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洗濯屋と魔王様 第一章  作者: ろんじん
11/12

第十一節*洗濯屋と八卿議会

 霊樹の幹に移動用の魔方陣が設置された。シーツのような長方形の布を幹に貼り付けた簡易的な物である。布の端にはぐるりと呪文が巡らされ、中央には横書きで何行か文字が書かれていた。タピオが墨で作ったものだ。

 説明を聞くと文字で囲まれた部分が魔法の有効範囲であり、そこをくぐることによって二つの地点を行き来できるらしい。移動したい地点を結ぶには同じ呪文を書いた物が必要で、それはテディーたちに渡してあると言う。通常は魔力を注いでから通るのだが、その消費量が大きいということで中央に補助の呪文が添えられていた。魔力の少ないテディーたちが気軽に通るための、タピオからの計らいだ。

 シュピッツ曰く、そういう付け加えが出来るのは魔法に精通している証拠だった。

 そんな布の魔方陣を通って、籠いっぱいの洗濯物を持ったテディーたちが来るようになってから早一週間が経っていた。毎朝九時ごろになるとやって来て、カールと一緒に洗濯をし、昼食と午後のお茶を楽しんで、夕方仕上がった洗濯物を持って帰る。渓谷の底なので日差しはあまり当たらないが風が通ってよく乾いた。

 洗濯担当のテディーは女の子が三人と、男の子が二人であった。皆、カールの腰あたりまで背がある大きい子たちである。彼らはカールと一緒に洗濯をするだけでなく、その技術をお城にいる仲間へ伝える役目も担っていた。

「カールさん! お城の洗濯物、前より肌触りがいいって評判なんです!」

「この前覚えた煮洗いで雑巾を洗ったら、すっごくきれいになりました!」

「技師さんたちの服についた油汚れ、どうにかなりませんか?」

 今日も難敵を抱えてテディーがやって来る。それを嬉しそうにカールが迎える。

 彼らが洗濯をしている間、タピオはシュピッツを伴って土いじりに勤しんでいた。まだまだ太陽が盛んな時期で畑仕事は尽きない。

「おお、ご苦労、ご苦労。今日は(ばん)(とう)が食べごろでの。昼に食そう」

「あっ! タピオ様の長寿の秘訣ですね!」

「タピオ様の秘密の桃!」

「ふっふっふ。そら、今日の分を終わらせておいで」

「はい!」

 まふまふとタピオに抱きついてから、テディーたちはさっと作業に取りかかる。

 今日も風がやや強めの良い洗濯日和であった。




『洗濯屋と魔王様』




 お城の中の一室で眉のない眉間に皺を寄せる老生がいた。その表情は「険しい」の一言に尽き、近寄りがたい空気さえ発している。その相向き側に、こちらは穏やかな顔をした老生が座っていた。彼は鳥の頭を象った杖を持ち優しい視線を従者に向けていた。

「それでは、やはり最近出回っている洗濯物についての噂は、そのヒト族が絡んでいるということですね?」

「はい。毎日、城の洗濯物の一部をテディーたちが運び、共に洗っているようです」

 質問を受けた従者、ネズミのような顔立ちの小柄な男がひそひそと答える。

「ふむ……、洗い方一つで差が出るとは思っていませんでしたが、存外はっきりするものですね。私の分も洗われたようで、タオルなど直接、肌に触る物は確かに気持ちが良かったです。それに見た目もふんわりしているようでした」

「はい。私もそう思います。また昨日などは、炊事場の雑巾がきれいになったと料理長たちが喜んでおりました」

「ほほう! それは、それは。なかなか良いことではありませんか」

「しかし今までとの差が明らかなため、何か変化があったことを皆が気付き始めております。……その、何と申しますか、《洗濯屋》の技量、侮れないかと」

「そうですね。洞窟の一件もありますし、そろそろ決着をつけなければなりません」

 優しげな老生はそう言って深く頷いた。

 用が済んだ従者を退け、小さな談話室で険しい顔の老生と二人きりになる。

 しばらくの間、優しげな老生が茶を啜る音だけがしていた。

「洗濯の仕上がりが何だと言うのだ! そんなことで他種族を攫ってこられては敵わんっ! いいかっ? これは一歩間違えれば王国との戦争にもなる問題なんだぞッ?」

 その穏やかな空気を破ったのは厳しい老生の声である。怒りで打ち据えたテーブルの表面にぱきりとひびが走った。元からシワが寄っていた顔へ更にシワが寄り、老生の表情が一層険しくなる。

