表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
洗濯屋と魔王様 第一章  作者: ろんじん
5/12

第五節*洗濯屋と裁縫師

 白くてふわふわした丸いパンに目玉模様が鮮やかなきのこスープ。厚く焼いたハム。皿の端には千切りにして和えられた野菜も乗っていた。衣裳部屋の掃除を終えたカールたちが部屋に戻ると、時計の枝は真上よりも一つ右の鋲を指していた。埃っぽくなった衣服を着替え、身なりを整えている間にメアリーが食事の用意をしてくれる。一緒に掃除をしたテディーたちもいたので、席についたカールとシュピッツを中心に部屋は満員状態だった。

 かなり賑やかな食事風景を見ながら、カールも一息いれる。

「朝も食べましたがお城のパンって美味しいですね。それに凄く柔らかい」

「それで今朝、五つも食うたねんな」

「美味しくってつい…」

「せやったら、このスープと一緒に食うともっと美味いで」

 そう言ってシュピッツが鮮やかなスープを勧めた。それは、野菜もハムも頬張っていたカールが、唯一口にしていない物だった。

 スープの中に入っているのは小さな傘に細い柄がついたきのこだ。ただしその傘のてっぺんは黒色で、その周りが赤や青に色付き目玉のように見える。作り物なら可愛いが、食べ物としては少し躊躇する見た目だった。

 カールはいい香りを嗅ぎつつも、目玉のようなそれが入ったスープを飲めないでいた。

「ううっ、美味しいんでしょうけど、きのこと、目が合っちゃって……」

「メダマダケは険しい山の中に生えるきのこですから、街では珍しいかもしれませんね。でも旅人ならヒト族でも普通に食べますよ。乾燥させて保存食にもできます」

 きのこを怪しがるカールにメアリーが優しく説明した。スープに入っているせいか、透明なぬめりを帯びているメダマダケはまさに新鮮な(まなこ)のようだ。それでもヒトが食べても平気だと聞き、カールは意を決して一匙含んだ。肉の旨味が凝縮されたスープにほのかなきのこの風味が漂う。つるりと入ってきたそれは、意外と食感が良くヌメリタケに似ていた。一口食べてその美味しさが分かれば、後はお気に入りのパンと交互に口へ運ぶだけである。

 テーブルの周りで一つのパンを二つや三つに分けて食べていたテディーたちは、カールが一人でいくつも食べるのを見て「すごい、すごい」と大はしゃぎ。まだ食べる、またおかわりした、とそのうち自分が食べるのも忘れてカールの食事に見入っていた。

 結局、カールはパンを八つ食べた。それを見たシュピッツは中々の大食漢だと笑った。最後に麦の香ばしいお茶を飲んで口の中をさっぱりさせる。食事が終わると大勢いたテディーたちはそれぞれ別の持ち場へ向かい、三体だけが残った。

 小さい子が一体と、中ぐらいの子が二体である。小さいテディーは役得と言わんばかりにカールの膝上に乗っかって、これからの予定を聞いてきた。

「午後はどうしますか? お部屋から離れると、ヴフトさまに叱られますよっ」

「そうだね。掃除をして汚れ物が出たし、試しに自分たちの服でも洗おうか」

「あらう? お洗濯っ?」

「おっ、本業やな」

 カールの提案にテディーたちがそわそわし出す。

 給仕を終えたメアリーとも別れ、カールたちは隣の作業部屋へ移った。




『洗濯屋と魔王様』




 竈が二つに大きな流し、部屋の中央には作業台。どうやら作業部屋はもともと、炊事場として造られた部屋のようだった。隅の方に鍋やまな板などの調理器具が片付けられている。台の上にはフリーレンに頼んだ道具や材料が並べられていた。壁際に置かれた小さな衣装箱には、先ほどシュランクから預かってきたヴフトの服が入っている。

 洗濯道具の横には石けんの他に硝子瓶がいくつか並んでいた。頼んだ物がどの程度揃ったのかを確かめるため、カールは机の上を物色した。

「わっ、すごい。こんなにたくさん揃うなんて! 炭酸ソーダも、重曹も、クエン酸まである!」

「なんや聞き慣れん名前やな」

「これでお洗濯するんですか?」

「見えないよー」

 並べられた瓶はどれも半分以上中身があり、カールは大いに喜んだ。台の上が覗けない小さなテディーを抱え上げ、嬉々としてそれらを説明する。

「こんなに沢山あるなんて本当に凄いんですよ! まず、これは炭酸ソーダ。簡単な汚れなら、これを溶かした水に浸けるだけで十分な洗濯ができます。最近、西方の工業国で大規模な生産ができるようになったから値段が下がったんですけど、まだまだ珍しくて流通ルートを知らないと手に入らないんですよ」

