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洗濯屋と魔王様 第一章  作者: ろんじん
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第一節*誘拐される洗濯屋

 大きな入道雲が白いペンキをこぼしたように浮かんでいた。どこまでも続いている太い道の両側に、ざわざわと音を立てる麦の穂が並んでいた。天候に恵まれた農夫たちは暑そうに、しかし嬉しそうに汗をかいている。

 そんな爽やかな麦畑の道を一人の男が足取り重く歩いていた。艶のある髪をすだれのように垂らしたその男は、両手で丁寧に折りたたんだマントを抱えていた。暗い薄紫色の、とても上等そうなそれにはくっきりとした黒いシミがあった。生地の色が淡いだけにその汚れの存在は大きい。男は足を止め何百回目かのため息をついた。

「夕暮れ色の、私の美しいマントが。あんな奴の血で汚れてしまうなんて…。しかもいくら洗ってもシミが取れない。呪いの紋章のつもりか? 憎らしい、憎らしい、憎らしい! 次に会ったときには奴を八つ裂きに! ……いや、それではまたあの汚い血が飛んでしまう。血を出さずに。そう、炎をもって血の一滴も残らず、消し炭にしてやろう!絶対に! ……ああ。嗚呼、だが! それでもこのマントの美しさが返らなければ意味がない! 意味がないっ!」

 初めはぼそぼそと喋っていた男は徐々に興奮し、そのうちあたりの地面を蹴り割るように地団駄を踏みだした。一頻り喚くと、今度は悲しさでエメラルドの瞳に雫が溜まり、男はマントを洗う旅に出てから何度目かの嗚咽を漏らしてしゃがみこんだ。

「何事だね、旅の人」

 あまりの泣きっぷりに近くで作業をしていた農夫が畑から顔を出す。よく見れば泣いている男は手足が長く、稼ぎの良さそうな若者だった。男から途切れ途切れに子細を聞いた農夫は呆れかえったが、悲しむ姿を見ているうちに段々と哀れに思えてきた。試しに優しい言葉をかけてみても男は尚も泣き止まない。農夫はどうしたものかと困った。

 そのうちに、麦の間から他の農夫も集まってきて男を囲む形になった。仲間伝いに話が広まりあれやこれやと言葉が飛び交う。

 そんな中、一人の婦人が「ああ」と思い出したように声を上げた。

「私、いい噂を聞いたことがあるわ。あの遠くに見える山際の国。あそこの国には《洗濯屋》っていう、人ん家の洗濯をしてくれる店があるそうよ」

「せんたくや?」

「ええ、あそこへ行商に行く友人が言ってたの。どんな汚れもきれいに落とすって」

 婦人の言葉に泣いていた男が反応した。顔を上げ、遠く山際へ目をやると、確かに白い街並みが見えた。

 周りにいた別の農夫たちも聞き覚えがあると言って、《洗濯屋》の噂を続ける。

「それなら俺も聞いたことがある。なんでも汚れちまった白いクロスを、新品のように洗い上げたそうじゃないか」

「熱を利用して、しわくちゃになった服もピンピンになるんだとか」

「破れて手に負えない傷も見事に修復するって聞いたぞ」

 農夫たちが話す《洗濯屋》の話はまるで魔法のようで、黒髪の男は驚きに満ちた表情で聞き返した。

「それは! その噂は本当だなっ? 洗濯屋っ? 他人の衣服を洗う職人があの国にはいるんだなっ? 私としたことが。王国の技術を見落としていたなんて! エルフや祓い屋ばかりが穢れを落とせるのではなかった!」

 男は興奮してまた大きな独り言を呟き、それでも収まらず己の無知を叱責した。涙に濡れていた瞳が一瞬で乾く。立ち上がったその背丈は、やはり農夫たちより頭一つ飛び出ていた。

 男とは反対に、周りにいた農夫たちはさっと顔色を変え全員が一歩退いた。

「エルフ? あなたもしかして魔物なのっ?」

 最初に噂を口にした女が問いかける。だが男は返事をしなかった。

 不意に風向きが変わって雲が流れると、轟という風の中から真っ黒な馬が躍り出て男を乗せた。何が起こったのかわけの分からぬ農夫たちは強風に身を縮める。しばらくして元のゆるやかな風に戻ったとき男の姿はどこにもなかった。

 魔力をもたない獲物、ヒト族が、科学の力を用いて魔物に抵抗するようになったのはまだほんの半世紀ほど前のことである。




『洗濯屋と魔王様』




 賑やかな大通りから一本奥まった所に大量の洗濯物がはためく庭があった。『大切な服 洗います 直します』がキャッチコピーの洗濯屋ベーア。そこは旅人も珍しがる洗濯を生業にする店だ。開店したばかりの頃には「洗濯なんて家でやる」「わざわざ金を払ったりしない」「誰が洗っても同じだ」などと散々な言われようだった。だが、王室の黄ばんだクロスを見事真っ白に洗い上げると、店は一転注目の的となった。

