第百三話 宿の騒動
「なるほど。どおりであのコンシェルジュが渋ったわけね」
やれやれと目を細めるシェイルさん。
その視線の先には、華美だがどこか退廃的な雰囲気のする建物が聳えていた。
場所は、歓楽街の中心部からやや外れた通り沿い。
恐らくは、そっち方面の需要を見込んで建てられたホテルだろう。
ほのかにだが、麝香のような匂いもする。
「……どうします?」
「背に腹は代えられんだろう。野宿よりはマシだ」
「そうねぇ……こんな状況だし、しょうがないわ」
「了承」
渋々と言った様子ながらも、うなずくテスラさんたち三人。
しかし、システィーナさんだけは顎に手を当ててうんうんと唸っていた。
やはり公爵令嬢としては、このような場所には入りづらいのだろう。
目を閉じた彼女は、ひどく悩んでいるようだった。
「やっぱり、ダメですか?」
「もしラース様が……襲ってきたりしたら……!」
「何を言ってるのだ?」
「妄想たくましい」
「はわっ!?」
ひどく慌てた様子を見せるシスティーナさん。
いったい、どんなことを考えていたんだ……?
俺が怪訝な顔をすると、彼女は顔を真っ赤にしながら違う違うと手を振る。
「何でもありませんわ! ひとまず、中に入りましょう。この場に立っている方が恥ずかしいですわ」
言われてみれば、周囲の視線がこちらに集まっていた。
中には、俺の顔を見て羨ましそうにしている男までいる。
どうやら、俺がテスラさんたちをホテルに連れ込もうとしていると勘違いしているらしい。
まぁ、一緒に泊まるところまでは間違いではないのだけれども。
「それもそうだな。あのような視線を浴びるのは不快だ」
「こっち」
素早く前に出て、玄関の扉を開けるテスラさん。
彼女の後に続いて、俺たちはそそくさとホテルの中へと入った。
するとたちまち、従業員の男が声をかけてくる。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
「はい、そうです」
「おひとり様、一泊八千ルーツでございます」
言われるままに、俺たちは銀貨を取り出して並べた。
それを数えた男は、にこやかに頭を下げる。
「確かに頂戴いたしました。では、こちらが部屋の鍵でございます。ベッドは二つですが、大きさにはゆとりがありますよ」
「あっ……。すいません、二部屋借りられますか? 料金はかさんでもいいので」
一本しかない部屋の鍵を見て、即座に切り返す。
男の目が、たちまち怪訝そうに細められた。
そりゃそうだろう、わざわざこんなところに来たのに別々で泊まる意味は普通ならばない。
「宿がどこも満室でな。それで、こちらを紹介されてきたのだ」
「ああ、そういうわけでしたか」
「だからその……そういう目的で泊まるんじゃないのよ」
「なるほど。しかし、あいにく部屋は一つしか空いておりません。同じ理由で宿泊されているお客様が何人かおりますので」
顔を見合わせる俺たち五人。
しかし、ここまで来てしまった以上は引き返すわけにもいかない。
テスラさんたちは、意を決したようにうなずく。
「では、一室でお願いします」
「かしこまりました。お部屋は三階の四号室になります」
「は、はい」
赤面しつつもうなずくと、鍵を受け取る。
そのまま奥の階段を上って三階に行くと、四号室とプレートの掲げられた部屋に入った。
すると意外なことに、内装は意外と落ち着いた造りになっていた。
これならば、普通に過ごすにも大きな問題はないだろう。
ベッドがいささか、大きく造られているけれど……人数が多いので逆に好都合だ。
「悪くないじゃない」
「快適」
「ドギツイ場所かと思ったが、拍子抜けだな」
「ひとまず休みましょう。わたくし、少し疲れてしまいましたわ」
さっそく、ベッドに腰をうずめるシスティーナさん。
彼女はぐるぐると首を回すと、気持ちよさそうに目を細めた。
馬車を出てから数時間、ずっと宿を求めて歩きっぱなしだったからなぁ。
御者も務めていたし、疲労がたまっているのだろう。
「私も休ませてもらうわ。んーー、なかなかいいベッドじゃない」
「ま、寝具にはこだわっているのだろうな」
「柔らかい」
続けて、ベッドに体重を預けるテスラさんたち。
食事まで時間もあるし、俺も休むか。
そう思って背筋を伸ばしたところで、隣の部屋から何やら声が聞こえてくる。
「今のはいったい……」
「女の子の悲鳴みたいだったわね」
「場所が場所だ。昼間から盛っている奴らがいるのだろう」
そう言うと、ツバキさんはやれやれと肩を落とした。
システィーナさんもまた、呆れた顔で声がした方の壁を見やる。
「まったく、これだから安普請は嫌なのですわ。もう少し高級な宿が空いていると良かったのですけど」
「こんな時だし、少しぐらい我慢するしかないわよ」
「そう言われましてもねえ。もし夜までこんな声がしたらたまりませんわよ」
不満をあらわにするシスティーナさん。
ここで再び、隣の部屋から大きな声が聞こえた。
先ほどよりも幾分かトーンの高いそれは、ひどい金切り声である。
いったい、どんだけ激しいプレイをしてるんだ……?
「さすがに近所迷惑ですわ! 文句を言いに行きましょう!」
「待ってください。今部屋に入ったら……たぶんえらいことになってますよ」
「む、それは嫌ですわね」
「俺が行ってきますよ」
俺はすぐさま部屋を出ると、隣の部屋のドアを叩いた。
するとたちまち、野太い声が返ってくる。
「うるせぇな! 今お楽しみの最中なんだよ!」
「だから、その声が大きすぎるんですよ! もうちょっと静かにお願いできませんか?」
「あぁ!? お前、俺をだと思って――」
「助けて!!」
響き渡る悲鳴。
必死に声を絞り出したのであろうそれは、とても演技とは思えなかった。
その証拠に、すぐさま男の焦った声が聞こえる。
「このアマ、騒ぐんじゃねえ!」
「お願いです、誰かいるなら助けて!」
「入るぞ!」
身体強化をかけると、力任せにドアを打ち破る。
するとそこには――。
「こりゃひどい……!!」
縄で縛りあげられ、全身から血を流す少女の姿があった――。