「ほお、これがあったら石けん使わんでも洗濯できるんか?」

「ちょっと時間がかかりますけどね。冷たい水でもきれいに洗えるんです。こっちの過炭酸ナトリウムでも洗濯ができますよ。ただし、これは色の白い物限定。漂白作用があって、染め物は色落ちしてしまうので。この重曹って言うは、炭酸ソーダに混ぜて使うと、炭酸ソーダが水に溶けやすくなる粉です。でもうちでは専ら臭い取りとして、衣類の消臭に使ってましたね。それからこのクエン酸は、洗濯の最後に使うと仕上がりがふんわりする粉です。洗濯の仕上げにはこっちの液体も使えるんですけど……」

「んんんっ! 酸っぱ臭いっ!」

 すらすら喋りながらカールがパッと蓋を開けると、テディーたちが途端に顔を歪ませた。瓶の中から強烈な酢の匂いがしたのである。

 カールはそれを見て少し笑い、すぐに瓶の蓋を堅く閉じた。

「これは酢酸と言って、匂いがキツイんですよね。水で薄めると食用の酢なんですよ。洗濯の仕上げにこれを使うとふんわりするし、タンスの中に長い間仕舞っておいても汚れにくくなります。酢酸はまだこれでもマシな匂いの方で……、こっちの瓶の方が凄いんだけけど、嗅いでみたい?」

「……っ!」

 酢酸の匂いだけでも鼻を覆ったテディーたちは、更なる悪臭の瓶があると聞いて頭を嫌々と振るった。色付きの瓶に入っているので中身はよく見えないが、そちらも液体であるらしい。瓶の口と蓋の間にはゴムが挟まれ、金具で厳重に密閉されている。

 カールはそれを開けないまま机に戻し説明を続けた。

「ははは。これはアンモニア水と言って、《腐った卵の匂い》がする液体です。作業するときに換気をしないと気分が悪くなるんですよ。でも、水洗いできない衣類を洗うことができる薬品なんです。初めて使ったときには魔法かと思いましたよ! 普通の洗い方とは随分違うから、見ると驚くんじゃないかな」

「でも、すっごい臭いんやろ?」

「そうですね。臭気に当てられて失神したって話もあります」

「こっ、こわい!」

 カールの脅すような口ぶりにきゃーっとテディーたちが騒ぐ。シュピッツも匂いのきつい物は苦手なようで、瓶には顔を近づけなかった。

「この六種類の粉と液体はうちの秘密道具みたいな物ですね。魔国でこんなにもあっさりと揃うなんて思わなかったですよ」

 カールはそう言いながらそれぞれの瓶をもう一度手に取り眺めた。

 ヒト族の間で科学が盛んになってから半世紀ほど経っているが、このような化学製品はまだ一般的とは言い難い。買い求めるのは一部の職人たちと、その化学製品を使って別の工業を営む工場ぐらいだった。だから駄目もとでフリーレンに伝えた品が、早々と揃ってカールは喜ぶと同時に驚いていた。ドゥンケルタール国にも科学が取り入れられているのか、それとも一晩で遠方の地にある品の買い付けができるのか。どちらにせよ、これらを揃えたフリーレンの手腕に舌を巻くばかりだった。


 貴重な薬品とは反対に、カールは城で日常的に使われている石けんも頼んでいた。そうして揃えられたのはシュランクの掃除でも使った綿実の粉石けんと、大きい固形石けん、小さな固形石けんの三種類だった。どれも新品の物を用意してくれたようでまだ封がされたままである。粉石けんは一袋二斤。固形石けんは小さい物が薄紙に包まれ一両と書かれており、大きい物は古布に包まれ一斤と札がついていた。

 抱いていたテディーに普段の使い分けを聞いてみると彼は得意気に喋りだした。

「お城で《石けん》と言えば、この粉のやつです! 何でもこれで洗えます! でもすごーく汚れているときは、こっちの黄色い石けんを使います! 粉のやつよりも、もっと洗えます! これは体を洗うときにも使います! この小さいやつは、ヴフト様や丞相様たちが使っているやつです!」

