第百二話 港町バレスカ
「さっすが、ユニコーン。もう海が見えてきたわね」
「この調子なら、バレスカまであと二時間もあれば着きますわ」
馬体に鞭を打ちながら、得意げに笑うシスティーナさん。
まさか、本当にわずか五日で海岸まで走破してしまうとは。
視界の端に映る青々とした水平線。
吹き寄せる海風に目を細めつつも、驚きで息が漏れる。
「大したものだな。やはり、ただのスケベ馬ではなかったということか」
「ヒヒン! ヒヒヒーーン!!」
「当然だって、答えてるみたいですわね」
「よし、あとでニンジンをたっぷりやろう」
「ヒヒヒンッ!」
ツバキさんに褒められ、さらにやる気を増すユニコーン。
蹄が力強く大地を蹴り、馬車がさらに速度を増す。
やれやれ、まったく現金な馬だ。
システィーナさんに限らず、女性からの誉め言葉にはめっぽう弱いんだよなこいつ。
本当に馬なのかちょっと疑わしいぐらいだ。
「む、町が見えてきましたわよ!」
「おお、あれが……バレスカですか!」
こうして街道をひた走ることしばし。
やがて前方に、大きな街並みが見えてきた。
海岸線に沿うようにして広がるそれは、思わず息を呑むほどに美しい。
海辺のまばゆい陽光を反射し、真っ白な壁が煌めいている。
「いつ見てもいいとこよねー、南国って感じで!」
「バレスカは東方交易の拠点。加えて、王国随一のリゾート地」
「へー、そうだったんですか」
「ラース、あんた知らなかったの?」
「いや、リゾートなんて縁がなかったもので」
俺がそう言うと、シェイルさんはやれやれとばかりに肩をすくめた。
遠くバレスカの街を見やりながら、彼女は訳知り顔で語りだす。
「バレスカに別荘を構えて、年に一度はバカンスに来る。それが王国富裕層のステータスなのよ」
「なるほど……」
「自然に恵まれていることはもちろん、貿易の拠点として栄えていますからね。娯楽には事欠かない場所ですわ。大陸最大の歓楽街もございますし」
「大陸最大の歓楽街……!?」
驚いて、少しばかり大きな声で聞き返す。
するとたちまち、テスラさんたちの眼が不機嫌そうに細められた。
彼女たちは眉間にしわを寄せたまま、俺に向かって前のめりになる。
「ラース、あんたそういう町に興味あるわけ?」
「まあ……人並みには」
「人並みってどのぐらいよ?」
「人並みは人並みですよ!」
「ふーん……」
腕組みをして、不機嫌さを隠そうともしないシスティーナさん。
今の俺の返答って、そんなにまずかったか?
興味なんてないって、はっきり言いきってしまった方が良かったんだろうか。
でも、それはそれで白々しいよなぁ……。
困ってしまった俺は、すぐさま助けを求めてテスラさんの方を見やる。
すると――。
「鈍感」
「え?」
「よく観察する。そうすれば、不機嫌の理由、わかるはず」
それだけ言うと、テスラさんはスッと視線をそらしてしまった。
彼女もまた、どことなく不機嫌な感じがする。
いつもと比べて、心持ちだが態度がよそよそしかった。
そんなにドン引きされるようなこと、言ってしまったか……?
