第一章 少年は空を翔け、少女は空に唄う
1
「えー知っての通り、三十年前に起きた世界融合よって三つの世界が融合してできたのが、今みんなが住んでいる世界だ。もともと我々の世界だった『アースガルズ』。魔法という、未知の力を有していた『クロノス』。科学の分野で我々の常識をはるかに超えた力を持つ『スティルトピア』。この三つの世界が融合したわけだが──」
今日も相変わらずのつまらない授業。昼前の気だるげな空気と、歴史の講師の柔和な声が眠気に拍車をかける。幾度となく聞いた話に嫌気がさし、重くなる瞼に抵抗することなく目を閉じる。
「この世界規模の大災害により、『多世界解釈』が証明されたわけだが……」
唐突に講師の声が止む。恐らく質問する相手を探してるんだろう。当たらなきゃいいと、大して期待もせずに祈ってみた。
「よし、カケル。カケル・S・エアフィールド」
ただ、だいたいこういう時の祈りは届かないのが世の常だ。
「何です先生?」
そう言いつつ、重い瞼をどうにか開ける。講師も俺が寝ていると思って指名したんだろうし、今さら態度を取りつくろう必要もない。
「『多世界解釈』が証明される以前、最も有力だった説は何だ?」
「『平行世界理論』。似たような世界がいくつも並行に存在しているという理論。どの並行世界にも俺は存在していて、そこで多少の違いはあれど、似たような生活を送っている。対する『多世界解釈』というのは、文化、人物、世界観など、同じ要素がほとんどない世界がいくつも存在しているという解釈」
「あぁ。その通りだな。うん、よくできたぞ」
こんなことは常識だ。俺が特別優秀ってわけでなく、その他の生徒にだって答えれらただろう。教師にとって、寝てる生徒を咎める意味での質問だったようだ。
「そう。世界融合の原因は、未だに解明されておらず、最近では三年前にも──」
返り討ちにしたことだし、素直に従うのも癪なので、また視野からの情報を遮断する。
と、一息つく間もなく、耳元で囁き声が聞こえてきた。
「ますたー。ますたー!」
「おい、出てくるなって言ってるだろ?」
まわりを気にしつつ、極力声を抑えてその声の主に応える。声の主の姿は見えない。
「そういう問題じゃなくて……」
抑えてるとは言っても、俺の声は普通にまわりに聞こえる。案の定、隣の席のやつがこっちを向き、これまた小声で話しかけてくる。
「ユーちゃん?」
「ああ。この辺にいる」
声をかけてきた少女に向かって、自分の右耳あたりを指してみせた。そうと分かった途端、彼女はニヤニヤと目元を歪ませる。恰好の獲物を見つけたような目だ。なんかムカつく。
「まーたユーちゃんに怒られてるんでしょ?」
「うっせ」
「ますたー。授業はちゃんと聞かなきゃダメなのですよ! また先生に怒られ──きゃう!」
俺が耳元を軽く手で払うと、右手に何かがぶつかる感触と、小さな悲鳴が聞こえてきた。かと思えば、今度はちょっと怒ったような声に責め立てられる。
「ますたーはひどいです! いじわるです! ちょっと痛かったです! 羽が傷ついちゃったらどうするのです! 責任取ってくれるのですか!」
そう言って姿の見えざる声の主に、肩をぽかぽかと叩かれる。もちろん全然痛くない。
責任か。悪くない。
万が一、この小さなお友達を傷つけてしまった場合、個人的には責任を取って結婚することもやぶさかではないとは思うが、いかんせんお互いの間にある壁が厚すぎる。主に身体のサイズ的な意味で。
障害の多い恋愛って燃えるな。
「ミカさん、ますたーがいじわるするのです! ミカさんからも言ってください!」
そんな将来設計をしていると、ユーは自分が言ってもダメだと悟ったのか、俺の所業を隣の席の少女にいつの間にかチクっていた。
ここで初めて隣の席の少女、ミカにこいつ声が聞こえたはずだが、特に驚いた様子もなく俺へと顔を向ける。この光景は日常茶飯事だ。唐突に聞こえてくる声にはもう慣れているらしい。
「ほら、ユーちゃんいじめちゃダメでしょ。ちゃんと言うこと聞かなきゃ」
「お前には関係ないだろ」
そう言い捨て、窓の外へと目を向ける。溜息が二つ重なったが、それは聞かなかったことにした。
「こんな時ぐらい、学校休みでもいいじゃんかよ」
この帝立ファミリア学園はちょっとした高台にある。教室の窓から外を見れば、自然と街を見下ろせる。このアースガルズ領、ニューインの街は普段から賑やかな街だが、今日はより一層活気に満ち満ちている。
「まさかスティルトピアと和平を結ぶ日が来るとはね」
