第七十九話 不穏な気配
「まさか、王族に呼ばれるとは……」
賢者様の家に向かう道中。
相変わらず薄汚れた通りを歩きながら、俺はフッとため息をついた。
一応、大森林でエルフの女王様には会っている。
しかし、自国の王族となると話は別だった。
約束した日取りはまだ先だが、今から緊張してしまう。
「今からかたくなっても、仕方がない」
「そりゃまあ、そうですけども
「それより、賢者様に会う方が魔導師としては重要なはず」
そう言うと、テスラさんは呆れたように両手を上げた。
そりゃまあそうだけども、この国の姫様だ。
魔法に疎かった俺は、賢者様が凄く偉いということを知ったのもつい最近のことだし。
「着いたわ」
気が付けば、賢者様の住む小屋の前までやってきていた。
前に来た時と変わらず、今にも崩れてしまいそうなあばら家である。
壁に描かれている落書きまで、消されず残っている。
「こんにちは!」
壊れないように注意しつつも、シェイルさんがドアをノックする。
スラムに似合わぬ快活な声が、周囲に響き渡った。
しかし、反応は帰ってこない。
「……居ないのかしら?」
「またぞろ、ぬっとあらわれたりするんじゃ……」
この前のことを思い出して、周囲を見渡す。
しかし、それらしき人影は全く見当たらなかった。
せいぜい昼間っから酔っぱらった男が一人、壁にもたれて寝ているぐらいである。
「少し待たせてもらうか」
「そうね。約束してたわけでもないし」
「椅子、用意する」
手にしていた杖で、テスラさんはコンコンと地面を叩いた。
小さな魔法陣が展開され、たちまちテーブルと椅子のセットが現れる。
流行りのカフェを思わせる洒落たデザインに、シェイルさんたちはすぐに腰を下ろした。
俺も彼女たちに続いて座ると、ぼんやり空を眺める。
ちょうど昼下がり、うとうとするのにちょうどいい時間だった。
「……なかなか戻られないな」
こうして椅子に座ること二時間ほど。
腕組みをしたツバキさんが、ぽつりとつぶやいた。
夕方になり、日も傾いてきたが賢者様が帰ってくる気配はない。
体がわずかばかり冷えてくる。
「一日、戻らないのかも」
「そうね。ちょっと疲れてきたし……」
軽く肩を回しながら、シェイルさんが言う。
椅子に座りっぱなしだったため、筋肉が強張ってしまったようだ。
俺も、ちょっとばかりお尻が痛い。
「明日出直すとするか」
「それがいい」
「賛成。のどが渇いたし、帰ってお茶でも飲みましょ」
俺たちはゆっくりと立ち上がると、その場で身体をほぐした。
するとここで、路地裏からタンタンタンと軽快な足音が響いてくる。
もしかして、賢者様か?
そう思って振り向くと、何やら大きな包みを抱えた少年がこちらに走ってきた。
「どいてどいて!」
「なんだ?」
少年は俺たちの間をすり抜けると、一目散に賢者様の小屋へと向かった。
そしてそのドアを、ダンダンッと乱暴に叩く。
「じいさん、出前を持ってきたぜ! おい、いないのか!」
「け……おじいさんは今外出中」
賢者様と言いかけて、とっさに言い直したテスラさん。
こんなところに暮らしてる以上、周囲の人間に本来の身分を明かしているとは思えなかった。
すると少年は、俺たちの方を見て怪訝な顔をする。
「姉ちゃんたち、誰だ? もしかして、じいさんの知り合いか?」
「まあ、そんなところかな」
「へえ、じいさんにこんな知り合いがいたなんて知らなかったぜ」
少年は値踏みするような目で俺たちを見た。
マントが物珍しいのだろう、視線がそこに集中する。
「あんたたち、もしかして魔導師なのか!?」
「一応は」
「すっげーー! 初めて見るぜ!」
拳を上げて、目を輝かせる少年。
それを見たツバキさんが、やれやれと息をつく。
「……初めてではないだろう」
「え?」
「いや、何でもない。それより、君はここの老人と知り合いか何かなのか?」
「知り合いというか、出前に来たんだよ。これ」
少年は持ってきていた大きな包みを開いた。
そして中に入っていた箱を開くと、たちまち料理の数々が目に飛び込んでくる。
作りたてらしいそれらは、まだほこほこと湯気を立てていた。
軽く脂の浮いた鶏肉の照り焼きが、なんとも旨そうだ。
「まったく、参っちまうよ。せっかく急いで持ってきたのに」
「恐らく、何かの都合で帰りが遅れておられるのだろうな」
「帰りって、今日で一週間にもなるなんだけどな」
「……何?」
予想外の言葉に、俺たちはそろって顔を見合わせた。
虫の知らせ、とでも言うべきだろうか。
頭に水でもかけられたように、背筋が冷えた。
「その出前、毎日持ってきているのか?」
「ああ、そうだよ。ここのじいさん、うちの出前が大好きでさ。毎日持ってきてくれって」
「なるほどね……」
「金は前払いだからいいけど、受け取ってくれないんじゃなあ」
少年は箱を閉じると、再び包みの中へと仕舞った。
そしてそれを、俺に向かってズイっと差し出す。
「あんたたち、じいさんの知り合いなんだろ? だったらさ、これ受け取ってくれない? このまま持って帰ったら、オヤジにドヤされちまうんだよ」
「受け取ってやりたいのはやまやまだが……。私たちも、彼の行方は知らなくてな」
「なーんだ、あんたらも待ちぼうけしてたのか。じゃあ仕方ないな、また!」
少年は軽く頭を下げると、包みを手に走り去っていった。
後に残された俺たちは、彼の背中を見送るとすぐさま渋い顔をする。
「ちょっと様子がおかしいみたいね」
「ああ。家を一週間も空けるなんて、そうそうあることじゃない」
「私たちがくることも、わかっていたはず」
テスラさんもまた、小首を傾げる。
いろいろとあって時間がかかったが、俺たちも本来ならもう少し早く帰ってきていたはずだ。
報酬の支払いなどもあるし、それをすっぽかして旅行に出かけたりするとは考えにくい。
賢者様自身も、早く報告が欲しいところだろうし。
「そういえば、システィーナ様が最近魔導師を狙った事件が起きてるとか言ってましたね……」
「まさか、賢者様がそれに?」
「考えられなくはないかなと」
「馬鹿な。仮にも賢者ともあろう方だ、襲われたりしても軽く撃退できるだろう」
ないないと首を横に振るツバキさん。
確かに、彼女の言うとおりである。
賢者様に限って、万が一などそうそう起こるはずもない。
「とりあえず、今日は屋敷に戻ろう。明日また出直しだ」
「そうですね。日もくれそうですし」
こうして俺たちは、ひとまず屋敷へと戻るのだった。
何か胸騒ぎのようなものを感じながらも――。