 どんな汚れもなかったかのように消え、長年のシミさえもたちどころに抜け落ちる。洗濯屋ベーアの評判は国中に広まり、そのうち異国の者までもがやってきた。笑顔の眩しい豪快な店主と針仕事が得意な婦人。それに三人の子供たち。中でも長男のカールは主人に劣らぬ洗濯技術の持ち主で、常連には「若」と呼ばれていた。そろそろ若が店を継ぐ、はたまた二号店を出す、と噂する者も多かった。


 洗濯屋ベーアには、誰にでもできる洗濯を職人の技と言わせる技術が二つあった。一つは店主が研究に研究を重ねた多様な染み抜き方法で、もう一つは熱でもって生地を自在に型付ける《アイロン》だった。

 染み抜きには洗濯屋秘密の手順があり、これは落ちないだろう、という酷い汚れも見違えて戻ってくる。ひやかしにペンキや油で汚れた作業着を持ち込んだ者たちが、跡も分からぬほどに蘇った服を見て、仕立て直したのではないかと疑った。けれども洗濯屋にそんな材料はなく、すり替えようのない毛皮や鱗皮までもがピカピカになるので、その技術は確かだということになった。

 アイロンは樽形(たるがた)のストーブの側面に乗せられた小さな鉄のコテである。ストーブには夏でも火が焚かれ、作業部屋は年中じりじりと暑い。そこで熱されたちんちんのコテを使って、店主と長男が見事な技を見せる。このアイロンを当てればシワくちゃの服はピンッと伸び、消えた折り目はパリッと蘇るのだ。コテの温度が下がれば持ち替えるのだが、シャツならば一度に二~三枚は仕上がる早業だった。その流れるような仕事ぶりを一目見ようと、カウンター越しに作業部屋を覗く者たちも多かった。


 この日も洗濯屋ベーアは朝から賑わっていて、洗濯物を持ってくる者、引き取りに来た者、と店のドアは開けっ放しに近かった。裏庭ではいろいろな形の物干し台に洗濯物が翻り早くも乾き始めている。長男のカールは手際よくそれらを回収し、仕上げ役の父に手渡した。そうして空いた台にはまた新しい洗濯物が広げられる。井戸の近くでは弟がせっせと洗い続けていたので、まだまだ物干し台は空きそうにない。忙しい日には夕方まで庭中に洗濯物を干すこともあった。

 洗濯屋は今、国内外を問わず話題の中心になっているのだ。

 一端、洗濯物を干しきったところでカールは弟を残して店の中へと入っていった。カウンターでは母が接客をし、妹がせっせと預かり物を出し入れしている。カールはそれを手伝うために並んでいる客に明るく声を掛けた。

「こんにちは! 洗濯物はこちらで預かります」

 彼もまた、父親譲りの笑顔が眩しい男だった。


     ***


 昼近くになり店の中も少し落ち着いてきた頃、一人の見慣れない体裁の客が入ってきた。このあたりでは珍しい黒髪に褐色の肌をしている。初めてで勝手が分からないのか随分ときょろきょろしながら、男はそっとカウンターに近づいてきた。

「あの、どんな汚れでもきれいになると聞いたのですが……」

 男は確かめるようにカールにそう言った。

「はい。染み抜きには自信がありますよ。いろいろな実験をして、あらゆる汚れの落とし方を研究してあります。お客さんのご依頼は、その服ですか?」

「染み抜きの研究! ただ洗濯をするだけではないのですね。ああ、このマント。このマントのシミも落とせるでしょうかっ?」

 不安そうだった男はカールの言葉を聞いてぱっと明るくなり、カウンターの上に薄紫色のマントを広げた。カールはすぐに汚れを確認し、生地の厚さや丈夫さを手で測った。

 そのマントは薄くて軽いが、とても丈夫なものだった。

「わっ、こんなに血がついてるなんて、どこかで襲われでもしたんですか? でも、これなら一晩あればきれいに染み抜きできると思います。乾くのに明日の夕方ぐらいまでかかると思うのですが、大丈夫ですか?」

 物の状態を確認したカールはそう答えると、優しい手つきでマントを畳んだ。異国風の男は一瞬ぽかんとし、それからしばらくして言葉が染みたのか、その大きな口を左右に吊り上げた。翡翠の目をきらきらと輝かせ、マントごとカールの手を握って喜んだ。

