第八十話 動かぬもの、動くもの
「それは、興味深いお話ですね」
魔法ギルド、王都本部にて。
俺たちから報告を受けた受付嬢は、やや間延びした返事をした。
その様子はどこかおっとりとしていて、のんきにすら見える。
「あれから三日、毎日通ったが賢者様は戻られなかった。少年の証言が正しければ、かれこれ十日も姿を見せていないことになる。さすがに、何かあったと疑うべきだ!」
ツバキさんが、口調を強くして言う。
俺たちが賢者様の元へ報告に向かってから、はや五日。
あれから毎日通ったのだが、結局賢者様にはお会いできていなかった。
「ですが、賢者様ですよ? 何かあっても、ご自身でどうとでもなさるでしょう」
「そうは言っても、実際にいなくなってるのよ!」
「お出かけになられているだけでは?」
「周りに何も言わずに?」
あまりにも気のない応対に、ツバキさんだけでなくシェイルさんまでもが声を大にする。
しかし、受付嬢の態度にはさしたる変化はなかった。
賢者様への信用が、そのまま悪い方向に作用してしまっているらしい。
「……最近は、いろいろと物騒なことが多くてギルドも忙しいんです。不自然な状況ではありますが、それだけで人を動かすのは難しいですよ」
「しかしなあ」
「馬耳東風」
なおも食い下がろうとするツバキさんの肩を、テスラさんがポンポンと叩いた。
彼女に手を引かれたツバキさんは、渋々といった表情で身体を引く。
このままここで頑張っても、受付嬢の態度が翻ることはなさそうだった。
むしろ、俺たちの心証が悪くなってしまうかもしれない。
「しかし、我々が動くわけにもな。空帝獣様のこともあるし」
「早く東に向かいたいとこよね。東の果てと言ったら、今すぐ出ても何カ月もかかるわよ」
俺たちの住むこの王国は、大陸全体からすると西方に当たる。
そこから東の海まで行こうとすると、いくつもの国を越えていかねばならなかった。
その道のりは険しく、当然のことながら時間も労力もかかる。
「このことは、ひとまず置いておくしかないか……」
「そうですね。報告はしましたし、ギルドに任せてもいいかもしれません」
「私はラースの判断に任せる」
「私もよ」
視線が俺に集中する。
さて、これからどうしたものかな。
賢者様に何が起きたのかは気になるところだし、出来れば報告も済ましてしまいたいのだけれども……。
「あれ? 誰かと思えばアクレ組じゃないか!」
俺が頭をひねっていると、どこからか聞き覚えのある声がした。
振り返ってみれば、いつぞやの魔導師がこちらを見ている。
えっと、確かアスフォートだったっけか。
初めて本部を訪れた日、俺たちに絡んできた人だ。
「どうしたんだい、ずいぶんと深刻そうな顔をして。聞いた話によると、賢者様の依頼を受けたらしいが……まさか、失敗したのかい?」
「それはない」
「じゃあどうして?」
素直に答えるべきかどうか、迷う。
今の状況を言ったら、下手をすれば笑われてしまうだろう。
でも、賢者様はこいつらにとっても重要な人物のはずだ。
もしかしたら、協力を仰げるかもしれない。
俺はひとしきり逡巡すると、口を開く。
「……依頼は達成した。それで報告をしようとしたけど、肝心の賢者様がずっと不在」
「ずっと? 何日ぐらいだい?」
「かれこれ十日」
テスラさんの言葉に、アスフォートは驚いた顔をした。
彼は男にしては長めの髪をかき上げると、すぐさま俺たちの方へと近づいてくる。
「本当かい?」
「嘘はつかない」
「なるほど。道理で心配そうな顔をしているわけだよ」
そう言うと、アスフォートはニカッといい笑顔を浮かべた。
口の端から覗いた白い歯が、少しまぶしいくらいである。
彼はそのままシェイルさんたちの顔を見渡すと、大きく胸を張って宣言する。
