第三十二話 到着、そして――
翌日。
俺たち四人は、ソノラさんの馬車に乗ってエルマ村へと向かっていた。
森の中の細い街道を、荷馬車がゆるゆると進んでいく。
荷台に腰かけた俺たちは、薄暗い森の景色をゆったりと眺めていた。
無数の木の葉によって陽光を遮られたそこは、真昼だと言うのに視界が狭く感じられた。
「暗い」
「そうね。樹の密度が濃いって言うか」
「魔物でも出そうですよね。ソノラさん、行きはここを一人で来たんですか?」
「ええ。意外とこの道、安全ですから。魔物も山賊も、このあたりには居ないんです」
「何か、いかにも出そうという感じがするのだがな……」
目つきを鋭くするツバキさん。
するとここで、ソノラさんがからかうように言う。
「亡霊は出るって言われてますよ。ゴランボ山賊団の魂が今も彷徨っているって」
「こ、怖いことを言わないでくれ!」
ツバキさんは額に汗を浮かべると、身を震わせた。
普段は勇ましいことを言ってるけど、こういうの苦手な人だったんだな。
「ツバキ、顔真っ青」
「アンタって意外と怖がりよね」
「うるさい! 別に怖がってなどおらぬ、これはただの……武者震いだ!」
「ははは……まあ、何が怖いかは人それぞれですよね」
俺がそう言ってまとめると、ツバキさんはうんうんと頷いた。
……やっぱり怖かったのかい。
思わず突っ込みたくなったが、言葉を堪える。
「しかし、この調子であと二日か。なかなか暇だな」
「シェイルさん、この間みたいに付与魔法でひとっ飛びできないんですか?」
「前は緊急事態だったから使ったけど、普段からあれはね。結構魔力を食うし、あとあと疲れるのよ」
そう言うと、シェイルさんは何か言いたげな様子でテスラさんの方を見やった。
するとテスラさんは、ダメダメとばかりに首を振る。
「ゴーレムで馬車を引っ張るなんて、ダメ」
「ち、ばれたか」
「ゴーレムも出しっぱなしは疲れる。魔力の浪費は控えたい」
「でもねえ……」
これからのことを思ってか、不満げなシェイルさん。
まあ確かに、これから二日間ものんびり馬車に揺られているのはちょっとな。
俺も本を何冊か持ち込んではいたが、ここに来るまでですでに読み切ってしまっていたし。
「そうですね……。だったら、馬車を少し軽くしたらどうですか?」
「軽く? まあできなくはないけど」
「それなら飛ばすよりは負担ないですし、軽くなればきっと早く着けますよ」
「あー、なるほど。それなら任せて。ソノラさん、ちょっと止めてもらえるかしら?」
「ああ、はい!」
馬のいななきと共に、ゆっくりと馬車が制止する。
シェイルさんはすぐに荷台を下りると、そのまま車輪に魔法文字を刻み始めた。
やがて馬車全体が、微かにだが揺れ始める。
重さを失ったため、ちょっとしたことでも響くのだ。
「これでよしっと!」
「すっごい! 何かふわふわしてますよ!」
「ほとんど重さを無くしたからね。これで、速度をあげられるはずよ」
「疾風、頼んだよ。えいっ!」
ソノラさんが手綱を打つと、栗毛の馬は勢いよく走り出した。
重さを忘れた馬車は、さながら風になったかのように突き進む。
景色が加速し、見る見るうちに過ぎ去っていった。
この分なら、数時間で村まで着けそうである。
「これが魔法の力なんだ!」
「この程度で驚いてちゃ困るわよ。魔力使い放題なら、空だって楽々飛べるんだから」
「へえ! 私も魔導師になりたいなぁ」
「うーん、それはちょっと難しいかもしれないわねえ」
苦笑いをするシェイルさん。
ソノラさんの身体からは、ほとんど魔力を感じることはできなかった。
これでは、魔導師になることなんて到底できないだろう。
「魔導師もいいことばかりじゃない。時には命がけ」
「そうだぞ。街の平和を守るために戦うようなこともあるしな。楽な仕事ではない」
「うーん、でもやっぱりなってみたいなー」
「まあ、気長に鍛えると良いんじゃないかしらね。ひょっとしたら、少しは才能あるかもしれないし」
そう言うと、シェイルさんは懐から小さな冊子を取り出した。
黒い装丁のなされたそれは、『基礎魔導読本』とタイトルが記されている。
へえ、教本を渡してあげるなんてシェイルさんもなかなか優しいんだな。
「ありがとう!」
「どういたしまして」
「……ん?」
本を受け取った瞬間、ソノラさんの身体から炎のようなものが立ち上ったように見えた。
慌てて眼を擦ると、既にそれは消えている。
今のはいったい……ただの幻だろうか?
「どうかした?」
「ああ、いえ。何でもないです」
「そう。だったらいい」
俺が首を傾げている間にも、疾走する馬車。
こうして俺たちは、その日の夕方にはエルマ村へとたどり着くのだった――。
――○●○――
「ここが、エルマ村ですか」
「なかなかいい村」
森の合間に、ぽっかりと出来た開拓地。
そこに密集して、木造の家々が立ち並んでいる。
恐らくは、材木業などが盛んな村なのだろう。
道の端にドーンと角材などが積み上げられていた。
「静かなところね。森林浴とかには最適だわ」
「そうだな。だが……少し静かすぎないか?」
「そう? 言われてみれば、あんまり人が居ないけど」
空は薄暗くなってきているが、まだ夜と言うには早い時間。
にもかかわらず、通りを歩く人の姿はほとんど見えなかった。
田舎と言ってしまえばそれまでだが、かなり物寂しい雰囲気ではある。
「うちの村、いつもこうなんですよ。店とかもほとんどないですし、夜はみんなすることもないので」
「長閑な感じねえ。呪われた村なんて、言われなきゃわからないわ」
「実際、かなり平和ですよ。…………ちょっと、おかしな事件も起きていますが」
「依頼にあった失踪事件ね」
皆の目つきが、にわかに険しくなる。
ソノラさんはふうっと息を吐くと、静かにうなずいた。
彼女はすぐに馬車を下りると、真剣な表情をしたまま手招きする。
「こちらへどうぞ。事件については、村長が詳しいので」
「分かったわ」
俺たちも馬車を下りると、ソノラさんの後に続いて村の奥へと向かう。
やがて、周囲の家々より一回りほど大きな屋敷の前にたどり着いた。
ソノラさんはその戸を叩くと、勝手知ったる様子で押し開ける。
「村長、いま戻りました!」
「お帰り、ずいぶんと早かったねえ」
「ラッカスの街で、魔導師様たちと出会ったんです。そのお力を借りまして」
「おお、魔導師様が来てくれたのか! ありがたい!」
「既にここまでお越しいただいています。さ、皆さんどうぞ!」
こうして、村長さんの家へと足を踏み入れる俺たち。
するとそこに居たのは――
「……いッ!?」
「これは……面妖な」
「……白い」
「これは、ちょっと予想してなかったわね……」
全身に包帯を巻いた、異様な風体の老人であった。




