第八十五話 霧の旧都
「王都の近くに、こんな場所があったなんて……」
王都の南門から、馬車を走らせること数時間。
俺たち四人は、賢者様の手がかりを求めて『霧の旧都』へとやってきていた。
王都から山を一つ越えた盆地にあるここは、その名の通り霧の立ち込める旧い都市の跡。
古色蒼然とした石造りの街並みが、生い茂る草木とともに乳白色の海に沈んでいる。
「千年くらい前は、ここが王都だったそうよ。でも、水死病っていう水気を媒介にした病が流行ってね。少し乾燥した今の土地へ遷都したんですって」
「なるほど。確かに、かなりじめじめしてますもんね」
「近くにアルトレア湖っていう湖があってね。この霧はそこが発生源らしいわ。それとこの都に溜まった瘴気が混ざり合って、わずかにだけど魔力を帯びているのだとか」
本を片手に、シェイルさんが軽く解説をする。
勉強熱心な彼女は、出発するまでの間にあれこれと資料を取り寄せていた。
かく言う俺は、台所担当として屋敷で分けてもらった食材を背負っている。
近くに町や村がない上に、獣もろくに寄り付かないこの場所では、食料はすべて自分たちで持ち込んで調理しなければいけなかった。
「しかし、本当にここに賢者様がいるのか? およそ人気がないが……」
「分からない。でも、魔導師を幽閉するならばここ以上の場所はない」
そう言うと、テスラさんは指先に光を灯そうとした。
するとその瞬間、霧の中を小さな稲妻が走る。
霧が魔力に反発した証拠だ。
それを見たツバキさんたちの目が、驚きですぐさま丸くなる。
「凄いな」
「予想以上に、魔力が強い」
「これじゃラースの馬鹿魔力でも、遮られちゃって魔力探知は使えなさそうね。他の魔法を使うには、そこまで大きな支障はなさそうだけど…………目立つわ」
シェイルさんは周囲に視線を走らせると、警戒するそぶりを見せた。
その顔つきは険しく、瞳の奥からただならぬ気配がうかがえる。
それに合わせて、ツバキさんもまた刀の柄へと手をやった。
いつでも抜刀可能な、まさに臨戦態勢である。
「あの……」
「なんだ?」
「ここに来る途中から、みんなずいぶんと警戒してましたけど……何かあったんですか?」
俺がそう尋ねると、ツバキさんはフッと息を吐いた。
彼女はそのまま俺の方へと振り向くと、幾分か声のトーンを下げて語りだす。
「魔導師殺しって、姫様が言ってただろう?」
「ええ」
「私たちは、先ほどからずっと彼らを警戒している。ここに来る前から」
「……そんなにヤバい相手なんですか? 姫様も、ずいぶんと脅してましたけど」
姫様の芝居がかった物言いを思い出しながら、聞き返す。
すると、脇に立っていたテスラさんがぽつりと言葉を漏らした。
「三十二名」
「はい?」
「ここ十年で、それだけの魔導師が魔導師殺しにやられた。実際にはもっと被害者がいると言われている」
「……びっくりですね」
思わず、間抜けなことを口にしてしまう。
魔導師の数の少なさを考えれば、それだけ驚異的な数字だった。
狙った獲物は、ほとんど逃していないのではなかろうか。
姫様がその手口を芸術的と評していたが、あながち間違いではないのかもしれない。
「連中は連中で数が少ないから、出てくることなんて滅多にないんだけどね。けど、賢者様がかかわっているとなると現れる可能性は高いわ」
「やはり……黒魔導師がそいつらを雇ったんでしょうか?」
「さあ、分からないわ。黒魔導師がやるなら、賢者様をすぐに殺害してもおかしくないんだけど……またろくでもないことをしでかすつもりなのかも」
シェイルさんが、やれやれと肩を落とす。
黒魔導師がこれまでにしてきたことを考えれば、うんざりするのも無理のない話であった。
賢者様の力を使って、またフォルミードみたいなのを復活させられたらたまったものではない。
「厄介なことにならないといいのだがな」
「嫌な感じがする」
「テスラ、それどういうこと?」
「上手くおびき寄せられた……かもしれないと言ったら?」
テスラさんの言葉に、背筋が冷えた。
言われてみれば、その可能性もなくはない。
俺たちは悪魔フォルミードを倒したし、ヤーザスも陸帝獣も、空帝獣をも倒してきた。
敵からしてみれば、なかなかに厄介な存在だろう。
俺たちを始末するために、あれこれ策を弄しても不思議ではなかった。
「つまり、賢者様を囮にしたということか?」
「そう」
「馬鹿な。いくらなんでも、それはなかろう」
「奴らに常識は通用しない」
「しかしな……賢者様だぞ? 鯛で海老を釣るつもりか?」
ツバキさんの問いかけに、テスラさんは言葉を返さなかった。
いや、うまく返せなかったというべきか。
口の端をもごもごとさせながら、渋々といった様子で「そうね」とうなずく。
「いずれにしても、敵を倒して賢者様を救出しないといけないわ。相手の理由はどうあれ、ね」
「そうだな。罠だろうと、やらねばなるまい」
「ひとまず、野営の準備をしましょ。結構いい時間だわ」
気が付けば、風が冷たさを増していた。
霧に包まれているため少しわかりにくいが、時刻はもう夕方のようだ。
この場所で夜に活動するのは、さすがに自殺行為だろう。
「じゃあ、まずは結界を……む!」
魔法文字を書きだしたシェイルさんの手が、不意に止まった。
いきなり石化してしまった彼女に、俺はすぐさま話しかける。
「どうかしたんですか?」
「それが……」
「反発してる」
見れば、シェイルさんの書いた魔法文字がバチバチと火花を散らしていた。
湿って黒々とした地面が、そこだけ青白く光って見える。
これでは、あっという間に込めた魔力が尽きて結界が破れてしまうだろう。
「参ったわね、これは予想外だわ。魔法文字にまで反応するなんて」
「結界用の魔石、持ってきてない」
「私もだ。どうする?」
何やら、困り顔をする三人。
彼女たちは額を突き合わせると、ああでもないこうでもないと議論を始める。
そのやけに真剣な様子に、俺はおやっと首をかしげる。
「あの、なんでそんなに困ってるんですか?」
「結界魔法が使えないのよ! 一大事じゃない!」
「そうだぞ、寝るときはどうするんだ!」
「結界がなければ魔物の餌食になる」
「いや。別に、寝ずの番を立てればよくないですか?」
俺がそう言うと、みんなは驚いたような顔をした。
これはもしかして……
「まさか、結界魔法を使わずに野営したことがないんですか!?」
「……ええ」
「そうよ」
「便利だからな」
揃って肯定した三人に、俺はやれやれと肩をすくめた。
これから先、この場所での仕事は大変そうだ――。




