第二十二話 アルボースの谷
「ふう……! 何とかなったわ!」
船が暴走を始めてから、数分後。
シェイルさんが急いで魔力吸収の術式を解除し、どうにか事態は落ち着いた。
彼女は後ろの座席にしがみついていた俺を見やると、少しばかり呆れたような顔をする。
「ラースだっけ? あなた本当にとんでもないわね! 流石にびっくりしたわ」
「ははは……。ま、魔力に関しては相当なものみたいですね」
「相当なんてものじゃないだろう。この私よりも遥かに多いと見たぞ!」
ツバキさんが、驚きを露わにしながら言う。
こちらを覗き込む瞳は、何やら興奮しているようだった。
光り方がちょっと普通じゃない。
「ラース、私と一緒に修行するつもりはないか? お前なら最強の魔法剣士になれるぞ!」
「ダメよ! ラースの才能は、付与魔法にこそ活かされるべきだわ!」
「いいや、魔法剣だ!」
「付与魔法よ!」
俺の意志そっちのけで、言い争いを始める二人。
そんなに争われても、困るんだけどな……。
俺が苦笑いを浮かべると、すぐさまテスラさんが二人に割って入る。
「落ち着いて。そもそもラースは、私が担当している。二人の弟子にはならない」
「早い者勝ちなんてずるいじゃないか!」
「そうよ、後輩の育成は誰が担当するかきちんと検討すべきだわ!」
「さっさと目を付けなかった二人が悪い」
ピシャリと言ってのけるテスラさん。
流石の二人もこれには反論しようがないのか、その場で押し黙る。
しかしその目付きは凄まじく、怒られているわけでもないのに変な緊張感を覚えた。
「まあまあ。今はそれよりも、魔導書の奪還を頑張らないと!」
「……それもそうだな。シェイル、あとどれぐらいでアルボースの谷に到着する?」
「そうね、さっきめちゃくちゃなスピードを出したから……。もうすぐのはずよ」
そう言っているうちに、眼下の森が途切れて荒涼とした岩石地帯へと差し掛かった。
やがて白っぽい大地の彼方に、黒々とした割れ目が見えてくる。
あれこそが俺たちの目指す目的地、アルボースの谷であった。
近づくにつれて、その無数に連なる蜘蛛の巣のような裂け目が次第にはっきりとしてくる。
「……凄いなぁ。この中から、魔導書を奪った魔導師を見つけ出すんですか?」
「ええ」
「そんなこと出来るんです?」
「私がやろう」
何やら、ずいぶんと自信ありげなツバキさん。
彼女は瞳を閉じると、腰の剣に手を携えた。
――集中。
ツバキさんの身体から、温かな波動のようなものが伝わって来た。
これは……魔力だろうか?
その波はあっという間に俺たちを通り抜け、どこまでも広がっていく。
そして――
「……ここから北西に一キロほどのところだ。まず間違いない」
「そ、それで分かるんですか!?」
「ああ。だいたい三キロ圏内ならな」
「ツバキの魔力感知は正確」
「これぐらい、ラースも鍛えればすぐに出来るようになると思うぞ」
すぐに出来るようになる、ねえ……。
試しに、俺も魔力の波を放ってみた。
しかし、なかなか距離を伸ばせない。
魔力の出力にわずかながらもムラがあって、途中で波が途絶えてしまう。
うーむ、せいぜい五百メートルってところだな。
「うーん、ダメですね。なかなか難しいですよ」
「……いや、むしろどうしてそこまで出来るんだ? 初めてだよな?」
「え? そりゃ、さっきやった真似をしただけですけど……」
俺がそう答えると、ツバキさんはおいおいと額に手を当てた。
シェイルさんも、驚きを隠しきれない表情でこちらを見ている。
あれ、俺そんなに変なことやったか?
そう思っていると、すかさずテスラさんが言う。
「これがラース。魔法適性Sは伊達じゃない」
「……まったく、末恐ろしい限りだな」
「私も、どこまで成長するか予想不能」
「初代賢者を超えるかもしれんか……」
何やら、俺を巡って不穏な会話をする二人。
そうして居ると、船の高度がゆっくりと下がり始めた。
目的の場所の近くまでたどり着いたようだ。
やがて船は、大地の割れ目へとゆっくり吸い込まれていく。
「……到着っと!」
船が谷底に着いたところで、操作に集中していたシェイルさんが顔を上げた。
うーむ、改めてすごい場所まで来たな……。
見上げれば、空ははるかに遠く小さかった。
高く切り立った崖が光を遮り、周囲は夜のような暗さである。
湿気も酷く、霧で世界がぼやけている。
気を付けていないと、あっという間に何もかも見失ってしまいそうだ。
「敵はこの霧の中って訳ですね」
「ええ、間違いない」
「気を付けた方が良いぞ。この霧、わずかにだが魔力を感じる」
ツバキさんがそう言った直後だった。
低い音を立てながら、何かが超高速で迫ってくる。
泥……?
俺たちは瞬時に身体強化を掛けると、その茶色い何かの軌道をかわした。
直後、岩でできた壁に丸い穴が開く。
強固なはずの岩壁が、さながらスポンジケーキのようにぶち抜かれた。
「さすが、初撃はかわされましたか」
若い男の声が聞こえた。
それと同時に、地面に溜まっていた泥が盛り上がり始める。
やがて人の背丈ほどにまで達した泥の山は、そのままローブを着た人間へと変化した。
病的なまでに白い顔をした、細身の男だ。
「どうも追手のみなさん。私、魔導師のルドと申します」
「三下の名前なんかに興味はない。盗んだ魔導書はどこ?」
「魔導書は我々のリーダーが大事に持っていますよ」
「では質問を変えよう。リーダーはどこだ」
「さあ? この場に居ないことだけは確かですねえ」
カラカラと笑う男。
恐らく、こいつは黒魔導師なのだろう。
態度も言動も、すべてがどうにも薄気味が悪かった。
ここに会ってはいけない存在、そんな気配がする。
「ふん、くだらない。ならば斬るのみ!」
まどろっこしいとばかりに、ツバキさんが斬撃を放った。
あれが……水の魔法剣か!?
わずかのうちに放たれた三枚もの水の刃。
それらが重なり合いながら、一瞬にしてルドの身体を細切れにする。
しかし――
「斬っても無駄ですよ。この泥の身体は何度でも再生する」
粉々にされたかと思われた、ルドの身体。
それがあっという間に元に戻り、不敵な笑みを浮かべるのだった――。




