第百二十六話 上様
「ははは! それとなく察しておったが、ここまでとはな!」
巻き添えを喰らわないように、いつの間にか中庭の外へと避難していた一刀斎さん。
彼は気持ちのいい高笑いをしながら、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
そして俺の肩に手を置くと、ポンポンと叩く。
「特にラース、お前の上達ぶりはすさまじい」
「え、俺ですか?」
役人もすごく驚いていたのだが、そんなに凄いのだろうか?
俺は単に、身体強化を最大限に発動して殴っただけなのだけど。
テスラさんやツバキさん、シェイルさんの方が凄いんじゃなかろうか。
「身体強化と言っても、もともとの能力の数倍が限度だ。だからこそ、私は変化を応用してさらなる出力向上を図っているのだが……」
「あ、いま倍率十倍ぐらいは使いましたね」
俺がそういうと、たちまちツバキさんの顔が引きつった。
それだけではない、テスラさんやシェイルさんもおいおいと冷や汗を流している。
「あっさり言うけど、普通それだけやったら全身の筋肉が断絶して死んでるわよ?」
「えっ!?」
「そもそも、身体が受け付けない」
「……恐らくは、もともと膨大な魔力を持っていた影響だろうな。常に莫大な負荷に晒されていたおかげで、非常識な倍率の身体強化にも耐えられるようになったのだろう」
ふむふむと頷くツバキさん。
俺は知らない間に、相当危ないことをしていたらしい。
自分で行けそうだと思ったからしたのだが、事前に相談でもした方が良かったのかもなぁ。
「これも、試練を超えて魔力を精密に操作できるようになったおかげじゃろ。途中で脱落したわしでも、魔力の操作は大幅に向上したからの。じゃが……」
そういうと、ニヤッと目元を細めて不敵な笑みを浮かべる一刀斎さん。
それに応じるように、テスラさんたちもまた自信ありげな表情をする。
「もちろん、これだけじゃない」
「むしろ、あくまでこっちはおまけと言ったところだな。なあ、ラース?」
「……ええ。奥義は別のところにあります」
俺がそういうと、一刀斎さんは心底満足げに頷いた。
ここで、先ほどからこちらの様子を黙って伺っていた天空が不意に声を発する。
「なかなか愉快。一刀斎よ、そなたがいつわしに斬りかかってくるか楽しみにしていたのだが……。まさか、これほどの助っ人を大陸から呼び寄せるとはな」
「わしが呼んだのではない。勝手に来ただけじゃ」
「相変わらず、プライドの高い男よ。まあいい、強者が揃った方が上様もお喜びになろう。ついて参れ」
「……術比べの会場は、ここではないのか?」
おやっと驚いたような顔をする一刀斎さん。
俺たちも、てっきりこの場所で引き続き術比べをするものだと思っていた。
すると天空は、わかってないなとばかりに笑う。
「ここでは狭すぎるであろう。それとも、そなたらの術はその程度か?」
「安い挑発をしおって。行くぞ」
こうして天空と一刀斎さんに続いて、城内を歩くことしばらく。
渡り廊下を抜けたところで、不意に視界が開けた。
これは……練兵場か何かか?
土を突き固めたような地面を囲うように、大きな櫓のようなものが建てられていた。
「これは……術比べのために拵えたのか」
「此度の術比べは上様の肝入りでな。ほれ、あそこを見よ」
「あれは……上様!!」
周囲と比べ、一段低くなっている櫓。
その上に設えられた座敷を見て、一刀斎さんは地面に膝をつき深々と頭を下げた。
あそこにいるのが……秋津島を支配する将軍なのか。
俺たちもまた、一刀斎さんに続いてすぐさま膝を折る。
「あれが将軍……。噂には聞いてたけど、若いわね」
「ええ。あの年で国を治めているわけですか」
将軍は色白で目鼻立ちのはっきりとしたなかなかの男前であった。
やや線が細いが、それはそれで神秘的な雰囲気を醸している。
年の頃はまだ二十代半ばと言ったところであろうか。
張りのある肌と黒々とした髪が若々しい。
「先の将軍は早くに病で亡くなられたからな。弱冠十五歳にして将軍の座を継がれたのだ」
「なるほど」
「……もっとも、初めの数年は先代からの遺臣が中心となって政務を行っていたのじゃ。上様中心となって動くようになったのは、ここ最近の話じゃよ」
「ちょうどそのタイミングで、あの天空が出てきたと」
「ああ、狙いすましたようにな」
そう小声でつぶやくと、改めて天空を睨みつける一刀斎さん。
最近になって現れたという天空だが、この国を狙い始めたのはもっと昔からだったのかもしれない。
ひょっとすると、先代の病死にも関わっているのか……?
もともと異様な風体が、ますます胡散臭く見えてくる。
「天空よ」
「はっ!」
「良き術比べを期待している。そなたこそが天下一であると証明してみせよ」
「仰せのままに」
今一度、深々と頭を下げる天空。
将軍の言い方から察するに、この術比べはあくまでも天空のための催しらしい。
……挑戦者である俺たちのことなど、最初から眼中にないということか。
この事実だけでも、天空が将軍から圧倒的な信頼を得ていることが伺える。
「上様、そのような言い方をしてはあの方々が可哀想でしょう。葵はあちらも応援しますえ」
将軍の後ろから、若い女が顔をのぞかせた。
男に向かってしなだれかかるその姿は、ひどく婀娜っぽい。
しなやかな体つきのせいか、はたまた面長な顔のせいなのか。
そのいで立ちはどことなく蛇を思わせる。
決して醜女ということはなく、むしろ大変な美女なのだが……。
俺は直感的に、何か嫌なものを感じ取る。
「……あの方は?」
「上様の奥方の葵様だ」
俺が小声で問いかけると、一刀斎さんはそっと耳打ちをしてくれた。
どうやら、彼も葵様のことは苦手らしい。
「若君を懐妊されてから、雰囲気が変わられてな。それも天空を懸念する理由の一つなのだが……」
「そこ、何を話しておる? 上様の御前だぞ」
「これは、申し訳ありませぬ」
天空にそう言われ、俺から距離を取る一刀斎さん。
こうしていよいよ、術比べが始まろうとしていた――。