「城仕えで功績を挙げたり、長年勤めたり、位が高くなったりするともらえるやつや。これもらえるんはほんま一部の奴だけで、ものすごーくありがたいやつやねんで? まさかこんなところで実物をぽんっ、と目に出来るなんて思わんかったわ」

「そんな貴重な石けん……フリーレンさん、本当に城で使っている種類全部を持ってきてくれたんですね」

 話を聞いて驚きながらカールが丁寧に薄紙を開くと、なめらかに整形された苔色の石けんが出てきた。表面はツヤツヤしていてふわりとオリーブの香りがする。使ってみるまでもなく一級品だった。

「おお、ええ匂いがすんな……」

「これはオリーブ油が主な石けんですね。きれいに洗えるし、肌にも優しいやつです。オリーブ油の石けんは地域によっては一般的なんですが、こんなにきれいに作られた石けんは初めて見ました」

「ヴフトさますごーい……」

 我も我もと覗き込み宝石のような石けんにしばし全員が見とれる。それからとりあえず今は勿体ないと、カールはまた薄紙でそっと包み直した。

 隣に置かれていた大きな包みは、黄色くて堅い石けんが入っていた。表面はデコボコしていて色もまだらで、カールたちがよく目にする等級の物である。所謂《石けん》の匂いがするだけで特に変わったところはない。

 これは適当に切り分けて使うのだ、とテディーが言った。

「黄色い方は動物の油脂が主成分みたいですね。確かに綿実の粉石けんより汚れを落とせますし、洗顔などに使っても大丈夫なやつです。ちゃんと使い分けているんですね」

「普通の(うち)にはどっちかしかあらへんけどな」

「そうなんですか?」

「だって、どっちも石けんやろ? 使い勝手ええから粉置いてる家の方が多いで」

「俺の国では、固形と粉と使い分けが普通だったんですけど。ヒトだけなんですかね?」

 カールはヒトと魔物のちょっとした暮らしの違いを感じながら石けんを元に戻した。


 掃除で汚れた衣類は粉石けんで洗うことにし、お湯を沸かし始める。洗濯物の量が多かったので二度に分けることにした。大半はテディーたちのエプロンである。

 調理場の端に一つだけ足元に取り付けられた蛇口があった。そこへ洗濯物を入れたタライを持って行き、水を注ぐと同時に薬缶でお湯を足していく。湯加減はほんのり温かく感じるぐらいに調整した。

 袖を思い切り捲ったカールが小さな台に座り、両足でがっちりとタライを挟む。中に入っていた匙で石けんを一掬いすると、それをまんべんなくぬるま湯に溶かし入れた。

「カールさん、どうしてお湯を足したんですか?」

 傍で見ていた中ぐらいのテディーが不思議そうに言う。

「種類にもよるけど、石けんはお湯の方が溶けやすいんだよ。冷たい水だと塊が残ったりするんだ」

「じゃあ、いつも温かい方がいいの?」

「できればね」

 粉石けんを入れたタライの中身を、ぐるぐるとゆっくりかき混ぜながらカールは説明した。ほとんどの石けんは冷水より温水に溶けやすいこと。溶け残りがあると、かえって洗濯物が汚れてしまうこと。汚れは溶かすように落とすということ。

 好奇心旺盛なテディーはもちろん、普段自分で洗濯をするシュピッツも興味深く話を聞いていた。

 カールは溶け残りがないように念入りにタライの中をかき混ぜ、それから適当に服を掴んで優しく揉み洗いをした。パン生地を捏ねるような動作でゆっくりと優しく洗う。服を揉み込むときにちゃぷちゃぷっ、と僅かに水が跳ねた。

「わい、洗濯するときって板つこうてガーッ、て洗ってガーッ、て濯いでたんやけど。そんな泥遊びみたいな力でええんか?」

「汚れの度合いによりますけど、普段の洗濯はそんなに力を入れなくていいんですよ。あんまり布を擦ると生地が傷みますしね。それより大事なのは時間です。汚れが水に溶け出すまで、ちゃんと待ってあげることです」