俺が再び困り顔を浮かべると、横に座っていたツバキさんが笑う。
「あまり気にしなくてもいいぞ、ラース。二人は独占欲が強いだけだ」
「は、はぁ……」
「ちなみに私は、ちょっとぐらいの夜遊びなら気にしないぞ。最後には戻ってくると信じているからな」
「い、いったい何の話ですか!? 別にいきませんよ、そんなとこ!」
「あら、素直になってもいいんですわよ? 英雄色を好むと言いますし。もっとも、その前にわたくしとしていただけるとありがたいのですが」
「どういう路線の話ですか! 仮にも公爵令嬢が、冗談でもそんなこと言わないでください!」
客車を覗きながら、優雅に笑うシスティーナさん。
口元に扇を当てるその仕草は、実に上品かつ優美である。
しかしながらその話題は、驚くほどにド直球。
聞かされているこちらの方が赤面してしまいそうなくらいだ。
「ふふふ、照れ屋なんですから。おっと、そろそろ門ですわね。みなさん、降りる準備をしてくださいまし!」
システィーナさんに促され、荷物をまとめる俺たち。
こうして港町バレスカに、無事到着したのであった――。
――〇●〇――
「え、ここも一杯なの?」
バレスカの街についてから、小一時間後。
ユニコーンを厩に預けた俺たちは、今日の宿を求めてホテルの建ち並ぶ一角へとやってきていた。
しかし、どこもかしこも満室。
かれこれ五軒以上も回っているが、ただの一部屋たりとも空いてはいなかった。
「困りましたわねぇ。今日こそはちゃんとしたお風呂に入りたかったですのに」
長い髪を撫でながら、システィーナさんがつぶやく。
王都を出てからの五日間、洗髪は水魔法で洗い流すだけだったからなぁ。
臭いがするほどではないが、貴族令嬢としてはやはり気になるのだろう。
俺もそろそろ、ちゃんとしたベッドが恋しくなってくる頃だ。
「仕方ないわね。システィーナ、あんたの力でこの街の領主さまに泊めてもらうとかできない?」
「あまりやりたくない手ですわね。今回のわたくしたちの行動は、あくまで秘密裏のもの。出来れば、わたくしの身分を明かしたくはないですわ」
「うーん、困ったわね……」
腕組みをして唸るシェイルさん。
するとテスラさんは、今一度コンシェルジュに尋ねる。
その顔はひどく無表情で、慣れていないとたじろいでしまいそうなほどの迫力があった。
「本当に部屋、空いてない?」
「……ええ。近頃、海に怪物が出るようになりまして。安全が確認されるまで、船が足止めを食ってるんですよ。おかげで、今はどこの宿も待機する人たちで満杯ですよ」
「怪物……黒魔導師関連?」
「さあ、そこまでは」
肩をすくめ、首を横に振るコンシェルジュ。
まさか、黒魔導師の連中が俺たちを足止めするために何かしたのか?
俺たちはすぐさま、顔つきを険しくしてアイコンタクトをする。
「奴らの手がここまで回ってきたんですかね?」
「わからん。だが、放っておくわけにはいかないな」
「そうね。怪物だか何だか知んないけど、チャチャッと退治して出発しましょ」
「急がないと危険」
テスラさんの言葉に、うんうんとうなずく俺たち。
ここから東方まではどうしたって航路を通る必要がある。
障害になる怪物がいるのならば、倒すしかない。
「それはさておき、今日の宿ですわよ。野宿しますの?」
「うーん……それしかないんじゃないですか」
「我慢」
「そうね、ないものはしょうがないわ」
すっかりあきらめムードの俺たち。
するとここで、ツバキさんがやれやれとばかりに懐から銀貨を取り出した。
彼女はそれをコンシェルジュの前にそっと差し出すと、ニヤッと笑いながら聞く。
「もう一度聞く。部屋はないのか?」
「ここではないのですが、系列のホテルに何室か」
「やはりな」
してやったりという顔をするツバキさん。
さすが、パーティで最年長なだけのことはある。
こういう世慣れしたやり方も、しっかり心得ているようだ。
「さすがツバキ、やるじゃない!」
「伊達に大人なわけではないからな」
「それで、その系列のホテルというのはどこに?」
「えーっと……」
何やら言いづらそうに、コンシェルジュは言葉を濁した。
いったいどうしたことだろう?
俺たちが不審に思っていると、彼はテスラさんたちの顔を再度見渡して言う。
「その。歓楽街の近くの裏通りにありまして――」




