第百三十五話 怪物
「余が天空の本体だと? 貴様、不敬であるぞ!」
怒りのままに座敷から立ち上がり、刀を手にした将軍。
たちまち、傍に侍っていた葵が引き攣った声を上げて距離を取った。
俺が将軍に歯向かうことは、流石に誰も予想していなかったのだろう。
客席のツバキさんたちまでもが、すぐに焦った顔で言う。
「ラース、今ならまだ間に合う! 発言を取り下げろ!」
「そうじゃ! 小僧、殺されたいのか!」
もともとこの国に使えている家柄なだけあって、二人の慌てぶりは相当なものだった。
一刀斎さんに至っては、客席から身を乗り出して落ちそうになっている。
だが、俺の将軍に対する懸念はますます強くなっていた。
一国の支配者ともあろう人物が、そうそう簡単に刀を手にするはずがないのだ。
俺に指摘されて、焦っているのは明白だ。
「いえ、こいつをこのまま上様として扱う方がよほど不敬です」
「ならば、証拠を出してみよ!」
刀を抜き、吠える上様。
ここで俺はゆっくりと腰を曲げて頭を下げた。
そして――。
「とりゃあっ!!」
「なっ!」
謝罪でもするのかと思ったのか、将軍が油断を見せたその瞬間。
俺は手近にあった岩の欠片を拾い上げ、思いっきり投げつけた。
――ビョウッ!!!!
身体強化を最大限にまでかけた本気の一撃。
家の壁ぐらいなら簡単に貫くであろうそれが、風を切って将軍に迫る。
すると次の瞬間、将軍はとっさに手にしていた刀でそれを斬った。
キィンッと気持ちのいい金属音が響く。
「この無礼者、余に石を投げるとは!!」
「その反応が、何よりの証拠です」
「……っ!!」
俺に指摘され、たちまち顔をしかめる将軍。
そう、あれほどの速度の石に対応するなど常人には不可能だ。
まして刀で切って捨てるなど、剣聖クラスの達人か魔導師でもなければあり得ない。
「上様……?」
「そんな、まさか……」
これには、先ほどまで俺に謝罪を求めていたツバキさんたちも一斉に態度を変えた。
こうして将軍が周囲から疑惑の目にさらされたところで、俺は畳みかけるように言う。
「上様にうまく入れ替わったお前は、周囲に疑われることを予想して身代わりとするために天空を用意した。そうすれば、いざというときには天空を切り捨てればいいからな」
「言われてみれば、天空が現れる少し前から上様の様子はおかしかった。お子が出来ぬことでお悩みかと思っていたのじゃが……」
「…………誤魔化せぬようだなぁ」
唐突に、ケタケタと不気味な笑い声をあげる将軍。
それに同調するように、天空もまた顎が外れてしまったような異常な笑い方をする。
さながら、人を装うことを辞めたようだった。
「その通り、わしは将軍ではない」
「おのれ、いつの間に……!!」
「三年前だ。城中で大火が起きたことがあったであろう? あの時、混乱に乗じてな」
「それほど前から……天空ばかり疑っておったわ……」
拳を握り締め、悔しさを顔に滲ませる一刀斎さん。
やがて彼は刀の柄に手を掛けると、将軍――いや、黒魔導師を睨みつける。
「貴様、本物の上様はどうした!? まさか、殺したのではあるまいな!」
「案ずるな、活かしておる。あの男の血は必要だからな」
「血?」
「そう。将軍家の血こそ、海帝獣を目覚めさせる鍵なのだ」
――海帝獣。
初代大賢者が封印したとされる大災厄の一角。
その名前が出た瞬間、テスラさんたちの顔色が変わるのが分かった。
現在までに、既に陸帝獣と空帝獣の封印が解かれてしまっている。
もしこの上で海帝獣の封印が解ければ……何が起こるか分からない。
記録にすら残されていない古代の災厄が暴れ出すのは確実だ。
「絶対に海帝獣は復活させない。ここでおまえを止める!」
「ええ! 必ず倒しましょ!」
「食い止めて見せる」
「ツバキに代わってわしも手を貸そう。上様に成り代わった不届き者、成敗いたす!」
そういうと、一刀斎さんが一気に刀を抜き放った。
……紅い?
刀の刃の部分が、血に濡れたように紅く染まっている。
そこから微かに感じられる、不気味な魔力。
それを見たツバキさんが、たちまち目を丸くして言う。
「父上が紅蜘蛛を抜いた……!?」
「キエエエェッ!!」
天が割れるかと思うほどの奇声。
次の瞬間、一刀斎さんの身体が宙を舞った。
彼はそのまま将軍のいる座敷へと飛び移ると、そのまま一気に斬撃を放つ。
――ズガァン!!
風を纏った刀が、将軍の身体を座敷ごと切り裂いた。
さらに屋敷を支えていた櫓までもが、骨組みを両断されて倒れ始める。
これが一刀斎さんの本気か……!!
彼はさらにダメ押しとばかりに、吹っ飛んでいった将軍に追撃を加える。
「キィヤアアアッ!!」
再びの雄叫び。
それと同時に斬撃が放たれ、将軍の身体がまたも吹き飛ばされた。
会場から飛び出してしまった将軍は、そのまま城で最も高い建物に衝突する。
――ズォン!!
激しい破砕音とともに、たちまち身体が壁を突き破った。
常人ならば、骨が粉々に砕けているであろう一撃。
しかし――。
「効かぬなぁ!」
「……なに?」
不気味な笑みを浮かべながら、将軍が宙に浮かび上がった。
驚いたことに、着物が破れただけで致命的なダメージは負っていないらしい。
そんなことあり得るのか……!?
常識はずれな光景に俺たちが驚いていると、将軍はゆっくりとこちらに戻ってきた。
そして、自ら着物を脱ぎ棄てる。
「なんだあれは……!?」
「人間じゃない……?」
白日の下にさらされた将軍の肉体。
それはさながら、複数の魔物を掛け合わせたような奇妙で悍ましいモノだった――。
 