「はあー……」

「家で洗濯をするときには、石けんをしっかり溶かした後にほったらかすと良いですよ。揉んだりしなくても、三時間ぐらい経てば自然に汚れが取れますから」

「それは楽やな! 覚えとくわ」

 シュピッツと会話をする間も、カールの手はずっとタライの中でじゃぶ、じゃぶ、と洗濯を続けた。水の表面にはいつの間にかたくさんの泡ができ、もうどこに服があるのか目では分からない。タライに手を入れているカールだけが、しっかりと衣類を捕らえ着実に衣類を洗っていった。


     ***


 どのぐらい時間が経ったかは分からないが、テディーたちが変化のないタライに飽きてきた頃、やっとカールが「良し」と言って洗濯のお湯を捨てた。代わりにまた水と熱湯を混ぜてぬるま湯を作り、石けんが残らないように濯いだ。今度は泡が消えて中がよく見えるようになり、テディーたちは楽しそうに泳ぐ衣類を目で追った。

 洗っていたときより短めの時間で二度お湯を替え、三度目の濯ぎでカールはクエン酸を持ち出した。それを小さじ半分に満たない量でお湯に混ぜる。

「一番最後にこれで濯ぐと、洗濯の仕上がりが柔らかくなるんです」

「ふわふわの粉!」

「僕たちもこれでふわふわになる?」

「ふわふわなりたいー!」

「うーん、いくら君たちでもこれで体を洗うのは止めた方がいいんじゃないかな……。それはまた今度にしようね」

 ふわふわ、という言葉に目を輝かせるテディーたちを押さえ、カールはまたタライの中をくるくると掻き回した。そうして濯ぎ終えた衣類は手で軽く絞られ、後でシュピッツが脱水機にかけてくれることになった。

 流石に大きな遠心式脱水機は仮の作業場に運び込めなかったようである。

「あれだけの薬品が入手できて、遠心式脱水機もあって。明日からでも洗濯屋が開けそうなほど物が揃ってますね」

「そりゃあ陛下も喜びますなあ! お城もちょっと前までは絞り機使こうてたんやけど、ヒトが遠心式を発明したって聞いて早速調査してな。あれだと一枚一枚絞らんでええからごっつ楽なんや」

「ヒトは魔物を避けてばかりなのに、魔国はすごいですね……」

「わいらは変化(へんげ)できるからな」

 魔国に来て何度目かの驚きを感じながら、カールは残りの洗濯に取りかかった。先ほどと同じようにぬるま湯で石けんを溶かすところから始める。テディーたちは洗い終えたうちの、雑巾など手絞りで十分な物を背の低い物干し台にかけ始めた。


 午前の大掃除とは打って変わりのんびりとした空気に誰もが和む。壁に掛かっていた時計の枝が右下を向き始めた頃、コンコンコン、と控え目に扉が叩かれた。手の空いていたテディーが「はーい」と返事をして扉に駆け寄る。テディーは何の疑問も持たずに取っ手へ手を伸ばしたが、扉の向こうが静かすぎるのを不自然に思ったシュピッツが慌てて叫んだ。

「あ、ちょい待ち! 向こうが誰なのか確認してからっ……」

「え?」

 ガチャリ。

 呼び止める声にテディーは反応したが、その手は既に扉を開けてしまっていた。僅かに空いた隙間にすらりとした足が差し込まれ、革靴の底が勢いよく扉を蹴っ飛ばした。テディーがそれにぶつかってころりと転がり跳ねる。驚いたカールは思わず手を止めた。シュピッツも「まずい」と思ったが、入ってきた者の姿を見てほっとしたような、しかし一層面倒臭そうな微妙なしかめっ面をした。

 些か乱暴な後ろ足で扉がばたんと閉められる。

 大きな板と片手に提げられた小箱。それがくるりと横を向き、赤毛の少女が現れた。

「ね! ね! ヒト族が来てるってテディーたちが噂してたんだけど! ここにいるんでしょっ? 出しなさいよ! あ、これは何かアイロン運べって言われて」

「ド、ロ、シイイイイイーッ!」

「ぎゃんっ!」

 (はつ)(らつ)とした声が作業場に響き渡る。その直後に素早くシュピッツの拳が唸りを上げ、少女の額を直撃した。アイロン台がごとりと床に落ち、少女はよろよろとその場にしゃがみ込んだ。テディーたちは長い三つ編みに見覚えがあるようだったが、カールだけは何が何だか分からない。

