第百二十話 国に巣食う者
――上様が黒魔術に魅入られた。
思いもよらぬ重要情報に、俺たちは大いに動揺した。
いつもはあまり表情のないシェイルさんですら、顔を引きつらせている。
国の支配者が黒魔術に取り込まれるなど、前代未聞だ。
「どうしてそのようなことに!? 上様は誰にでも慕われる名君、そのようなものに手を出すような暗君ではなかったはず!!」
「これツバキ、声が大きいぞ」
「す、すみませぬ」
シュンとした顔をして、ツバキさんは身を小さくした。
一刀斎さんは周囲に変化がないことを確認すると、咳払いをして話を続ける。
「上様にお子がおられなかったことは、ツバキも知っておるだろう?」
「はい。かなり気にされておられましたから」
「そこを突かれた」
そう言うと、一刀斎さんはふうッと大きなため息をついた。
彼は昔を思い起こすように、少しぼんやり遠い目をして語る。
「ツバキが旅立ってからも、なかなかお子はできなかった。上様はまだお若い故、当初はそれほど心配されておらんかったのだが……。次第に城中でも、世継ぎを懸念する声が上がり始めてな。上様ご自身もどうにか務めを果たされようとあれこれ努力されたが、どうにも成果は上がらなかった」
「そこへ、黒魔導師どもが現れて取り入ったと?」
一刀斎さんは無言でうなずいた。
なるほど……上様としては、藁にもすがりたい思いだったのだろうなぁ。
一介の小市民でしかない俺だが、男として上様の気持ちが痛いほどよくわかった。
かといって、黒魔術に堕ちてしまったのを擁護はできないのだけども。
「最初は単なる余興にしか過ぎなかった。市井に腕の立つ魔導師がいるそうだから、呼んでみよと。こうして城に参ったのが、天空と呼ばれる男だった」
「そいつが、黒魔導師たちの首魁というわけですか?」
「恐らくな。この天空という男、すさまじいばかりの使い手でな。それに上様はたちまち惚れこんでしまい、たびたび城に呼ぶようになった」
「父上がそのように称するとは……相当にできるのですな?」
顔をしかめながら、ツバキさんが尋ねる。
一刀斎さんは、Sランク魔導師であるツバキさんすら凌ぐ実力を持つという。
それが高評価を下すなんて、確かによほどの魔導師のはずだ。
「ああ。正面切って戦うならば、わしの方が優勢と見るが……どうにも底の見えない男でな。魔性とはまさにあのことよ」
「……なるほど、それは厄介ですな」
「天空はひどく頭の切れる男でな。上様は奴の話に耳を傾けるようになっていってしまわれた。あれこれと私的な相談をなさるようになった。そしてとうとう、昨年の秋……奴の魔術によって、奥方様が懐妊なされたのだ」
「それ、本当なのかしら? 人を妊娠させる魔術なんて、聞いたことないわよ」
「私もない。疑問」
シェイルさんとテスラさんが、揃って訝しげな顔をした。
俺たちパーティの中でも、もっとも博識な二人がこういうのである。
少なくとも、まっとうな魔法としては存在していないのかもしれない。
そもそも、一般的な魔法で治療できるようなものなら手は打っていただろう。
一国の支配者なのだから、それぐらい手配はできたはずだ。
「実際のところはわからん。だが、上様はそれが天空の力だと信じているのだ。おかげで今では、天空一派に逆らえるものなど城にはおらぬ」
「まさか、秋津島がこのようなことになっていたとは……」
「そんなになる前に見抜けなかったの? 黒魔導師だって」
「奴らは巧妙に魔力の性質を偽装しておってな。このわしも、長らく見抜けなんだ。気づいたころにはもう手遅れ、危険性を指摘したら逆に城を追い出されてしまう始末よ」
力なく笑う一刀斎さん。
しかし、これはまた厄介なことになったものだ。
黒魔導師が立ちはだかることは予想出来ていたが、まさか国を乗っ取っていたとは。
こりゃ、とても一筋縄ではいきそうにない。
「海帝獣様のことなら、上様に聞かずとも城に資料があったはずだ。無論、簡単にみられるようなものではないだろうが……わしが骨を折ってみよう」
「ありがとうございます!」
「そなたたちは、しばしこの屋敷に滞在すると良い。特にそこの男、ラースと言ったか?」
「はい!」
「短い間だが、わしの修行を受けていけ。その莫大な魔力、無駄にする手はなかろう」
俺の顔を見据え、力強い声で言う一刀斎さん。
見ただけで、俺の魔力のことなどがわかってしまったらしい。
さすが、一流の使い手ともなると鑑定眼も凄いんだな……!
俺が感心していると、彼はさらに他の三人を見渡して言う。
「他の者たちも、興味があれば加わるがよい。おそらくこれからの戦い、過酷なものとなるであろうから」
「はい!!」
三人の声が見事に揃った。
全員、既に気合十分のようだ。
それを見た一刀斎さんは満足げにうんうんとうなずく。
「その意気やよし! では、さっそく始めるとしよう!」
「え、今からですか!?」
すでに午後も遅い時間である。
あと小一時間もすれば日が暮れて、辺りはすっかり暗くなるだろう。
ここまで旅をしてきて疲れているし、今日ぐらいは休んだっていいのでは――。
「甘いわ! 今の我々に、休んでいる余裕などない!」
「え、ええ!?」
「こら、つべこべ言わずに走れ! まずは屋敷の周囲を百周だ!!」
こうして思わぬ形で、俺たちの特訓が始まるのだった――!




