大切なもの
「翠先生、あの、昨日のことですけど」
「何?明君、まだ昨日のこと怒ってる?」
「いや、その、そうじゃなくて……」
俺が気になっていたのは、昨日の灯里の言葉だった。
俺に内緒って、何のことだろうか?
翠先生なら何か知っているかもしれないと思い立って話しかけてみたものの、よく考えたら、翠先生のおなかの中には灯里がいるのだから、今それを聞いてしまったら、灯里の内緒ごとを探っているのがバレバレだ。
「いや、新居のご近所さんとかに、ママ友になれそうな人いたかなと思って」
よく考えたら、灯里が『会話』できるとしたら、ベビーなのだから、きっと、翠先生は妊婦か赤ちゃん連れのママに出会ったはずだ!
「うーん、妊婦さんもママさんもみなかったなぁ、私も期待して公園とかも行ったんだけどね」
じゃあ、新居の周辺で出会ったのではなく、病院で出会ったベビーとの間に内緒があるってことか?
『皆ー!笹岡が、何か隠し事してないかって聞いてきたんだけど、どう?』
今日の俺の担当が悠希だったことをこれ幸いと、俺は、NICUのまとめ役の悠希に、昨日からの疑問を晴らすべく質問した。
『えー、ないよ』
『どうせばれるし』
『アチョー!』
『あっ!』
元輝がそういうと、申し訳なさそうに俺を呼んだ。
元輝、まさか、灯里と共謀して俺に隠し事しているのか?
『実は、まだ、NICU戦隊ベビレンジャーの決めゼリフ、決まってないんだ』
すげえどうでもいいことだった!
うじうじ悩んでいる間に時間だけが過ぎ、とうとう面会時間になった。
『ママもパパも来ないなぁ……』
ハナちゃんがポツリと言った。
今日もハナちゃんのママは来ていない。
それどころか、今日はハナちゃんのパパすら来ていない。
『パパもママも来ないなぁ……』
それとはまったく無関係だが、元輝のパパも今日は珍しくまだ来ていない。
「元輝!ごめん、寝坊した!」
先に元輝のパパが現れた。
『パパ、今日は来ないかと思ったぞ!』
「そういえば、いつもミルクだけおいて帰っちゃうパパさんが、今日は奥さん連れてきてたぞ!」
それは、もしかしたらハナちゃんの両親のことかもしれない。
やっと、ハナちゃんが待っていた瞬間が訪れるのかもしれない。
そう思っていた時だった。
「赤羽です」
インターホン越しに聞こえてきたのは、女性の声だった。
『あ!ママだ!』
それは、ハナちゃんのママだった。
ハナちゃんのママは、ハナちゃんの顔を見るなり、その場に崩れ落ちるようにしゃがみこんだ。
『ママ、どうしたの?』
その嗚咽が聞こえたからか、ハナちゃんが心配そうに話しかけていたが、『声』が聞こえないハナちゃんのママには届いていない様子だった。
「ごめんね、ごめんねハナちゃん」
ハナちゃんのママはしゃくりあげながら言った。
「ママが、ソラ君産んじゃったから、ソラ君、死んじゃったの」
『え?』
ハナちゃんのママは、精神的に不安定だからと、ハナちゃんのパパに連れられて、病棟へと帰って行ってしまった。
ハナちゃんに、衝撃的な発言だけ残して。
『ソラ君、死んじゃったの?』
面会時間が終わり、静かになったNICUで、誰にともなくハナちゃんが言った。
『何で、ソラ君がいないのに私だけ生きてるの?』
ハナちゃんは、もぞもぞと動き始めた。
『ずっと、一緒だよって言ったのに!』
ハナちゃんが動いて外れたモニターがアラーム音を鳴らし始めた。
『ソラ君がいない世界なんていらない!』
まるで、ハナちゃんの心の危機を察したようにアラーム音がけたたましく鳴っている。
『ソラ君がいない世界に私なんかいらない!』
『そんなことない!』
いつもより強い悠希の『声』にハナちゃんは驚いて悠希を見た。
『ハナちゃんの世界はいつだってハナちゃんが中心なんだよ!』
『でも、ソラ君がいないもん!』
『ほかの誰かがいなくても、ハナちゃんがここにいる限り、ハナちゃんの世界はあるんだよ。ハナちゃんの世界で、一番大切なのは、ハナちゃん自身だよ』
悠希はちらりと、元輝を見た。
『ハナちゃんが、ハナちゃん自身を大好きになったら、きっと、ハナちゃんのママやパパやここにいるみんなのことをもっと大好きになれるよ!』
『それでも、ソラ君がいないの、悲しいよ』
『ねえ、ハナちゃん、ソラ君、ハナちゃんと一緒にいられて幸せだったって、言ってたでしょう?』
『うん、言ってた』
『ソラ君を幸せにしたハナちゃんが、ちゃんと幸せにならなきゃ、ソラ君はすっごく悲しいよ』
『ソラ君が悲しいのはイヤ!』
『じゃあ、ハナちゃんがハナちゃん自身を大切にして、ちゃんと幸せにならなきゃ』
『あ、いいこと思い出した!』
おもむろに元輝が言った。
今、悠希がいいこと言ってるのにお前邪魔するなよ。
『この前さ、パパがすっげえ悲しい顔してて、僕、パパに笑ってほしくて、にこってしたんだ』
それは、元輝のママのお葬式の後のことだろうか?
『そしたらさ、パパがなんかすげえにこってなって、僕、すごく嬉しかったんだ!何か、無敵になれた気がしたんだ!』
きょとんとしているハナちゃんをよそに元輝は言った。
『僕たちNICU戦隊ベビレンジャーの最大の武器はにっこりだ!』
そして、元輝はハナちゃんの方を向いた。
『しかも、レッドはソラの分もレッドだから、ハナは、ソラの分までレッドですっげえ強いはずだ!』
『ハナちゃんは、ソラ君の力をもらってるんだから、たくさん笑って、たくさん幸せになれってことじゃないかな?』
悠希が都合よく解釈してハナちゃんに伝えていた。
『そっか、私、ソラ君の力ももらってるんだ』
ハナちゃんは嬉しそうに言った。
『よし、みんな!今日は僕たちの最大の武器、にっこりの自主トレだ!』
元輝の掛け声とともに、全員が何故だか微妙な笑顔になった。
ベビレンジャーの先が思いやられて仕方がなかった。