 叩かれた額を両手で押さえながら少女はシュピッツに抗議した。

「乙女の額を叩くなんて!」

「あんさんの大声は部屋三つ向こうまで届くんや! 何で来んねん!」

「アイロン頼まれただけだもん~!」

 シュピッツの怒声にも負けず、少女は顔を上げて反論する。

 カールはテディーたちをこっそり集めると彼女が誰なのかを尋ねた。

「ドロシーさんは裁縫師長です」

「ヴフト様のお洋服を作るんです」

「でもおてんば娘、ってよく怒られてます」

「彼女がヴフトさんの服を?」

 テディーの言葉にカールはそっと机の下から向こうを覗いた。見た目は自分の妹とあまり変わらない年に思える。上品な緑碧色でまとまった服装はカールからすればかなりお洒落に見えた。ズボンに革靴、七分袖のシャツに一つボタンのベスト。腰には道具袋がぶら下がっているようだ。叩かれた額は大丈夫だろうか? カールはそんなことを思いながら見ていたが、その視線が不意にソバカス顔とかち合った。

「あーっ! いたっ!」

「わっ!」

 再び響く大音量。ビクッと跳ねたカールのところへドロシーがさっと駆け寄る。

 シュピッツは諦めたようにアイロン道具を床から拾い上げた。

「あなたね! 噂のヒト族は! うーん、何か顔が大きくて熊みたいね。テディーと似ているわ。ちょっと立ってみて? あら、背はお師匠様ぐらいね。あなた、ブリターニアて街を知っている? 私のお師匠様がいる所なんだけど、すっごくお洒落ですっごく洗練された服を作る街なのよ! 私はそこでお師匠様と出会って、五年間修行させてもらったの。お師匠様はとっても素敵な紳士でね。スーツはもちろん、コートやドレスも縫える凄腕の裁縫師なの! 服作りにはものすごーく厳しい方だったけど、優しくもあったわ。まだ未熟だった頃の私にいろんな技術を教えてくださったの! 服飾の定番から流行まで、あそこで学んだことは数え切れないわ! ああ、親愛なるリチャード様! 私はこの地であなたの技術を受け継ぎ、服飾の美を極めていきます……。でも、できることならもう一度お師匠様の元で一緒に仕事がしたい……。あの研ぎ澄まされた流行が生まれる街で、また……」

 カールを物珍しげに観察したドロシーは、流れるように独白からどこか遠くへ思いを馳せ始めた。立たされたのに相手にされなくなったカールは対処法が分からず、ただただそれを聞かされた。途中でシュピッツに袖を引かれやっとその場を離れると、テディーたちもドロシーを置いてテーブルの反対側へついて来た。

 彼女はまだ自分の世界に浸っていた。

「…ドロシーは一流の裁縫師なんやけど、声がでかくてお喋りでな。一々聞いてたら時間がもったいないから放っといてええで。いつもあんな調子や。でもあいつが言った通り、昔ヒトんとこで修行してたから特に偏見もないし、ええ奴ではある」

「いつもあんな感じなんですか……。ヒトそっくりに見えますけど、彼女も魔物なんですよね?」

「ああ、リヴドール族の原型種で、模倣した生き物とそっくりそのままの姿なんや」

「ふふっ! すごいでしょ! この両手があるから、私はお師匠様の技術を学ぶことができたのよ!」

「わっ、いつの間に」

 シュピッツの話を聞いている途中で、後ろからずいと割り込んできたドロシーにカールがまた驚く。彼女の背はカールの肩ぐらいであった。朱色の髪に朱色の瞳が大きく輝いている。フリーレンのような肌色ではないし、メアリーのような球体関節でもない。見れば見るほどヒト族の少女だった。これなら王国に何年居ようが、魔物と疑われることはないだろう。

 彼女が改めて「よろしく」と手を差し出してきたので、カールは何気なくそれに応えた。だが、カールが彼女の手を握った瞬間、ドロシーはもう片方の手も使ってカールの手をがっちりと取り押さえたのだ。そしてそれに驚く間もなく、カールの体はぐっと彼女に引き寄せられた。

 それを見たシュピッツがまた声を上げようとしたが、彼女の方が一声早かった。

「あなた《洗濯屋》って言うんでしょ? お願い! きれいにして欲しい服があるのっ!」

「えっ?」

 ドロシーの真剣な眼差しがカールを真っ直ぐと射貫いた。




第五節 了

2017/8/26 校正版

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