「この件について、我々が動こうではないか!」
「何?」
「賢者様がいなくなったとあれば、一大事だ。ギルドの一員としては、早急に動かねばならん」
「……ギルドは動かないと言っている。正式な依頼ではないのだぞ?」
やけに調子のいいアスフォートに、ツバキさんが聞き返した。
すると彼は、おどけるように肩をすくめて言う。
「心外だな。俺たち主流派が、このような時に動かずしてどうする? こんな絶好のチャンスに!」
「お前、このことを派閥争いに使う気か?」
「……賢者様もお歳だ。あと数年のうちに代替わりするのは間違いないだろう。その時のために、少しでも覚えをめでたくしておきたいのさ」
いけしゃあしゃあと、アスフォートは自身の目的を告げた。
……まったく、こんな時まで打算的な奴である。
賢者様の身に起きているかもしれない異変を、自分たちのチャンスとしかとらえていない。
計算高いのかもしれないが、あまりお近づきにはなりたくないタイプだな。
さすがに、考え方が不謹慎すぎる。
「どうする? こいつらに任せるか?」
「……何だか、ミイラ取りがミイラになりそうな予感がするわね」
「手に余るときは、無理をするんじゃないぞ」
「ほう、俺たちのことが心配なのかい?」
そう言うと、アスフォートは腹を抱えて大笑いをした。
それにつられて、彼の取り巻きたちも一斉に笑いだす。
本来は静粛なはずの魔法ギルド本部が、ざわめくざわめく。
その騒ぎの大きさときたら、受付嬢がぽかんとしてしまうほどだった。
「アクレ組に心配されるとは恐縮だね! 何せ俺たちには、Sランクが五人もいるんだ」
「五人!? あんたたち、また仲間を増やしたわけ!?」
「その通り。今では圧倒的な最大派閥だ」
「仲間作りだけは得意」
「素直に誉め言葉だと受け取っておこう」
余裕たっぷりのアスフォート。
そのすまし顔にたまりかねたのか、シェイルさんの顔が赤みを帯びる。
彼女はフンッと鼻を鳴らすと、アスフォートと俺の顔を見比べて言う。
「数だけ集めたところで、私たちには勝てないと思うけどね。同じSランクでも差があるんだから」
「昇格したばかりの君が、それを言うとはね」
「腕には自信あるもの。コネ組よりはマシよ」
コネ組という言葉に、アスフォートの表情が露骨に曇った。
言葉の意味は知らないが、この反応からして何かの悪口なのだろう。
額に浮かび上がった血管が、ひくひくと震える。
「……コネ組とは言ってくれるじゃないか。いいだろう、今に見ていろ。賢者様の行方は、我々がすぐにつかんでやる! せいぜい、俺たちの手柄を黙って見ていることだな!」
そう言うと、アスフォートは盛大に足を踏み鳴らしてその場を立ち去った。
彼の背中を見送ると、俺はすぐさまシェイルさんたちの方を見やる。
「大丈夫ですかね?」
「あれでも、エリート集団だからね。多少ひどい目にあっても、死にやしないわよ」
「だといいんですけど……」
沸騰したアスフォートの様子を思い起こして、不安になる俺。
最終的に自業自得とはいえ、ここで何かあったら寝覚めが悪い。
まあ、Sランクが五人もいるなら俺たちの心配することでもない気はするが。
なんかこう、不安になってくるんだよな。
「それよりラース、私たちは自分の心配をしないといけないぞ」
「え?」
「姫様との謁見、今日だっただろう? まさか、いろいろあって忘れてたのか?」
「ああっ!?」
素っ頓狂な声を出す俺。
話を聞いた時は、あれだけ心配したり騒いだりしたのに!
完全に、その「まさか」というやつであった――。
感想が200件を超えました、ありがとうございます!
書籍の発売も次第に近づいてきましたが、これからも応援よろしくお願いします。




