第八十九話 古の闘技場
「キュー!!」
翼を広げ、ゆっくりと空を舞うクルル。
そのあとを俺たち四人はゆっくりと追いかけていた。
次第に密度を増していく霧の海。
ともすれば前後不覚に陥ってしまいそうなそれを掻き分けながら、懸命に進む。
どうやら、暗殺者たちのアジトはこの霧の都の中心部にあるようだった。
「……山か?」
やがて前方に現れた、巨大な黒い影。
視界を遮るそれに、先頭を歩いていたツバキさんが足を止める。
山にしては、影の上部はずいぶんと平坦で綺麗な直線を描いていた。
もしかして、巨大な岩か何かか?
目を凝らしてみるが、なにぶん、霧が深すぎてよくわからない。
「キュキューー!!」
「行ってみましょ。立ち止まっててもしょうがないわ」
「そうね」
「クルル、もうちょっとゆっくり!」
影に向かって飛び続けるクルルの後を、恐る恐る追いかけていく。
やがて、影として映っているものの正体がはっきりとしてきた。
壁だ。
無数のアーチを組み合わせて作られた、恐ろしく巨大な壁である。
周囲の遺跡と同様にかなり古いものらしく、ところどころ石柱が折れたり崩落したりしている。
「驚いたな。これほどのものが残っていたとは!」
「城?」
「それとは造りが違うような。神殿とかじゃないですか?」
アーチが無数に連なる構造は、明らかに外部からの攻撃を意識していなかった。
出入り口が無数にあるようなものだからである。
これでもし城だとしたら、あっという間に攻め落とされてしまうだろう。
「……たぶん闘技場よ!」
「え? これがですか?」
「形としては、ぽい」
「さすがに大きすぎないか? 五万人ぐらいは入れそうだぞ」
「この旧王都は、かつて大陸一の大都市だったのよ。それぐらいの需要があっても、不思議じゃないわ」
滅びてしまった都への皮肉か、シェイルさんはやや冷めた口調でそう言った。
彼女は建物の柱へと近づくと、さらに詳細を確かめるように見渡す。
白くたおやかな指が、風化して消えかけていた文字を撫でた。
「ふむ……ネリウス円形闘技場って書いてあるわね。第二期王朝の文字よ」
「キュ、キューキュキュー!!」
「え、この中だって?」
俺たちの方へと戻ってきたクルルが、くちばしを振って指し示す。
どうやら敵のアジトは、この闘技場の中にあるようであった。
こんなに目立つ場所をアジトにするとは、ずいぶんと大胆である。
よほど自分たちの実力に自信があるのか、はたまた罠でも張っているのか。
いずれにしても油断ならない。
「気を付けて。いやな予感がするわ」
「ええ。俺も、何だかそんな気がします」
「各自、武器を抜けるようにしておけよ。いつ、何が出てくるかわからん」
「全方向、注意」
四人で背中を合わせ、足音を殺す。
そのままおしくらまんじゅうのような姿勢を保ちながら、入り口へと足を踏み入れた。
高いアーチを抜けると、たちまち暗く広々とした空間が現れる。
どうやらこの闘技場の外壁は、がらんどうになっているようだ。
俺たちはすぐさま、指先に光を灯す。
「……見事なものだな」
「すっごい骨組み。ここまで大規模なのは、私も初めて見るわね」
壁と床を複雑に入り組んだ無数の柱が支えていた。
さながら、柱の森である。
円筒形をしたそれら太く、大人が楽に陰へと隠れられるほど。
敵が潜むには十分すぎるスペースだ。
「……ん?」
「どうかした?」
「足音がする。……危ないッ!!」
円盤のような何かが、俺たちの足元へと飛んできた。
――速い!
たちまち石の床が砕け、欠片が飛ぶ。
とっさの判断でそれを回避したテスラさんは、すかさず魔法で反撃を加えた。
魔法陣が展開され、そこから放たれた無数の石が闇を穿つ。
「なんだ、あの動きは……!」
少女だろうか?
小柄な人影が、入り組んだ柱の間を尋常でない速さで通り抜けていく。
その動きは三次元的で、重力を無視しているかのよう。
手のひらから出した糸を使っているようだが、まったく信じがたい動き方だ。
「……すばしっこい」
魔法の発動を終えたテスラさんが、忌々しげにつぶやく。
すると少女は動きを止め、梁の上から俺たちを見下ろした。
――光のない目だな。
少女の顔を見た途端、俺はその瞳に横たわる茫洋たる闇に呑まれそうになった。
髪も服も肌も白いのに、目だけが深い黒を湛えている。
「何者だ!」
「聞かれなくたって答えるわ。私はアビス、超一流の暗殺者だよー!」
「……聞いたことないわね、そんな名前」
余裕の笑みを浮かべながら、シェイルさんがからかうように言う。
するとアビスもまた、負けじと壮絶な笑みを浮かべて言った。
「当たり前でしょう? 私、暗殺者だから名前を聞いた人間はすべて殺してきたの。そんなこともわかんないわけ? アハハハッ!!」
「……そりゃまた、御大層なことね」
「趣味の悪い笑い方だ」
「大丈夫、今すぐ聞こえなくしてあげるからさぁ!!」
アビスの掌から、再び円盤が放たれる。
激しく回転しながら迫るそれは、瞬く間に石の床を穿った。
そして――
「走った!?」
「くっ!」
円盤が穴を飛び出し、恐ろしいほどの速さで床の上を転がる。
俺たちは慌てて脇へ飛び退き、それをかわした。
直後、石柱にぶつかった円盤はとんでもない音と振動を巻き起こす。
あの円盤、見た目は小さいのに信じられない威力だぞ……!
「キュキューー!!」
「なんだありゃ……!」
「アハハッ!! このヨーヨーは、ヒヒイロカネで出来ていてねー。この大きさでも、大人二人分ぐらいは重さがあるんだよー!!」
笑いながら、再び円盤――ヨーヨーというらしい――を投げつけてくるアビス。
俺たちは散らばってそれをかわすと、どうにか彼女との距離を詰めようとした。
しかしアビスはもう一方の手からもヨーヨーを出すと、それを使って別の柱へと飛び移ってしまう。
「アハハ! 無理無理、この場所じゃ私には追い付けないよーー!」
「面倒だな。この柱、すべて斬るか?」
「それも無理なんだよねー! この柱のうち、いくつかには爆弾が仕込んであるからさぁ!! 残念残念!」
腹を抑えながら、馬鹿笑いをするアビス。
爆弾が仕込んである、か。
さすがに常時そんな危なっかしいことをしてるとは思えないし、俺たちを待ち伏せしていたのか?
「クルル、お前逃げ出すときに誰かに見られたか?」
「キューキューー!!」
「気づかれてないはずだって? まあいい、とにかく何とかしないとな」
いずれにしても、状況はなかなかに厄介だ。
ともかく、奴の動きを封じないことにはどうにもならないが……。
いかんせん、この場所は霧が濃い。
小回りの利く魔法は発動できないし、かといって大規模なものを使えばドッカンだ。
「ラース、ちょっと!」
「何ですか?」
「とにかく、こっち来て」
柱の陰に身をひそめながら、シェイルさんが手招きをする。
白い歯をのぞかせたその表情からは、彼女の自信のほどがうかがえる。
この状況を打開するための妙案を思いついたようだ。
「わかりましたよ!」
軽くうなずくと、俺は急いでシェイルさんの元へと駆け寄るのだった――。