 それを見ても尚、杖を持った老生は涼しげな表情を保っていた。

「ゾンネ、その意見はもう何度も聞きました。まだ呆けてはいませんから、そう繰り返さずとも承知しています。しかし話の論点はそこではないのですよ」

「ふんっ、ちっとも分かっておらんじゃないか、ジェフ! 余計な火種が生まれぬ前にきゃつを送り返す。それ以外に選択肢はない! 相手はヒト族だぞ? 魔力のない種族が魔国で暮らせると思うのかっ?」

 テーブルを打つ音が再び響く。老生はありったけ顔を歪め、未だ涼しい表情の老生に圧力をかけた。

 このゾンネと呼ばれた厳格な老生は、浅黒い顔に顎髭を一房蓄えていた。目の上の筋肉が隆々としていて、毛はないが肉の眉があるようであった。首から下は赤い羽根で覆われており、腕は逞しい翼になっている。頭には大きな太陽を模した飾りと、黒い頭巾を被っていた。胸元に銅と石で出来た首飾りを下げ、腰に帷子(かたびら)と布とを巻いている。

 洞窟でカールを助けたハル・フォーゲルと同じスタンバード族であった。

 向かい合うジェフも同種族で、赤みがかった浅黒い顔をしていた。優しそうなシワに埋もれ細長い目が笑っている。ゾンネと同じ首飾りを下げ、胴体は緑色の羽根で覆われていた。また黒い頭巾の下からは短い白髪が覗いている。こちらは水色に橙色の斑点が一筋ついた腰布をゆるく巻き付けているだけだった。

 二人が話しているのは、一月ほど前に魔王が犬猫のように攫ってきたヒト族についてである。ヴフトはそのヒト族の技量に惚れ、国に置きたいと言った。しかしドゥンケルタールは建国以来ずっと魔物だけの国であった。獲物の入国すら前代未聞である。もしヒト族が住むことになれば、大なり小なり問題が生じることは明白であった。

 ゾンネはそれを嫌い、攫ってきた状況でもあることから、洗濯屋を故郷へ帰すよう言い続けていたのだ。

「洗濯の技術を気に入ったと言うのであれば、こちらから遣いを出せばいい。一人、二人、研修に向かわせる手もある。わざわざヒトを留め置く必要はないだろうっ?」

「それはそうなのですが、もう連れてきてしまっていますからね」

「……やはり悠長に話し合いなどすべきではなかった」

「しかし無理矢理連れ帰ったとして、陛下が日ごとに通われては困るでしょう?」

「それはそうだが……」

 ジェフの指摘にゾンネは深いため息をついた。


 陛下、つまりヴフトは、初代から続く六人の魔王の中で最も文芸を愛する魔王であった。被服の技術、焼き物の技術、調理の技術。あらゆる優れた技術、作品を好み、それを普及することに心を傾けている。彼が魔王になってから国外へ修行をしに行く者や、国内へ優れた技術者を招くことが増えていた。どちらも国が万事手筈を整える。

 その恩恵というべきか、当代では作物の生産性が上がったり、工芸品の出来が良くなったり、街並みが整ったりし始めていた。国中に著しい文化の成長が見られた。そのため食や娯楽、学問などが豊かになったので現魔王はなかなかに評判が良い。

 だがその一方で事ある毎に振り回されている者たちもいた。

 その筆頭がゾンネとジェフである。

 彼らは右丞相、左丞相という魔王に次ぐ地位にいた。ドゥンケルタールを支える大切な二本柱である。もう何世紀も前から議会を持つこの国では、国として何かをするときには必ず協議が必要であった。二本柱の主な役目はその協議を取りまとめることである。