「本当かっ! あ、いや、本当ですかっ? その汚れが落ちるんですね? 私のマントはきれいになるんですねっ?」

「わっ! 大丈夫ですよ。ちゃんときれいになりますから。明日、夕暮れの鐘が鳴ったら来てください。あなたのお名前は?」

「ヴフト! ヴフト・フォン・ドゥンケルタールだっ!」

 男、ヴフトは興奮気味に何度もカールの手を揺さぶった。マントはまだ洗われていないのに目的を達成したかのようだった。それからどさり、と小袋を一つカウンターに置くと、「足りなかったら明日払う」と言って店を出ていってしまった。驚いたカールは慌てて追いかけたが、通りに出たはずのヴフトの姿は見当たらなかった。

 袋の中からは大小十粒ほどの宝石が出てきた。


 白い街並みの中を男は影を伝って移動していた。行き交う人々にその姿は見てとれない。マントの汚れが落ちると聞いて足取りはすこぶる軽く、鼻歌交じりに上機嫌だった。影は滑るように街の中心地から森の方へと抜けていく。ヴフトは城壁までやってくると、ひょいとその上に飛び乗って改めてこの国を見渡した。

 そこは左右を山に囲まれた小さな王国だった。街は一番山際の土地に国主の城を頂き、海に向かって扇状に広がっていた。国の中心には太い川が流れ、小さな小舟が荷物を運んでいる。川の両岸には大通りと市場があるようだった。その川から離れると、教会や劇場のような大きな建物がいつくか見えた。更にその外側に、白い壁と茶色い屋根の民家が連なっている。

 名も知らぬ辺境の小国だったが、今のヴフトにはそこが夢の国のように思えた。日はまだ高く今日の夕方にさえならなかったが、彼はきれいになったマントを思い浮かべて悦に浸った。私のマントの、あの美しさが返ってくる。そう期待に胸を膨らませていた。

 それからしばらく洗濯屋の方を眺め、男はするりと城壁の外へと姿を消した。


     ***


 次の日の夕方。川の南側にある大きな教会が日没を告げる鐘を打った。日没と言っても高い山に隠れて太陽が見えなくなるだけで、あたりはまだ随分と明るい。

 昨日とは違って堂々とした足取りで、ヴフトが再び洗濯屋に現れた。

「こんばんわ。昨日のマントは仕上がっていますか?」

 その声にカールが気付くと、彼はすぐにマントと昨日の小袋を持ってカウンターに出た。まずはマントを広げて見せ、血の汚れがきれいに取れたことをヴフトに示す。それから小袋を彼の方に寄せて、代金は銅貨五枚であることを伝えた。

「こんなにたくさんの宝石はいただけません。銅貨はありませんか? ないのなら、このうちの一つを市場で売って、銅貨に替えていただきたいのですが……」

 カールはできるだけ丁寧に説明をしヴフトの様子を窺った。けれども当のヴフトは、きれいになったマントを両手にして微動だにしない。そのうちにぎゅっとマントを抱きしめて俯いてしまった。困ったカールはどうしたものかと思い、もう一度声を掛けた。

「あの、ヴフトさん? この宝石では、もらい過ぎになるので銅貨を……」

「すばらしいっ!」

「わっ!」

 そおっと様子を見ていたカールに対し、ヴフトが突然頭を上げた。そして感極まった声を上げ、カウンター越しにカールを抱きしめたのだ。その力は凄まじく強く、体格の良いカールでさえ痛みを感じて慌てふためいた。それから更に、ヴフトは懐から昨日よりも大きめの袋を取り出し、それをカウンターに置くと自らは上に飛び乗った。

 口紐が緩んだ袋から大粒の宝石が転がり出る。

「お前っ、名前は何というっ?」

「え? あの、カウンターから降りて……」

「名前を言え!」

「カールっ。カール・ベーアです! カウンターから降りてください!」

「カール・ベーアか! お前のその技術、実に気に入った! 私と一緒に来い!」

「はいっ?」

 話がまったく通じていない。カールの言葉に聞く耳を持たず、ヴフトはカウンターの上で声高らかに宣言した。あっけにとられたカールはわけが分からぬまま頭を鷲掴みにされる。大声に気付いた父が店の表に出てきたが、そのとき既にヴフトの手からは黒い影が染み出していた。影はカールを包んで小さな球になった。このときやっと周りのヒトたちはヴフトが魔物であると気付いたが、それはもう遅すぎた。

 球体になった影を片手にヴフトはきれいになったマントを翻した。

「カール・ベーアは気に入ったので私の国に連れ帰る。さらばだ」

 薄紫のそれがヴフトの体を隠したのが先か、言い終わったのが先か。ともかく、カールを連れて彼はふわりとその場から消えてしまった。

 カウンターにはブーツの靴跡と、宝石の入った袋だけが取り残された。




第一節 了

2017/8/26 校正版

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