世界融合が起こって間もなく、三つの世界は混乱を極め、見知らぬ土地、見知らぬ種族に恐怖し、結果、三世界間での戦争へと発展した。魔法に特化した『クロノス』。科学力では圧倒的な『スティルトピア』。そして、それなりの科学力は有するが、魔法何てものは存在しない『アースガルズ』。
圧倒的に戦力に劣るアースガルズが真っ先に滅ぼされるかと思われた戦争だったが、クロノスとの同盟、『天地同盟が成立し、戦争は膠着状態へ。ただ国力を疲弊するだけの戦争へと変わっていった。
五年に渡った戦争に終止符を打ったのは、三世界による終戦協定だった。スティルトピアは納得いかなかったらしいが、膠着からの突破口を見つけられずにいたので、やむなくこれを承認。融合世界は三つの世界で平等に領地を三分するに至った。
同盟を結んでいたこともあり、アースガルズとクロノスの関係はその後も良好だった。ただ、妥協で終戦を承諾したスティルトピアとは上手くいってるとは言えなかった。それはこの国、アースガルズとも、クロノスともだ。貿易をすることはあったが、決して盛んとは言えなかった。
と、これは誰もが知っているこの世界の歴史。俺は聞いたり教科書読んで知っているぐらいで、詳しくは知らない。
それが、何がきっかけになったのか、ここにきてスティルトピアが他の二国と友好関係を結びたいと言い出した。その三国首脳会談が行われるのが今日。
確かにこれで世界が平和になって、みんな楽しく暮らせるならいい。誰もそう思っているようで、だからこそのこのお祭り騒ぎなんだろう。
「ユー、いるか?」
「何ですかますたー? ちゃんと授業受ける気になったのですか?」
「ボード、窓の外にまわしてくれる?」
予想していた通り、怒った声が返ってきた。
「ますたー! また授業サボる気なのですか!? そんなのユニコーンは許してもこのユーが許さないのです!」
「相変わらず分かりづらい言い回しをありがとう」
たまにこの子の例えが分からない。これもお互いの間にある壁なのか。
障害は多いほど燃える。
「もちろん、授業が終わってからだよ」
「本当ですか? 本当なのですか?」
日頃の行いが余程悪いのか、イマイチ信用されていない気がする。
「本当だって。だからな? 頼む。終わったらすぐ祭りに行きたいんだよ。ユーもそうだろ?」
しばらくうーうー唸っていたが、小さく頷く気配が伝わってきた。
ユーも相当祭りを楽しみにしてたからな。そこに付け込んだようで、少し罪悪感……。
「絶対授業終わってからですよ? 約束は守るのですよ?」
そう言ってから、ユーはなにか一言二言呟く。
正式名称ヴァン・フリーゲン。木製の板に風の魔石が取り付けてあって、自由に空中を滑ることのできる遊具の一つだ。簡単に言えば空飛ぶスノボー。
名前が長いし、俺はボードと呼んでる。
ユーはこれを魔法で遠隔操作することができる。ちなみにスティルトピアでも似たようなのが開発されたらしいが、俺は見たことがない。
「はい、もう窓の外にいるのです。まったく、風属性の魔法はとても疲れるのです」
「悪いな。ありがと」
ユーはクロノス出身だ。本名はユースタシア・フェアリア・レイクサイド。通称ユー。今は姿を消してるが、普段は手のひらサイズの可愛らしい妖精。水色のヒラヒラした服を着て、背中には透き通った蝶のような羽を生やしている。
クロノスの住人には、皆それぞれの種族で得意な属性があるらしく、ユーは水属性らしい。得意属性以外の魔法も使えるらしいが、魔力を練るのに多くの体力、精神力が必要になるとはユーから聞いた話。
「まったく、ますたーは妖精使いが荒いのです」
何だかんだ言って、結局わがままを聞いてくれる。
そんな可愛らしい小さな友人を、俺はまた怒らせるようなことを考えていた。
そろそろ愛想を尽かされても文句は言えないだろう。
「ふむ」
授業終了まであと四十分。この退屈な授業もそろそろ飽きた。
俺の席は窓から二列目の一番後ろ。条件は今しがた揃った。これからすることを頭に思い浮かべ、手順を確認。一度だけ窓に目を向け、あとはタイミングを計る。
「ユー、俺の服、しっかり掴んでおけよ」
「え? ますたー、それってどういう──」
歴史教師が黒板の方を向いた瞬間、ユーの返事も待たずに窓へと全速力で駆けだす。窓を開けた瞬間、街の喧騒が耳を刺激した。視界がいっきに拓け、髪を撫でる風が最高に気持ちいい。
走ってきた勢いのまま窓の外へと飛ぶ。そこにはユーが呼び出してくれたボード。どんぴしゃだ。
着地、起動を一瞬で済ませ、木製の板は風の波に乗ったように勢いよく滑りだす。
