第百三十三話 シェイルの秘策
「……いよいよですね」
休憩を終えて術比べの会場へと戻った俺たちは、改めて天空と向かい合った。
――静寂。
張り詰めた空気がその場に満ちて肌を刺すような緊張感が高まる。
ひどく痩せ細った天空の身体が、嫌に大きく見えた。
「油断するな。ここからが本番じゃ! しっかりやれ、小僧! 負けたら婿になれんぞ!」
「ラース、必ず勝ってくれ!」
櫓の上から一刀斎さんとツバキさんの声が響く。
二人とも俺の方を見て一生懸命に手を振っていた。
どうやらツバキさんも、いくらか体力が回復したらしい。
その顔には色が戻り、声にも張りがあった。
というか、婿って何の話だ?
急に妙な単語が出てきたな……。
「ったく、何言ってるんだか」
「私たちのこと、すっかり忘れてる」
シェイルさんとテスラさんも、揃って不満げな顔をした。
特にシェイルさんは眉間に深い皺を寄せてすっかりご立腹だ。
「えー、両者ともに準備は出来ましたね? それでは、試合開始です! 制限時間は無制限、殺しはなしでお願いします!」
軍配を振り上げ、試合開始を宣言する役人。
次の瞬間、シェイルさんが動いた。
彼女は魔導書を手にすると、無造作にページを引きちぎる。
たちまち数十枚ものページが紙吹雪のように舞う。
そして――。
「ほう」
驚きの声を上げる天空。
舞い上がった魔導書のページから、次々と光線が打ち出された。
その数と密度はまさしく光の嵐。
轟音が連続し、視界が激しく明滅する。
「すごい……これがシェイルさんの秘策!?」
「……ダメ、ほとんど効いてない」
驚く俺の一方で、テスラさんが冷静にそう言った。
そんなバカな……。
あり得ないと思って目を凝らすと、炎が直撃しても平然と立ち続ける天空の姿があった。
四方八方から爆炎が上がっているというのに、小動もしない。
「この程度の魔法、どれほど喰らおうとも効かぬわ」
「ちっ! どんだけ頑丈なのよ!」
たまらず顔をしかめるシェイルさん。
ここでとうとう、攻撃が途切れた。
すかさず天空が反撃を仕掛ける。
「黒焔弾!!」
天空の手から黒々とした炎が放たれた。
――速い!!
黒い輝きが瞬く間にシェイルさんへと迫る。
しかし次の瞬間、地面からせり上がった壁が炎を弾き返した。
「私も忘れないで」
「俺もいますよ!」
シェイルさんが展開した土の壁。
俺はその影から飛び出すと、一気に天空との距離を詰めた。
全身に魔力を行き渡らせ、拳を最大限に強化する。
膨大な魔力を帯びた拳は萌えるようなオーラを帯びた。
「くらえっ!!!!」
――ドンッ!!
およそ人間を殴ったとは思えない、重く鈍い音。
それと同時に、天空の身体が宙を舞った。
よし、完璧だ!!
拳に残る感触に、俺は半ば勝利を確信する。
並の人間ならば粉々になっていてもおかしくない威力だった。
しかし――。
「やるではないか」
「……耐えた?」
空を舞った天空は、そのままひらりと宙返りをして着地した。
ある種、美しさすら感じてしまうほどの見事な動き。
体幹がまったくブレることなく、ダメージが入っている様子はほとんどない。
「防御魔法?」
「殴った時、そんな感じはしなかったんですけどね……」
仮に防御魔法で防いだのならば、拳が触れた瞬間に強い魔力を感じたはずだ。
だが、特にそのような感じはしなかった。
むしろ、びっくりするほど魔力を感じなかったような……。
「これで終わりか?」
薄気味悪い声で笑いながら、天空がこちらに迫ってくる。
その足取りは余裕たっぷりで、勝利への確信に満ちていた。
俺たちのことなどもはや、蹂躙する対象としか見ていないようだ。
これはまずいな……。
迫りくる足音に、俺とテスラさんは冷や汗を流す。
するとここで、シェイルさんが急に笑い始めた。
「はん、そんなわけないでしょ!」
「む?」
「あんたがテスラやラースとやり合ってる間に、しっかり準備させてもらったわ」
シェイルさんはそういうと、トンッと足を踏み鳴らした。
たちまち、会場全体を埋め尽くすような大きな魔法陣が姿を現す。
……いったい、いつの間にこんなものを描き上げていたんだ!?
驚く俺たちに、シェイルさんは得意げに説明する。
「さっき魔導書を使って攻撃したでしょ? あれ、実は攻撃が狙いじゃなくて地面に文字を刻んでたの。で、いまあんたたちが天空と戦ってる間に残りの部分を仕上げたってわけ」
「そんなこと、よくできましたね……!?」
「これが私なりの秘策、修行の成果ってわけ。自分でもここまで速く作業ができるとは思わなかったわ」
くたびれたように、自分で自分の肩をポンポンと叩くシェイルさん。
やがて彼女は、気を取り直すように力強く言う。
「さあ、これで終わりよ。炎よ、焼き尽くせ!!」
魔法陣全体が強い光を放ち、膨大な魔力が溢れ出した。
シェイルさんの魔力だけではなく、周囲に漂う魔力も吸収しているらしい。
これは……とんでもないぞ!
「テスラさん!!」
「わかってる!」
瞬時に土でドームを作り上げようとするテスラさん。
俺たちが急いでその中へと避難した瞬間。
猛烈な揺れと爆音が轟くのだった――。
 