 つまり魔王が何かを思いつく度、彼らの仕事が増えるわけだ。

 風の噂で聞きつけた腕利きの焼き物師を探したり、遠地にいるジプシーの歌姫を招いたり。果ては会合のために赴いた他国で、一人の画家に惚れ込み連れ帰ってきたりもした。最終的にその画家は祖国へ戻ったのだが、議事堂の天井画を仕上げるまでの四年間、国で衣食住を保証したのだ。

 近年、国民の暮らしはプラス傾向にあるが、国の財布的には横這い、下手をすればマイナスである。それらを上手く調整しやってこれたのは、偏に彼らの功績であった。ヴフトもそのことは重々理解しているので二人への恩賞は厚い。

 だがきれい好きで文芸を愛する心は止むことがなかった。

「やはり、あのマントのシミが取れたということが、喜ばしかったのだろうな……」

「そうですね。残念ながら、私たちではどうにも出来ませんでした。それをきれいに洗い上げたのですから、洗濯屋への肩入れ、並大抵ではありませんよ」

「んんんんん……」

 どれほど強く反対してもあの手この手で押しきられる。ゾンネはそんな予感がして、また一層、顔を渋らせた。今だってこのための臨時会議が長引いているのだ。最早送り返すことを諦め、上手く周知する策を練った方が良いのではないか。そんな気すらした。

 それに、先日の会議で洗濯されたヴフトの衣裳がお披露目され、その出来映えに話は受け入れ方向に傾いていた。そこに加えて先ほどの噂が出回っているのだ。

 ヴフトが既成事実を積み上げようとしていることは目に見えていた。

「……ヒト族の生態には詳しくないが、あれは渓谷暮らしに適さないと思ったが…」

「そうですね。穴蔵式の村落も見たことがありますが、日中は外に出ておりましたよ」

「最新の生態情報を入手せねばならんな……」

「まったく、困った陛下ですねえ」

 胃痛と苦笑、二つのため息がそっと漏れる。

 こうして魔王の思いつきに悩まされつつ、二本柱は魔国を支えているのだ。

 ジェフが壁にかけられた時計を見てそろそろですか、と席を立った。それに応じてゾンネも時間を確認し、重たい腰を上げた。

 今日もこれからその洗濯屋について臨時の八卿議会があった。


     ***


 決裁、決裁、決裁。一月ほど国を空けていたせいで溜まりに溜まった書類の束も、漸く終わりが見えてきた。魔王が不在のときは左右の丞相が代理で物事を進めるのだが、その内容は後で確認しなければならない。そうして山になっていた報告書を見てはぺたり、新しく提出された書類を見てはぺたり、火急で飛び込んでくる文章を見てはぺたり。ヴフトはカールを連れ帰ってからの二週間、書斎と議場を往復する毎日だった。

 普段ならば美容と健康のためにたっぷり取っている睡眠も、ここ最近はやや少なめである。今の状況を脱した暁には、馴染みの按摩屋にでも行こうとヴフトは考えていた。


 書斎で判を押し、議場で報告を受ける間にもいろいろなことがあった。

 「いろいろな事」と言うのはすべて洗濯屋に関することである。

 ヴフトから見てカール・ベーアという男は非常におもしろい存在だった。

 カールを攫ってきたあの日、ヴフトはもっと抵抗されるものだと思っていた。獲物が魔物の支配下を離れて久しいとはいえ、世界の常識では未だ敵対している。その上、誘拐同然で連れてきてしまったのだ。あの時は誰も手をつけられなかったマントが綺麗になった喜びでつい、持ち帰ってしまったのだが、攫った後で「まずい」と思ってはいた。だがせっかく連れ帰ったので試しに話をしてみると、予想外にも彼は「はい」と頷くではないか! 《洗濯》の一言を出した途端、あっさり承諾されてしまったのだ。これにはヴフトも驚いた。そうして素知らぬ顔で丸め込み今に至っている。

 カール・ベーアという男は驚くほど純朴で世界を知らないようであった。

 連れてきた翌日には何故か衣裳部屋の扉を洗い、その中にまで入ってしまった。長年、魔王以外を受け入れなかったシュランクが心を許したことは驚きでしかない。洗濯に関する彼の純粋な気持ちが通じたのだろうか? 同時に「私の呼びかけには答えなかったくせに」というちょっとした嫉妬をヴフトは感じていた。