「ますたー!」
「カケル!」
肩、そして開け放たれた教室の窓から同時に怒声が聞こえたが、今は無視する。
「こんな気持ちのいい日に、飛ばずにいられるかよ!」
一度振り返ると、名前を呼んだ主、ミカ以外のやつらは教師含め唖然としていた。それに満足し、あとでミカとユーに相当怒られるのも今は頭の中から追い出し、俺はニューインの街へと飛んでいった。
2
学校を言葉通り飛び出した直後は、ユーにぶーぶーと文句を言われ続けたが、それも街の大通り上空を飛ぶころには治まっていた。
むしろ、街の喧騒を食い入るように見つめ、今にも人ごみの中へ飛び出しそうなユーを抑えるのに骨が折れた。
ふらふら飛んでいかれると、この小さな妖精は絶対迷子になる。
いろんな種族でごった返す人ごみの中から、このおチビさんを見つけ出す自信は火トカゲの爪ほどもない。これもユーが言ってた言い回しだったかな。
そんな俺の苦悩など気づく様子もなく、さっきからユーは肩の上であうーだの、きゃーだの奇声を発している。俺への説教は完全に忘れてしまったようだ。
「そんなに楽しいか?」
「はい! みなさん楽しそうなのです! ユーも楽しいのです! ますたーに今日の分を入れて、合計三十八回裏切られたのも忘れてしまいそうです!」
「さぁユー、街を見てまわろうか!」
妖精族は以外と執念深いらしい。
「あ、それは賛成です!」
こうなったらユーに楽しい思いをさせて、学校脱走はきれいサッパリ忘れて頂こう!
ミカのことはあとで考えるか……。
ともかく、ユーが夢中になってしまうのも無理はないだろう。
今日のニューインの街は、普段この街を見慣れている俺でさえ浮かれてしまいそうなほど活気に満ちていた。大小様々な水路が走るこの街の、どこもかしこも様々な色に彩られている。
アースガルズの人々が楽しそうに楽器を演奏している。
クロノスの魔族たちも、文字通り飛び回ったり、昼間から飲み比べをしている。
それに加え、スティルトピアの人たちも楽しそうにこのお祭り騒ぎに混ざっていた。スティルトピアの人々は高身長が多いから、雑踏の中でも目立つ。
今まで見たことがないほどこの街にスティルトピア人が混ざっていることに気付き、驚き半分、感慨深さ半分って感じだ。
皆が皆、種族問わず楽しそうにしている。
戦争終結からは、長い年月が経っている。スティルトピアの人々も、関係改善を望んでくれていたということなのか。そう想像すると、俺でも嬉しい気持ちになる。
やっぱ、こんないい日に学校で勉強してることの方がおかしいだろ。
学校を脱走したくなるのも仕方のない。うん。
「ますたー、それは言い訳にはならないのです」
「勝手に人の思考を読むんじゃないよ!」
そういうことができるくせに、計三十八回も騙されてしまうこの子の将来が少し心配になってしまう。
騙した本人が言う事じゃないけど。
ただ、そんなポンコツなところが可愛いんだよなぁ。ユー、マジ尊い。
「うー、今とても失礼なことを思われた気がするのです……」
「おいユー、腹減ってないか?」
このまま思考を読まれ続けると後々面倒なことにもなりかねないので、話題を変えることにする。
「ユーはあれを食べるです!」
「決断早っ!」
空腹かどうかを聞いたのに、具体的な答えが返ってくるとは。しかも食べることは決定事項らしい。
少し強引な話題転換かと思っていたのに、それに疑問を持たないほど腹が減っていたのかこの妖精は。
俺は苦笑しつつ、大通りから少し離れた路地に着地した。
「頼むから勝手にいなくなるなよ?」
ユーに釘を刺しつつ、ボードをかかえて大通りへと歩き出す。
「あ、待って下さい、ますたー!」
慌てたユーが小さな羽を一生懸命動かし、俺の肩へと腰掛ける。
今ではこの場所がユーの定位置になっていた。
大通りから離れているせいか、喧騒が少し遠くに聞こえる。
それも歩を進めるにつれ、音楽が、人の話し声が、ざわめきが大きくなり、空気も熱を帯び始める。
自然と鼓動が早くなる。
路地の終わり、大通りが見えた時には、俺はほとんど走り出していた。顔がにやけるのも止められない。
路地を抜け、大通りに抜けた瞬間。
「…………!!」
息を呑んだ。
飛びながら見た時の比にならない。
音楽や声が耳を、色とりどりの飾りが目を、どこからか漂ってくる食べ物のいい匂いが鼻を、熱気が肌を刺激する。
五感すべてで感じる興奮。
「これは……凄いな……」
最初こそ呆気に取られたものの、じわじわと実感してくる。
「なぁ、ユー」
そう、俺もこの騒ぎに参加している!
