕方なく俺は指先で十字を切り、耐熱術を展開してシスターをかばう。彼女も悪者っぽい流れになったけど、さすがに女をヤケドさせたいとは思わない。



 ――がちゃっ、がちゃんっ!



 溢れる蒸気で視界は利かない。

 しかし床を打つ硬質な音に、シスターは凍りつく。


 この音は恐らくアレだろう。千年ものあいだ、封印していた鎖の解ける音。彼女は信じられないと言うように首を左右へ振っていた。


「そんな、そんな……っ!?」


 もう解けちゃったみたいだし、どちらにしろ教会はお役御免かもな。

 だが俺の見立てでも鎖が外れる要素は無かった。がっちり肉に食い込んでいたし、観察したところ引きちぎる怪力も足りていない。


 一体なぜ、という疑問はすぐに解けた。


 ぬうと蒸気から現れたのは年端も行かぬ小娘であり、足をひきずりながら歩いてくる。肉づきの良さは驚くほどであり、牛柄の衣服は破け、胸をこぼしてしまいそうだ。

 そいつは憔悴しきった表情で俺を見ると、がくんと上体を崩した。


「うおっと!」


 咄嗟に抱き支えたが、身の丈に反してずしりと重い。

 それもそのはず、頭には魔物を表す二本の角があり、わずかに俺は身をすくませた。

 汗だくの身体は先ほどまで戦闘状態だったことを表しており、それが筋肉のくぼみを流れ落ちてゆく。


「…………まさかお前、ミノ子か!?」

「はあっ、はあっ、そんな名前じゃないっ……ス。あたしは、ムチル……」


 そう訂正されたが、もう全力を出し切ったのだろう。ぐるんと瞳を上向かせ、今度こそ気絶したらしく身体を弛緩させた。


 まあ、これだけ縮んだら鎖も外れるわな。

 後に残されたのは俺とシスターだけであり、思わず見つめ合ってしまう。


「えーーと……つまり、ナニコレ?」


 分りませんと首を横に振られた。

 人語を理解する魔物娘がいきなり生まれたとしたら、きっと誰でもこんな間抜けな顔をするだろう。


 知らなかった、ミノタウロスって人化する能力があったのか。

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