 そしてあの日、シュランクの掃除に多くのテディーを動員したせいで、城の主な面々にカールの存在がばれてしまった。テディーたちは離れた場所の個体と情報を共有することができる。その能力によって城中の伝達係もになっているのだが、そのテディーに、しかも複数体に知られれば情報は瞬く間に駆け巡った。口が軽いわけではないがテディーたちの間で噂になれば、城中で噂になる。

 しばらくカールを隠しておこうと思ったヴフトの算段は二日目にして潰れていた。

 その後ヴフトは業務に忙殺されていたのだが、幸いにも洗濯物を渡してからのカールは大人しく問題も起きなかった。報告で聞く洗濯方法はどれも斬新で、その専門家っぷりをヴフトはまた気に入っていた。一度自分も洗濯風景を見に行きたいと思っていたところで、魔王の衣裳が仕上がったのである。


 カールが洗った物を見るのは二度目だった。最初は例のマントで、その後は実物を見ていない。ヴフトは急いで仕事を切り上げ衣裳のもとへ走った。そして期待通り、仕上がったそれは非常に美しく、見違えるようで、彼は喜びで胸がはち切れそうになった。

 だがその知らせを持ってきたのはカールを任せていたシュピッツやテディーたちではなく、国防の卿ハル・フォーゲルだった。

 このときもまだ八卿議会、ドゥンケルタールで一番上位の議会でカールの処遇を話している最中であった。だから出席者である八人の卿、並びに左右の丞相は《洗濯屋》に接触しないはずであった。それがカール本人が洞窟に迷い込んだおかげで、八卿の一人ハルと出会ってしまったのである。

 ハルの口から話を聞いたときヴフトは肝が冷えた。それまでカールに会わせた魔物はヒトに近い姿や、テディーのような馴染みやすい姿の者たちを選んでいた。スタンバード族は顔のつくりこそヒトに近いが、その体は羽根で覆われ手は五指でなく翼である。見た目の違いに驚かないか。不意の遭遇で双方、悪印象を抱かないか。

 洗濯屋に会った、というハルの一言でヴフトの頭にはあらゆる懸念が浮かんでいた。しかし不幸中の幸いでそれらは杞憂に終わり、むしろ事は好転に向かった。カールの腕前を知ったハルが洗濯屋引留派に回ってくれたのだ。彼はカールの技術力を示すために城内の洗濯物の一部を任せようと言い、二代目魔王への取次役も買って出た。

 その洗濯効果は絶大で、早くも城内では「腕利きの洗濯師が入ったらしい」と噂になった。またタオルや雑巾など、日々大量に出る洗い物を回しているので、洗濯係のテディーたちも助かっていた。

 カールの処遇について話し合う臨時会議も始まってから既に一月ほどが経つ。いろいろと議論が酌み交わされてきたが、洗濯の効果が出た今が落とし時だろう。もし、これでも洗濯方法による違いが伝わらなければ、彼を国内に留め置くのは諦めるしかない。

 けれどもヴフトは今日こそは議会が承認してくれると、そう確信していた。

 何と言ってもカールが洗ったタオルはふわふわで、その威力は固い右丞相の頭をも柔らかくするに違いないのだから。

「ヴフト様、そろそろ臨時会議のお時間です」

「ん、そうだな。席を外している間は頼んだぞ」

「かしこまりました」

 フリーレンに声を掛けられ、ヴフトは切りの良いところで書類から手を離した。鏡の前でさっと身なりを整えてから書斎を後にする。

 今日も真っ直ぐに伸びた長髪が、黒いオーロラのように輝いていた。


     ***


 臨時会議にかける時間は毎回一時ちょうど。出席者がそれぞれに重要な任を担っているのでそれ以上は取れない。ドゥンケルタールの最高議会《八卿議会》は魔王、二人の丞相、八人の卿によって開かれていた。

 二人の丞相とは右丞相ゾンネ・フォーゲルと、左丞相ジェフ・フォーゲルのことである。右丞相は右院、軍事や民政を担う議会の総まとめ役であり、左丞相は左院、産業や教育を担う議会の総まとめ役である。どちらも魔王に次ぐ地位として、魔国を支える大事な柱であった。