「今日は、本当にいい日だな!」
「もちろん! だって、世界が平和になった日ですから!」
「よし、俺らも楽しむとするか!」
「はいです!」
ユーと笑顔を交わしつつ、俺は雑踏の中へと足を踏み入れた。
「おいユー」
「ふぁい?」
「まだ食うのか?」
「ふぁいれふ!」
「とりあえず、口の中のものなくそうか」
むしゃむしゃモシャモシャごっくん。
「はいです!」
「いや、もういいだろ!」
世界が平和になった日。
俺の財布の中身は滅びを迎えた。
「まだです! まだ食べたいものがたくさんあるのです!」
勘弁してほしい。
俺たちが街に来てからほぼ二時間、ユーは食べてばっかりだった。少し歩いては買い、また少し歩いては他のものを買いの繰り返しだった。
俺も確実に浮かれていたし、少なからず学校のことは悪いと思っていたので、このおチビさんのしたいようにさせた。
ところがどうだ。
この妖精の食欲は尽きることなく、挙句の果てにはまだ食べ足りないという。
しかも、食べていたものはすべて人間が普通に食べるサイズだ。
健啖家なのは知っていたが、まさかここまでだったなんて……。
この小さな身体のどこにあれだけの量が入るのか意味が分からない。
あれか、胃袋の中は異次元に繋がっているとか言っちゃうクチか。
「なぁ、そろそろ三国首脳会談の時間だろ? ひとまず食うのやめて時計塔広場に行こうぜ」
「うー、仕方ないです。ユーもそれは少し興味があるので、見てみたいです」
実際、そこまでその三国首脳会談には興味が無かったが、なんとかユーを食べ物以外のことに意識を向けることに成功したのでよしとしよう。
「よし、じゃあ肩にちゃんと掴まっておけよ」
ユーの返事をまたずに、俺はヴァン・フリーゲンを起動、そのまま空へと滑りだす。
「ちょっと寄り道な」
「またですか? 別にいいですけど、何度やっても無駄だと思うです……」
「今日は記録更新できるかもしれねぇだろ」
首脳会談までまだ少しある。
ユーの呆れた声を気にも留めず、最早日課となっている寄り道をすべく、俺は喧噪を後にした。
3
「いっちにーさんしー」
掛け声とともに、屈伸、首回し、手首足首を回し、アキレス腱を伸ばしていく。
「準備運動しても意味がないのです。結局はこの子の性能の問題なのです。もっと言えば、魔学の問題なのです」
「まぁ、そんな無粋なこと言いなさんな。気持ちの持ちようってね」
ユーの言ってることはもっともだ。ただ漢には不可能だと分かっていても挑まなければならない時がある!
「よし、じゃあいつもの頼む!」
俺はそう言うとボードに乗る。ユーは呆れながらも、やっぱり俺のお願いを聞いてくれる。
このやり取りは俺らのお約束のようなものだ。ユーは俺が諦めないのを知ってるし、俺はユーに諦めろと言われるのも知ってる。
そして俺はこのやり取りが心地いい。
「絶対に無理も、ケガもしないでくださいです」
「大丈夫だよ。いつも通りにな」
返事もそこそこに、俺は視線を空へ。気持ちを集中する。
「さんっ!」
ユーの掛け声と共に、目の前に水疱が3つ現れる。
いつも通りと言いながら、今日は少し違っていた。
「にーっ!」
水疱が1つ割れる。
祭りの喧噪の残滓が胸に残り、気持ちを昂らせる。
もしかしたら今日こそは。そう思えてしまうほどに、俺は祭りに浮かれていたらしい。
「いちっ!」
水疱がさらに割れる。
視界が狭まるのを感じた。
「ぜろっ!」
「っっっしゃああああぁぁぁぁぁ!!!!」
力限りの咆哮とともに、俺は全速力でボードを吹かす。
角度はほぼ垂直。まっすぐ青く壮大な空を目指す。
もっと早く。
早く。
早く。
早く。
高く。
高く。
高く!
視界は一点を除いて青く染まる。
風を切り、音が遠のき、この瞬間が永遠にさえ感じられる。
「いっっっけえええぇぇぇぇ!」
そう叫んだ瞬間。
ぷすん。という音と共に、一気に減速する。
身体は慣性の法則に従って少し上昇し続けるも、一瞬の静止状態を得て、重力に抗えなくなる。
やはり届かない。ここが限界か。