 さらに右院の中には陰陽(おんみよう)省、民租(みんそ)省、国防省、法務省の四つの省があり、それぞれの代表が卿である。同じように左院には産業省、大蔵省、宮内(くない)省、式部(しきぶ)省が置かれている。カールを助けたハル・フォーゲルは八卿の中で最も若い卿であった。反対に卿としての経歴が最も長いのは、民租の卿モノクル・ゴードンである。

 モノクルは単眼蛙(ひとめかわず)という種族で、尾の付いた巨大な蛙の姿をしている。顔の半分以上もある大きな単眼と、大きな口が特徴の種族だった。現在、彼は民租、戸籍や年貢などに関する省の代表をしているが、以前は大蔵の卿を担っていた。人当たりが良く金勘定も上手かったため、大蔵から民租へと異動したのである。

 その後任、今の大蔵の卿はリンクス族のボブ・ディオンであった。リンクスは三つ叉の尾を持つ山猫のような魔物である。四つ足で原野を駆け、己の一派と縄張りを有するのが一般的なリンクスであったが、ボブは争いの中で大怪我をしてドゥンケルタールに流れ着いた口だ。左目は傷のせいで視力が弱く方眼鏡をかけている。

 彼は魔国に来てから二足で生活するようになり、そろばんを弾いて金貸し屋を営んでいた。金の回し方が大変上手く、また堅い商売が実を結んで大蔵の卿にまでなった。

 国外からの移住者が高位に就くことはこの国では()々(ま)見受けられる。

 ちょうど現職にももう一人、ボブのような他郷出身の者がいた。それが陰陽省の月叢(つきむら)(いつ)であった。逸は遠く東の空から流れてきたヴォルケ族である。ヴォルケは魔力を含んだ雲が本体の種族で、無形のため逸は面と袖口が閉じた衣服を身につけている。

 いつ頃ドゥンケルタールに降り立ったのか定かではないが、気付いたときには市井で評判の占い師をしていた。その後、天文と魔法を得意とする四代目魔王に手ほどきを受け、ドゥンケルタール随一の天文博士となった。

 星読みに長ける逸とよく一緒に仕事をするのが、宮内の卿マリア・ムーサである。国史編纂、祭事の段取りなどを担う宮内省は、日時の吉凶を重要視していた。そのため陰陽省が予め出してある暦以外に、詳しい内容を聞くことが多かった。

 マリアはクリーオ族という珍しい種族で、水の魔霊が多い地域でしか子孫を残せない。透き通った体は中心がほんのり赤く、頭に二本の触手が生えている。ヒトのような目と口はあるが、鼻はなく、耳はヒレのような形状をしている。腰から下が筒状にまとまりふわふわと宙に浮いている。体の周りに一つ、二つ、清らかな水泡を伴うのもクリーオ族の特徴であった。

 八卿議会が始まる少し前には、もうほとんどの卿が議場についていた。

 法務の卿フロリアーノ・エニュレと式部の卿ファビオラ・ラコーニは二足蝴(にそくこ)二足蛾(にそくが)という非常に近しい種族であった。どちらも複眼と触覚、背中に四枚の羽根を持っている。二足蛾族の方がやや毛の量が多かった。

 式部省は議事録管理も仕事の一環であるため、八卿議会の記録はファビオラが取っていた。重要な会議の内容は彼女が持つ『議事録大全』に納められているのだ。

 一番最後に席に着いたのは産業の卿、パコ・アドモであった。彼はチグイレ族という、ヒトに似た外見を持つ大鼠である。素朴でおっとりとした見た目とは正反対に、抜け目のない性格でこの国の貿易と外交を司っている。

 八卿はいずれもドゥンケルタールで一番小さな議会、民議会から(かしら)()大夫(たいふ)と順に上がってきた者たちであった。彼らは国民たちの信頼と人気を得て、現在の役職に就いている。国民の声は八卿議会を通ればほぼ成立し、魔王の意向は八卿議会で可決されれば実行された。

 この会議はそういう重要な場であった。


 時計の針が定刻を示し八人の卿らが一斉に起立する。そこへ右丞相、左丞相が入室し玉座の両脇に控えた。そうして最後に入ってきた魔王が着席すると、全員が一礼をして座り話し合いが始まるのだ。

 八卿議会の進行は丞相の務めであった。

「お揃いのようですので、《洗濯屋》に関する臨時会議を始めます。まずは陛下より」

 そうジェフに促されヴフトが口を開く。

「ヒト族の洗濯屋に関し何度も話を重ねてくれたこと、改めて礼を言う。だがそろそろ結論を出す頃合いだろう。そう思っている者も少なからずいるはずだ。そこで、勝手ではあるがここ一週間ほど洗濯物の一部を渦中の洗濯屋に任せてみた。みな噂は耳にしていると思う。私が欲しいと思った彼の技術力はどうだっただろうか? 彼が持つ知識や技を、私はこの国に取り込みたいのだ」

「恐れながら陛下、彼が魔物であるならまだしも、獲物が魔国に住まうということは不幸ではないでしょうか? 今までにも申し上げてきたとおり、魔力がないということは魔国で暮らすには大変不便なことです。私はやはり彼を国へ帰し、彼の店へ誰かを修行に向かわせるのが最善かと思います」

 熱く言葉を発したヴフトに対し、さっそく真正面から異を述べたのは右丞相のゾンネだった。彼はこの臨時会議が始まって以来、一貫して洗濯屋を帰すようにと主張している。種族の違いや異国であること、かかる金額や起こりうる問題など、帰郷させた方が良いと思う点が多かったからである。

 だが会議の度に反対と問題点を挙げられていたので、ヴフトは今回も反論が来ることは予想していた。ゾンネの言葉を聞いて一瞬、口をつぐんだものの、それに対抗すべく話を余所へと振った。

「魔力がないことで起きる不便さは代わりの道具を用意すれば良い。彼がこの国に来ることによって幸となるか、不幸となるかは私たち次第だと思う。仮の見通しとして、陰陽の卿に先を読んでもらったが……、結果を報告してもらえるか?」

「はい」

 ヴフトに指名された逸が面の隙間から声を漏らすようにして答えた。

「星によりますと、彼の者は現在、人生の岐路に立っていることが明らかです。しかし魔国へ来ても、王国へ帰っても、その先に大きな禍福の差は見られません。彼の者は既に道の欠片を得ております。それ故に、この魔国においても幸福の兆しが見えます」

「ヒト族が陛下に仕えることによって起きる混乱などは?」

「大きな物は見えず、誰しもが持つ範囲であります」

 ジェフの心配にも逸がそつなく答えヴフトは内心ほっとする。国一番の星読みに大きな災いはないと太鼓判を押され、ゾンネは少し顔をしかめた。

 そこへ別の視点から口を挟んだのは大蔵の卿である。

「陛下、小官としては新しく仕える者が魔物であろうと、獲物であろうと構いません。それよりも心配なのは彼にかかる費用です! 幸いヒト族は衣食住に金のかかる種族ではありませんが、肝心の洗濯にかかる費用。彼の使う化学薬品とやらの値段! 残念ながら、あのような高価な物はそう易々と買えません! いくらタオルがふわふわだろうとシーツがふかふかだろうと、大蔵省を預かる身として見過ごせない額です」

「うっ…」

「小瓶一つで銀貨ですよ? 財布が潤う予定もないのに大きな浪費はできませんぞ。そこを考慮していただかなければ、災いがあろうとなかろうと小官は賛成しかねます」

 はっきりと意見を述べるボブの勢いに今度はヴフトが顔をしかめた。

 カールが洗濯に使う薬品の値段はかなり痛いところであった。化学薬品は西にあるヒトの工業国でしか製造されておらず、市場に出回る数も少ないためどうしても高価であった。普段の石けんが銅貨二~三枚で買えるところ、炭酸ソーダの小瓶はそれだけで銀貨一枚にもなる。銅貨五十枚が銀貨一枚に相当するので、ざっと二十倍近い値であった。それほど高価な品を何種類も揃えるとなれば生活費よりも高くつく。

 ヴフトもそれは知っていたのであえて話題に挙げなかったのだが、どうやら調べられてしまったらしい。

「私もまだ作業風景を見ていないのだが、薬品の使用量はごく僅かだと聞いている。それほど大量の出費にはならないと、思う……。できるだけ節約するようにも伝える」

「小官としては財布を減らす技術よりも増やす技術が欲しいのですが。その男、薬品や石けんなどは作れないのですか?」

「それは聞いたことがない。もし何か作れるようであれば足しになるか?」

「減る一方よりはマシでしょう。自作できるのであれば買う量を減らせますし、商品を作ることができればそれで得た金銭を購入に回せます。額が額ですので、使い込む一方ではなりませんぞ」

「分かった。そこはよく検討しよう」

 神妙な顔をしてヴフトは小さく頷いた。国があり経済がある以上、何かをするには金が必要になる。カールを留め置けたとしても、そうした課題は残りそうであった。


 ボブが口を挟んだのを皮切りに、各卿たちがそれぞれの立場で意見を述べ始めた。産業の卿はもし薬品や石けんが作れるのなら輸出につなげたいと言う。法務の視点からは獲物がいきなり城内に住むという厚遇に対して、不満や不平が出ないかが案じられた。

 建国以来、ヒト族が住んだという前例がないため考えるべきことは多い。だが話は「残留か返送か」という点よりも、「残った場合は何が必要か」という点が大きく取り上げられ、流れはヴフトに有利となっていた。

 その空気をゾンネも察し、ややぶっきらぼうに話を遮った。

「各々方、洗濯屋が残った場合のことを熱心に考えているようだが、それは陛下に賛成ということか? 帰そうという気はないのか?」

 その言葉に宮内の卿マリアがぽっ、と口を開いた。クリーオ族は声で喋らず脳内に直接話しかけてくる。彼女は薄い唇を僅かに開閉させながら述べた。

『ヒト族が魔物の国で対等に暮らすということは、余所でも聞いたことがありません。しかし、陛下がここまで熱心になっておられるのです。この国が先駆けとなっても良いのではないでしょうか』

 式部の卿ファビオラがこれに同意した。

「わたくしもそう思います。いきなり大勢を受け入れるわけではありません。たった一人ではありませんか。この一人によって、我々が学べることは多くあると思うのです。それに右丞相様はヒト族からの報復を案じておられますが、一人のために戦をしかけられるほど王国は強くありません。この国に辿り着くことすら不可能でしょう」

「確かに。酷い言い方ではありますが、王国は一介の庶民のために軍を出したりはしません。仮に軍を出したとしても、魔力のない彼らではこの国の境を破れません」

 ハルもそう付け加えゾンネは思わず唸った。

 ドゥンケルタールの渓谷は《常闇の森》と呼ばれる深い森の中にあり、魔物であっても訪れるのが難しい場所であった。魔法を使えない獲物では辿り着く前に別の魔物の手にかかる率が高い。仮に近くまで来たとしても、国の端に聳える霊樹の力で渓谷の在処は見えにくくなっていた。王国軍がドゥンケルタールを見つける可能性は零に等しい。

 そこへ更に民租の卿モノクルが発言をする。

「前回見せてもらった陛下のお衣裳、素晴らしい仕上がりだったじゃあないですか! わてとしては先日使ったふわふわのタオルも、その洗濯屋の仕業じゃあないかと思ってるんですが。あれは皆を幸せにする術を持っていると思いますぞ。右丞相もそろそろ折れてはいかがですか?」

「ううむ……」

「新しい風は、この国を動かす新しい力になり得ます。逸も彼の者の技術、素晴らしいと見受けました」

「シーツの肌触りに関しては、小官も確かに」

 一人がカールの仕上げた洗濯物の心地よさを思い出すと、つられて他の者たちもその肌触りに思いを馳せた。真っ白に洗い上げられた見た目の美しさ、ふわふわとした優しい拭き心地。今までの洗濯に不満があるわけではなかったが、その差は歴然としていた。

 あの技術であれば陛下が惚れ込むのも仕方がない、と皆そう思っていたのだ。

 これで場の空気はほぼ決まった。

 右丞相もついに観念し、最後にずっと静かにしていた左丞相へと話を振った。

「左丞相よ、卿たちの意見は固まったようだが、貴殿の意見はどうなのだ?」

「私は元よりそう悪い話ではないと思っておりました。経緯が唐突ではありますが、既に洗濯屋は来てしまっているのです。先方に異がないのであれば、城に迎え入れても問題はないでしょう。それに、ヒト族と交流が持てるのは好機だと思います」

「好機だと?」

 分からない、と顔で示したゾンネに対してジェフは涼やかに続けた。

「そうです。ヒト族は科学の力を得て、近年目覚ましく発展してきています。しかし彼らは魔物の下を去ったため、我々がその詳しいことを知る術がありません。もちろん偵察を出せばそれなりに成果を得られるでしょうが、今まさに生身のヒトがこの国にいるのです。我々が魔力を以てなすことを、ヒトはそれなしに実現させる。科学の発展によっては近い将来、王国が脅威となる可能性もあるでしょう。ヒトが編み出した科学の力、知って損はないと思います。現にふわふわのタオルにも、科学によって作られた薬品が使われているそうではないですか。陛下がお連れした洗濯屋殿は性格も穏和なようですし、ここは一つ彼の者を足がかりとして、ヒトと科学とを知る好機かと思います」

「……なるほど。そこまで考えておったか…」

 声の途切れなかった議場が左丞相の言葉を聞いてしんと静まりかえった。

 これまでにいろいろな意見が出されたものの、どれも一様に目の前のことにしか言及していなかった。数十年後やその先を考えたジェフの言葉に、誰もが心打たれたのだ。

 それは魔王ヴフトも同じであった。

「左丞相、お前の先を見据える力、いつもながら見事だ。私はヒトをはじめとする獲物種族との共存にばかり目が行っていたが、お前の言うことも一理ある。科学の発展はこの半世紀でもかなり進んだと聞く。それが脅威となる日も来るやもしれん」

 会議が始まってから後少しで一時が経とうとしていた。

 ヴフトが議場全体に目を向け、それから左右の丞相に確認する。

「この話、意見も出そろい判決の頃合いかと思うがどうだ?」

「同じく」

「ではヒト族のカール・ベーアを城の洗濯係に任命すること、二院八卿の意を述べよ」

「陛下の意に賛同いたします」

 ヴフトが議会へ採決を問いかけた。それに答えて丞相、卿らが一斉に声を上げる。満場一致の諾であった。

「右丞相、何も揃えずとも良いのですよ? 多数決なのですから」

「馬鹿を言え。貴殿の理由を聞いておいて否と申せるか。科学に対する備えは将来かならず必要になろう」

「それはそれは。ご理解いただけて幸いです」

 今後の詳しい対応などは別として、一月にも及ぶ臨時議会はこれで幕を閉じた。


 ヴフトはカールを留め置けるようになったことを喜び、左丞相にこれからのことを任せた。部屋の準備や城内への周知等々、本当に忙しいのはこれからである。

「陛下、よろしければこのまま、洗濯屋殿のお顔を拝見してこようかと思うのですが」

「カールの顔を?」

 閉会後、書斎へ戻ろうとしたヴフトを捕まえてジェフがそう申し出た。

「はい。遣いの知らせで良き人だとは聞いておりますが、一度、実際にお会いしておきたいと思います」

「そうか。では行ってくるといい。お前のことだ、どうせ場所は知っているのだろう?」

「勝手ながら調べさせていただきました」

 深く頭を垂れて白状するジェフに対し、ヴフトは「構わん」と手を振って許す。彼のように国を隈無く見てくれる者がいるからこそ、新しいことにも取り組んでいける。抜け目のない二本柱は魔王にとって厄介な相手であり、信頼できる相手でもあった。

「ジェフよ、洗濯屋殿のところへ行くのならフロリアーノも連れて行って欲しいのだが」 二人の会話を耳にしたゾンネが法務の卿を伴って近づいてくる。ゾンネもカールのことが気になるのだが、生憎次の予定があるらしい。代わりに右院に属する法務の卿を同行させたい、ということであった。

「分かりました。では彼と一緒に会議の結果もお伝えしておきますね」

「うむ、頼んだ」

 そう言葉を交わしてジェフとフロリアーノが議場を後にする。長引いた臨時会議が漸く終わり、ヴフトとゾンネはそれぞれ色の違うため息を漏らしていた。




第十一節 了

2017/8/26 校正版

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